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瑞霧山大雲院内知蓮寺(静岡県掛川市)『ずいむさんだいうんいんないちれんじ』と読む知蓮寺は、創建不詳、曹洞宗の寺院であり、御本尊は『聖観世音菩薩』のようです1747年に堂守がいなくなったため、坂下の『地蔵院』に移転、1975年に大雲院境内に観音堂が新築され、安置されることとなったようです大雲院には、2023年9月に参拝したのですが、改めて遠江三十三観音霊場第十四番札所の御朱印を授かりたく参拝しました▼2023年9月参拝時の様子▼『瑞霧山大雲院(静岡)』瑞霧山大雲院(静岡
昔々、ある小さな村に住む人々が、心の平和と幸福を求めていました。村の中心には美しい寺院があり、そこで瞑想をすることが習慣となっていました。ある日、老師が村の広場に集まった人々に向かって語りかけました。「みなさん、私は石ころを持ってきました。この石ころを手に取り、心を静めてみてください。」人々は不思議そうに老師の手に握られた小さな石ころを見つめました。石ころは普通のもので、何の特別なこともありませんでした。老師は続けました。「この石ころは、私たちの心の中にある不安やストレスを象徴していま
5日目は異国情緒が漂う街をお散歩がてら散策向かったのは『リトル・インディアン』地区へスタート地点へはタクシーで向かい、そこからテクテクお散歩&フォトタイム最初に向かったのは『スリ・ヴィラマカリアマン寺院』見慣れない光景にげんげんの足は若干すくみがちお参り作法などを予習してきていないことに、反省でも周りの方や注意書きを見て寺院の中へ世界には様々な神様や習わしがある事を漠然とげんげんも感じてくれてるといいな次に向かったのは『タン・テン・ニア邸宅』という中国系実業家のお家
5月6日GW最終日、古代文字で写経のワークショップおかげ様でふたたび満席となりましたありがとうございます!!☟詳細はコチラを!!問合せを頂いているので来月も開催しようかと思っております!!!ということで、内容を今一度、案内します。来月開催決定したら、またcheckしてくださいね!こんな古代文字の写経やりますよ~~~なぞり書きなので、安心です♪【満席御礼】5/6(月祝)古代文字で写経なぞり書きワークショップin鎌倉『日本には沢山の古代文字がある
スティーブの“スワトーン・ボム”に苦しみながら、ひたすら突く!勝った。正拳突き(Y)で押しきった。この技の対抗策を考えておかないと、今後はマズいな💦龍飛に対空技、ないのかな?寺院の境内に侵入してきた。また中ボス“いんどう”(格闘系レスラー)が現れた。タフだな💦
大尾山顕光寺(静岡県掛川市)『おびさんけんこうじ』と読む顕光寺は、807年に創建された大尾山山頂下にある真言宗醍醐派の寺院であり、御本尊は『千手観世音菩薩』、別称を『王子坊』というようです▼参道入口▼▼寺号標▼▲▼参道▲▼▼観音堂入口▼▼寺号標▼▲境内▲▼参道▼▲▼みはらし峠からの眺め▲▼▲参道/地蔵菩薩▲▼手水舎▼▲参道(石段)▲▼石燈籠▼▼境内スギ▼▼参道(石段)▼▼鳥居スギ▼▲観
樹齢100年を超える境内の3本の八重梅の木。そのうちの1本が弱っており、先月末、庭師職人がその木の根のために周囲の砕石を取り除き、土や肥料を施しました。参道側の部分が半分ほど(写真向かって右側)根腐れを起こしていましたが、反対側の根は元気なので、その部分で木を支えています。石柱は倒木防止のためのものです。空に向かって新しい枝葉が何本も伸びており、梅の実もいくつかついています。元気な姿に安心していました。しかし、心配事が2つあります。ひとつは木の幹から生えている緑色の苔で
