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『本ブログの目次ページとなっております。ナビ上で、選び安くしたページです❣️Contents』ご訪問ありがとうございます😊本ブログ、教学をひもとく、の目次となっております。ナビ上で、選び安くしております。【教学】1話〜20話まで、ゆっくりと、ご覧にな…ameblo.jp【阿仏房御書】生命は「宝塔」あなた自身が尊極の宝御書末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外に宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多
熊本市南区野田の大慈寺境内に所在する県指定重要文化財の大慈寺の宝塔(元仁元年)です。大慈寺境内の北側に所在します。熊本市HPによると、大慈寺書院の西側の庭に置かれている石塔で、高さ1.3m程です。円盤形の基礎石の中央を彫り凹めて、塔身の脚部をすっぽりとはめこんであります。塔身は棗形の短円柱でやや張りがあります。塔身の四面に仏龕を穿ち、正面には金剛界大日如来を刻み、残りの三面にはタラ-ク、キリーク、アクの三如来を彫っています。紀年銘は「元仁元年甲申十二月十一日」(1224年)とあり、
宇土市花園町に所在する市指定有形文化財の暦仁二年銘宝塔残欠です。場所がとても分かりにくい所にあります。宇土市中心部からだと、川本自動車の先の交差点を左折して農道に入ります。この農道は先は行き止まりになっています。この農道を進んだところで、左にある水田(現在は耕作放棄地もあり)の奥に小さな用水路が流れていますが、その用水路に一ヵ所だけ橋が架けられている所があります。その橋を渡ると宝塔残欠に辿り着きます。宇土市HPによると、この宝塔には「暦仁二年仲春中旬」という年号が刻まれていて、さ
日光東照宮元和三年(1617年)徳川家康の遺言により創建天皇が家康に贈った神号『東照大権現』から東照宮五重塔文政元年(1818年)若狭国小浜藩主酒井忠進により再建拝観入口の表門神厩舎神馬(しんめ)を飼育する建物猿は馬を病気から守る動物とされ、16匹の猿が彫られています。16匹の猿のポーズ(8場面)は『人間の一生』を表していると①お母さんと赤ん坊子猿を引き寄せた母猿が手をかざし遠くを優しい眼差しで見つめ(子猿の将来)、子
たくさんの不動様、奪衣婆宝塔があることを知り訪ねたお寺ですがほかにもたくさんの石造物を見せていただきました参道入口の地蔵様お寺の由来が彫られています曹洞宗天正四年1576年開基創建とあります茨城県龍ヶ崎市のお寺の末寺とあります庚申塔やたくさんの不動明王様石仏など。中央、1番おおきな不動明王石仏です小さな不動明王石仏個性的で味わいのあるものばかり。こちらはすごい↓肩から宝剣、不動明王の上半身のみ?坊主頭?斬新です下の中央に羂索が見えるような。。珍しい庚申
史跡後疋間町の宝塔のところの看板をみてこのお寺にも宝塔がある事を知り訪れました天台宗菅谷山大壹寺お墓?と宝塔三基が並んでいます看板の年号と対照しますとおそらく宝塔は左から1343.1393.1383年の建立。(中央の宝塔のみ年号が読めました)南北朝時代。それぞれ形や大きさが異なります。古いものは笠が小さめと以前甘楽町の達人に教わりました左端のこちらは。。石殿かご夫婦の供養墓かな?と思いますが破損もひどいのでよくわかりません右下に蓮華が彫られているような。。
ここはうしろひきままちと言います↓妙見寺でみつけたこの宝塔の一部。大変気になりましただいぶ壊れてしまっていますが元は美しいものだったに違いありません種字が蓮台に載っているものが数カ所彫られています妙見寺から北西の近い所にも宝塔があることを知って訪ねました両端にあるので、なるほど元の形がわかってきました。基礎、笠、相輪部もあったはずです。(ただし↓こちらの相輪部は後補のもの。看板に欠いていると記載あり。)↑ほかに大壱寺にもあると知ってあとで訪ねました(
