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豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではないカール・マルクス(1818年-1883年)カール・マルクス(ドイツ語:KarlMarx、英語:KarlMarxFRSA[注釈2]、1818年5月5日-1883年3月14日)は、プロイセン王国時代のドイツの哲学者、経済学者、革命家。社会主義および労働運動に強い影響を与えた。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイ
私は今でも白黒で描く鉛筆デッサンは好きである。最も、私は抽象表現が多いので具象画のデッサンは時折する艇でである。抽象表現においてもデッサンの緻密さは重要である。歴史上でも優れたデッサンはそう多くはない。優れたというのはデッサンに精神性が描かれているか、である。今日、細密画、写真のような描写が多くなっている。精神性に欠けた肉眼でのみ見た表現である。これは今日の唯物論的世界観より生じる表現であろう。おのれを消し去り、対象を瞑想状態で描く事の欠如でもある。これまた是非
新派刑法学の犯罪者の特徴は隔世遺伝により受け継がれるという生来的犯罪者説と優生思想の考え方何が違うんだ?自然選択を人為的に行い人類の進歩を促そうという発想から、19世紀の終わりに優生思想は生まれた。そして、「偶然と必然」は、今でも生命科学を専攻する学生によく読まれている本である。著者のジャック・モノーは、ノーベル賞受賞分子生物学者であり、パスツール研究所長も務めている。科学者の立場から、生気説や物活説を退け、理性中心主義や科学万能主義ともいうべき立場を明確に示
浄土仏教は自分が救われても周りに苦悩の人たちがいたらその人たちを放っていられない教えです。だから死後衆生済度に戻ってくる還相回向を説きます。菩薩道の報謝の大慈悲の営みは一人も苦しむ人がいなくなるまで続きます。宗教を否定する社会主義、唯物論は到底受け入れられません。死後がなかったら、いまだけ、金だけ、自分だけのやったもの勝ちになります。政府の誤魔化し、拝金主義、弱者切り捨てをよしとする利己主義が現在の日本の悲しい状況です。
還元論は百パーセント正しいという意味では成立しない。どこかで掬いきれない要素が残る。ここで言いたいのは、ものすごく当たり前の、これだけのことだ。H₂Oは水のことだがこれで全部の性質は賄いきれない。流れに手を入れて救い上げたときの滑らかな感じ、光を反射してきらきらするところ、鏡面のように景色を映すさま、飲み込んだ爽快感、これらを水分子と他の分子との関係で語れるだろうか。例えば緑色を見た体験と、脳の一部が活性化するという事実を取り上げて、脳内過程と緑色の同一性を言うとする。一対一対応がある
唯物論科学の限界を超える道が、宗教的真理のなかにある。
ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる!("筋肉ドクター"が教える特効筋トレ)Amazon(アマゾン)ざんねんな筋トレ図鑑(いくらやっても意味がない)Amazon(アマゾン)どうも研究者、科学者っていうのは唯物論的で良くないと思う。例えば、筋トレをするとこういう筋肉増強剤的ホルモンが出て筋肉が発達するって分かったからって、その筋肉増強剤を投与したマウスがこうだったから人間が筋トレするとこうなるみたいな。そもそも動物実験は種の異なる人間に参考にならな
科学とスピリチュアル、物質と精神。相反する二つの世界の間で、あなたはどちらを選ぶべきか?現代社会は、唯物論的な価値観に支配されています。科学技術の発展は目覚ましく、物質的な豊かさを追求することが当たり前になっています。しかし、その一方で、心の豊かさや生きがいを求める人々も増えています。唯物論と唯心論は、世界の本質についての異なる見解を持つ哲学思想です。唯物論は、世界は物質から成り立っており、心は物質の産物であると考えます。一方、唯心論は、世界は心によって作り出されていると考えます。どち
「これは何かしらの良いメッセージだ!」というような、ハタから見ると、ただのこじつけ、思い込みのような解釈をしては、1人で喜んでいるようなことが多々あります。例えば、ゾロ目を見たら、その意味は全くわからないけど、「今、いい流れの中にいるってことだ!」と解釈して、嬉しがって写真をとってはコレクションしたり、パソコンを立ち上げたら11:11だったとき。子供の頃は、茶柱が立つと「やったー!なんか良いことがあるかも」
疑いがあるぐらいでイスラエルが神経質になる問題なんですね。終末思想というとカルトはじめ種々のサブカルチャーに出てるけど。具体的に日本で終末思想というと(ry紙媒体を読むことは出来ても、知識を習得できない人々というと。。。具体的に記憶力というのは人間にとって汎用的な能力だったので、知能の高低を問わず丸暗記が得意な人々というのは居るんだけど。唯物論唯心論の見極めが恐ろしく怪しい宗教というと。。。言ってることとやってることが違うというと。。。唯心論を語りつつ、経典に
自律神経と言う仮説は人間が生きているのは魂が宿っているからだとか精神の不調を物理的に表現できない人間の心の観点から説明するみたいなレベルの話が自律神経の存在を証明する話ですから人知が及ばないとしか言いようがないですねもし精神の病精神の不調を自律神経の面から説明しようとすればそれこそ赤ちゃんがいつ生命の灯魂を宿すのかとかなぜ人間が生きているときに魂的なものが意識されるのかとか人間が意識を持つとはどういうことかとか人知の及ばない面で説明をしないといけないことになるので
