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賣太神社(めたじんじゃ)前回に続き古事記ゆかりの人びで、今回は賣太神社稗田阿礼(ひえだのあれ)です。稗田阿礼は太安万侶と共に古事記編纂を行う為に全国?を回り各地の神話や伝承を暗記し太安万侶が記録して編纂されました。阿礼は記憶力抜群の人だったらしいです。ちなみに、阿礼は世間的にも男性説が有力ですが、個人的には女性と思っていました。で、尋ねたら賣太神社では男性との事です。やっぱり、男性なんですね!所在地は奈良県大和郡山市稗田町319ここは、周囲に堀をめぐらせ
産土神社鑑定士・開運カウンセラーの星野まりなです奈良、古事記をめぐる旅の前回からの続きです。前回の天武天皇と持統天皇のお陵、そして藤原京跡はこちら↓『古事記を巡る旅〜その1天武天皇と持統天皇』産土神社鑑定士・開運カウンセラーの星野まりなです行ってきました〜〜〜!!3ヶ月前から楽しみにしていた、奈良は、古事記巡礼の旅💓私が昨年から習ってお…ameblo.jp遺跡跡には、今度は明日香の地は、天高市(飛鳥)の飛鳥坐神社にて正式参拝でした。飛鳥坐神社につ
こんにちは!本日はお立ち寄りくださりありがとうございます。伝統文化研究家発酵ふしき通販部運営伏木さなえです^^************今日は昨日のつづき。…であり、古事記にわたし達人類の平和の原点が記されているおはなしを少しでもお伝えできたら良いな。と思っています。前回までのおはなし(其の一)『1300年の時を越えて(其の一)』こんにちは!本日はお立ち寄りくださりありがとうございます。伝統文化研究家発酵ふしき通販部運営伏木さなえです^^*****
こんにちは!本日はお立ち寄りくださりありがとうございます。伝統文化研究家発酵ふしき通販部運営伏木さなえです^^************わたしは人類の根本神話である『古事記』をやまとことばで紐解きお伝えする語り部の一員としても活動をしているのですが、先日やまとことばの師でもあります林英臣先生、そして語りべ協会の皆さまと共にやまとことば神話の奉納をしながら聖地巡礼✨をするという素晴らしい会に参加して参りました。最初の巡礼訪問地は、古事記という素晴らし
太安万侶(おおのやすまろ)今回は古事記ゆかりの人びで、太安万侶です。前回も紹介しましたが、天武天皇の命より稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に編纂に掛かりました。まずは、太安万侶墓から・・・1979年に奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されて、中から火葬された骨や真珠・木片に貼り付けられた銅板の墓誌などが出土したそうです。これにより太安万侶は実在の人物と証明されたそうです。レンタカーで奈良市郊外の道を走ると標識が・・あいにくの雨。。。標識か
天武天皇・持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)40代天武天皇(てんむ)41代持統天皇(じとう)所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口「古事記」は天武天皇が日本の神話や古代史を後世に伝える為に、太安万侶(おおのやすまろ)を中心に編纂を命じ、稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に始まりました。しかし天武天皇の崩御により、一度中断しましたが、元明天皇(げんめいてんのう)が再開を命じて712年に献上したそうです。なので、言いだしっぺ・の夫婦でもあ