仏教とは、お釈迦様があくまでもひとりの人間として、死ぬまでのあいだに残した言葉です。「けっして私に依存することなく、君自身の感覚をよりどころにするように」と弟子たちに説き続けてたお釈迦様。そんなお釈迦様の教えを分かりやすくご紹介していきたいと思います。三木大雲上人/この世は仮の世界、全ての答えはお経に書いてある【前半】この動画は、仏教を学ばれている方には是非ともご覧いただきたい動画です仏教とご縁がない方でも見ていただけたら幸いです。22分14秒の動画です三木大雲上人
玉名市山田に所在する市指定重要有形文化財の建長二年銘宝塔です。山田日吉神社の西側の竹林の中にあります。近くには県指定天然記念物の「山田の藤」や市指定重要有形文化財の「建長四年銘宝塔」が所在します。説明板によると、この宝塔は地元では昔から「虎御前の塔」や「建長の塔」と呼ばれ、建久の頃、曽我十郎祐成の寵愛を受けた虎御前が、兄弟没後にその供養のため各地を回った際にこの地にて建てたものと伝わっています。とはいえ、「虎御前の塔」と呼ばれるものは全国各地にあり、宝塔の銘文にもそういったことは全
玉名市山田に所在する市指定重要有形文化財の建長四年銘宝塔です。山田日吉神社のすぐ南にある山田毘沙門天堂の境内にあります。近くには県指定天然記念物「山田の藤」や市指定重要有形文化財「建長二年銘宝塔」が所在します。説明板によると、この宝塔は古くからこの場所に塔身だけが遺存していたのを台礎・笠・相輪を補って旧状に復したものだそうです(確かに書籍に掲載されている古い写真をみると塔身だけが倒れた状態で写っています)。塔身の正面に釈迦如来と多宝如来を浮き彫りにし、その左右に長文の銘を刻んで
上野国分寺跡のすぐ近くですので妙見社、妙見寺にもお参りしました妙見天童大銀杏の紅葉ぎんなんが落ちていました立派な石殿があります合掌している仏様です大きなお墓が並んでいます左端のものには鬼面があります。猪目が六つ並ぶとツリーみたいになりますね僧が並ぶ珍しいお墓ですこの妙見堂の造りは変わっています天保十年から再建1839年鯉三重になっていて躍動感がある。高い所から見ると薬師如来の石仏があります大きな伊勢海老の彫刻は初めて見ますおめでたいですお寺の本堂にも
叡福寺の金堂でお参りした後、宝塔(ほうとう)を見ました。境内に入ればすぐ見えるものなので、金堂を見てから初めて見たというわけではないのですが、改めてじっくり観させていただいた、ということです。この宝塔は、江戸時代の宝承応元年(西暦一六五二年)に再建されたもの。内部は、東面に釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊像があり、西面に金剛界の大日如来を安置しているという。4本の柱には四天王の像が描かれていると、叡福寺の公式HPに説明されています。木割りは太目で、近世では正統派に属する
熊本市南区城南町高に所在する市指定有形文化財の高(たか)の石造宝塔です。高集落の中心部の民家の敷地内にあります。敷地内に無断で入ることはできませんが、敷地外の道路からやや遠目に見ることができます。近くには市指定有形文化財の「高の石造六地蔵塔」があります。説明板によると、五輪塔の地輪を転用した基礎石には正応4年(1291年)の銘文が刻まれているそうです。また、塔身には四方仏が刻まれています。道路から宝塔を見ることができます。やや遠いですが、、、少しアップ。※写真は2
熊本市北区植木町円台寺に所在する円台寺宝塔(正嘉元年銘)です。文化財の指定は受けていません。円台寺には菱形池や県指定史跡「円台寺磨崖仏群」、県指定重要文化財の「円台寺の石造笠塔婆」など多くの文化財が所在します。この円台寺宝塔(正嘉元年銘)は未指定ではありますが、他に同じような形態のものもなく、年代も古く貴重な文化財と言えます。この宝塔は「宝塔」としていますが、標準的な宝塔と比べると背がかなり高く細身の石造物です。現在、円台寺の公民館の一角に置かれていますが、原位置ではないと思
