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お釈迦様といえば、「悟り」の代名詞でもありますが、悟りと同じくらい「慈悲」の方でもあります。そんな慈悲のお話をさせていただきます。
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瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。http://www.radiokishiwada.jp/simul/------------------宇宙との同期の続きです。先生:「宇宙と同期できないと、自分がこれからできることなのに自分が過去に安易にインストールした情報たちによって、目の前の可能性に一歩踏み出せない。一歩踏み出せないというご相談の時に、『情報を
数年前のこと、ちょうど今ぐらいの時期に足摺岬のあるお寺を訪ねたことがある。早朝から、てくてくと歩き、お天道様が西の空に傾きかけた頃に、やっと山門をくぐることができた。本堂と大師堂で読経をすませた後、誰かに声をかけられたように本堂の裏手へと向かった。たくさんの仏様方のお姿が目に映った。とりわけ、ある仏様の前で立ち止まった。菩薩とは、何だろうか。法を守り、求め生きるもの。生きとし生けるものすべて、みんなで彼岸にいたることを心から願っている。
はじめまして!いきなりブログ始めちゃいました~木村宗弘と申しますソウコウと読みますむねひろではありません花の先生に賜った、私の“花名”でございます私の花の先生はとても有名な先生で仏教にもとても詳しいです私は先生から花と一緒に仏教も学んでいます私の名前、宗弘の“宗”は、♪好き好き好き好き好きっ好き♪でおなじみのお坊さんの一休宗純の、先々代言外宗忠の“宗”から宗弘の“弘”は、四弘誓願の“弘”から
一夜明け、中日を迎えた「五人展:山雲海月」を見に、宝林寺に行った。坐禅会の時と打って変わり、陶芸、彫刻、水墨画、の作品がずらりと展示してある。4人の作家に和尚の法話が加わって五人展である。陶芸家の岸野寛氏が受付をしていた。和尚は?ときくと、昨夜体調を崩されて病院に搬送されたという。今日の法話は大丈夫なのでしょうか?と問うと、―――いや。もう。。。。と言葉をつまらせた。ついに、その時が来てしまった。今、こうして五人展を続行しているのは和尚のご意思だった。自
仏の悟りを目指しているのが菩薩ですが、この菩薩の心をあらわした無住処涅槃という言葉があります。これは、涅槃を住みかとせずということです。菩薩は苦しみ迷っている人を救うため、苦しみの海原に自ら、飛び込んでいくのです。↓ブッダの心がいつもあなたのそばにある↓ブッダスタンドバイミープロジェクトhttps://www.hotokesama.net/support140日彼岸特集此岸から彼岸へと至る道https://www.dropbox.com/s/gqfn157
四弘誓願は菩薩が目指すべき誓願、つまり誓いのことを指している。菩薩だから大乗仏教の誓願であって、自分だけではなく、衆生も救われないと涅槃には至らないという誓いのことだ。それは以下の四文である。衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんどう)煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)を指している。どこかの宗派に属しているとか、信者でもない勝手大乗なので、勝手に解釈しているん
[写真お借りしました]赤根祥道著:法華経に学ぶ観世音菩薩普門品第二十五大いなる誓願は海のように深い[汝観音の行を聴け善く諸(もろもろ)の方所に応ずる弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如し劫を歴(ふ)とも思議せじ]感激した無尽意菩薩は、宝珠の瓔珞(ようらく)をさしだすが、、観世音菩薩はそれを二つにわけて、釈迦牟尼仏と多宝如来に捧げる。自分の神力の根源は、この二仏であるというのだ。観世音菩薩の自在なる神力は、弘誓(おおいなるちかい)に支えられている。釈尊は偈をもって無尽意菩薩にいう。
お借りしました赤根祥道著:法華経に学ぶ従地湧出品第十五《要点》光明を放つ地湧の菩薩は何を意味するか多くの他の国土の釈尊の住むこの娑婆世界に来ていた菩薩たちは、釈尊と一緒になって「法華経」を広め、苦海にあえぐ衆生の救済にあたろうと申し出る。釈尊は、その申し出を即座に断った。そして、感謝の心をもって話す。『この娑婆世界にも多くの菩薩たちがおり、「法華経」を護持し、読誦し、書写し、供養してくれています。これからもいっそう志のある菩薩は多く出てくることでしょう』この言