一度来てみたかった成田山新勝寺東国三社巡りを午前中に終わらせて成田山新勝寺へやってきました成田山新勝寺に着いたとたん雨が降り出しましたそれでも参拝者は多い特に外国人の観光客さすが成田山新勝寺ここに辿り着くまでに結構な階段を登る煙をしっかり当てて…護摩焚きの時間まで結構あるのでその間に境内を探索出世稲荷なんと縁起の良さそうな出世をお願いしました笑おみくじは自動販売機なんですねおぉ!内容が良くないこのおみくじはいらないのでお返ししました成田山新勝寺には御朱印が色々
宝弓開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。天神山龍光院(密教寺院)当院は、加持祈祷を中心に指導や祈願を行っている寺院でございま
一般社会に暮らしているとなかなか難しいかも知れないが、朝食というものは、本当は起床後、十分に時間が経ってお腹が空いてから食べるのが理想的だ。そう思って以前に自分が書いたブログの、お寺の起床に関する記事を読み返し、各お寺の日課を確認してみることにした。他宗のことに関してはいい加減なことが言えないので、とりあえず天台宗の場合について見てみると、比叡山において僧侶が天台密教の灌頂を受ける時の3日間の日程は、2日目が午前6時半に朝事(朝の勤行)を勤めた後、7時半に小食(しょうじき・朝食)とな
タイ第2の都市、【チェンマイ】と北部【スコータイ】旅行記の続き~o(^o^)o♪前回のお話(#062)はこちらから~『ワット・シー・チュム』にやって来ました。場所はコチラです。↓歴史公園の城壁からやや北西に位置する寺院です。入口には遺跡修復の用紙などのパネルが設置されていました。入場料は、先に『ワット・プラ・パーイ・ルアン』で支払ったチケットで入場できます。正面にいきなり仏さんのお顔が見えてきました。なんだかあのやさしく微笑むお顔に吸い込まれるような感覚・・・わぁ~おっ
この日は…当直明けでした…大学生の娘が…お昼で終わるから乗せて帰ってほしいとのこと🚙仕方ないので…時間つぶしに奈良県葛󠄀城市にある…牡丹と芍薬の寺『石光寺』に行きました〜🛕ぼたん・石光寺平日でしたけど…まぁまぁ人が多かったです💦芍薬🏵牡丹🏵少し終わりかけだったみたいですが…まぁまぁきれいでした藤棚いくつかの藤棚がありました藤もきれいでした少し時間があるので…しあわせの森公園の芝桜を見に行ってみます5月もよろしくお願いします🙇それでは今日もがんばろー💪💪💪
⑨2024/4/617時頃~「グアダルーペ寺院」(旧聖堂)テペヤックの丘にある寺院(ここも地盤沈下でかなり傾いてるそうです)立派な建物です寺院の前は広い広場こちらは「グアダルーペ寺院」(新聖堂)この新聖堂の設計士さんは日本人の丹下健三氏と交流があり代々木体育館を参考にしたと言われてます親近感が湧きます屋根は富士山にも似てる気がしました新聖堂の中「奇跡のマント」褐色の聖母がこの地に出現しその姿がマントに浮かび上がった言い伝えが残ってますすごいオーラがあるあ
ご門徒さんがご両親の年忌法要のご依頼に来られました。夏に父親が、その約半年後に母親の年忌があたっています。その方は、これまでずっとご自宅の仏壇で年忌法要を勤めていました。コロナ禍による仏事の親戚づきあいの変化にご縁が疎遠になることを心配されて住職に相談にみえました。「相手のあることですので,迷惑になってもいけないので家族だけで本堂で年忌をしようかと思っている」「半年後には母親の年忌もくるので,まとめてするかも迷っている。家族だけなら別々にと思うし,相談に来た」と言われ
