呉の先主(孫権)の時、若くして(董奉の住む)侯官県の県長となった者がいました。その県長が会った時の董奉は40歳ぐらいに見えましたが、離任して約50年経った時に別の役職で候官を通った際にかつての部下や住民は皆(当然ながら)老いていたにも関わらず、董奉の顔貌は全く変わっていませんでした。また、董奉は豫章の廬山の麓に住むようになってから病人を治療していましたが、金は取らずに重病が治った者には5株の杏を植えさせ、軽症だった者は1株を植えさせており、やがて約10万株もの杏の林が出来上がると、今度はそれを毎