大和神社、歯定神社の続きです家に戻らないといけない時間が近づいてきたので早道を選択して家路を急いだ。が、携帯に案内してもらった道がダダ混みで自力で違う道を模索しながら走ることになった。「あ、なんかここら辺で神社あった様な氣するわ」と夫が言った。昔仕事で行ったついでにお詣りした神社あった氣がするらしい。1度は通り過ぎたもののやっぱり氣になりその神社へUターン。綺麗な梅多坐弥志理都⽐古神社(多神社)ご祭神神武天皇神⼋井⽿命(かむやいみ
「太安万侶」立春まで卵かけご飯を食べるみなさん、おはようございます立春まで10日ですいろいろ準備したいです大寒に産まれた卵を卵かけご飯で毎日食べますコレストロールが上がって手足がしびれたり要注意ですアリガトウ「1月22日」の國史です「太安万侶の墓誌発見」昭和54年(1979年)太安万侶(おおのやすまろ)は古事記の編纂者です奈良市此瀬町の茶畑から太安万侶の墓が発見されます墓からは青銅製の墓誌=埋葬者の略歴等を記したものが出土41文字で
こんばんは😊いつも元気なHickeyです😊俺の住んでいる豊橋という街は風さえ吹かなきゃ真冬でもわりと温暖な気候の地域です😊それは豊橋の西に位置する蒲郡(がまごおり)や東に位置する三ケ日(みっかび)などで蜜柑の栽培が盛んな事からもわかるかと思います😊🍊まぁ〜豊橋は蒲郡や三ケ日などに比べると傾斜地が少ないために蜜柑栽培は少ないけど😅💦俺が11月末でも日中に半袖シャツで仕事できたり休みの日に半袖・ハーフパンツで過ごせるのは豊橋という地域も大きく影響してると思います😊ただ俺はガキ
こんばんは😁現代の稗田阿礼ことHickeyです😁筋トレ大好き😁スポーツするの大好き😁読者の皆さんから見てもギャ〜スカ騒がしいだけの勢いだけで生きているおバカキャラな俺😅💦だけど実は俺…記憶力やたらといいんです😁直接会って会話した人なら顔と声ならばほぼ100%忘れません😁(ドヤ顔🤣)名前は忘れないけどゴチャ混ぜになる…😅だから…あだ名をやたらつけるのは前に言ったよね😅道も一度通った道は忘れません😁嫌々に連れられて行ったような場所なら別でけど自分の意思で尋ねて行った所は
こんばんは😁本日2度目の登場Hickeyです😁気づいてない人もいるかも知れませんが…実は今日は2度のブログ更新です😅💦いわゆるひとつのブログのダブルヘッダー😅💦さて…それはさておき今日も夏日⁉️😅💦どうなってんだ今年は⁉️😳💦って事で突然ですが…【Hickeyの暦生活😊】今日11月8日からは二十四節気は立冬に入り七十二候は立冬の初候【山茶始開】に入ったよん😊(つばきはじめてひらく)ここで言う【つばき】っていうのは山茶花でサザンカの事なんだよん😁いよいよ暦の上では冬
こんにちはもうそろそろ紅葉が始まるというのに、私のブログが夏のまんまで止まってるっめちゃんこお久しぶりの更新です記事内容をタイトルに込めたら・・トンチンカンなタイトルになってしまいました(笑))最近のマイブームが奈良県にある田原本町でして頂いたパンフを見ながら、どこへ行こうかとワクワクが止まらないのですが(笑)今回は、法楽寺と孝霊神社へお出かけの巻です桃太郎が生まれたというのが、田原本町黒田だそうで記紀に
古事記編纂者太安万侶没後1300年を記念の研究講座に参加しました今回は「墓からの出土品の再検討」「墓誌から見た古代の死生観」の2講座安万侶の墓は1979年に発見されました若い世代にはずいぶん昔のことと感じるでしょうが私にとっては大学生の時なので少し前という感覚です発見4日後発掘に着手2年後には報告書が刊行されています2012年に最新技術を使って再分析すると新たな?が生まれました出土した木炭が亡くなった723年から40年以上の構築材であることが分かっ
展示室2は主に火葬についての展示です日本で最初に火葬されたのは道昭という僧です続日本紀には「天下の火葬此れより始まれり」とあります天皇では持統文武元明元正と4代火葬が続きましたどうやら火葬も中国や朝鮮から取り入れられたもののようです古墳時代にも火葬墓がありました渡来人の墓と思われる高取町の与楽古墳群からは焼骨が出土しています与楽古墳群の火葬墓は石室内で遺体を焼却しそのままにしてあり拾骨はされていません身につけていた釵子が焼骨とともに出
