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唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた慈恩寺の境内に立つ塔で西安のシンボルですよく中国料理の飾りににんじんで作られているのがこの大雁塔唐代末期に戦乱のため焼き払われてしまい現在のものは当時の十分の一位の大きさです652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いで境内に大雁塔を建て経典を保存することになりました塔は煉瓦でできていて当初は五層の塔でしたが則天武后の時代に大改造を行い十層になったようですしかし戦乱などで上部が崩壊し
美人骨~後編:一生一世~|女性チャンネル/LaLaTV「馭鮫記」アレン・レン×「招揺」バイ・ルー豪華共演のロンマンス史劇、待望の続編!前世途絶えた縁は、再び現生で!www.lala.tv今作ですっかり白鹿さんに好感を持ちました。ゆったり進む物語に癒された作品。終盤、玄奘三蔵が持ち帰ったお経を収納するために王に願って立ててもらった西安の大雁塔らしき建物が映ってました。最初ネストリウス派の大秦塔かと思った(笑)作品はYouTubeで英語字幕つきがみれるみたいです。🍏【FU
【日本の塔】玉皇山弥勒寺六重塔(大雁塔)、もしかしたら三重塔又は五重塔
10月頭の西安旅行最終日の記録。『西安旅行①ビャンビャン麺』もう結構時間が経ってしまったけど、忘れぬうちに!(このブログの目的は備忘録。)10月頭の大型連休、国慶節に西安へ行った。小红书(中国版インスタ)で最新の様子を…ameblo.jp『西安旅行②皇帝じゃなくて黄帝』10月頭の西安旅行の続き。①はこちら。『西安旅行①ビャンビャン麺』もう結構時間が経ってしまったけど、忘れぬうちに!(このブログの目的は備忘録。)10月頭の大…ameblo.jp『西安旅行③兵馬俑もサムズアップ』10月
大雁塔の創建は、西暦652年に遡ります。玄奘がインドから持ち帰った657部もの経典や、仏像などを保存する建物として、この大雁塔が建立されましたと言われています。現在の大雁塔は7層ですが、1604年の改築以降のもので、高さ約64m。方形の楼閣式レンガ塔という分類になります。それでは中に入りましょうか。お寺の拝観料はツアー料金に含まれていますが、、塔に登る場合は別途25元が必要です。ここまで来れば登らないわけにはいかないでしょう。塔の内部は、木製の階段と床が入れられています。階段の幅が狭く
今日は2023年11月6日(月)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨夜はNHKの中国王朝英雄たちの伝説巨大遺産の謎を観ました。(再放送)今回はかつての中国の首都長安(現在の西安)についての放送でした。僕は2007年に北京西安上海に旅行をしたことが有ります。その中で特に印象深いのが西安でした。懐かしいのでその中から一部振り返って見ました。過去記事です。↓==========2007年11月3日の出来事です。
雁塔聖教序褚遂良西安にある大雁塔の中に石碑が現存しております2019年5月26日大雁塔の前で両親と阪急さんのツアーで兵馬俑も見たり…大雁塔の中に入って一番上まで行ってくるぞーえいえいおの図東西南北まっすーぐに見えなくなるまで道が伸びています中国は広大なりと思いましたわ雁塔聖教序国禁を犯して単身インドへ旅した三蔵法師(玄奘)が、17年の歳月を経て仏典を長安に持ち帰り翻訳しました玄奘の要請により太宗が序皇太子の李治(後の高宗)が序記を撰文しました西安の大雁塔南門
