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こんにちは✋クマ姉(ネェ)です昨年末に訪れていた神社をご紹介宮城県名取市にある熊野那智神社http://kumanonati.com/lesson.html由緒・主祭神|熊野那智神社由緒名取老女結びの神那智出羽kumanonati.com閖上(ゆりあげ)の海岸が一望です上のホームページを見て閖上の名が出来た理由を知りました✌️しっかりと八咫烏社もありました和歌山まで行けないわーって方はこちらをお詣りしてみてね☝️今日もありがとう💕
ここのエネルギーがすごい😆⤴️🌈🐲
昨日参拝してきた宮城県の神社の写真であります~😃今回猫がお出迎え~😍猫の参拝…🤩
本業の職場から、ゴールデンウィーク休暇を1日もらえて、今日がその貴重な休日です午前中のうちに、初めて訪れる神社と寺へ行ってきました。(寺は次回、紹介します)嶋館神社・嶋館古墳(宮城県柴田郡大河原町字千塚前70)【御祭神】保食神・猿田彦神・大宮女神・嶋館神社鳥居・嶋館神社・嶋館古墳案内板・嶋館古墳の頂上に本殿
今回は、宮城県内の神社で新たにオリジナル御朱印帳の授与を開始した神社が数社あるので御紹介したいと思います。志波彦神社・鹽竈神社(宮城県塩竈市)奥州一之宮である、塩竈市の志波彦神社・鹽竈神社です(写真は鹽竈神社別宮)。こちらも2016年冬からオリジナル御朱印帳の授与を開始しました。志波彦神社・鹽竈神社の御朱印帳。薄紫色の御朱印帳で、表面は鹽竈桜と社殿、裏面は志波彦神社・鹽竈神社の社名と両社の御神紋である「左流れ三つ巴紋(志波彦神社)」と「塩竈桜紋(鹽竈神社)」が刺
鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)宮城県石巻市日和が丘に鎮座。延喜式内社。旧社格は県社。『日本三代実録』における『陸奥国鹿島苗裔三十八座』のうちの一座。御祭神として軍神・武神・剣神・雷神・地震鎮めの神とされ、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)と、武甕槌命の御子神である鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと)を祀る。神代といわれるほどの大昔、二柱の強大な軍神が葦原中国に降臨されました。武甕槌命と経津主命といわれる二柱の軍神は、天孫瓊瓊杵命
熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)宮城県名取市高舘に鎮座。旧社格は村社。主祭神として海を支配する龍神である羽黒飛龍大神(はぐろひりゅうのおおかみ)と縁結びの女神である熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を祀る。その他に、黄泉事解男命(よもつことさかのお)・家津御子神(けつみこのかみ)熊野速玉神(くまのはやたまのかみ)・大穴牟遅神(おおなむちのかみ)天照大神(あまてらすおおかみ)を配祀している。お祀りしている御祭神については、熊野那智神社側でも諸説あり、現在は上
【宮城】宮城県気仙沼市松崎中瀬にある気仙沼熊谷党ゆかりの神社古谷館八幡宮のステキな【御朱印】【古谷館八幡宮御朱印】境内から望める気仙沼~大島大橋の開通を記念して新たに御朱印用のスタンプを作成しプチリニューアルしていますまた熊谷家の家紋である「ホヤに鳩」の御朱印も数年前に新調されたそうで熊谷党ゆかりの古谷館八幡神社ならではのステキな【御朱印
