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昨日の続きです。今回は太鼓門橋跡から歴史博物館入口です。下図⑦付近です。今は市立明城小学校です。塀の内側が内堀で太鼓門がありました。本丸の大手門にあたる太鼓門です。前回は下図⑦のこの橋跡の所まででした。出枡形の左側に2階太鼓櫓があります。(尼崎市立歴史博物館にある模型です)江戸時代と現代の重ね図です。(尼崎市立歴史博物館より)上図⑧付近から⑦方向です。塀の附近が内堀です。上図⑧はこの模型の左下です。グーグル地図です。青い線に沿って歩いていま
新潟県、長野県の城巡り2日目。今回の旅行では訪れる予定のなかった松本城を急遽訪れることにしました本日1城目です。理由は同行した家族が城に興味がないため、興味がない家族にもインパクトのある城を見てもらおうと思ったため。また昨日のうちに善光寺にお参りできたので少し時間の余裕があるからです昔過ぎていつ行ったかは忘れましたが、私は2回目の訪問、家族は初めての訪問でした。さすが国宝松本城はしぶくて大好きです城に興味のない家族もがっつり写メしてました赤い欄干
宝塔太鼓門をくぐり宝塔のある文殊山へ太鼓門を直進すると開山堂左におれて階段をのぼると文殊山です国指定重要文化財の宝塔がありました上の石は誰かが載せたものです長楽寺第三世院豪様長楽寺展で公開されていました(パンフレットより)宝塔の底面には思いがけずこのように美しい院豪様の文字が彫られてあったのがみつかって拓本をとってあるのでこれも長楽寺展にありました建治二年=1276年(太田市ホームページより)数を数えませんでしたがここには16基の石塔がある
2021年7月6日(火)に滋賀県を独りドライブ旅行した思い出を記事にします。ドライブ旅行は2020年3月に福井県と石川県を訪れて以来、およそ1年4ヶ月ぶりのことでした。この頃、体調を患い1ヶ月ほど会社を休んでいたのですが、だいぶ快方に向かっていました。コロナ禍であり外出自粛ではありましたが、じっとしている時間がもったいなく、我慢できなくて出かけてしまいました。「なぜに滋賀県を選んだか?」となりますが、理由は2つあります。まず1つは、滋賀県で観光らしい観光をしたことがなかったことです。私は20歳
信州の奥座敷別所を巡る旅というのが主人・私・息子の三人で梅雨時に出かけた温泉旅行のプラン。ま、勝手に行って勝手に帰るホテルだけ決まっているプランでしたが…松代に行きたくて昔主人とふたり確か斑尾高原のホテルの宿泊が当たったからだったかしら?長野までは新幹線で行って斑尾高原に向かう前に善光寺と松代に行った気がします。真田氏とかまだ興味がなかった時代だと思うけど…なぜ行ったんだろう?今回は興味を持って「松代に行きたい」とお願いした。だが、時間がない事前に調べ
『天外者』ロケ地彦根城の続きは「太鼓門櫓前」表門から入って入場口を通って結構な勾配の石段をそのまま登っていくと「天秤櫓下」↓「太鼓門櫓前」の順に出てきます本丸へはその先を行けばいいと思うのですが私はロケ地目当てに加えこの日は台風一過で蒸し暑くここまで登っただけでへとへとだったので
2021/9/23(秋分の日)きまぐれひとり旅(信州編)≪その2≫国宝松本城行動日は9月20日(祝、敬老の日)松本と言えばやはり「松本城」である。松本市へはS社時代に営業で何回か訪れ、時間があればお城を見に行ったが、今回は仕事関係なし時間も気にせずなので、天守へ上ろうと思ったが、20分待ち!その前にお堀の周りを30分程歩き、戻ってみると、30分待ちに増えていた。感染防止対策で入場者数制限によるものだろう。入場を諦めた。
昨日の続きです。今回は二の丸から太鼓門までです。赤い線に沿って歩きました。⑦の下にあった堀は埋め立てられました。上が北の江戸時代土浦城です。⑥の橋を渡った所から①方向は⑥の橋を渡った所から①方向です。上図二の丸①から本丸方向古写真です。土浦小学校の記念撮影写真です。明治になり本丸に郡役所が出来たので、本丸南側の堀が埋め立てられました。土塁の土で埋めたのでしょう。古いのでヒビが入っています。⑥の橋を渡った所からプール跡方向で、旧前川口門が
松山城×ひろしまドリミネーション光のおもてなし2回目は、マジックアワー日没直後の明るいうちに行ってみました!大きな星と三日月ライトアップされた「戸無門」(となしもん)&不死鳥抜けてすぐ、「筒井門」(つついもん)&金色の光のトンネル続いて、「太鼓門」(たいこもん)一昔前の紅白歌合戦の“野鳥の会”みたいに⁈カチカチと、来場者を計測(入り口横)何だかアナログ方式で新鮮!太鼓門を抜けると、本丸!オリンピック閉会式の翌日、台風が治まった後、結構な人出で
昨日の続きです。今回は椿坂から天守前です。椿坂です。坂の上に太鼓門跡下図⑦の枡形があります。太鼓門の内側を黄色く塗りました。黄色い部分が帯曲輪です。本丸とは仕切り石垣で区切られています。本丸に入るには表門(鉄門)か、上図⑩付近にある裏門を通る必要があります。解説板です。太鼓門は渡り櫓で、石垣の上には多聞櫓(長屋)がありました。太鼓門枡形内です。石垣の上には多聞櫓がありました。右に曲がると太鼓門でしたが、今は門がありません。枡形を出て帯曲