今日は2023年5月18日(木)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨夜はNHK「歴史探偵」を見ました。今回は「西遊記」に出てくる三蔵法師がインドから持ち帰った経典の話しでした。僕は2007年に中国に行きました。その時に経典を格納してある西安の大雁塔に行った事が有ります。懐かしいので振り返って見ました。過去記事です。↓==============2007年11月3日の出来事です。ここから西安の観光です。西安は古代の中
大雁塔から長安の街を見下ろす夢枕獏の「沙門空海、唐の国にて鬼と宴す」は面白かったが、映画の方は今ひとつだった。とはいえ、あの映画が公開されていた頃、この眼で見たいと思い立ち、長安に行ったときのことである。長安は今の西安の一角にあたる。もちろん今は長安とは言わない。大きな街に着いたらまず高い塔に昇って街の全容を掴むべし。宿屋では城壁を勧められたが、ここはやはり大雁塔に昇る。玄奘三蔵が(たぶん悟空と一緒に)天竺から持ち帰った経典や仏像を納めるために建てた7層ある高層の塔だ。最上階の窓から長安の街
2014年3月27日高松築港駅からJR高松駅に来ました。多度津駅まで乗車します。多度津駅に着きました多度津駅で観た電車。多度津駅舎駅前には少林寺拳法発祥の町のモニュメントがありました。少林寺には徒歩でも行けますが、今回はタクシーで行きました。金剛禅総本山少林寺は少林寺拳法の総本山です。少林寺拳法については大雁塔龍華門中国西安の大慈恩寺の大雁塔を模して1980年に建立されました。現在は物置として使われているよ
『R・Sさん』と、我が御義父上様に嗾けられて、独り、代表で、西安名物の『大雁塔の最上階・・・』を制覇して降りて『凄いわねえ・・・!』と労ってくれたが、お歳がお歳のオバサマたちから労われても、然程の満足感は湧いては来ない・・・(笑)ただ、その眼力で、『さあ、婿殿よ、どうする・・・?!』と嗾けて居た御義父上様には、心密かに、『これで、文句、無いでしょう・・・!』と毒吐く気持ちが、無かったとも云えなかったような・・・(笑)これで、帰ってからでも、女房殿に文句を云わせる口
この『R・Sさん』とは、過去三日間で、嫌が上にも気さくに言葉を交わすようになってしまって居たのは、それが、『義父と娘婿の組み合わせ・・・』と云う、『珍しい関係への興味・・・』が有ったからで、この『凸凹(デコボコ)コンビ・・・』が然も面白いらしく、殊有る度に声を掛けて来られるから、『無口な大正生まれ(=御義父上様)・・・』に代わって、どうしても、『軽口・昭和生まれ・・・』が応じるしか無いのだが、それ故に、どんどん親しみが醸される関係になって居た訳で・・・(笑)相手が、
『一日休刊・・・』のつもりが、想い着きで走った『熊本行脚記事・・・』に、二日も要してしまって、二日休んでしまったが・・・(汗)と云っても、ジジイが、自分を責めて居るだけで、他に何の影響が起きる訳では無いが・・・(汗)西安一日目の夜を、『老酒一瓶・・・』と、現地の『エキゾチックな女性たち・・・』とのチグハグな会話で愉しみ、気持ち快くベッドに沈んだジジイたちの翌日は、西安観光二日目にして、『中国に来て四日目・・・』にもなって居れば、もう、『薩摩のオジサマ&オバサマご一
写真は2016年6月のものだから若いでしょー拓本の体験をしているところで学芸員さんに説明を聞いているところです今はコロナで体験もできないみたいです「アニョハセヨ〜」なって言ってお友達を騙したーそして2021年7月8日小雨降る中お一人様大門碑林へ作品展に行く途中にあったので寄ってみましたたった1人私だけ!貸切でした!ここには色々な石碑がありますそして昔とは違って(なんとなーく)わかる!!!!!時代とか文字とか背景とか昔とは違うって事を改めて感じました!
