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せっかく来たんだ。奥之院へ行こう。初めてだな(≧◇≦)続く。からです。本堂裏に見つけた、登り口。高浜へ、、松山観光港へも抜けれるようです。奥之院は、、こんなに近い。近くて、遠い。太山寺に参らせてもらいながら、一度も行かなかった。203-75、、、ここから128mの高さですね。💦登りだな、、、。息が上がる、、後で気づくが、きれいな道だった。そんなことに気付かず、、ひーふーはーふー(;^ω^)ここまで来たんだ、、行くんだ、、、でも、きっついな。あぁ、、仏様(>_<
左側の角の柱の穴から、、、ブンブン近づいたら、、いっぱい出てきました蜂さんのお家になっていました小さな蜂さんの、大きなお家、、、、、裏側(内側)の額『観音院』と掲げられています。続く。からです。見上げると、、主棟の鬼瓦高くて、、うまく写らない。反対側に向かいます、、大師堂側から見たら、よく見えます。一段高いところから、写します。柱の位置から、大きく開く屋根下から見るのと、上から見るのと、見え方が違うな、、こちら側の鬼瓦は横からきれいに見えます新しくされたのか、瓦が光
山門を入って、境内側、右の四天王様、、お顔が、、、御足もとの邪鬼左側の四天王様力強い眼力御足もとの邪鬼山門から外を見る美しい雲形中央の蟇股龍が巻き付いている右側右側の蟇股左側は、、美しい彫刻ですね左側の角の柱の穴から、、、ブンブン近づいたら、、いっぱい出てきました蜂さんのお家になっていました小さな蜂さんの、大きなお家、、、、、裏側(内側)の額『観音院』と掲げられています。続く。
先を急ぎたくなりますが、、やっと来れた四国のお寺。ゆっくりと、ここを味わいたい。ゆっくりと過ぎる、、時間と、景色、、。、、、、、お参りに来る方々を見ていた。そういえば、、以前、ここに来た時に、、休憩所で、可愛いワンちゃんに会ったな。写真を引っ張り出した。↓2006年3月2006年だから、、もう17年も経つのか、、、、、。時は流れていくんだな。あの、、可愛い瞳で、何を見て生きていったのだろう。↓2006年3月続く、、からです。仁王門、、三の門・四天王門、、と書いていると
天保の納札も、、教えをいただいた、鐘楼堂の中続く。からです。鐘楼堂の角の、電燈さすが今どき、、LEDランプこの、ランプのまわりの、茶色いものは?虫さんの卵かな鐘楼堂と、三の門の間の建物こちらです『厄除大師堂』厄除大師堂の隅にも鬼瓦御堂と山門の間の石碑内務省下賜の碑お地蔵様山門を向いていた大師堂下に、休憩できる場所があります。ベンチなどを用意してくださっています。ありがとうございます。まだ、カバーの解かれていない本堂前の摩尼車屋根の下に、荷物を置かせてい
大山寺奥の院に登るあっれータイム13秒も下がってるきっと昨日1キロ体重が増えたせいーーーあっ、あれが高浜観光港なのねーここから梅津寺に降りろって・・道が見えんのんやけどうげっありがとうロープめっちゃ急な坂。これを転げ落ちろと?横に道がありました。よかったーーあー、ベイサイド迎賓館の横の道から大山寺に行けるのねーでもね。誰にもすれ違わなかったのよ。女子(こちら立派なおばさんですが)一人が通ったらいかん道よ。次女からLINEが来た。
祈った方の捧げられたお酒が目に入り、心に残った。続く。からです。1655年再建という鐘楼堂を見たいと思います。大師堂方向から見た、鐘楼堂。左に本堂、正面奥が鐘楼堂。青年のお大師様の像の向く方向に、鐘楼堂美しい立ち姿です↓2010年2月晴天の時の写真右屋根部下り棟、稚児棟経の巻の鬼瓦左側、、木組みに、この曲線と装飾機能と美しさが、目を奪う。横からの立ち姿入母屋造、、破風板にも装飾が見えます縣魚に破風板破風板に龍が昇る主棟の鬼瓦菊の御紋が見えます袴腰造り下部は
↓2010年2月の写真。1971年再建という。僕と同じ年月、、建ってくださっているんだな。聖徳太子堂の横に、、続く。からです。修業大師様、、青年大師像とっても凛々しい足元寄進をされた御方がいらっしゃる。↓2008年12月晴天の写真①↓2008年12月晴天の写真➁こちらの石は、、天保九年に建てられたもの源家、、正当な裔子孫の方と刻まれている村井又右衛門藤原、、何某と、、裏には、文字がいっぱい説明書きが欲しい、、。力くらべの石亀の石120Kgです太子堂横には
