ブログ記事150件
目が覚めたら雨の気配…今日の雨はなんだか、優しいな…夫は雨男で、予定する行事の時はかなりの確率で雨だった。私たちの結婚式の日は土砂降りで、彼のお葬式の日はしとしと降る雨だった…いつもいつも雨だから親戚が集まるとやっぱり雨やなぁ…は、常套句だった。今朝、目が覚めて雨の音を感じた時に、そこに彼が居ると、思った。最近、私は泣いてばかりで、誰とも会えていなくてあまり人とも話せていないからそばに居てくれるんだな…と、思った。雨の日は気持ちが落ち着く。
連休中、家から出られなくてかと言って、何をするでもなくゴロゴロ過ごしていたのだけど、ちょいと出かけてみるか…と言う気になり電車に乗ってお出かけした。🚃🚃🚃電車の中、目をつぶっていたらなんか突然夫のことを思ってしまって涙がじんわりときて…このままの状態で目を開けると涙がこぼれる…ポロポロくるのがわかったから、目を開けられなくなって…そのまましばらく目を閉じていたら降りる駅が近づいてきて…目を開けなきゃ…開けた途端に涙がこぼれてきた…ボロボロボロ…うぅ…誰
GW静かに暮らしているのに…朝からもやもや〜っとしています今、自分がまぁちっさいメンタルだからほんのちょっとのことで崩れるのだな…この先愚痴吐いてるので…スルーしてくださいトラブルと言うほどのトラブルではないんだけどひと様と絡む中であれ?これ?あり得なくない?だったら最初から自分でやればよいのでは?イラついておりますスミマセンチームワークが苦手…チームなんだからと正義をかざしているとたいていいつも持っていかれるもう関わりたくないといつ
キングダムの漫画を借りて読み始めてる。漫画読んでる時は現実を離れられる。ようやく漫画は20巻まで読んだ。去年の春、夫はアマプラでキングダムのアニメを夢中になってみていた。おもしろいよキングダムすげーおもしれー!と、笑顔で私に勧めていた。ところが、私は王騎のいなくなった後の展開に興味が湧かずふーんと気のない返事するだけ。夫はひとりで深夜まで鑑賞していた。アマプラ無料体験
日曜日、ある集まりで中華を食べに行った。コース料理の中で北京ダックがあった。美味しい…時々思う。もう二度と夫と食べたあのイタリアンの〇〇を食べることはないんだろうなとかもう二度と夫と買いに行った〇〇を味わうことはないんだろうなということ。。北京ダックもその一つだった。夫と出会って初めて教えてもらった北京ダック。たまにお高い中華で食べては贅沢やなぁんめぇ~とほっぺを支えながら食べてた。
体がだるくて、心もだるくてなんだか今日は会社行きたくねぇな。あー休みてぇそんな朝。夫は連休明けの朝はよくあー、会社行きたくねー、休んでええ?休みたい、休みたいと、子供みたいなこと言ってた。そんなとき私はそんなこと言ってないで、ほらー、起きてとかなんとか言ってた気がする。今思えば休んでもええよ、1日くらいええんやない?と、優しく答えてあげられなかった自分を悔やむ。夫との生活
もうすぐ恐怖のGWがやってくる。また月命日がくる…何回目だろう。最近だんだん夫の影が薄まっていくようなそんな変な違和感を感じることがある。悲しいのにこんなに苦しくなるのにどこかでこの悲しみに慣れてきている自分もいてああ、自分はもう何か月夫と会っていないんだろう。会えないことに慣れたくない…なのに…こないだ、ふと夫の口癖が口をついて出た。あー、これいつも言ってたな。久々に聞いたな。え?1
夢で夫に逢いたくてほんとは見ると切なくなるから見てなかった夫の画像をみて眠りにつく。なのに、、、朝、、、今日も逢えなかったがっかりして起きる朝眠りが浅いので、夢はけっこうたくさんみている。そのどれにも夫がいない。なんでやねん。出てこいや。妻を泣かせてんじゃねーぞ。こんなにも夢に出てこないのは私だけ…?義父は夫の小さい頃の夢をよくみると言ってたずるいよ…こっちにも出てきてよ…