2014年7月24日福知山線三田駅前から神姫バスの母子・乙原バレー行で尼寺北口バス停まで20分乗車します。ここから300m先に玉皇山弥勒寺があります。お寺なのに鳥居です。扁額は弥勒寺となっています。神仏習合の寺のようです。石段の両側に狛犬も鎮座しています。鳥居をくぐって右手に黄金の布袋様が祀られています。境内案内図大雁塔を撮るのが目的で訪れているので、案内図を見て大雁塔の方に進みます。二の鳥居こちらの扁額は弥勒寺観音堂となっています。観音堂の説明板があ
今日は2021年6月6日(日)です。昨夜は録画をしてあった「中国王朝楊貴妃」を見ました。絶世の美人楊貴妃の話でした。その当時は長安(現在の西安)が中国の都でした。14年前に北京西安上海を旅行しました。先日は西安の一部を記事にしました。今回は西安の残りの中から一部リブロします。過去記事です。↓==================今日は2021年2月1日(日)です。2007年12月から現在まではブログ記事が有ります。2007年以前はブロ
あ〜、やっちまった。車に乗ろうとしたところ、いつもの所に鍵がない。嫌な予感。ひょっとしたら・・・ダッシュで洗濯機のところへ。ありました。急いで、分解し、水分を拭き取って、乾かせる事に。どうか無事復活します様に🙏スペアキーに付け替えたキーホルダー私のキーホルダーは、あの西遊記で知られている、三蔵玄奘(げんじょう)法師が、実際に天竺から持ち帰った法典、仏像が納めてある、中国西安市の東南郊外に
今日は2021年2月1日(日)です。2007年12月から現在まではブログ記事が有ります。2007年以前はブログが有りません。2019年6月にヤフーブログからアメバブログに引越しをしました。引越を機会にブログが無い時代の旅行記事をアメバに掲載してきました。国内旅行記事は記載が終わりました。引き続いて・・・・外国旅行記事の記載を続けています。長くなりますがお付き合いください。今回は中国旅行記事です。北京西安上海を旅しました。職場の
こんばんわ、BRIDGEです。今日は私が好きな中国の場所を勝手にお伝えしようと思いますご覧いただいて気になった方は是非インターネットなどで見てみてくださいね。①大雁塔画像は下記より拝借しました。大雁塔|唐代仏教建築の傑作-AraChina中国旅行大雁塔は古都西安のシンボルで、玄奘法師が経典を保存するため建てられて、大慈恩寺にあります。塔は7階建て、高さが64.5mです。www.arachina.comライトアップや噴水がとてもキレイで留学中に何度も見に行って癒された記憶があ
ニイハオ西安(西安空港)(こんにちは西安)★西安(せいあん)四方を天然の要塞で囲まれているため、紀元前11世紀頃から約2000年の間、11の王朝が都を置いた中国一の古都。唐代には長安と呼ばれ、遠くローマまで続くシルクロードの東の起点で、紅毛碧眼の人々が行き交う国際都市であった。また西安は、周囲12mの壁で囲まれた城塞都市でもある。●西安駅西安観光はここから始めよう…
色々とググってみると、“中華料理”は、「日本人向けにアレンジされた中国料理のこと。ラーメンやチャーハン、焼き餃子等」、一方、“中国料理”は「中国で食べられている本格的な料理を指します」とありました。先週、飯田橋の『西安』で「麻辣麺」を食べたのですが、https://ameblo.jp/hossiee8/entry-12625862590.html『飯田橋『西安』で刀削麺・麻辣麺@800円を食べる』相変わらず、会議を設定しようとして、みんなの都合を聞くまでもなく、で空いているSlo
玄奘は仏典を研究しようと、長安でサンスクリット語を学びました。準備が整った629年、「インドに出国したい」と、唐の初代皇帝・高祖に申し出ましたが、当時は国内の情勢が不安定で、出国の許可が下りませんでした。諦めきれなかった玄奘は、密かに出国し、現在の新疆ウイグル自治区を経て、インドにたどり着きました。それから16年が経った645年、長安に657部もの経典を持ち帰りました。西域に関心があった太宗は、「玄奘に会って、話を聞きたい」と思い、高句麗遠征の真っ最中でしたが、長
