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4月6日(土)大覚寺大沢池訪問記の続きです。天神島から見た景色。ちょうど大沢池を半周した所でしょうか。対岸に「望雲亭ぼううんてい」という茶室が見えます。ここの桜、水辺から遠いのが残念。まだ蕾が目立ちます。天神社の祭神は菅原道真(845~903)。道真公は、大覚寺創建にあたり清和天皇の上奏文を起草し、仏法の興隆と衆生済度のため僧俗二人の別当べっとうを置くように進言。自身も大覚寺の俗別当(俗人の身分のまま寺院を統括する責任者)を務めました。天神
4月6日(土)2件目は大覚寺。午後3時に到着したので、大沢池おおさわのいけエリアに絞りました。ピンクに染まる遊歩道。桜の木の下は人盛りです。私も皆と同じように立ち止まり、満開の桜を撮りました。大沢池は嵯峨天皇が弘仁こうにん年間(810~824)に造営した離宮「嵯峨院」の苑池えんちの一部で、現在も大覚寺境内に属しています。中国の洞庭湖どうていこになぞらえて「庭湖ていこ」ともいい、作庭当時は泉・滝・名石等の美を極めた池泉舟遊式庭園でした。ここは津崎つ
2024年4月10日11時京都市右京区北嵯峨京都の桜2日目-2大覚寺大沢池あまり観光客はいなかった。外国人ではドイツ語を話す5名位の若者がいたくらい。金閣寺みたいな光る寺があれば賑わうかもしれないがここは嵯峨天皇が離宮を設け唐の洞庭湖を模し人口の庭池を造った華道発祥の風流な地でもある。今は「観月の夕べ」で一般人が舟に乗り観月を楽しむことができる。舟つき場遊歩道を一周するあまり一か所に長居せず次の目的地の仁和寺の遅咲きの御室桜を見に行く。
2024春の京都桜巡り。3月末ごろから4月あたまにかけて。桜巡りのつもりで行ったのだけど…今年は少し開花がゆっくりだったみたいで(笑)もう一週間あとだったら、ちょうどよかった感じですね~昨年ほどの満開ではないけれど、咲き始めの桜を楽しんできました。大覚寺へ。嵯峨野の桜名所のひとつ。木によってですが、咲き始め~三分咲きといったところでしょうか。嵯峨天皇の離宮としてはじまり、空海との交流の舞台となった嵯峨御所。お堂エリアと池エリアと
京都駅の改札口で福岡からの友達と無事に会えた時いつもすご〜く嬉しくなる京都駅は外国人観光客で溢れてます。私たちはイノダコーヒーで朝食セットを食べながら3日間どうするどうする?京都は何回も来ているので思いつきで動く感じとりあえず泉涌寺に行こう。東福寺駅から歩いて20分くらい。緑が多く人は少なくホント気持ちよかったです嵯峨嵐山駅から歩いて大覚寺へ。途中迷い、道歩く人に尋ねる事2回、やっと着いた〜ここも人が少なくゆっくりのんびりできました大沢池。
たぶんこちらの猫は梅宮大社で撮ったものだと思います。次は大覚寺の大沢池の周りで撮っています。丁度、水戸黄門の撮影が行われていました。由美かおるさんや照英さんも間近に見る事が出来ました。だいぶ昔ですけど・・。
今日、まいまい京都のツァーに参加しました。ガイドは、「京都検定1級」に7年連続最高点で合格した吉村氏。🟢山越のバス停に集合🟢一条通りを西へ。桜守で有名な、佐野藤右衛門さんの造園の前を通ります。😃桜が咲く頃、一人で訪ねたことがあります。様々な種類の桜が植ってます。珍しい八重桜もあるというので、来年また、訪ねてみようと思います。🟢広沢池です。池のそばに、平安中期、宇多天皇の孫、寛朝僧正が遍照寺を建立、壮大な伽藍を有していました。僧正は、成田山新勝寺の開祖でもあります。僧正死後、平安末期荒れ