今、私が住んでいるところは、京都の中でも寺院の多い処です。なんと、学区内には、50以上のお寺が、点在、いえいえひしめいています。この前の夜のお散歩で🚶♀️掲示板を撮ってみました。こんな具合です。そして、その間には、ホテル🏨も沢山あります。地下鉄🚇駅京阪電車の三条駅🚉、東山駅🚉、どちらからも5分という立地条件です。お寺ばかりだと夜🌉、人通りが減ってから寂しいです。怖いです。でもホテルの明かりが、🏨あるので、安心できます。家🏠から歩いて🚶2分ほどのところに大蓮
大圓山最福寺(静岡県掛川市)『だいえんざんさいふくじ』と読む最福寺は、1440年に創建された曹洞宗の寺院であり、御本尊は『千手観音菩薩』のようです▼寺院入口▼▲地蔵堂▲▼稲荷社▼▲山門▲▲稲荷社入口▲▼水盤/石燈籠▼▲稲荷社▲▼山門▼▲寺号標▲▼石仏群▼▲供養塔▲▼山門正面▼▲扁額▲▼参道▼▲建屋▲▼境内▼▲石仏碑▲▲庫裡▲▼本堂▼▲藤棚▲▼本堂正面▼▲蘇鉄▲▲小僧像▲▼扁額▼▲本堂内陣▲
立正安国論第二章悪比丘仏法を破する相を示す一、法師は諂曲、王臣は不覚なるを明かす本文主人喩(さと)して曰く、仏閣甍(いらか)を連(つら)ね、経蔵軒(のき)を並べ、通釈客が色をなしたので、主人はこれを喩(さと)していうには、たしかに仏閣・経蔵は軒を並べるようにたくさん建っている。語訳仏閣閣は高殿(たかどの)高楼(こうろう)御殿ーをいう。仏閣とは、立派な構えを持った仏教寺院。甍(いらか)家の上棟(うわむね)をいい、転じて屋根瓦、瓦ぶきの屋根をい
法名釋精貢さんの六七日法要を勤めました。六七日法要後忌明け法要のみを残すだけとなりました。本堂での最後の七七日法要です。そこで「忌明け後亡くなったお父さんはどこへ行くのか」と言う話をしました。日本の人たちは「死者は49日(七七日)に仏となり,33年まではその家で祀られ,それ以降は村(地域)全体の神様になる」と言われてきました。仏教や道教,自然崇拝が関係しています。つまり死んだ人は地域の山や森から私たちを見守ってくれる。また土にかえると考えていました。最も身近の所で
境内に現れた“U系(格闘系)”プロレスラーが、猛攻!微妙に強い。この奥に進むと?二人目の中ボス。スティーブ?こいつ、前作(飛龍の拳SP)にいなかった?格闘大会で闘ったような?マーシャルアーツの使い手らしいが、また旋風脚とパンチ(正拳突き)で攻める。時折、ガード(相手の逆方向に十字キー)でスティーブの攻撃を耐える。苦労したが、倒したぞ。…さらに進むと、さらに中ボス、いんどう(どんな漢字か不明…)プロレスラーだ。ここは、ガードで相手の攻撃に耐え、⏩️⏩️⏩️を溜めて、必
おはようございます☀今日はもう歩きに出ています。昨日は疲れて21時には寝るようにしました。2時30分には目覚めてよく休めたようですので準備を考えて5時過ぎた頃今地元の駅におり少し遠出見たいな予定ですが今日も頑張りたいな~🌠[追記]あれから、現地にまでは電車で行きウォーキングしてく。初めは症状かなりキツくしんどかったでしたけど..。そんな時間と共にウォーキングして行くのは毎度の事でした。序盤は何時も大体そうなのですね。後半から調子が上がることも多く幻聴さん共々
サツキが見頃です!