大徳寺絶妙の空間構成=島谷弘幸毎日新聞2曲の屏風(びょうぶ)に、墨の濃淡を巧みに駆使して端座する後ろ姿の舞妓(まいこ)を描く。振り袖を粋な抜き襟にして着こなし、嫋(たお)や...関東大震災「虐殺」否定論が横行朝鮮人17人犠牲「藤岡事件」慰霊祭史実を伝え「戒め」に...毎日新聞当時の各種の公的文書、寺の過去帳などに記録が残されており、虐殺があったことは否定のしようがない」と、主催団体の一つ「日朝友好連帯群馬...【京都青もみじ】青もみじと水琴窟に癒される『圓光寺』
小生は今日も「STAYHOME」、これで11日目。早いもので、東京都の「STAYHOME週間」は明日で終わり。明後日からは、在宅勤務を中心にお仕事に復帰します。いつもと違うのは全然、「連休を楽しんだ感じがしない」ことですね。今回は14年前の5月、中国のほぼ中央部にある西安(せいあん)を訪問した時の「アーカイブ記事」をお届けします。古くは「長安(ちょうあん)」とも言われていたこの都は、古代より政治の中心地として二千数百年の歴史を有す古都です。因みに「西安」の「西」は、「洛陽」とい
写真は連れ合いが撮った写真ですべてオリジナルですが、順番やどこで撮ったか記録がないので適当に掲載しています。違ったものだったらごめんなさい。イメージとして見てくださいね。1985年10月25日(金)西安今朝はゆっくり寝ていたかったが、8時半ごろから従業員が部屋の水を取りに来て起こされた。ほっといたらカビも生えるだろう。やっぱり昨日行った鐘楼飯店に部屋を変えることにして引き上げた。ところが昨夜少し日本語が話せる楊柳さんが自転車で追いかけてきて、バス停まで送るという。今日一日観
九成宮醴泉銘欧陽詢書に真摯に向き合う私(撮影紫瑛先生)難しかったーさてさて自宅に帰ってから欧陽詢を調べたり褚遂良を調べたりすると褚遂良の「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)がありました三蔵法師が帰朝してインドから持ち帰った仏教の翻訳にも取り組んでいた時代…聖教序の文を作り(太宗)述聖記の文を作り(高宗)碑文はこの序と記の2碑に分かれていて両碑合わせて「雁塔聖教序」と呼ばれているとの事「雁塔ねー雁塔」!?!?「大雁塔」この碑文は大慈恩寺内の「大雁塔」
一九成宮醴泉銘-in横浜ワールドポーターズ!YOKOHAMAヨコハマ始発八王子終点桜木町54分のことリップなんか横浜って世界観が違うのはなぜ?欧陽詢(おうようじゅん)九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)今から約1400年ほど前の632年唐の時代に作られた石碑は現在でも残っているそうです多くの方が拓本されたことでしょう(数年前に山梨で実際に拓本をしたことがあるけど結構たたく事に力が入りました)皇帝の避暑地にいた時に(九成宮)水が出る場所がないか杖
中国に行くなら絶対行くべき!それは陝西省西安市にある兵馬俑博物館🏺まずは西安市。今回は西安市にあるWESTINホテルに宿泊🏨質素だけどさすがWESTIN。さぁ街に出よう!ここは三蔵法師ゆかりの寺、大慈恩寺(だいじおんじ)そして、この搭は大雁塔(だいがんとう)。この搭は上ることが出来る。階段は結構しんどいけど、頂きから眺める西安の街は素晴らしい👏京都を思わせる区画整理!さぁ、秦始皇帝兵馬俑博物館に行きましょう!兵馬俑博物館は世界遺産に登録されている。簡単に言うと秦始皇帝の死後、始
さて、ついに最後の観光です壮絶な空腹の後の至福のランチを終え目の前にあったのが大雁塔唐の時代の皇帝が母の供養のために建てたお寺の境内にあります西遊記で有名な三蔵法師が持ち帰った仏典のために建てられたそうです中国では西遊記がリアル・・・!近づくにつれ、嫌な予感・・・・「ほんとに上るの?」と言ってはみてもムーミンの心に届かず中は階段オンリーしかも、狭いので上る人と下りる人と譲り合いながら・・・です西安市内が一望~っ