旦那が私にくれたものそれはーーー自信。愛される自信自分のままでもいいという自信自分には価値があると思える自信わがままを言ってもいいという自信素顔のままで大丈夫という自信私は機能不全家族の中で育った。小さい頃から自分に自信が持てなかった。いじめられて、嫌われて、容姿をバカにされていつもいっつも惨めだった。自分を好きになれなくて自分を愛してくれる人間なんて母親以外いなくて他人
ブログだから言えること私は毎日夫と会話している。ボケツッコミもする。夫の口癖も口をついて出てくる。きっと一緒に住む家族がいないからできることかもしれない。いつもこうして夫と話してるし朝や夜、行ってきますの挨拶やただいまの挨拶前と変わらず同じようにしている。そこに透明な夫がいるから。霊感のない私は見えないだけで夫はきっとそこにいる。そうじゃないと一日誰とも話
昨日から気持ちが落ちていて家から出られなくなっています…😢それはそれでそう言う時だとゆったり過ごすことにしました。それでふと気づいたこと。元々の私は内弁慶なタイプで家の中で威張りん坊でした。お家に居るのが好きだったので決してお出かけ好きなわけではなかったのだと思います。最近はお仕事をしていたこともあり職場の付き合いも広がってよくお出かけをしていました。それもこれも帰ってくる家に待っていてくれる夫が居てくれたので安心してお出かけできて
ありがちですが…今日は何だか一日中うだうだと過ごしてしまいまして外が暗くなってきて一日が終わりかけている今クヨクヨが止まりませんやりたいことはあったのだけど…本日のノルマもあるのだけど…気持ちが盛り上がらない…こうやって家から出ない日は、誰とも会えなくてとても孤独です一人で生きていて誰の役にも立たなくて生き続けることの意味が見出せない…意味が必要なのかすら…もう今日はろくなことを考えないから虚無感いっぱいでとっとと寝よう
我が家にはと言うか夫と私との正直どうでもいいような微妙なルールがいくつかありまして例えば今の季節だったらそろそろ冬のお布団から軽めの布団への衣替えがあります。寝ていて汗をかいて冬の布団が暑い🥵となるのでそろそろ軽くしたいなぁと思っているとある日お日様のにおいとともに布団が軽くなっていました布団の衣替え係は夫だったので春になるとポカポカと暖かい日にお布団を干してくれてシーツを洗ってくれて冬布団を片付けてくれて布団が軽くなっています今年の
ゴジラ-1.0を観てきました。これは夫がいたら絶対に新宿のゴジラが見える映画館で観ていたはず。音は最低でもIMAXかそれ以上。去年から知ってはいたけど、怪獣映画が好きなわけではないので観てなかった。けどアカデミー賞で話題になったりロングランヒット作なのでお友達につきあってもらって観てきた。結果は大満足。面白かった。ゴジラはただの怪獣映画じゃない。人が亡くなっていくシーンはみていて辛いけれど
夫がいなくなり9カ月。きっと周りはもうそろそろ大丈夫と思ってる頃だろう。でも、悲しみって薄まらないのね。月日とともに少しずつ悲しみ(グリーフ)は癒されてなだらかになっていくものだと思っていた。それなのに、むしろ悲しみは深まるばかり。母の時は、父の時は、どうだったっけ…と思い返すも、あの頃は夫がいたからな。今は、夫に代わるものも人もいない。だからきっと悲しみは深くなって辛くなって寂しくなっていくばかり。きっ