初日の金曜日、平日だとおもってのんびりしてたら、JR嵯峨嵐山駅まで、観光客でラッシュなみのギューギュー電車。まずお茶席:本席を目指します。普段は入れない「望雲亭の茶席」お座敷から一望できる大沢池は絶景といっても言い過ぎじゃない。金曜日だからか、お茶席もゆったりした空気がながれて、席主の先生とお正客との丁々発止のやり取りが、これまた素敵すぎていろいろなお茶席を経験してきましたが、心の底から楽しくて、よかったなと思ったお席でした。お茶のお稽
北嵯峨にある大覚寺と大沢池の桜です。青空と桜が綺麗です。2024.4.9こちらの写真はコミュニティメンバーの投稿写真をもとに作成しています。
後になればなるほど旅行の思い出が薄れ記録できなくなる…んで、走り書き的な独り言で記録することにしました。写真は厳選できてません。動画はここに落としてスマホに入っている動画は削除。写真整理できたら正式な?旅行記を記録したいが、さて。でも今日投稿の4/1の写真はかなり整理できてます😉4/1一人旅の始まり時間がなくなって駅弁を選ぶ暇がなく、またお気にのシウマイ弁当シウマイ弁当って木の弁当箱で駅弁気分が高まる😍唐揚げが小さくなった?京都に着いたらコインロッカーにスーツケー
魚を収穫する冬の風物詩を何と云うか?広沢池は毎年12月初旬から2月初旬まで、冬の約2ヵ月間は水が抜かれるのが古くからの習わしとなっている。12月初め池の水が抜かれると大きく育った鯉や鮒が跳ね、それらの魚を引き揚げる行事は「鯉揚げ」と呼ばれて、冬の風物詩である。水のない間は池上にいけすを並べて、揚がった鯉・鮒・モロコ・川エビが販売されるのも恒例となっている。
名古曽の滝跡名古曽の滝は、大覚寺の日本最古の人工の庭池・大沢池にあった滝。藤原公任は、枯れてしまった滝を見て「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(滝が枯れて、音が聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったが、その名声は流れ伝えられて、今も人々に知れ渡っている)と詠んでいます。そして、赤染衛門は、「あせにけるいまだにかかり滝つ瀬のはやく来てこそ見るべかりけれ」(勢いが衰えてきた今でも、岩にかかる滝の流れを人は早く見ておいた方がいいと思います
であった嵯峨院を寺に改めた事に始まる。境内には中国の洞庭湖を模して造られた【50】池があり、月の名所として有名である。当地には昔、嵯峨天皇の離宮の嵯峨院があった。後に皇女・正子(セイシ)内親王(=淳和天皇皇后)が寺に改め、大覚寺とした。鎌倉期に後嵯峨上皇・亀山上皇・後宇多上皇の入寺が続いた事で、いわゆる大覚寺統(南朝)が生まれ、持明院統(北朝)との間で皇位と所領の争奪戦が繰り広げられる。応仁・文明の乱で荒廃したが、家康が慶長16年に門跡寺院の寺格とし、
…藤原公任の和歌「…名こそ流れて…」にも残る滝は何と云うか?平安初期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の庭園の苑池が今の大沢池であり、そこに在った滝は「名古曽滝(ナコソノタキ)」と云う。嵯峨院は貞観18年に嵯峨天皇の皇女・正子(マサコorセイシ)内親王により大覚寺となった。北方の上嵯峨山中より流れ出る谷川から水を引き込んで造られたのが大沢池で、池北部には、西に天神島・東に菊ケ島を配する。そして、池の北方約100mに「名古曽滝(ナコソ
大覚寺大沢池京都次右京区大沢池は日本最古の庭池で、嵯峨天皇が810年に造営された離宮「嵯峨院」の苑池の一部です。中国の洞庭湖になぞられて造られたことから「庭湖」とも呼ばれています。また、藤原公任「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んだ名古曽の滝跡がある名勝です。春は桜、秋は紅葉の他に月の名所としても名高く多くの人々が訪れます。(京都designより)大沢池参拝口から池のみのチケットを買い日没直後の大沢池を散策することにしました。通常開門時