新山神社(にいやまじんじゃ)宮城県東松島市大塩に鎮座。旧社格は村社。御祭神として、桓武天皇の第五皇女であり、平城天皇の后妃である大宅内親王(おおやけないしんのう)を祀る。延暦25年(806年)3月に桓武天皇が崩御し、大同元年(同年)5月に平城天皇が即位された時のお話…。大同2年(807年)、貴族であった藤原宗成が、桓武天皇の皇子であり平城天皇の弟でもある伊予親王に謀反を起こすように唆したものの、伊予親王は頑なにこの陰謀に加担することを拒み続けました。伊予親王は兄である
櫻田山神社宮城県栗原市栗駒桜田山神下106櫻田山神社の御朱印
久集比奈神社(くすひなじんじゃ)宮城県石巻市高木字上品山に鎮座。延喜式内社。旧社格は村社。御祭神として『山幸彦』としても知られる、穀物の神・農業や漁業の神である彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)を祀る。その他に、彦火火出見命の母神である木花開耶姫命を合祀している。石巻市の東にそびえる標高465mの山、上品山(じょうぼんさん)。仙台方面から三陸道で走ってくると、真正面に見える山です。上品山の名前の由来は、極楽浄土への往生を願う修行者は、生前に積んだ功績や徳に応じて9つ
熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)宮城県名取市高舘熊野堂に鎮座。御祭神として熊野櫛御家都御子大神(素盞嗚尊)熊野牟須美大神(伊弉冉尊)・熊野速玉之男大神(伊弉諾尊)を祀る。その他に、十一柱の神々を祀っている(後述)。由緒によれば、熊野本宮社がいつ勧請されたのかは不明。熊野本宮社は、もともとは『熊野本宮』という社名で、現在の島根県松江市に鎮座する熊野大社の御祭神である『伊邪那伎日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命』と同じ祭神とされる熊野櫛御家都御子大神(素盞嗚尊)を
若草稲荷神社(わかくさいなりじんじゃ)宮城県登米郡東和町に鎮座。御祭神として宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)をお祀りし、その他に夫婦稲荷大神と延命地蔵を併せ祀っている。若草稲荷神社は天延3年(975年)に創建された。御祭神として祀られている宇迦御魂大神は、伊勢神宮外宮に祀られている豊受姫大神(豊受大神)や稚産霊神や保食神と同じ神とされています。康平5年(1062年)、源頼義公により、現在若草稲荷神社の西側に鎮座する八幡宮の末社として天倉山に鎮座させられた。享
鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)亘理郡亘理町に鎮座。延喜式内社。旧社格は郷社。『日本三代実録』における『陸奥国鹿島苗裔三十八座』のうちの一座。御祭神は主祭神として、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮に祀られている武甕槌神和魂と千葉県香取市に鎮座する香取神宮に祀られている経津主神和魂の二柱をお祀りし、その他に、稜威雄走神と猿田彦命を配祀しています。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)数年前までは首座に武甕槌神、左座に稜威雄走神、右座に猿
牧山零羊崎神社(まきやまひつじさきじんじゃ)宮城県石巻市湊字牧山に鎮座。延喜式内名神大社。旧社格は県社。御祭神として龍宮の主で、龍神・海神である豊玉彦命(綿津見神)を祀る。Part1では、牧山零羊崎神社の由緒と零羊崎神社の風景について御紹介しました。Part2では、牧山の山内に鎮座する境内社などを御紹介したいと思います。それでは、牧山零羊崎神社に参拝した後は、境内社をお参りしていきます。境内社は山頂への道路と平行して伸びている脇の参道沿いに鎮座しています。牧山山頂からは