昨日は月命日でした。月命日が来るたびに、夫と会えなくなってからの時間の経過を再認識する。昨日は久々に涙が溢れて止まらなくなった。会いたい会いたい会いたいただそれだけのことが叶わない。お気に入りのものも贅沢品も夫にまた会えるなら必要ない。最近は寝る前がいつも涙が滲んでけど枕を濡らしたくなくて(妙に冷静)泣かないように堪える。ベッドで体を横にすると、ちょうど向き合うように
お酒を飲んで一時悲しみから離れて楽しく笑う。人と一緒にいる時間が寂しさを忘れさせてくれる。だけど楽しければ楽しいほど次の日はなんだか心が重くて起きるのがしんどくてもう9カ月になる。あの頃は9か月後にまだ自分がこの世にいることすら想像できなかった。だけど、なんとなく私はまだ夫がこの世にいると思いたくてまだ認めたくないんだと思う。認めたくないから文
死別で一番言われたくない言葉は「そろそろ落ち着いた?」であることは変わらないのだけど『また悪意のない「落ち着いた?」』そろそろ落ち着いた?この言葉が本当に辛い。相手は悪意があって言ってるわけじゃない。むしろ心配してくれてる。だから余計に辛い。今日も久しぶり…ameblo.jp最近、本当に嫌だった言葉が悪意のまったくない「絶対、長生きしそう」どういうつもりで言ってくるのだろう。しかもそれ言うのは死別経験者だったりする。ふつ
先日のこと羽生結弦『RE-PRAY』アイスショー観てきた。大ファンの友達と2人で行く予定だったけどチケットが取れなくて1人で行くことに。それはさておいて、、羽生結弦ライブショーはとても素晴らしく圧倒的なパフォーマンスと世界観に釘付けになった。そして、羽生結弦という人は挑戦し続けて自分の限界と戦うことその姿で人を感動させるために生まれてきたのではないかじゃあ、私はなんのために?夫はなんのために?そんなことをぼ
アニメに興味のない方はすみません。鬼滅の刃、ようやっと週末に観れた。無限列車はコロナ渦でも何度も観たしブルーレイも買って何度もリピート鑑賞(夫が)遊郭編の途中で、原作漫画読んでなかった夫は耐えきれず原作読破し、遊郭編ラストも2人で感動して何度も何度も何度もリピート鑑賞した(夫が)刀鍛冶編も毎週楽しみに観ていて…刀鍛冶編は最後まで観れずに逝ってしまった…。私たちにとっては鬼滅の刃は思い入れが深くて今回の柱稽古編も、上映と同時にきっと観ていただろう。
ある本をチラ読みして目に入った記事。お線香はあの世への電話線みたいなもの。線香たいて話すと相手と会話ができる。お線香が故人の食べ物になるとかいう話は聞いたことあるが、お線香の煙が糸電話の如く、故人と繋がる電話になるという話。ほんまかいな速攻、本を閉じました。でもこういうのに感化されやすい私。気になる。最近めっきりお線香たくの減ってるし。マンション住まいで部屋がリビング・キッチン・クローゼットも兼ねてることや
久々に夫が登場したよ。夢に。最近、夫のセーター着たり夫のフリース着たり寝るときのパジャマも夫のだったり。どうやったら必ず夢に出てきてくれるんだろうね。夢の中で夫はでかいおならをしてました。そして2人で笑ってた。それ以外のことは思い出せないけど確かに夫は私の夢の中でおならしてたよ現実でも夫のおならは破壊力あった。なんなら夢の中での屁はまだ大人しい方だったかももうね、おならなんていくらぶっぱなして
久しぶりの二日酔い週末。花粉症だと思ったら風邪だったようで飲み会で誰にも移してなかったようで安心した。体調悪いところへ普段飲まないアルコールを大量に摂取して、帰り道はふらふらしながら帰った。人生で初めて顔を洗わず寝てしまったよ。。どんなに遅くなろうが酔い潰れようがメイクは落とす派だったのに気づいたら朝の4時で慌ててシャワーだけして5時に寝る。12時頃に起きて、軽く食べて15時にまた寝る。19時に宅配ピンポンで起こされ、軽