本堂の右裏に回ってきました。続く。からです。欲張りな僕。欲しがりな僕。尽きない欲に、、デジカメのシャッターが壊れるくらいに押して、押して、、また押して。デジタルのSDカードメモリーに、詰込み。パソコンは写真データだらけ。それでも、まだ欲しい。僕の欲は、恐ろしい。、、、恐ろしい自分を知りつつ。。記録する。曇り気味だったこの日。写真の色は暗い。今のパソコンは凄いから、色などの修正をして、切り取って、整理する。ブログを書くまでに、2~3時間準備する。大変だけど、続けられ
❏52番札所太山寺(たいさんじ)一の門より仁王門(一の門より250m)仁王門の右手をどんどん進みます。寺院駐車場は納経所の下。新しく看板ができています。以前は車止めのある場所まで行けたのですがこの度工事が入り寺院駐車場は広くてお手洗いのある場所となります。参道が大変急な坂道で山門まで約400m坂を上って、帰りは降りて移動することになります。膝にくるので金剛杖必須です😅51番札所石手寺より約33分53番札所円明寺より約1
長者堂と本堂をつなぐ階段向こうに大師堂が見えています。札所には、いろんな話が伝わる。続く。からです。長者堂から、さらに本堂の裏をまわっていきます。角に立つ、十一面観音様身代わり観音当山の山頂奥之院に建っていた十一面観音像で、平成十三年三月二十四日、松山沖でマグニチュード6.7の芸予大地震に見舞われた際、震源地に向かって建っていたこの像が落下。身代わりとなって不思議に被害が大変少なかった。南無大悲観世音菩薩合掌山頂から見守り、身代わりとなってくださった観音様痛み
石手寺繁多寺太山寺円明寺前日宿を移動し、朝早めに行きやすい石手寺に徒歩にてお参り。ここが意外な雰囲気で面白かった。マントラは昔の防空壕なのかな?100円を払ってずんずん進むとたくさんの石仏さまがいらっしゃいました。参拝あとはなかなか広い境内を興味深く散策してから納経所にて無事御朱印いただくと、貼り紙に気づく。4月から値上がりして御朱印のいただける時間帯も短縮するんですね、今までがご苦労されていたのかな、と思う。次の宿の道後公園まで荷物を移動しておき、前日断念した繁多寺にむけ市電とバ
大師堂から、右の方へ、、何の木だったのだろう。昔の写真があればわかるのに、、。向こうに見えるのは、長者堂です。続く。からです。本堂の左側に長者堂があります。しだれ桜かな、、宝形造の御堂ですね三の門、階段下にあった案内板真野長者とお堂についての説明。この寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜建立の御堂」がある。豊後国(大分県)の炭焼き小五郎が黄金を発見して真野長者となった。あるとき、船で難波に向かう途中、高浜沖で大嵐にあったが、瀧雲山(経が森)に光明を見て助
手違いで、文字が消えてしまっていました。修正します。↓2010年2月↓2023年12月新しくなった屋根を見ていこう。続く。からです。大師堂は瓦が全て新しくなっていました。↓2010年2月以前の瓦曇っていても、新しくなった瓦が光っています主棟には、龍の装飾が見え、降り棟・稚児棟には二段の鬼瓦屋根下の垂木は、放射状に並べられている。大師堂前部、向拝部の屋根にも、大きな鬼瓦に、角には獅子向拝部正面の鬼瓦向拝部右角の獅子跳ねる向拝部の棟にも、装飾瓦が見えます渦、、水に
松山旅行三日目。本日も巡礼。まずは、五十三番円明寺。JR伊予和気駅から歩いて参拝。JR松山駅前和気バス停付近仁王門仁王像キリシタン灯籠大師堂観音堂鐘楼中門本堂閻魔堂内の閻魔像真言宗智山派寺院。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。当初は現在地より北西約2.5kmの和気浜の西山という海岸にあり「海岸山圓
