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宮城県岩沼市三色吉字水神に鎮座する金蛇水神社。宮城県では、金運円満や商売繁盛の御神徳をいただける神社として金華山黄金山神社や涌谷黄金山神社と並び知られています。御祭神は水の女神とされる水速女命、別名『金蛇大神』。その他に大巳貴命と少彦名命を相殿神としてお祀りしています。境内には、同じく水の女神である金蛇弁財天もお祀りされています。由緒によれば、岩沼付近に人々が住み始めた頃、山から湧き出た水が平野に流れ出る場所に水神を祀ったことが神社のはじまりという。一条天皇の御代で
熊野神社(くまのじんじゃ)熊野新宮社(くまのしんぐうしゃ)宮城県名取市高舘熊野堂に鎮座。旧社格は県社。御祭神として速玉男大神・伊邪那伎大神・事解男大神を祀る。昔、名取の地には年老いた巫女がおりました。その老巫女は若い頃から紀州熊野三社を篤く崇敬しており、たびたび紀州熊野へ参拝していました。しかし、年老いたことから、紀州への長旅に耐えるほどの体力がなくなってしまいました。熊野本宮社に関連する由緒によれば、保安4年(1123年)に鳥羽天皇が病にかかられたときに、夢枕に
藤田神社(ふじたじんじゃ)宮城県角田市藤田六郎田に鎮座。旧社格は村社。御祭神として火産霊神を祀る。その他に近隣に鎮座する春日神社の天児屋根命や鹿島神社の武甕槌神、諏訪神社の建御名方神などを合祀している。藤田神社はもともと、火の神である火産霊神を祀る『愛宕神社』として鎮座しており、天正4年(1576年)に領主であった藤田七郎晴近により勧請されたと伝えられている。その後、延宝2年(1674年)に伊達藩士の大町清九郎が社殿を修繕し、春秋の祭事を奉仕するなど代々崇敬した。
大谷香取神社(おおたにかとりじんじゃ)宮城県角田市尾山字引田に鎮座。旧社格は村社。御祭神として經津主神を祀る。その他に大巳貴命・少彦名命・保食命を配祀・合祀している。大谷香取神社は、平安時代である文徳天皇の御代である仁寿2年(852年)9月に下総国の香取神宮から御分霊を勧請したことに始まるという。勧請当時、神主として亜麻黄右近大夫という者が奉仕を行った。由緒によれば、下総国古河から御分霊を勧請ということですが、古河は茨城県古河市・坂東市付近になるので、香取神宮から
髙魂神社(たかたまじんじゃ)角田市尾山字荒町に鎮座。旧社格は村社。御祭神として高皇産霊尊・天津日髙日子波瀲建鵶草葺不合尊・神日本磐余彦尊・玉依姫命を祀る。その他に、近隣に鎮座していた神社の火産霊神・武甕槌命熊野櫛御食野命・保食命・倉稲魂命・稚産霊命・雷神・大山祇神大日孁神・誉田別尊・天児屋根命・蛭子命を合祀・配祀している。由緒によれば、髙魂神社は平城天皇の御代である大同2年(807年)に勧請されたという。勧請当初の御祭神は造化三神の高皇産霊尊と、熱日髙彦神社の御祭神で
熱日髙彦神社(あつひたかひこじんじゃ)宮城県角田市島田に鎮座。旧社格は郷社。延喜式内社であり伊具郡総社。御祭神として天津日髙彦火廼邇邇杵命と日本武尊を祀る。その他に、素戔男尊・鹽土老翁命・大己貴神・少彦名命菊理媛命・倉稲魂神を含む12柱の神々を合祀している(後述)。熱日髙彦神社は古くから島田地区に鎮座しており、往古は『日高明神社』や『日高宮』と呼ばれていた。由緒によれば、景行天皇の皇子である日本武尊が東夷征伐の勅命を受けて伊具の地へやってきた。その際、古来からの聖
菅生神社(すごおじんじゃ・すごうじんじゃ)宮城県柴田郡村田町菅生に鎮座。旧社格は村社。御祭神として、六社大権現と呼称される神々、すなわち、武甕槌命・経津主命・大国主命・誉田別尊・大山祇命・倉稲魂命を祀る。その他に愛宕神社の火産霊命(迦具土命)を合祀している。菅生神社の創建は、坂上田村麻呂公による東征までさかのぼる。桓武天皇の御代である延暦年間(782年~805年)に、坂上田村麻呂公が東夷征討の勅命を受けてこの地へやってきた。その際、この地に武甕槌命など六柱の神々を勧請
