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安宅の関は平安の当時、領主富樫氏が設置した関所。兄であり将軍の源頼朝から領地は没収され、追討令を出された源義経が京都からかつての守護者奥州藤原秀衡の元へ逃げる途中、文治3年(1187)山伏姿に変装した義経、武蔵坊弁慶ら主従一行は安宅の関で捕まりそうになった。弁慶は義経でないことも証明に主人である義経を金剛杖で打ちすえた。それを見た関守・富樫泰家は、感動し通過を許したというお話。歌舞伎の名シーン。いい話だ。弁慶もいいが富樫泰家がいい。事なかれ主義の世の中なかなか
奥州藤原氏=藤原不比等から連なる伊達家の一族=伊達政宗公。それが、源氏途絶えて藤原氏が将軍とは?奥州藤原氏は源頼朝に滅ぼされず続いたのでは?
名古屋大学出版会:中西聡編:「日本経済の歴史」を読み始めました。古代日本の衣服は麻。麻は植物からできる。Wikipedeiaでは、麻は狭義で広義では苧麻(からむし)らしい。戦国時代の越後の特産品・青苧(あおそ)は苧麻の高級品らしい。この麻が中国・朝鮮の貿易で輸出品となった。平安期になると養蚕が始まり、絹綿(きぬわた)が作られるようになる。まだ綿花からできる木綿はできてないみたい。絹綿と砂糖・陶磁器と交換されたが、絹綿の粗悪化が起こったらしい。宋との貿易だから、もう平
対話検索型人工知能のBINGCHAT、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、奥州藤原氏の興亡についてです。奥州藤原氏は12世紀に平泉を中心に栄えた地方政権です。その興隆の基盤は豊富な砂金と優秀な馬で、これらは藤原氏以前からあったものですが、初代清衡が戦役(前九年、後三年)や交易を経て、京の文化や統治法を学ぶことにより集約され、その結果藤原氏は有力な地方政権に成長します。そして約100年後に第4代泰衡は、源頼朝に滅ぼされるわけですが、この滅亡はどの手を
百人一首といえば源頼朝と源実朝ですかねやっぱと勝手に思っております源頼朝は我が祖の主君でもあり我が祖は奥州合戦で奥州藤原氏討伐入りで関東から東北入りしました百人一首は結構歴史が繁栄されていて面白いです百人一首は百人の一首で辞世の句を詠んだ句なんだと打首獄門磔で思ってた私でしただって丁重な箱にいれてあるし怖い声で札読みするし坊主や女の幽霊や変なひとばかり出てくるんやもんね
中尊寺を出て、車で10分もかからずに、もうひとつの世界遺産スポット毛越寺(もうつうじ)へ着きます!その道中も、桜並木が綺麗でしたただ走ってるだけでお花見できちゃうなんて、贅沢毛越寺の入口にも桜がこちらは、国の特別史跡であり、国の特別名勝でもあるという、二重の指定を受けたとても珍しい場所なのです松尾芭蕉が1689年にこちらを訪れ、夏草や兵どもが夢の跡と詠んだ場所でもあり、石碑も建っています。本堂はじめ、いくつもの建物が長い歴史の間に焼失してしまったのですが、それぞれの場所に
岩手県平泉の中尊寺金色堂の展覧会を開催中で観たい観たい!!で行って来ました建立900年特別展「中尊寺金色堂」(chusonji2024.jp)なんとなく予想はしていましたが案の定、大行列で70分待ち…あきらめて裏庭の庭園をプラプラしていたらなんと桜が満開でした桜さんたち、ありがとう元気が出ましたお花のチカラって凄いなあ。。◆2024年4月の定例会は20日、太白区にて13:30~読書会は16時頃~です(事務局・千)
弥勒寺に行った後のこと・・・奥州藤原氏が祖先なので。
国道284号は、宮城県気仙沼から岩手県一関に抜ける道路である。現在は北東北からの南下でも、関東方面からの北上であっても、三陸道や東北道が整備されているため、あまり利用されないが、かつては内陸から太平洋側へ移動する、交通の要であった。この付近からやや北へ向かえば、奥州藤原氏の本拠地「平泉」、あまりにも有名で歴史深い所である。宮城県、三陸側から方向的には斜めに北上し、山間部を抜けて東北道、奥州の病院へと向かった。かすかに残る田畑の残雪を眺めながら、2
最近、トーハクに出向く機会が増えたオヤジ。先月も美術展を覗いてきました。今回は自分にとって特別な展示で・・・・中尊寺の金色堂から11体の仏像が遥々東京へお越しになるといいます。どうやら金色堂の修復が始まるのでその間、トーハクでバイトするのかなぁ?😁ちなみに修復費用は3,000万円也。会場内は殆ど撮影禁止で唯一許されたのは金色堂の模型のみ。↑今回初めて知ったのですが金色堂の瓦は本来の瓦では無く木材で作られた‟瓦もどき”らしい。😲オヤジは8年前に
春休み旅行@宮城・岩手この1年、子供の定期テスト勉強の時に、勉強している横でぼぉ〜っとしているのも申し訳なく(ましてやスマホをずーっとしているのも)漫画の日本の歴史を読んでいました📖昔から本は大嫌い本屋さんに行くとお手洗いに行きたくなるし、本の匂いが苦手💦高校生の時、日本史と世界史ダブルの死ぬほどのテスト範囲で半泣きで夜中まで詰め込み暗記したので、とにかく付け焼刃暗記だったので全く身になっていなくて、今大人になって漫画で読み返すと【あぁ〜こういうことだったの】と、歴史の楽しさにハマっ
【平安時代】なぜ東北で黄金郷が作られた?奥州藤原氏と世界遺産「平泉」誕生の物語に迫る!スキマにイストリヤ#中尊寺今、大河ドラマでも舞台となっている京都の平安時代ですが、その頃東北地方では都とはまた違う壮絶なドラマが繰り広げられていたのです。ーなぜ東北に黄金の都市が作られたのか?ー続く争いで疲弊していた東北をまとめ上げた、ある人物の強い想いとは?今の東北の礎ができた歴史秘話に迫ります!