牧山零羊崎神社(まきやまひつじさきじんじゃ)宮城県石巻市湊字牧山に鎮座。延喜式内名神大社。旧社格は県社。御祭神として龍宮の主で、龍神・海神である豊玉彦命(綿津見神)を祀る。由緒によれば、零羊崎神社の創建は現在より約1800年前である応神天皇2年(366年頃)、神功皇后の勅願を受けての創建とされています。御祭神である豊玉彦命は龍宮の神であり、潮の満ち引きを司る瓊(光る宝玉)を2つ持っていた。宝玉にはそれぞれ名前がつけられており、干潮を司る宝玉には『潮涸瓊(しおひるに)』、
志波彦神社(しわひこ)◇鎮座地:宮城県塩竈市一森山1丁目1番地◇最寄り駅:JR仙石線「本塩釜」◇御祭神:志波彦神(しわひこのかみ)→記紀を始め、古文書に名前を見つけられない神さまです。この地方で信仰されていた土着神と考える説がありますが、詳細は不詳です。◇御朱印:あり→拝受(鹽竈神社の授与所にて書いてもらえます)◇参拝日:2017年10月10日◇社格等:延喜式=名神大社、旧社格=國幣中社、神階=従四位下勲四等※志波彦神社は、宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川
9月末に宮城県を訪れた時に最後に訪れたのは大崎八幡宮です。一の鳥居をくぐり、二の鳥居をくぐると、長い石段があります。そして長い石段を登り切ると…三の鳥居があります。さらに参道を進んでいくと、手水舎があります。重要文化財の長床です。楽天イーグルスをはじめ、仙台にゆかりのあるチームが必勝祈願に来られています。そして、国宝の社殿なのですが、拝殿の前に仮拝殿があり、正面からその姿を見ることが出来ませんでした。残念💦斜め方向から撮影。屋根部分が見えます。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
陸奥國一之宮鹽竈神社(しおがま神社)東京を早朝に出発。下野國一之宮の二荒山神社(栃木県宇都宮市)を経て、到着しました。◇鎮座地:宮城県塩竈市森山1丁目1番地◇最寄駅:JR仙石線「本塩釜」◇主祭神:別宮=塩土老翁神(シオツチノオジノカミ)◇御祭神:左宮=武甕槌神(タケミカヅチノカミ)◇御祭神:右宮=経津主神(フツヌシノカミ)◇御朱印:あり→拝受◇参拝日:2017年10月10日◇社格等:延喜式=式外社、旧社格=國幣中社、神階=なし、陸奥國一之宮※鹽竈神社
先日、宮城県を訪れた時に参拝した2つ目の神社は志波彦神社。鹽竈神社と同じ境内にあります。由緒書きです。志波彦神社は延喜式名神大社で御祭神は志波彦神(しわひこのかみ)です。鹽竈神社とは趣を別にし、本殿・拝殿ともに朱黒漆塗りの極彩色社殿です。また、全額国費を以て造られた最後の神社とも言われているそうです。塩竈市の文化財に指定されています。手水舎と楼門です。拝殿です。御朱印です。御朱印は鹽竈神社と合わせて、いただけます。また、志波彦神社からは松島方面の眺望が開けています。帰りは東参道を通
櫻岡大神宮(さくらがおか大神宮)◇鎮座地:宮城県仙台市青葉区桜ケ岡公園1丁目1番地◇最寄駅:地下鉄東西線「大町西公園」~150m◇御祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)◇御朱印:あり→拝受◎参拝日・・・2017年10月11日【参道】◆大町西公園~仙台西部、広瀬川左岸の『大町西公園』内に鎮座しています。◆一の鳥居と社号標~創建は、1621年。江戸時代に入ってから造られたので、まだ400年ほどの歴史です。