八雲神社(やくもじんじゃ)宮城県刈田郡蔵王町大字円田に鎮座。御祭神として素戔鳴尊を祀る。由緒によれば、日本武尊により松川の河畔に勧請されたという。もともとは『牛頭天王社』という名称で祀られていた。永禄3年(1560年)に社殿が再建されたが、元禄元年(1688年)に松川が氾濫した際に社殿が流失したため現在の鎮座地に遷座された。明治時代の神仏分離令により、牛頭天王社から現在の社名である『八雲神社』へ改称。もともとは永野集落には愛宕神社が鎮守社として鎮座していたが、い
淡嶋神社(あわしまじんじゃ)宮城県刈田郡蔵王町曲竹字淡島山に鎮座。御祭神として少彦名神・大己貴神・天照大御神をお祀りしている。その他に八俣神(八衢比売神)・保食神(稲荷神)息長足姫命(神功皇后)を配祀している。由緒によれば、景行天皇の御宇に日本武尊により勧請されたという。寛永13年(1636年)に郷士の伊三郎という者が淡嶋神社へ祭祀料を献納し、霊元天皇の御代(1654年~1732年)には藩士である巻原元辰により荘厳な社殿が造営され、氏子や近隣住民の安寧息災を祈願した
田村神社(たむらじんじゃ)仙台市宮城野区福田町に鎮座。旧社格は村社。御祭神として猿田彦神を祀る。田村神社がいつの頃勧請され、誰により祠が建てられたのか不明。ただ、現在の福田町の地にまだ人民の居住がない時からこの地に小祠が鎮座しており、近隣の人々から崇敬されていたという。少なくとも江戸時代から地域の人々からお祀りされており、弘化3年(1846年)に御社を再興したと云われているとのこと。しかし、明治35年2月に起きた福田町大火で再興された社殿も炎上。明治38年に再び社殿
二木神社(ふたきじんじゃ)仙台市宮城野区田子に鎮座。旧社格は村社。御祭神として伊邪奈岐神・伊邪奈美神を祀る。二木神社の創建については不明。古老たちの口伝によれば、源頼朝公が奥州藤原氏の討伐のために奥州平泉に向かう途中、二木の杉の巨木に馬を繋ぎ休憩したという。その際、頼朝公が、二木の杉があるこの地のことを『二木』と呼ぶようにと言い置いて平泉へ出陣したことから、当時である文治5年(1189年)頃から土地の名は二木と呼ばれるようになったという。『宮城郡誌』に記載さ
八幡神社(はちまんじんじゃ)多賀城市宮内に鎮座。旧社格は郷社。御祭神として誉田別尊(応神天皇)・息長帯比賣命(神功皇后)・比賣神を祀る。こちらの八幡神社ですが、宝永4年(1707年)の火災により社殿や由緒などが焼失したため、詳細は不明とのこと。八幡神社の御本社は豊前国宇佐郡に鎮座する宇佐神宮で、こちらの八幡神社も宇佐神宮からの御分霊を勧請された御社だという。言い伝えによれば、元正天皇の御宇である養老5年(722年)に諸国に国分寺が建立された頃、八幡神社の別当を勤め
青木神社(あおきじんじゃ)塩竈市南町に鎮座。御祭神として青木神を祀る。その他に伊達綱村公を配祀している。青木神社の創建は不明。だが、鹽竈大神に従属する神であり、古来より鹽竈神社十四末社のうちの一座として、現在地に鎮座していたという。御祭神の青木神がどのような神かは不明だそうだ。たぶん、塩竈の地の地主神のような神ではないのかなぁ、と。境内には欅の古樹が生い茂り、社殿の目の前は国府の津という意味の『香津』と呼ばれ、国府多賀城の港となっていた。もともとは泥濘(ぬかるみ)が
多賀神社(たがじんじゃ)多賀城市高崎1丁目に鎮座。旧社格は村社。御祭神として武甕槌命・経津主命を祀る。その他に天照皇大神・久那斗神・菅原道真公を配祀している。多賀神社の勧請年月などは不明。『浮島村風土記御用書出』という文章などによれば、鎮座地付近は陸奥国多賀郷の中心地であり、陸奥国府であった多賀城の鎮護寺の境内となっていた。多賀城があった当時、この地に任務で赴任してきた国司もしくは開拓移民が篤く崇敬していた江州多賀神社(現在の滋賀県・多賀大社)の御分霊をこの地に勧請し