日が射しているので午後から出発太安万侶墓へR165からR369へライダーの聖地「針テラス」を横目で見ながら北上日が照ってるけど風が強く寒い奈良市とは思えない農村風景道の脇に案内板がありました写真では分かりにくいですが強烈な急坂を登ります感覚的には45度の傾斜見えました古事記の編纂という大偉業を成し遂げたとは言え安万侶はいち文官です天皇の御陵でさえはっきりしないこともあるのになぜわかったのか?1979年茶畑の中から火葬された骨や真珠の入った木櫃と銅板に
こんにちは。星煌学院の花谷です。今日9月17日は、太安万侶(おおのやすまろ)が古事記の編纂を始めた日です。ちなみに太安万侶の墓がこちら↓茶畑のど真ん中のとんでもない斜面上にあり、登るのに苦労した記憶があります…日本書紀とともに日本最初の歴史書とされていますが、古事記は歴史書というよりは神話であり、内容もある意味、荒唐無稽なお話が多いです!………………………………………………この世はただドロドロしていました。イザ
太安万呂が筆録して『古事記』が完成した和銅5年(712)に、稗田阿礼は60歳前後という当時としてはかなりの高齢に達していました。序文でその阿礼が紹介されるくだりの原文は<時舎人有>ではじまり、これを現代文に直しますと、「時に」という書き出しがある以上、言葉尻はどうしても「時に舎人ありき(時に舎人がいた)」と過去形にならざるを得ません。つまり、安万呂が筆録した際、阿礼は故人だった疑いが生じるのです。そこでこうは考えられないでしょうか。天武天皇に命じられ、阿礼は後に
阿礼はすでに死んでいた?まず『帝紀』は歴代天皇の即位から崩御までをまとめた史料群で、『旧辞』は各地に伝来した神話や伝説を集めた史料群とされています。ただ、いずれも口伝で語り継がれてきたともいわれています。だとしたら、口伝ですから異説がいくつも生じ、天武天皇の時代、かなり混乱していたのではないでしょうか。『古事記』序文にしたためられた「誦(よ)み習う」という言葉の意味については諸説ありますが、以上を踏まえ、筆者は次のようなことだと考えています。まず天武が全
こんにちはめちゃんこお久しぶりの更新となってしまいましたそれにしても、、、暑いですねクラクラしそうな暑さに耐え切れず、ネットフィリックス三昧の夏です(笑))「サンクチュアリ」面白かったなぁ続編あるのかなさてさて先日、「天上の虹」をやっと読了しました天上の虹全11巻セット(講談社漫画文庫)Amazon(アマゾン)第41代天皇である持統天皇を主人公としたお話なんですけど、とっても面白かったです鵜野讃
厳しい暑さにも負けず、ひと夏を咲きとおす百日紅の花を眺めていると、不思議と古事記の序文が浮かんでくる。臣安萬侶(しんやすまろ)言(もう)す。それ混元(こんげん)既に凝りて気象未だ效(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し誰かその形を知らむ。臣安萬侶が申し上げますところ、そもそも宇宙が混沌とした状態から凝ってきたが、潜在的な力や形は、まだあらわれていない。そのため、名をつけようともそれの対象となるものもなく、また動作しているものもない。誰も具体的に存在形を知る
【日本国記】第二章7祇園祭7・日本とは世界で最も特殊な国である―古くて新しい―太秦とギルガメッシュ叙事詩と聖書土方水月7京都の祭りは葵祭と祇園祭祇園祭7太秦とギルガメッシュ叙事詩と聖書祇園祭の主役は牛頭天王であった。秦氏の神であり、八坂神社の摂社である疫神社の神であった。荒ぶる神スサノヲではなかった。疫神社の神はその昔、南方を旅していたという。その様子は祇園祭の山鉾を装飾するペルシャ絨毯に描かれているといわれる。ペルシャつまり今の