いっぱい写しちゃった(;^ω^)続く。からです。太山寺の大師堂右宝篋印塔大師堂の左側にも建てられている。後部傷んでしまっている(>_<)大師堂の左側には石塔などが並ぶ大乗玅典一字一石塔菩提を祈る石塔が並ぶこちらは、、、礎石?燈籠の台?仏様の台座?手水鉢、、ではないか、、三界萬霊、、お地蔵様静かなお顔こちらの仏様は、、頭の上に沢山のお顔を乗せた観音様十一面観音様でしょう両脇に、灯籠の跡?らしきもの、、元の形を見て見たいな装飾が施されていたんだな対の台どんな
雨予報なのに時折陽射しのある朝の松山地方です。南予地方には竜巻注意報がでて、吃驚していますが・・・さて、今年は辰年、松山市白石ノ鼻には龍神社があるのでかねてから念願の太山寺から山歩き、尾根歩きで行ってきました。要所要所に登山道案内板が設置されており、迷うことなく行けました。山好きの人が立てたのでしょうね。ではでは!1太山寺の駐車場に駐車、本堂で道中安全祈願、北奥にある「身代わり観音」の傍の登山道から登りました。上にある経ケ森に登るルートです。(カメラ時刻12時34分)2経
以前には無かったのですが、、(2010年に来たのが最後)大師堂の前に屋根が付けられました。雨も大丈夫ですね階段をのぼったところの石灯籠三津大師講の灯篭です三津は、太山寺の近くの港町ですね明治三十三年五月建立大師堂に向かって手を合わす彫刻阿字の梵字寺の印も刻まれている対の石灯籠三津ヶ濱三穂町の御方でしょうかさて、、大師堂は、、大師様の像につながる紐が2本『遍照殿』向拝部の天井には、花の絵が描かれていた様子色が薄くなってしまっている。海老虹梁に向拝虹梁向拝の蟇股
大師堂を見て見よう。続く。からです。一段上の大師堂に向かう階段があり、その脇の石燈籠。階段のすぐ脇に、対で並ぶ石灯籠灯りをともした姿を見たいな、、。文化財を守る、放水銃のカバーも見える。大師堂前に、屋根が付けられている↓2006年3月階段をのぼったら、この景色だった。↓2008年12月↓2010年2月あまり、、変わらない写真を並べてしまった💦大師堂前の屋根が無い時だな。2023年12月はこうなる。大師堂前の参道の屋根経の巻足付紋入りの鬼瓦、、、と言うんだろう懸魚
本堂前の蝋燭台に常香炉です。奥に、鐘楼堂が見えています。常香炉の奥に、蝋燭台が見えています。種火の台でしょうか常香炉の上に、屋根が付けられています。入母屋の屋根です。鬼瓦に鯱破風の部分の格子に懸魚の彫刻隅棟鬼瓦屋根下部蟇股に枡組小さくても丁寧だな向こう側の蟇股裏面は彫刻無し右に回ってみます向こうに本堂が見えています。こちらの屋根下蟇股お山ですね、、富士山かな瓦部分鯱に鬼、下り棟、稚児棟まで、、贅沢だな水を呼び、火災から守る、、鯱下り棟の鬼瓦隅棟の鬼瓦
柱や支えに、装飾がされている。、、、屋根って、重いだろうな。左側、後部角続く。からです。鎌倉時代(嘉元3年1.305年)に建てられた国宝の本堂幾度も修復をされてきたことでしょう。左奥、稚児棟鬼瓦、隅棟鬼瓦左奥、下り棟の鬼瓦新しい色の瓦が見える避雷針から伸びた銅線が雷から守っている本堂裏、中央の五重の石塔四国の札所をまわっていると、本堂裏に石塔や、宝篋印塔などを見ることがある。屋根の裏側の中央部ほとんどが、新しい瓦になっている。右奥側にまわりました右奥、下り棟の鬼瓦
3連休最後の日、2月12日に梅の花の撮影に…。手近なところで梅園はないかと探したが、近場にはなく…。苦しいときの神頼みで、お楽の方お手植えの枝垂れ桜がある栃木市・太山寺へ。現地に着くと、やはり梅の木があった。しかも庭木だけに立派な枝振りの梅の木だ。お楽の方お手植えの枝垂れ桜は樹齢約370年。もちろん梅の木はそれほど古くはなく、とは言っても100年ほどはあろうかと思われるほどの古木。太山寺山門
何故か、、足元も見ちゃう。上も、、見て見よう。続く。からです。美しいその姿、、いつもながら鳥の羽根のように思う。角は曲線で上に持ちあがる柱から、こんなにせり出すんだな。木組みの素晴らしさですね。左、主棟の鬼瓦右、主棟の鬼瓦最上部主棟の瓦左、下り棟の鬼瓦左、稚児棟鬼瓦、隅棟鬼瓦悪いものを寄せ付けないだろう。入母屋造りの、四方に向かう屋根瓦左前の稚児棟左横の姿本堂が大きいので、破風も大きい主棟鬼瓦下の拝懸魚拝懸魚の後ろも、枡組に彫刻木口を腐食から守る桁隠お花の