浮嶋神社(うきしまじんじゃ)宮城県多賀城市浮島に鎮座。旧社格は村社。御祭神として奥塩老翁神と奥塩老女神を祀る。その他に、贈正一位源朝臣融卿を配祀している。浮嶋神社の御祭神である奥塩老翁神と奥塩老女神は塩土老翁神のお供の神々のうちの二柱とされています。『奥鹽地名集』において、奥塩老翁神と奥塩老女神は、東宮神社の御祭神である東塩根老翁神と東塩根老女神と共に丸木舟に藻塩草を積み込み『びわの浦』に送り届ける役目を担っていたとされています。また、江戸時代に行われた仙台藩の調
吉田神社(よしだじんじゃ)七ヶ浜町吉田浜に鎮座。御祭神として天鈿女命を祀る。由緒によれば、吉田神社の創建年代は不明。しかし、鼻節神社と関係が深いとされており、鼻節神社の御祭神である猿田彦命の妃神である天鈿女命を祀る神社だといわれています。また、『七ヶ浜町誌』によると、吉田神社の別当家や吉田浜地区に伝わる話によれば、吉田神社の御祭神は太田姫命という女神様だそうです。この太田姫命という神様は、太田命という神様の妃神であるとされ、太田命は猿田彦命と同神と考えられており
鼻節神社(はなぶしじんじゃ)七ヶ浜町花渕浜に鎮座。延喜式内名神大社。旧社格は村社。御祭神として猿田彦命を祀る。鼻節神社の御祭神である猿田彦命は、鹽竈神社別宮の御祭神である塩土老翁神と同じ神とされており、社伝によれば舟に乗って(一説には鯱(シャチ)に乗ってとも)やってきた猿田彦命は、現在の花渕から陸奥の地へ上陸したとされています。鼻節神社がいつ勧請されたかは不明ですが、『花渕浜風土記御用書出』という文書によれば、神代に鼻節大神が花渕浜鰐ヶ淵という場所に御舟に乗って着岸
東宮神社(とうぐうじんじゃ)七ヶ浜町東宮浜に鎮座。御祭神として東塩根老翁神と東塩根老女神を祀る。御祭神である東塩根老翁神と東塩根老女神は、由緒によれば太古において、鹽竈大神(塩土老翁神)の補佐をし、塩土老翁神の教えを四方に広めた神とされているそうです。また、先日記事にした『奥鹽地名集(塩釜地方の風土記)』では、東塩根老翁神と東塩根老女神は丸木舟に藻塩草を積み込み、「びわの浦」に運搬する役目を担っていたと書かれています。古来、鹽竈神社の四方には神社が鎮座しており、
柏木神社(かしわぎじんじゃ)多賀城市大代に鎮座。旧社格は村社。御祭神として藻塩場老翁神・藻塩場老女神を祀る。柏木神社の御祭神である藻塩場老翁神と藻塩場老女神は鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神のお供の神々のうちの二柱であり、柏木神社は鹽竈神社の十四末社の一社になっています。藻塩場老翁神と藻塩場老女神は柏の木を愛しており、二柱を祀る神社の鎮守の杜の木々は全て柏の木だったそうな。また、藻塩場老翁神と藻塩場老女神は塩土老翁神の命を受けて製塩に従事され、作った塩を柏葉で包んで
宮城県の塩竈市に鎮座する、奥州一之宮である志波彦神社・鹽竈神社。その鹽竈神社別宮には、主祭神の塩土老翁神がお祀りされています。塩土老翁神は伊邪那岐命の御子の一柱であるとされ、『日本書紀』では、日向国に天降った天孫・瓊々杵命に笠狭岬で国を奉ったとされる事勝国勝長狭神と同神とされています。また、有名な海幸山幸の話でも、火照命(海幸彦)の釣り針を無くし悲観にくれている火遠理命(山幸彦)を海神の宮へと導く神とされています。鹽竈神社は昔は『鹽竈六所大明神』とも呼ばれ、塩土老翁神は事
石間稲荷神社(宮城県亘理郡亘理町)Part1からの続きです。石間稲荷神社の神使のお狐さまの石像。石間稲荷神社には、岩沼市の竹駒神社に関係する言い伝えがあります。竹駒神社には姉や伯母とされる神社があります。『姉明神』と呼ばれているのは、名取市のJR館腰駅の西側に鎮座する旧県社・館腰神社です。館腰神社参道と社殿。館腰神社の主祭神は、京都の伏見稲荷大社の祭神である倉稲魂神・大宮姫神・猿田彦神の三柱です。館腰神社は、嵯峨天皇の御宇である弘仁2年(811年)に弘法大