京都で私の大好きなスポット大覚寺の大沢池池のはしご京都に住んでいるお友達もかなり喜んでくれましたみんないがいと近そうで遠いと行かなかったり地元のあるあるですよね~。お天気も最高でなんて良い日なんでしょう!間違いなく私のパワースポットです池の周りをぐるーっとお散歩しました♪新しい橋も作られていました♪この橋は絶対便利だわ~ピクニックしたりした思い出の場所我が家の子供達が小さい頃自転車でよくでかけました。懐かしい思い出のある場所です。ここは桜の時期も最高です
刀剣乱舞膝丸大沢池五大堂でも膝丸等の御朱印を授与されてました。五大明王の切絵御朱印をいただきました。鳥居の奥は松尾大明神社正一位稲荷大神社五社明神気比大明神社・多賀大明神社閼伽堂聖天堂大日堂心経宝塔五蘊頌徳松下幸之助筆石仏群護摩堂蓮華殿と心経宝塔大沢池を一周します。嵯峨碑御神木鳥居天神社梅林もみじロード臼井喜之介詠碑五大堂平田春一・島田保子等詠碑大沢門この日のお参りは以上です。京都バスに乗って嵐電嵐山駅に行き夕飯を食べて大阪に帰りま
…(コセノカナオカ)が立てたと伝えられる二島一石の石は何か?大沢池は、平安初期に嵯峨天皇が造営したとされる嵯峨院の苑池。中国・洞庭湖を模して造られたとされ、広大な苑池の北部には西に天神島、東に菊ケ島を配し、その2島を繋ぐ様な形で「庭湖石(テイコセキ)」と呼ばれる立石を池中に据えている。又、大沢池には嵯峨院庭園の遺構である「名古曽滝(ナコソノタキ)」の滝石組が残り、「大沢池附名古曽滝跡」として国・名勝に指定されている。
大覚寺で11月の一か月間、嵯峨菊展が開催されていましたが最終日の11月30日に行ったので見られました~。嵯峨菊展です。嵯峨菊は境内にある大沢池の菊が島に咲いていた菊がルーツとされているそうです。いけばな嵯峨御流とも密接な関係がありその育て方は実に様々な流儀があるそうです。
紅葉も良い感じになって来た🍁今回の京都徘徊先は日本最古の庭池『大沢池』がある旧嵯峨御所大本山『大覚寺』でございます宸殿。正面には御所の名残りとして右近の橘、左近の梅があり、この日は橘がたわわに🍊蝉の飾りが見事...ちょうど嵯峨菊展をされていてここでしか見られない『嵯峨菊』も鑑賞村雨の廊下。勅封心経殿。霊宝殿も見学。2組の五大明王像を拝んだそして全く無知だが、凄い物らしい刀⚔️色んな呼び名があり『膝丸=蜘蛛斬=吠丸=薄緑』大沢池の庭園を散策🚶心経宝塔。い
みにゃさま・こんにゃちわ小四角兄・妹ニャンズですニャ平安時代前期の名残りをとどめる日本最古・最初の庭池・大沢池・嵯峨天皇が造られたといわれてますのにゃ池の周りの山々・・色づきはじめ・・・船着き場中秋の名月の頃には「観月の夕べ」が行われるのにゃ・・舟を浮かべて・・にゃ周りは・・散策路が整備されていますにゃ経宝塔桜の季節も美しいそうにゃ蓮の季節も・・にゃ赤い藻・・?どこを切り取っても‥美しいニャ2007年otori♡(オトリ
11月は仕事も忙しく週末はお仕事です。今日夫はお休み(また~)お出かけの予定をたてていたようですが残念、私はお仕事です。一人で岐阜まで行きました。いや~タフ組紐、仕事、お出かけ車の助手席に座っているだけですが、今月は無理です。ご機嫌さんで出かけたので👌大覚寺の写真をUPしましょう。雲一つないとても良いお天気でした。真言宗大覚寺派の大本山の寺院です。本尊は不動明王を中心とする五大明王嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。