5月6日GW最終日、古代文字で写経のワークショップキャンセル出ました残り1名様、席に空きがございます!!☟詳細はコチラを!!こんな古代文字の写経やりますよ~~~なぞり書きなので、安心です♪精神集中の時間、是非ご一緒しましょう!!!お席1名様空きました🎯GET出来たら「残り福」🌈皆様のご参加お待ちしております!5/6(月祝)古代文字で写経なぞり書きワークショップin鎌倉『日本には沢山の古代文字がある!古代文字de般若心経なぞり書きワークショップ
古代中国では身を修めることが重んじられ、子どもへの教育は、人格を磨き、訓練することが重要視されていました。それに関連する逸話や物語はたくさん伝えられており、現代人にとって学ぶ価値の高い内容のものも残っています。その中の一部を、ここに紹介します。老禅師、無言の教育昔、一人の老禅師がいました。ある日の夜、師が禅庭の中で散歩していたところ、寺院の塀ぎわにひとつの椅子が置かれているのを見つけます。寺院の戒律に背き、誰かが塀を乗り越えて出かけたということが、一目瞭然でした。老禅師は騒ぎ
初めて参拝に上がる神社に向かう前に自分の思い入れのある寺院で清めて頂いてから向かう事にしました弘明寺・神奈川県横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。・本尊の木造十一面観音菩薩立像は国の重要文化財であり横浜市最古の寺院。・坂東三十三観音第十四番瑞応山弘明寺観音樣。懐かしい‥‥子供の頃良く母親と買い物がてら御参りしたなぁ手水舎お寺の手水舎この後ろ姿たまらないっ身代地蔵菩薩・平成13年(2001年)6月奉納されたとあるので
今日は安房小湊の大本山小湊誕生寺にやってきました。誕生寺は1276年に日蓮の弟子、日家によって建立されました。この地は日蓮聖人の生誕地とされており、歴史的にも非常に重要な場所です。寺は元々日蓮の生家跡に建てられましたが、地震や津波による被害で何度か移転し、現在の場所に定められました。寺院の敷地内には多くの見どころがあります。本師殿宝塔は1988年に完成し、その他にも宝物殿、客殿、竜王殿などがあります。特に宝物殿には日蓮真筆や歴代の墨蹟、そして日蓮聖人御一代伝記画などが展示されています。また、
カンボジアのコーケー遺跡群。ここは、アンコール五大遺跡群のうちの一つ。でもって、コーケー遺跡群には、七段ピラミッド型寺院のプランがある。プランは近年、カンボジアを訪れた旅行者の間で、人気が急上昇している。エジプトだって、メキシコだって、ピラミッドは観光者に人気が高い。それと同様に、プランは、「東南アジアにもピラミッドがあったのか!見てみよう」と、旅行者の探究心をくすぐるものらしい。訪問者の中にも、(見たくなったな)と思った方がいるのでは?プランへ行く時は、気をつ
神宮山長源庵山崎(静岡県掛川市)『じんぐうさんちょうげんあんやまさき』と読む長源庵は、1624年に創建された曹洞宗の寺院(無住)であり、御本尊は『如意輪観世音菩薩』のようです▼寺院入口▼▲▼境内▲▼▲寺号標▲▲▼参道▲▼▲境内▲▼坐禅会館▼▼札所標▼▲観音堂▲▼堂正面▼▲鰐口▲▼観音堂内部▼▲手水鉢▲▲石塔▲▲地蔵群▲▼忠魂碑/地蔵堂▼▲境内(観音堂前)▲▼坐禅会館▼▲▼参道
浄土宗総本山知恩院800年以上の歴史を持つお寺境内にある、坂村真民氏筆跡の石碑坂村真民氏(仏教詩人)「念ずれば花ひらく」念ずれば花ひらく苦しいとき母がいつも口にしていたこのことばをわたしもいつのころからかとなえるようになったそうしてそのたびわたしの花がふしぎとひとつひとつひらいていった何事も一生懸命に祈るように努力すれば自ずから道は開ける夢や目標がかなうという思いが込められていますゴールデンウイ
バロンちゃん🐒演者さん達勢揃い一緒に記念撮影も舞台上で出来ます⛲️水の王宮サラスワティ寺院🛕🌕⛲️水の王宮と満月🌕ウブド王宮前🌕🌕ブレブレ💦キャベツ畑でした
若くして亡くなられた有縁の方(法名至安院釋春英)の百ヵ日法要を10時から本堂で勤め、ご両親、弟さんが参詣されました。1月の通夜、葬儀の日は大雪で、忌明け法要の時も3月とは思えないほど寒く、名残雪が舞い、常に雪とご縁がある方でした。忌明け法要から50日が過ぎ、至る所で木々の青々とした若葉が光輝く新緑の季節となり、ご両親のお顔が以前と比べて明るく、元気になっていることに安心しました。「やっぱり時間やね」というお父さん。「いつかは皆同じところに行くんだから、生きている