石間稲荷神社(いしまいなりじんじゃ)亘理町逢隈下郡に鎮座。御祭神は稲荷大神とされる宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。鎮座している下郡地区は、昔は「石間山」や「八ツ山峰」という山々とその山々を水源とする水と阿武隈川の水に恵まれた土地で、そのバランスの良い自然環境を利用して、田畑や集落などが形成されていました。また、平安時代頃までは、鎮座する上郡・下郡地区付近から東側は海で、神社の周りも葦の生い茂る沼地であったそうです。八ツ山峰の北西側には名水「田澤清水」があります。写
安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)亘理町逢隈田沢に鎮座。延喜式内社。旧社格は郷社。御祭神として河口の女神である速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)を祀る。安福河伯神社と同じ祭神の速秋津比売神を祀る、淡路国(兵庫県洲本市由良)に鎮座する由良湊神社の御朱印帳。速秋津比売神の御神影が美しく描かれています。相殿神として経津主神、猿田彦命、大年神をお祀りしている。その他に、逢隈田沢字浜道に鎮座する森房早川神社(祭神:天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)と宮原に鎮座していた水
鹿島伊都乃比気神社(かしまいつのひけじんじゃ)月山神社(つきやまじんじゃ)亘理町吉田字作田に鎮座。旧社格は鹿島伊都乃比気神社が無格社、月山神社が村社。御祭神は鹿島伊都乃比気神社が武甕槌神、月山神社が月讀命(月夜見命)と八幡大神(誉田別命)を祀る。鹿島伊都乃比気神社は、川口神社所蔵の『亘理郡神社明細帳』によれば、景行天皇41年(111年)8月6日に勅命を受けて勧請された神社で、清和天皇の御宇である貞観4年(862年)6月15日に従五位上の神階を賜ったという。明治43年
鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ)亘理郡亘理町逢隈小山に鎮座。延喜式内社。旧社格は村社。『日本三代実録』における『陸奥国鹿島苗裔三十八座』のうちの一座。御祭神として武神・地震鎮めの神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る。一説によれば、神社の名称は武甕槌神の御子神の『緒名太神(おなたのかみ)』に因むともいわれている。鹿島緒名太神社は、鹿島天足和気神社と同じく、平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』に記載される「陸奥国に鎮座する鹿島苗裔神三十八社」のうちの一座
私の住む亘理町には、『延喜式内社』と呼ばれる由緒ある神社が現在三社鎮座しています。延喜式内社とは、延喜5年(905年)に編纂が始まり、延長5年(927年)に完成した法令集である『延喜式』のうち、『延喜式神名帳』と呼ばれる巻9と巻10に記載されている神社のことです。この延喜式神名帳に記載されている神社は、時の朝廷から『官社』として特別な待遇を受けていた神社で、その数は陸奥国内だけで100社が鎮座していました。その100社の神社のうち、亘理郡には4つの神社が鎮座していま
2日の話ですm(__)m10月の『盬竈神社』(宮城県)に行きました。銀水引(ギンミズヒキ)狛犬①狛犬②樹木の実多羅葉(タラヨウ)表参道随身門宮城野萩(ミヤギノハギ)白花萩(シロバナハギ)???「みなと塩竈ゆめ博」10月1日(土)~31日(月)に行われています左右宮拝殿(。-人-。)金木犀(キンモクセイ)秋の訪れを感じます浜菊(ハマギク)草藺(クサイ)?東神門茶の木(チャノキ)南部薊(ナンブアザミ)このあとユアスタに向かいました。T
山神社宮城県遠田郡美里町牛飼斉ノ台37小牛田山神社の御朱印
零羊崎神社宮城県石巻市湊字牧山7零羊崎神社の御朱印
熊野神社宮城県仙台市泉区実沢熊野山17熊野神社の御朱印