ほうとう餺飥山梨県を中心とした地域で作られる郷土料理。放蕩遊び(特に酒と女)に溺れる事。宝刀宝物である刀。『伝家の宝刀』など。奉答謹んでお答えすること。朋党主義や利害を共通にする仲間。徒党。前近代の中国やその周辺地域において政治的な思想や利害を共通する官僚同士が結んだ党派集団。砲塔通常、兵器を格納する回転式のプラットフォーム。大砲の操作員や機構を保護すると同時に、さまざまな方向に照準し発射できるようにする装置。龐統179年-214年。中国後漢末期の武将・政治家
山鹿市鹿北町四丁に所在する市指定有形文化財の東野(あずまの)のだんとさん塔石群です。国道3号の東側、東野ため池の隣に位置します。説明板によると、鹿北地区最大の古塔群で、かつてあったとされる東願寺の墓域と言われています。五輪塔の他、宝篋印塔や宝塔があります。右側の丘陵の上がだんとさん塔石群です。左側の舗装されていない道をまっすぐ行くとため池公園の駐車場があります。丘陵の上の平坦部に古塔群があります。全体的には16世紀ぐらいにおさまる範疇でしょうか。
長楽寺(太田市世良田町)内の徳川義季公累代墓。徳川(得川)義季は平安末~鎌倉初期の武士で、長楽寺を開きました。(太田市観光物産協会HPよりお借りしました)新田義重の4男で徳川氏(得川氏・世良田氏)の始祖。新田義貞は遠縁になります。徳川家康は出自の正当性を説明するために、徳川義季の末流だとしました。源頼朝・足利尊氏などと出は同じだとアピールしたかったのでしょう。長楽寺を優遇し、徳川秀忠が建てた初代日光東照宮(現世良田東照宮)を徳川家光が大規模に造営し直した(現日光東照宮)とき
7/30足利三十三観音巡り、覚正寺参拝後、向かったのは札所26番、覚本寺御朱印頂きました山門萬善地蔵六地蔵尊本堂隙間から撮らせてもらいました観音堂かな宝塔真言宗豊山派、本尊は大日如来こちらも縁起など検索しましたが解らず覚正寺から車で数分のところにあります
山都町高畑に所在する町指定有形文化財の高畑宝塔です。高森町との町境に近い高畑年祢神社の境内にあります。弘化3年(1846年)に建てられた宝塔です。正面から。ナナメから。横から。奥が高畑年祢神社の社殿です。宝塔のそばにある宝塔の由来を記した石碑です。由来石碑のアップです。※写真は2020年10月撮影
【日本の塔】安養寺吉水弁財天堂重要文化財慈鎮和尚宝塔鎌倉時代慈円(慈圓1155年-1225年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。諡号は慈鎮和尚(じちんかしょう)、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されている。
おしま工房さんから可愛いどんぐりのペンダントトップが届きました。ドングリモチーフのペンダントですこの先端の形はマニ宝珠だと思わない?おしま工房さんのどんぐりさんの中には青森県の限られた地域のみで採取出来る希少な舎利石が入っています。そう、こちらはお洒落なペンダント型舎利器=Shariki(シャリキ)のお守りなのです。寺院では仏舎利は水晶などで作られた宝塔(舎利器)の中でお祀りします。なので、このペンダントはおしま工房さん版の小型携帯用のSharikiです。そ
(聖教新聞、5月15日、「四季の励まし」)一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある。最も侮辱され、虐(しいた)げられてきた民衆こそが、最も誇り高く凱歌を轟(とどろ)かせる権利がある。その大転換へ、宿命に涙してきた一人一人が、永遠の幸福を勝ち開くためにこそ、日蓮大聖人の仏法はある。「イチャリバチョーデー(出会えば、皆、兄弟)」ー沖縄には、人人との出会いを大事にし、いかなる出会いも深き友情に高めゆく豊かな精神性がある。その平等に語り合う場には、海風が薫り、明
おはようございます。いつもブログへご訪問、いいねやコメントくださり本当にありがとうございます。これからもがんばりますo(^▽^)o昨日の続きです。お付き合いください(*´ω`*)日光東照宮篇建物の名前までは細かくわかりませんが、ひとつひとつが絵になります\(//∇//)\長くて雪解け水で、濡れた石階段をおさるの手引きでがんばって登ります奥社に到着。きちんと狛犬が守っています。宝塔=徳川家康が眠る墓石階段降りる途中の本殿木々の隙間から見える金色の