只今、「近畿地方」以西の西日本の「櫓門」をお届けしています。「櫓門」といえば、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門でした。「東日本のお城の櫓門」の総集編及び「西日本のお城の櫓門」前半はこちらからご覧ください↓『<西日本のお城>の”櫓門”前半総集編』5月9日から始めた「櫓門」シリーズは、「東日本(※)のお城」42城の「櫓門」は既にお届け済で、現在は「西日本(※)のお城」の「櫓門」をお届け中です。(※)東日…ameblo.jp『<東日本のお城>の”櫓
2021年7月3日ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ほか(井上道義指揮新日本フィルハーモニー交響楽団atサントリーホール)先週行ったコンサートについての記事をようやく書けるようになりました。クラシック音楽に関心のない方には退屈な長い文章になっていますが、2回にわたって記します。15曲あるショスタコーヴィチ(1906-1975)の交響曲。死ぬまでに全部ナマで聴いてみたいと思っている。そういう作曲家は、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナー、チャイコフスキー。
名張陣屋なばりじんや創設年代・・・天正十三年(1585)・寛永十二年(1635)創設者・・・・・松倉勝重・藤堂高吉形態・・・・・・・陣屋遺構・・・・・・・殿館・奥向・太鼓門陣屋門館入り口館枯山水庭園裏庭園・井戸陣屋門内側土塀・蔵陣屋裏門移築太鼓門寿栄神社小学校土塁縄張り略史この地はもともとは土豪の砦になっていたが、天正十三年(1583)に筒井定次が
こんにちは、philosophiaです【松山城黒門口登城編~四国攻城TRG♪】の続編です。順路である<戸無門>から本壇へ入城します名の通り門に扉はありません<筒井門>まで、やすやすと入城できますが筒井門に気をとられていると筒井門には怖い仕掛けが!死角の<隠門>から出てきた敵に背後を攻撃されます(^^;筒井門南西から望む大手門跡豊後水道順路の筒井門から入城します正面に
長楽寺に行って来ました。山門鐘楼寺務所が閉まっている。本堂も閉まっている。車は駐車していましたが、人の気配が無い。観世音菩薩太鼓門太鼓門の奥に開山堂があります。今回はご縁が無かった諦めて帰宅しました。
「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。今回は、第29弾の「松本城」(長野県松本市)の「櫓門」です。「松本城黒門、太鼓門」(木造復元、木造復興)木造復元「松本城黒門」(奥に「櫓門・続櫓」、手前は「高麗門」)「松本城」の敷地は、元々信濃守護職「小笠原家」の「深志城」でしたが「武田家」に奪われます。「武田家」が滅亡すると「小笠原家」に城が戻り「松本城」と名前を替えますが、豊臣政権下になって「石川数正
只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。今回第13弾は、「土浦城」(茨城県土浦市)の「櫓門」をお届けします。「土浦城太鼓門」(木造復元)県重文「太鼓門」(現在は門両脇に土塀が再建されている、正面から)「土浦城」の歴史は古く、「940年」前後に「平将門」が砦を築いたという伝説がありますが、本格的な築城は、室町時代後期に常陸守八田家の一族である「小田家」に属する「今泉三郎」という人が築城したと言われてい
※2021年2月28日訪問※『帯郭まで来たので、いよいよ天守へ』と行きたい所ですが、天守は最後にして、まだまだ残る広大な会津若松城の遺構を見学して行きましょう帯郭の北の入口、会津若松城では《大手(追手)》とされているのが【太鼓門跡】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、ここには多聞櫓と呼ばれる櫓が建てられ、直径五尺八寸(約1.8m)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、その他の合図に使用したことから太鼓門と呼ばれた。▲▲▲
松本城の城内の様子についてレポートします。まず入口にそびえるのがこの太鼓門。名前の由来はかつてここには時報としての太鼓があったからだそうで。そしてこの門、何気に恐ろしい仕掛けが施されています。攻めてきた敵を一網打尽にできる悪魔のシステム。あなたは無事、ここを通り抜けられるか?詳しくは→松本城
念願の松本城に行って来ましたこれで国宝五城制覇です結局、お城とその周辺しか行けなかったのですが、お城だけでなく街もめちゃくちゃ素晴らしかった今までで一番沢山写真も撮りました。と言うことで、4回に分けて書いていこうと思います。JRだと北松本駅が最寄りですが、石川数正が作った城下町を踏みしめたくてJR松本駅から歩きました。碁盤の目じゃない不規則な道を堪能しました途中には歴代城主の家紋が入った街灯カバー10分ちょいで天守入口へ。(いいお天気でした)まずは、
松本で一泊した翌朝はまずは。。。松本城。お正月だけに城門には門松(^ω^)太鼓門です。お堀端で呼ぶ猫。近づいて頭撫でたら嫌そうな顔された。(´ω`)真冬の松本城。お堀が工事中で浅くなってきたのか浚渫工事だそうです。この先、有料エリア。黒門です。アルプちゃん。。。ちょくちょく城主が替わる松本城。連立式の天守閣はいろんな角度から撮っても絵になる。天守閣の前の地面のギザギザは御殿の跡かな?