地元神社に初詣いつもは神主さん不在の神社。正月三が日には、神さま意識が降りてくるといわれていたので元旦に詣でた。今までは、二日目三日目に参拝すると既に神さま意識はなかった。近くのお寺の方が多くの参拝者がいたが、お寺から仏さまの意識は感じられなかった。かつて、ここのマンションに神社があり数十年前移設した。子供の頃、自宅から神社を観るとうっすら光の柱が立ってた。ほとんどの神社は、光の柱が立っていたので神社はそんなところだと思ってた。神社と
〈御(ご)聖(せい)訓(くん)に学ぶ勝利の要(よう)諦(てい)〉テーマ「誓(せい)願(がん)の人生」2019年6月18日広布の大願に立てば勇気・智(ち)慧(え)・力(ちから)が湧(わ)く師弟の誓(せい)願(がん)に生きる人は晴れやかです。自身の小さな願いにとらわれていては、せっかく持っている生命の底力を発(はっ)揮(き)させないままで終わってしまいます。自分自身の可能性を開き、人生に意味を与(あた)えるカギこそ誓願です。池田先生はつづっています。「広宣流布こそ、御(ご)本(ほん
kitthy'saromaです。今やる仕事があって、直ぐに取りかからなきゃと思っているのに…心荒ぶる事があって頭の中がガチャガチャで落ち着かないそんな時に『四弘誓願』を教えてもらった。仏教の4つの誓い恥ずかしながら二日前に知ったばかりでしっかり書けるほど詳しくないけど…それでパートの暇な時ちょっと4つの誓願を調べてメモっててうーんなるほど…物忘れしやすい昨今、新しいこと覚えるのを諦め勝ちだけどコレはちゃんと心に留めておきたいと思って見ているとお坊さんが来たのよ!この
四弘誓願(しぐせいがん)とは。◎四人の菩薩たちこの大ぜいの菩薩が大地から出て、釈迦仏と多宝仏の所へ行った。この二人のお方は虚空(こくう)にある七宝(しつぽう)で飾られた塔の中におられた。そうして御足(みあし)に頭をつけて礼拝し、右に廻ること三たび、合掌礼拝し、仏を誉めたたえた。大地から涌出(ゆじゅつ)した菩薩が長いあいだ、仏を誉めたたえれば、釈迦仏は黙然としてこれを聞いていた。大衆もまた長いあいだ黙然としていた。このおびたたしい菩薩衆のなかに四人の導師がいた。そのすぐれた菩薩の名は
願いとは「発心」(ほっしん)することである。◎願いの実現阿難は自分が仏の教えを世に弘めようとする願いを持っていたことが、仏から授記を与えられて、今やそれがはっきりとわかった。もとからもっていた願いを自覚することができたのだ。仏教には四弘誓願(しぐせいがん)という教えがある。第一には...................一切の衆生を救おうと誓うこと。第二には...................煩悩を断ち切ろうと誓うこと。第三には...................
おはよう😃ございます。メッセンジャーの半ちゃんことセイガンゆかりです。雨から一転快晴の爽やかなお天気の朝です。今日は四弘誓願文を紹介します。ゆびほか編集長の西田さんが紹介していました。一瞬で邪気を払う奇跡の言葉この記事は、夫のいた奥会津の只見での記事で、久しぶりのこの言葉を思い出して、まさにシンクロなんです。四弘誓願衆生無辺誓願度しゅじょうむへんせいがんど煩悩無尽誓願断ぼんのうむじんせいがんだん法門無量誓願学ほうもんむりょうせいがんがく仏道無上誓願成ぶ
四弘誓願、私も毎朝とまではいかないですが、唱えています。
護国寺公式HPの問答Q&Aコーナーで連載している、お経にはどんな意味がありますか?半年ぶりの更新です今回は最後の四弘誓願四弘誓願は、お経も終わり、お題目を唱えて回向した後、最後にお唱えします(。-人-。)原文は…衆生無辺誓願度煩悩無数誓願断法門無尽誓願知仏道無上誓願成・・・・・・さて四弘誓願の意味は、四弘誓願の意味よりご覧下さい(。-人-。)日蓮宗了光山護国寺~山科檀林旧跡~
今日は、ゆほびかGOLD6月発売号の企画会議でした。めちゃ笑ったぁ~!!!ここ最近ないくらい、爆笑、爆笑、また爆笑の会議でした。あ~書きたいけど書けない、、、すんごく楽しい内容の1冊になると思います(^^)~~~夜は、佐藤松義先生のヨガのレッスン。こちらも笑ったなあー!楽しい。ヨガが自分にはとても合っているようです。「四弘誓願文」(しぐせいがんもん)についてのお話でした。「ヨガの世界に入る時に必要な四つの知恵
仏の慈悲をただこの世の一生だけのことと思ってはならない。過去・現在・未来、人びとが生まれ変わり、死に変わりして迷いを重ねてきたその初めから今日までずっと続いている。仏は常に人びとの前に現われる。それは、もっとも親しみのある姿として・・・釈迦族の太子として生まれ、出家し、苦行をし、道をさとり、教えを説き、死を示した。人びとの迷いには限りがない。だから、仏のはたらきにも限りがない。人びとの罪の深さに底がない、だから、仏の慈悲にも底がない。仏は修行の初