毎日新しいことに出会い、行動し、見つけながらゆったりゆっくり一緒に運気アップしましょう。平泉に行ったら、わんこそばともう一つ食べたいものが。藤原三代お餅膳💕💕💕カラフルな写真に惹かれ。で、気づきました。真ん中は箸休めの大根おろし。あとは全部餅!はてさて5個いけるかな?わぁ!お雑煮にも!全部で6個!!お雑煮は食べてもらい、5個は完食!美味しかったです!きになるお休み処夢乃風・和食店★4.06・平泉駅出口から徒歩約13分map.yahoo.c
本音のタイトルは東北ツアーが赤字だったため「どうか僕たちを助けてください」イベントだそうです◆2024年3月31日(日)10:00OPEN~22:00CLOSEKOMOBASEsendai〒983-0043宮城県仙台市宮城野区萩野町3丁目4−102F詳細はコチラからみちのく超人伝説Ⅱ奥州藤原篇『黄金黎明伝TSUNEKIYOXTheGoldenDawn』-Episode0-千年後のあなたへ|東北|Japan(missile-sta
東京国立博物館で行われている中尊寺金色堂展に行って来ました!朝9時過ぎに着いたのに大行列!中に入れたのは10時過ぎでした。900年の歴史を刻む平泉中尊寺金色堂。私は実際に2回行ってるんですが間近で360度仏像が観られるとあってずーっと行きたいと思っていました。写真はもちろん撮れなかったけど仏像の金色の塗りが剥がれてる所が間近で観られて生々しかったです。栄華を誇った奥州藤原氏は源義経を匿った事で口実を得た頼朝に滅ぼされてしまったんですよね。平和と極楽浄土を願い藤原清
3月9日岩手笹原さん(第2部)「東北地方の真実とは?」笹原俊さんのお話です👏はっしーの公式ラインです🤗お話会の予定一覧を確認出来ます👍https://ameblo.jp/hashimoto-8888お話会の申込・お問い合わせははっしーの公式ラインよりお願い致します‼️橋本の連絡先ですラインQRコードですhttps://line.me/ti/p/KWiQS_0cNx橋本のツイッターです...www.youtube.com(Youtubeだからバンされる前に起こします。今んとこ大
昨日は手術翌日のため大事を取って休み。運動はできないし、サウナもダメので、以前から興味があった東京博物館の中尊寺金色堂展に行ってきた。平日なので空いているかと思ったが、まさかの30分待ち。前に並んでいた高校生の男子二人が熱く日本史について語っていたのがかわいかった。たぶん進学校の生徒だろう。中もかなりの混雑だったが、一時間じっくり見られた。唯一撮影が許可されていた金色堂の模型。吾妻鏡は学生時代に中世史の授業で少し読んだが、奥州藤原氏のことはあまり知らない。一度は平泉に行って、勉強
現在、上野の東京国立博物館では、建立900年特別展「中尊寺金色堂」の展示が行われております。先日職場の先輩に誘われて、行ってきました。岩手県は平泉、奥州藤原氏のお膝元である中尊寺。私も10年以上前にドライブ旅行で行ったことがあります。(ここのブログにも書いたかしら)そのときは早朝で、参道のお店も御朱印場も開いておらず、粛々と山道を歩いてお参りだけしました。実際の金色堂は正面を開けていても、中にある仏像は遠くてよく見えません。それがこの上野の展示では、迫ってくる
名称:伽羅御所(きゃらのごしょ)城郭:居館築城年:不明築城主:奥州藤原氏主要城主:藤原秀衡、藤原泰衡所在地:奥州市江刺岩谷堂目割沢
名称:柳之御所(やなぎのごしょ)城郭:居館築城年:不明築城主:藤原清衡主要城主:奥州藤原氏所在地:岩手県西磐井郡平泉町指定文化財:国史跡堀跡建物跡付属建物跡廊下状の建物跡井戸跡廃棄穴厩跡道路跡伽羅御所への道無量光院への道園池案内図
とうとう劇団短距離男道ミサイルのラストツアー青森県八戸市で始まります★2024年3月15日14:30~19時~16日12:00~16:30~八戸ポータルミュージアムはっちシアター2まだまだ当日券は販売中、幕見券は1000円からですみちのく超人伝説Ⅱ奥州藤原篇『黄金黎明伝TSUNEKIYOXTheGoldenDawn』-Episode0-千年後のあなたへ|東北|Japan(missile-stage.com)ラストって、