右側僕と同じ年なんだな。文字、、ばっかりになっちゃった💦続く。からです。本堂正面に、設置されている、、摩尼車でしょうか。良き日にお披露目になるのでしょう。ちょっと早かった。天気が曇りで写りが悪いですが、、桁行七間の正面色調整して、、。確かに七つを数えられます。七間、16.38m横は、、梁間九間、20.91m横の方が長いんだな二重垂木も美しい確かに横の方が長そうだ。。左側、、後ろから本堂の背面背面裏の中央上部に避雷針と石塔が見えます五重の石塔とっても古そう
三の門横にある説明板瀧雲山護持院太山寺本堂(国宝)四国霊場第52番札所、鎌倉時代(嘉元3年1.305年)に建てられたもので、桁行七間(16.38m)梁間九間(20.91m)、屋根入母屋造り、本瓦葺きで、木造建築では県下最大の堂々たる建物である。その構えにふさわしく、木組は大きく、柱はすべて円柱、手法は和様であるが、天竺様式や唐様式をとり入れ鎌倉時代特有の雄大豪壮な建物である。柱間に多数使われている蟇股の曲線は美しく、当時の名工の作品で稀にみる傑作である。厨子のある内陣が土壇で
お地蔵様方が並ぶ、奥の地。祈りの声が、聞こえそう。少し重かった。。『一字一石祈願供養』願いを込めて、、大勢の方が書いていく。そして祈っていく。さぁ、、本堂に向かおう。階段下の説明板太山寺四国八十八か所の52番札所である。瀧雲山護持院と号し、本尊は十一面観音菩薩である。この寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜建立の御堂」がある。豊後国(大分県)の炭焼き小五郎が黄金を発見して真野長者となった。あるとき、船で難波に向かう途中、高浜沖で大嵐にあったが、
手水舎から、奥への階段があります。奥への階段の登り口には。、観音様が立たれています。続く。からです。先に本堂への階段をのぼったのですが、後から参ったこちらを見ます。奥へ進みます。大乗妙典普門品一字一石塔戒名も刻まれています。階段脇のお地蔵様どっしり、、落ち着いて座られています。さぁ、、奥へたとえ、、首が落ちても、、静かに祈っていてくださる。小さいけれど、祈りの塔もありますm(__)m並んでおられたお地蔵様木が倒れたのでしょうか、、。奥の奥にお堂「子安観音
鳥居に大日如来様そして十三仏が並んでいます。鳥居には奉寄進蔵王大権現講中安全と、、お山に蔵王大権現様が祀られていたのでしょうか千一衛門さんに千三衛門さん十三仏樣不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、阿弥陀、阿閦、大日、虚空蔵、、。初七日、ニ七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌に対応するとされる、、、。本堂への階段をのぼる前の、静かな空間大日如来像の隣には、、延命地蔵様に、、、お釈迦様かな
右に曲がれば、裏から太山寺へ僕は、真っ直ぐ、三の門の方へ行く。↓2010年2月の写真門屋(井筒屋)さんと思われる。続く。愛媛県生涯学習センターえひめの記憶には、「本坊から諸堂のあるところまで約200m、その登りの参道に家が5軒ある。むかし、寺の陸尺(ろくしゃく)(人夫)だった人が家をもらってそのまま残されたのだそうだ。うち二軒が宿屋をしていて、一軒の屋号を『ねじれ竹』という。さらに登っていった反対側(左)の家には、山津波にあったときのことを木札に書いて門に掲げていた。山門
姐さんは四国在住。四国といえば、四国八十八か所巡礼、通称「お遍路さん」が有名。姐さんも数年前から区切り打ちで少しずつお参りしています。お遍路さんを始めたのは、まだ東京在住だったころ。帰省するたびに少しずつ。今はようやく3分の1程度札所を回りました。できれば、今年中に結願したいところ。ブログを見てくださっている方は、四国以外の方が多いので、時々、札所も紹介できればなぁと思ってます。*:.。。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.