【宮城】宮城県白石市斎川上向山にある田村神社松尾芭蕉「奥の細道」の名所の一つで坂上田村麻呂をお祀りする田村神社境内に御影堂とも呼ばれる芭蕉の紀行文にも紹介されている甲冑堂があります【甲冑堂】【御祭神】佐藤繼信・忠信兄弟の妻楓・初音(楠の木造2体)今回は突然の訪問にも関わらず宮司様の奥様がわざわざ甲冑堂を開けて一時間ぐらいかけて説明してくださり写真撮影の許可まで
勅宣日宮駒形根神社(ちょくせんひるみやこまがたねじんじゃ)宮城県栗原市栗駒沼倉一ノ宮に鎮座。延喜式内社で、旧社格は郷社。御祭神として大日孁尊、天常立尊、吾勝尊(天忍穂耳命)、國常立尊、天津彦番邇々藝尊、神日本磐余彦火々出見尊を祀る。その他に、近隣の神社の祭神である日本武尊・素戔嗚尊正哉吾勝速日天忍穂耳命・天櫛明玉命・軻遇突智命・保食命大山祇命・木花咲耶姫命・天手力男命・誉田別尊(応神天皇)を合祀している。勅宣日宮駒形根神社は、社伝によれば、第12代天皇である景行天
屯岡八幡宮(たむろがおかはちまんぐう)宮城県栗原郡栗駒字八幡に鎮座。御祭神として誉田別尊(応神天皇)を祀る。社伝によれば、屯岡八幡宮は桓武天皇の御代である延暦年間に坂上田村麻呂公により創建されたという。現在の鎮座地の西側は『屯岡』といい、延暦年間に坂上田村麻呂公が蝦夷征討の際に率いていた軍団を駐屯させた場所とされている。また、天喜年間(1053年~1058年)に源頼義公が安倍貞任の追討任務にあたった際、屯岡で援軍として参戦した清原武則公と会合したとも伝えられている。
熱日高彦神社宮城県角田市島田四拾刈12熱日高彦神社の御朱印
櫻田山神社(さくらださんじんじゃ)宮城県栗原郡栗駒桜田に鎮座。旧社格は村社。主祭神として武烈天皇(小長谷若雀命)を祀る。その他に近隣の神社の祭神である誉田別命(応神天皇)を合祀している。第25代天皇であった武烈天皇・小長谷若雀命…『日本書紀』においては暴虐の天皇とされているが、その一方で、『古事記』にはそのような記述はなく、無実の罪を見抜き正義を為し日々政務に勤しむ賢帝としての記録もあるそうです。この相反する評価は、次代天皇であり、血縁の薄い継体天皇の即位を正当化す
鳥合神社(ちょうごうじんじゃ)栗原市栗駒片子沢青ノ沢に鎮座。旧社格は村社。別名:新山鳥合神社・お新山様。御祭神として縁結びの神・雷神・農耕神・開拓神とされる阿遲鉏高日子根神(味耜高日子根神)を祀る。昔、栗駒の鳥合山という山の頂上に、九本の松が茂っており、そこには鷹の巣があった。第52代天皇の嵯峨天皇の御代である弘安2年(811年)9月、大蔵卿・陸奥出羽按察使であり、国司として着任していた文屋綿麿(文屋綿麻呂)は、鳥合山の南の峰で鷹を捕らえ、それを左大臣である公満の子で
鹿島台神社宮城県大崎市鹿島台広長鹿島14鹿島台神社の御朱印
平貫諏訪神社(ひらぬきすわじんじゃ)角田市平貫字諏訪内に鎮座。旧社格は村社。御祭神として治水の神・農業の神・武神である建御名方神を祀る。由緒によれば、平貫諏訪神社は、南北朝時代の建武3年(1336年)に鎮守府将軍であった北畠顕家公は、後醍醐天皇の第七皇子である義良親王を奉じて下向し、国府を多賀城から現在の福島県伊達市の霊山に移し、そこに霊山城を築いて山に籠った。その際、霊山の北方の守りを固めるために、家臣であった迫兵庫守に平貫の地に館を構えて駐在させ、さらに信州一之
荒雄川神社(あらおがわじんじゃ)里宮大崎市岩出山池月に鎮座。旧名『三十六所明神社』。延喜式内社。御祭神として水や滝の女神で祓戸大神である瀬織津媛尊と災難除け・病気除けの神である須佐雄尊を祀る。その他に、近隣地域に祀られていた六社の神社の御祭神である大国主神・言代主神・大山祇神・軻遇突智神・倉稲魂神・武甕槌神・経津主神を合祀している。荒雄川神社は、玉造郡に鎮座する延喜式内社三座のうちの一座で、鬼首の荒雄岳に鎮座する御社を『奥の宮(嶽宮)』と称したのに対し、岩出山池月に