仕事納め&登頂ウォーキング96回目登頂道を照らすライト日中、全ルートの大掃除があったようです。いまにも雨が降りそうでしたが、コートも手袋も要らない暖かい日でした。犬も嬉しそう「戸無門」をくぐると、まず「筒井門」横に長い注連(しめ)飾りが架かっていました。その横の「隠れ門」にもしめ飾り「太鼓門」にもここを駆け上がると、本丸広場です「さっき梅のいい香りがした」という親子の会話が聞こえて、振り向いてみるとな~んと❣白い梅の花が、何輪も咲いてい
この年末も帰省です。今日の弁当も安定の三元豚とんかつ弁当。品川から「ひかり」に乗って米原まで、隣の彦根駅で下車。この年末はやはり空いてるみたいで品川から米原まで三人掛けの席が隣はおろか前後の席に誰も乗ってこなかった。内堀の外にある埋木舎。ここは今月1日から閉まってるみたいです。幕末の大老、井伊直弼が隠った場所。多すぎる兄弟ゆえ普通なら世に出ることが無かった直弼はここで学問に熱中していたのが、兄が次々と亡くなり藩主→大老にまでなった。逆転の人生だけど井伊直弼のその後の安政の大獄を考
最近撮ったお気に入りの写真、見せて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう先日、行ってきたこちらの写真はいかがでしょう?茨城県土浦市の亀城公園にある土浦城跡にて内堀越しに臨む東櫓ですここは続日本100名城に入っています見どころの一つが土浦城太鼓門関東で唯一現存する櫓門だそうで続日本100名城スタンプ113番「土浦城」クリアですでは
11月7日・8日、長野県松本市で行われた「松本城ウオーク2020」に参加しました。久しぶりに車で遠出をしたので、運転につかれました。(lll´+д+)フゥー...1日目は、(短めの)ロングコース15㎞を歩きました。ちょうど紅葉シーズンで綺麗でしたが、風がきつかったー!題名:アルプス展望・松本歴史探訪松本城ウオーク2020北アルプスの展望、城下の歴史スポットをゆっくりと巡り、松本の秋を満喫!日時:令和2年11月7日(土)8:00受
金沢城公園がライトアップしているとのことで立ち寄った。金沢城公園昼間とは違う幻想的な雰囲気だった。尾山神社神門の三層目にはめ込まれたステンドグラスがとてもキレイだった✨太鼓門
10月31日(土)☀5→19℃5度台肌寒い朝滋賀の旅、国宝「彦根城」と隣接する「玄宮園」を散策し、更には湖東三山として名高い「西明寺」「金剛輪寺」「百済寺」へと足を延ばして来ました。一回目の今日は、↓国宝「彦根城」の本丸天守まで至る順路を、共に国の重文「天秤櫓・廊下橋」から「太鼓門・続櫓」まで紹介します、…友が住む街彦根市、昨年の3月以来の彦根城、↓表門券売所のお堀の脇に立つ、琵琶湖八景「月明彦根の古城」の石碑、久し振りにここから表御門の橋を渡って登城開始します、…券売所前の、↓「
久しぶりの松本もちろん松本城にもお散歩ススキ🌾が秋の雰囲気冠雪の北アルプスも見えます平日の3時だというのに20分待ち今日はお城の中は入らなくていいや鴨🦆さん達が沢山泳いでいました。前はこんなに沢山いなかったような。こちらは太鼓門後ろにチラッと見えるのは松本市役所です。太鼓門もなかなか立派です野面積みの石垣に注目こちらの二の丸御殿跡は入場無料昔の場所に部屋の名前が書いてあるパネルがあるのでなかなか面白いです。この二の丸御殿は明治になって筑摩県の庁舎として
4連休3日目の昨日は国宝の松本城へ行ってきました名古屋からは車で3時間この時期の信濃路がとても好きです松本城は3度目だけど、実はまだ天守閣に登ったことがなかったのです2年前に行った時は蕎麦祭りが開催されていて凄い人で諦めて帰ったのでした太鼓門二の丸御殿跡コロナ禍で空いてるのかと思ってたら、10時に着いた時点で天守までは160分待ちひぇ~160分…ディズニーでもこんなに並んだことはないわシルバーウィーク、考えが甘かった蜜を避けるために、人数制限をしているそうです黒門本丸に