秋の遠足1日目の開催日でした😊大沢池に行ってみんなでのんびりお散歩やランチタイムを楽しみましたよ🎶🍁今日も2日目開催の予定だったのですが、雨天でやむなく中止🥲楽しみにしていただいていた皆様、申し訳ございません💦今日はその分事務仕事をしっかり進めていこうかなと!昨日参加の皆様のアルバムも頑張って作りますよ💪アルバムがお手元に届くまで楽しみにお待ちくださいね💖
名古曽の滝跡大覚寺の日本最古の人工の庭池・大沢池には、名古曽の滝がありました。藤原道長に仕え、一条朝の四納言の一人に数えられた藤原公任は、枯れてしまった滝を見て「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んでいます。源倫子や藤原彰子に仕えた女流歌人の赤染衛門は、「あせにけるいまだにかかり滝つ瀬のはやく来てこそ見るべかりけれ」と詠みました。大沢池
燃えるような紅葉には美女がまた映える😍S姉と。京都東福寺通天橋にて。同日、C姉を抱き寄せようとしたら恥ずかしがられた。今ならセクハラだ❣️黄葉と書いて「いろは」「きは」と読ませるのが井沢元彦のデビュー作にして乱歩賞受賞作の「猿丸幻視行」のトリックでした。Tさんと。「東山の金さん」のロケにぶつかったこともあった。京都、大覚寺大沢の池にて。インソールの同僚ドSのSさん。青森市善知鳥(うとう)神社にて。
2023/09/29京都市右京区嵯峨大沢町大覚寺・大沢池松尾大明神愛宕大権現社青龍大権現社五社明神稲荷大明神睡蓮が咲いてる護摩堂石仏群閼伽堂(弘法大師が掘ったと言われる)大日堂聖天堂心経宝塔橋を渡り天神島天神社御神木池面を覆い尽くす水草でした本来ならばこんな感じ↓ちょっと残念でした〜今年暑かったからかなそれとも毎年夏は、こうなのかなホームページよりここから、嵐山の方面へ歩こうか…?バスで行こうかも迷ったけどもう足が痛くて痛くて疲れたので
嵯峨山大覚寺(旧嵯峨御所大覚寺門跡)56真言宗大覚寺派大本山令和4年11月1日参拝御朱印『菊ヶ島】』(令和4年大沢池ライトアップ~切り絵御朱印)大沢池ライトアップ御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
…三十六歌仙を選んだとされる人物は誰か?平安初期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の庭園の園池が現在の大沢池であり、名古曽滝はそこにあった。嵯峨院は貞観18年に嵯峨天皇の皇女・正子内親王により大覚寺となった。北方の上嵯峨山中から流れ出る谷川を、堤を築いて堰き止めたのが大沢池で、池の北部には西に天神島、東に菊ケ島を配する。池の北方約100mには「名古曽滝(ナコソノタキ)跡」として残る滝石組がある。近年の発掘調査ではこの滝石組から大
日中はまだ汗ばむ事があるが、昨日は中秋の名月、神泉苑、大沢池、松尾大社、八坂神社等、各地で盛大なる観月祭なるものが催されていた。夜の天候も申し分なく晴れ渡る予報だったので、京都市で一番北になる上賀茂神社に伺ってきた。この日は日入が17:29、月の出が17:32だったので、着いたのがちょうど6時前だった。境内芝生内「馬場殿」では神賑行事のバイオリン合奏が始まっていた。椅子席はすでに満席でその他の人は芝生に座って観劇。神社には似つかわしくない大音量のバイオリン、クラシックの定
嵯峨天皇が大沢池で中秋の名月に舟を浮かべ、文化人や貴族たちと遊んだことから始まった行事夜空に輝く美しい月と、静かな水面に映る月の、2つの月を見ながら優雅な時間を過ごそう9月29日~10月1日昼夜入替制詳細はHPを