【建立900年特別展「中尊寺金色堂」】📍東京国立博物館念願の中尊寺金色堂展へ行ってきました。@2024chusonji岩手県平泉にある世界遺産に登録されている中尊寺金色堂。奥州藤原氏が築きあげた「極楽浄土」初代藤原清衡公が敵も味方もいない平和な黄金の世界を願い建てられました。国宝仏像11体を展示されています。入口に入ると、大型ディスプレイの映像が肉眼では見えないところまで拡大されて映し出されています。その他にも仏像一体一体近くで見れたり、当時の書物が展示され
次にここを更新するのは,京都へ桜を見に行ったあとかしら~と思っていたんですが,思いがけず,それより前に書くこととなりました。理由は,中尊寺展にいってきたから。上野にある東京国立博物館で,平泉の中尊寺展が行われているんですよね。広告を見ては「いかないとなあ…」と思っていたんですが,そろそろ終わりも見えてきたので,今のうちにとでかけました(単純にこの後は土日休みがなかなか取れないというのもある…)。平泉の中尊寺には3回行ったことがあります。1度目は小6の時。家族旅行でした。よく
名称:花巻城別名:鳥谷ヶ崎城城郭:平山城築城年:1591年築城主:安倍頼時主要城主:安倍氏、奥州藤原氏、稗貫氏、北氏、南部氏所在地:花巻市城内11指定文化財:市指定史跡水堀空堀石垣西御門本丸土塁井戸跡円城寺門時鐘絵図
さて、雑誌「歴史人」から、藤原基衡に関して。歴史人2024年3月号Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}奥州藤原氏、初代、清衡、二代目、基衡、三代目、秀衡ですが、いつの時代も「二代目」というのは、初代と三代目に比べて、影の薄い印象。しかし、二代目もまた、初代、三代目に劣らず、重要な仕事をしたことには、変わりない。さて、「後三年の役」の後、奥州を勢力圏に置いた藤原清衡は、拠点を、「豊田」から「平泉」に移します。この「平泉」を拠点にするとい
雑誌「歴史人」の3月号を読了。テーマは、「奥州藤原氏」を中心にした東北地方の歴史でした。歴史人2024年3月号Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}さて、この中で、個人的に興味があったのは、古代、朝廷と蝦夷との戦い。いわゆる「38年戦争」のこと。日本の朝廷は、8世紀頃から、「蝦夷」と呼ばれる人たちが住んでいた東北地方に侵出を始めます。天平宝字3年(759)には、陸奥国北上川下流に「桃生城」を出羽国には「雄勝城」を築いたということ。し
2011年5月16日平泉毛越寺平泉毛越寺にも行きました。ここには、芭蕉の有名な俳句の句碑がありますが、英訳文です。奥州藤原氏が目指した浄土を感じる毛越寺です。ここで優雅な歌遊びが行われていたのでしょう。浄土庭園と伽藍遺構に、奥州藤原氏を偲ぶことが出来ました。
今週水曜日から、またまたツアー始まります★2024年3月6日、7日秋田県大館市民文化会館ほくしか鹿鳴ホール(中)まだまだ当日券は販売中、幕見券は1000円からですみちのく超人伝説Ⅱ奥州藤原篇『黄金黎明伝TSUNEKIYOXTheGoldenDawn』-Episode0-千年後のあなたへ|東北|Japan(missile-stage.com)山形ツアーでは本田さん、体調不良の様でした、、どうか皆様、健康第一で引き続き頑張って下さいです
皆さんこんにちは、司法書士講師の三枝りょうです。東京国立博物館に行ってきました。建立900年特別展「中尊寺金色堂」です。久方ぶりの仏像拝観です。昨年一昨年と我が子の中学受験やら当方の資金不足やらで仏像旅行はお預けとなっていました。お寺でなくともナイスな仏像を見る機会があるのは嬉しいです。中尊寺金色堂と言えば奥州藤原氏です。奥州藤原氏といえば、清衡、基衡、秀衡、泰衡です。きよひらくんです。初代ということでしょうか。本人が見たら爆笑するのか袈裟斬りにするのか分かりませんけれど
義経伝説真偽のほどが定かでなく、当時の判官贔屓や、戦前の帝国主義的思考から生まれた虚言であると言われた。源義経がチンギスハンと同一人物であるという説には、今なお賛否両論があるであろう。ただこの件が何度も取り沙汰されるのは、明確な肯定ができない反面、完璧な「否定」もできないからだと考えている。何せ笹竜胆の源氏家紋に似た家紋がロシアやモンゴルでも存在している。その地域では、笹など生息していない。中尊寺の話と思われるマルコポーロの東方見聞録における黄金の国、シーボルトの論説など、日本人以外に