いったん、稗田阿礼について架空人物説が力を得ました。ところが、阿礼の時代からかなり時代が下るものの、延喜20年(920)の史料で「稗田福貞子」「稗田海子」という人物が確認できます。つまり、氏名なのか姓名なのかは別にして、稗田を名乗る一族がいたことになります。また、阿礼が架空の人物だとしたら、太安万呂は元明天皇に偽りを語ったことになってしまいます。なぜなら、序文は『古事記』を献上した元明天皇に対して安万呂が書いたものだとされているからです。実在の人物だか
架空の人物なのか?『古事記』の序文は筆録者の太安万侶自身が書き、そこにこう書かれています。「時に舎人(下級官人)がいた。姓は稗田、名は阿礼。年これ二八。人となり聡明にして、目にわたれば口に誦み、耳にふるれば心にしるす」そこで天武天皇が、この記憶力抜群と讃えられる阿礼に『帝紀』『旧辞』を誦み習わせたという一文に続くのですが、序文や関係する史料(後述)を除き、ほかの史料(同時代に編纂された『日本書紀』ほか)で、この人物の存在を確認できず、実在しなかったという説の根拠となってい
【日本国記】第二章7祇園祭7・日本とは世界で最も特殊な国である―古くて新しい―土方水月7京都の祭りは葵祭と祇園祭祇園祭7祇園祭の主役は牛頭天王であった。秦氏の神であり、八坂神社の摂社である疫神社の神であった。荒ぶる神スサノヲではなかった。疫神社の神はその昔、南方を旅していたという。その様子は祇園祭の山鉾を装飾するペルシャ絨毯に描かれているといわれる。ペルシャつまり今のイランから海路と陸路で東の果ての龍の棲む東海の島を目指したといわれる。これは古事記編
【訳者後記】チェンバレン『古事記序論』を翻訳した寺田惠子氏は、掲載された後に、他の研究者から指摘を受けたことについて「訳者後記」に記している。ひとつは「元明天皇」の読みの問題。チェンバレンは「元明天皇」を“EmpressGem-miyo”と記しているので、寺田氏が翻訳の中で「元明天皇」としているのは、「諡号の読み方という問題点がなくなってチェンバレンの翻訳の問題点を消すことになる」と松井嘉和氏からの指摘を紹介している。(アーネスト・サトウもウィリアム・ジョージ・アストンも”
こんにちわ瞳輝です。全ての歴史書は勝者によって作られた偽物のストーリーだと私は言う。しかしその中にわずかな隠された歴史が確かに存在している。それはどの歴史においてもそうだと思う。教科書に書かれているものが正しい歴史の見方なのかもしれないが、それでも隠されている事実があると思う。私はそんな歴史にロマンを感じるから、なるべく絶対にあり得ないだろうと言われるような考察をしていく。それは本当かどうかはわからない偽りの物語なのかもしれないが…さて今回は、伊邪那岐神と伊邪那美神がみとのまぐわい
『太安万侶の経歴が矛盾だらけなのは、レムリアンだから』『レムリアの歴史を権力者側から編纂した太安万侶という天才!』『「ブードゥー死」はアンチ・レムリアンがもっとも畏れた呪い殺し』『空海が使ったのはエネルギー…ameblo.jp稗田阿礼キングダムなら「昌文君」?私たちは、八世紀の初めに『古事記』と「日本書紀』というかたちで、漢字表記された歴史書を持つようになった。『帝紀』や『旧辞』などの書物、あるいは日本に古くから伝わる神代の文字で書かれた、レムリアの歴史の記録
『レムリアの歴史を権力者側から編纂した太安万侶という天才!』『「ブードゥー死」はアンチ・レムリアンがもっとも畏れた呪い殺し』『空海が使ったのはエネルギーの変換と転移』『あと5時間だけプレゼント!「人生で最も影響が…ameblo.jp太安万侶の経歴が矛盾だらけなのは、レムリアンだから大天才とたたえた太安万侶が『古事記』は稗田阿礼が読んだものを、安万侶が漢字に改めていったと『古事記』の序文に書かれています。そこには、天武天皇は阿礼に命じて、帝皇の日継及び先代旧辞を誦み