築城年代は、1177年から1183年間に源義家の孫で、塩谷(しおのや)氏の祖である堀江頼純によって築かれた説と、1315年に塩谷頼安により築かれたとする説があります。ただし、前者の説の場合、すでに塩谷頼純は没しているため、現時点では、頼安築城説が有力とされています。川崎城とともに塩谷氏の居城として機能していましたが、当時の状況は、平城の方形居館である以外あまり後世に伝わっていません。これは、御前原城を居館、川崎城を詰め城とし、同じ居城でも、戦の時の御前原城は、川崎城の支城として機能していた事も理