四国霊場第54番札所延命寺から北西に1km程宝筐印塔・五輪塔などが国指定重要文化財になっている今治のお寺にかつて「乃万」と呼ばれた延喜・野間・神宮地域などに多く見らる乗禅寺の境内には11基の石塔が有ります。この石塔群は鎌倉末期に造られたとされており宝筐印塔5基、五輪塔4基、宝塔2基が一か所に保存されています。山門寺院名;普門山瑞應院乗禅寺宗派;真言宗豊山派御本尊;如意輪観世音菩薩所在地;愛媛県今治市延喜甲600TEL;
31日に安中市方面を探訪した探訪記連載を始めますちょこちょことあちこち巡ってきたため三話ずつの投稿でも9日まで続きますどうぞよろしくお付き合いください。万福寺さんです名前が良いですね2月1日昼に投稿した石仏群の近くです素敵な石塔がありました豪華なつくりです仏様が鎮座しています右手は施無畏印です薬師如来でしょうか。なんともいえない可愛らしいお姿。こういう仏様がちょこんと居る風景が好きです。地蔵菩薩座像と三界萬霊塔古いものではありませんが聖観音様の笑顔がと
総高3メートルの地蔵菩薩2022.02.022が並んでいます今シーズンは雪がよく降ります朝起きたら1センチの積雪がありました庭谷からお隣の地区へ移動して。。随分とすごいお地蔵様を造ったものだ、と本当に驚きました・造石村の名主長岡家による造立・背面に元和九年とある1623年の作入り口の石灯籠も同じ年に造られたもの・硬質凝灰岩・半跏倚座(右足を左足の腿に乗せている)・頭部剃髪・目は墨が入れられていた・顔には白色が塗られていた可能性・衣に赤色塗彩が残
群馬県伊勢崎市赤堀今井町にある「如意山宝珠寺」に参拝する。こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺曹洞宗Ⅰ』)。「宝珠寺は今井・前橋線沿いにある。国道50号の赤堀町西久保交差点から今井・前橋線を前橋方面へ走り、粕川を渡るとすぐ右手に寺の大きな駐車場がある。宝珠寺は田原藤太秀郷によって、天慶二年(939)に開創されたという伝承のある寺である。寺の伝承では、天慶二年に田原藤太秀郷は当地に祈願の道場を建立し、観世音菩薩を安置し、朝敵平将門討伐の戦勝を祈願した。満願
亀里町のお隣公田町のお寺へ亀里町の探索中周辺を走っていてこのお寺の楼門が見えて気になりお参りさせていただきました文化財などあり大層立派なお寺でした奥に不動堂がありますが門前にもお不動様がいらっしゃいますそのそばにしっかりしたお堂がありますお持ち物は剣と宝珠のようです文殊菩薩でしょうか。平安時代の承安年間慈覚大師が創建とあります門は平成十二年改修お堀があります美しい松がありました五輪塔です御本堂前橋市指定重要文化財がふたつもあります廃覚動寺宝塔
地元にあるでっかい大イチョウが見頃だと言うことでぷらっと行ってきました。ホントに近場でバイクで15分程度なんです。高さは約25mで、枝は水平方向に10m以上あります。樹齢は90年位?見事に黄金色に染まってますね。上の方はちょっと葉が落ちちゃってるかな?これだけ大きいと全体が一気に紅葉するのはまれなんですよね。先週は下の方がまだ緑色でしたから。なんか見てると炒った銀杏食べたくなってきますが、不思議と銀杏の表皮が腐る時のあの独特なかほりがしないなあ、なんてブラブラしていると、
前回はこちら豊光寺です。北門です。鐘楼です。中国開封大相国寺友好紀念碑です。日中両相国寺友好記念の碑と天響楼の説明板です。境内社の八幡宮の鳥居です。境内社の八幡宮です。後水尾天皇髪歯塚です。宝塔です。櫻坂46「流れ弾」の第2部:齋藤冬優花のオンラインミート&グリートを行った場所です。養源院(毘沙門天)です。普廣院の門です。普廣院です。瑞春院「雁の寺」です。瑞春院「雁の寺」の説明板です。西門です。その後、護王神社で、櫻坂46「流れ弾」の第3部:遠藤光莉のオン