この悲しみは到底乗り越えられるものではない。よく、乗り越えられない試練はないというけれどいやいやあるでしょ!と思う。ある人が言った。乗り越えるんじゃなくて、受け入れるんだって。受け入れる……か。そうかもしれない。だけどまだまだ受けられないよ。頭ではとうにわかってるけど心はまだ受け入れたくない、認めたくない、洋服だって、歯ブラシだって、本だっていつ帰ってきても用意できてるもの。『乗り越える』という言葉より『受け入れる』という言葉の方がハードルが低いような気がしたけど
私は耳がちょっとおかしくて自分だけなのかな泣き続けてると耳が詰まる感じがしてそこで冷静になってしまい泣き止んでしまう。本音はもっと泣きたい、涙したいのに耳の閉塞感や鼻がおかしくなって泣くのをやめてしまう。。30代のときに、母が危篤の時、もっともっと長く泣いていた記憶がある。年を取ると思う存分泣くことも叶わなくなるのか。時間は測ったことないけど体感的には10分もしたら耳がおかしくなってしまう。。30分くらいでいいから思い切り泣きたいちなみに近所の耳鼻科はいつも
今日は久しぶりに真面目にお仕事に向かっておりましたたまに請けている内職にせっせと取り組む。夫が亡くなる直前に作業スペースを自宅に持ってきたので内職をやる時は夫がソファーに寝そべる横で私が締め切りに追われる…と言う光景を思い出してしまいました。思えばこの時間が私にとってはかけがえのない時間でしたお仕事が届いた日にすでに締め切りは決まっているのになんでいつもギリギリにならないとやれないの?やらないの?と言うのが夫の疑問で口癖でだってだっ
2023年11月に夫が急逝しました。2か月と言う月日を過ごす中で気持ちの浮き沈みを感じながら今はなんとか生きています。生前、夫が亡くなる前の2023年9月のこと。夫から蘭を贈ってもらいました。私への花のプレゼントは初めてのことでした。仕事がんばれのメッセージを込めて、ある日家に大きな箱が届きました箱を開けるととても丁寧に育てられたと素人の私が見てもわかるその蘭はいくつかの蕾をつけていて一輪ずつ一輪ずつ咲いていきました蘭が満開となったその時あぁ幸せだなって
夫が急逝して田舎で静かに暮らしています。昨日からの雪が溶けないので家で静かに過ごしています。とは言っても今日は雪かきをするほどの新雪はなかったので、積もった雪をほうきで掃いていたらツルリと滑って危うく転びそうになりましたここで転んだら誰も気づかず助からないので…気をつけなきゃ…さてさて今日は飼ってみたい動物を妄想してみました。もともと夫との静かな二人暮らしを送っていたのですが話し相手の夫が居なくなってからそして今週は自活リハビリ中で母も居ないの
夫と死別して間もないころどこで見かけたのかこんな文を見たことがある。『夫(妻)の写真を見て、本当に存在していたのだろうか、と思うことがある』正確ではないけど、おおよそこんな内容だった。その頃の私は理解できなかったけど、最近は理解できる。写真をみて、確かにいた。存在していた。私の一番側で、近くで。なのになんだか遠い過去のような言葉にならない違和感を覚えることがあって『夫(妻)の写真を見て、本当に存在していたのだろうか、と
2023年11月に呆気なく夫が逝ってしまいまして世俗から離れどこを彷徨っていたのかすらわからないような時間を過ごしておりました。最近、なにやらガヤガヤと音が気になるようになり、世間様から声をかけていただくことにも反応出来るようになり、怯えながらも出かけていくことが少し出来るようになってきました。その間私の母(後期高齢者)がずっとそばに付き添ってくれていて、その母も最近少し安心したのか出かけたりするようになり、私も流石に最近、「なぜ、母と枕を並べ