問40死死ぬこと以上に恐れているものはありますか?また、観念的な死に囚われたりしますか?答えいや、それ以前に、生きてることが、すでに十分怖いんだが…?それはさておき「死が怖い」を因数分解すると「死は全ての終わりだから怖いはずだ」という考えのもとにある「唯物論」が怖いってことだよね?ならそっちの方の恐怖は、少なくとも私の敵ではないよ。存在の本質は、物質のみではないことを、ちゃんと毎秒知覚してるもん。なんでみんな、夜寝たら朝起きるって知ってるのに、死んだら最後っ
【死後の世界の存在】死後の世界がどんなものかという論議はさておき、「死後の世界がある」ということだけはどんな宗教、どんな宗派でも共通して認めていることです。大乗仏教も上座部仏教も神道もキリスト教もイスラム教ヒンドゥー教も含めて、あらゆる宗教が共通に「死後の世界はある」と伝えています。「死後の世界など存在しない」と考えている人たちを「唯物論者」と言います。唯物論では、「何も無いところから突然私がポンと現れ、しばらく生きたあとに私はポンと無くなってその後私は永遠に無である」という考え方です。死
人類の文明、数千年の歴史の中で、近代科学の歴史は、わずか数百年にすぎず、現在、我々が「科学」と呼んでいるものは、たしかに素晴らしい成果や業績を挙げてきたが、それでも、まだ、様々な「限界」を持っている。その一つの大きな限界は、現代の科学は、「意識」というものの本質を、まだ、明確に説明できないことである。そして、その理由は、現代の科学が「唯物論的科学」だからである。すなわち、現代の科学は、この世界の本質は「物質」であり、「生命」や「生物」も「意識」や「心」や「精神」も、すべて、「物
皆さまそろそろ頃合いだと判断したので、以前から準備していた記事を投稿します。当ブログでは、<意識>を起点にした世界観を提案しています。私たちの考える世界観についてはすでに何度も触れてきていますが、ご存じない方はブログを始めて間もない頃に投稿した記事をご覧下さい。『魂の心理学』秦霊性心理研究所所長はたのびゃっこ私は、従来型の心理学に、超心理学、トランスパーソナル心理学を含めた新しい心理学の枠組を考えている。これを魂の心理学…ameblo.jp当ブログの基本
「Copilot」様よりシェアさせていただきます。ありがとうございます。感謝です。Copilotこんにちは、私はCopilotです。あなたと会話することができます。😊あなたのメッセージは、讃美歌312番と任侠についての内容ですね。それぞれについて、私の知識を共有します。讃美歌312番は、いつくしみ深きというタイトルのキリスト教の賛美歌です。この歌は、イエス・キリストが私たちの友であり、罪や悩みを取り除き、祈りに答えて慰めてくれるという信仰を表現しています。
おはようございます^^東京は風が強い快晴。BGMは・・KINGRECORDS古澤剛「傷だらけの翼~男たちの歌~果てなき旅を走り続けた凍てついた足跡に命を灯して幼子の瞳に滲む未来をその胸に抱いて生きる男たちの歌(歌詞)以前も選曲しましたが「日本統一(北海道編)の主題歌!このブログは報道とは違う視点で考察してみるブログですが、コロナの緊急事態措置が解除され、街に出る事が多くなるにつれて、感じる事があります。それについて今日は書きま
月が石と神を兼ねることを妨げるものは何もない。ソクラテスは、月は「一個の石ころ」であるという「邪説」を唱えて断言したばっかりに敵に糾弾された。彼はその糾弾を否定した。すべて人は月が神であることを知っている。そして私もすべての人と考えは同じである。と彼は言った。ソクラテスの応酬は実に賢い。「唯物論」と「唯心論」「以外のなにものでない」の哲学は愚鈍で卑しく、ケチである。「以外のなにものではない」という考え方を避けねばならない。月は物質的に
※DeepL翻訳によりサマエル・アウン・ウェオルの「スピリチュアリズム、唯物論、そして概念の統合」を転載します。サマエル・アウン・ウェオル氏は、「精神主義」「物質主義」を超え、「統合」に向かう必要があると言います。明らかに、真理は精神主義にも唯物論にもない。真理はどこにあるのだろうか?両極のどちらかにあるのだろうか?違う!私たちは統合に向かい、今ここで自分自身の中にある真実を探し求めなければならない。また、ウェオル氏は、以下のように言っています。確かに原子の中には「アシム」が存在する
今、コレを読んでます36年前の事パートタイマーでお菓子工場で働いたことがあります。ベルトコンベアーから流れて来るお菓子を箱に詰める作業で、初体験でした。1分間にどのくらいお菓子をとれるか挑戦したら、面白くて面白くて、毎日職場へいくのが楽しみ♪どんどんスピードアップしてすごい速さでとれるようになったのです。ある日工場長に呼ばれました。「機械の速度に合わせて、みんなと足並み揃えてとらないと、流れが乱れて、生産高が落ちますから、機会に使われている…ということを忘れないよ
地獄に堕ちないためには、神仏への正しい信仰が必要である。唯物論、無神論、無霊魂論、科学万能主義では、天上界には還れない。
岡さんのInDeepメルマガではオーストリアの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの言葉がよく引き合いに出されます。『病気と治療』という著作からの以下の引用が目に留まりました。『医学は霊的な認識から出発しました。そして、しだいに唯物論化していきました。医学ほど唯物論に浸透されてしまった学問はおそらくほかにありません。以前には人間を洞察するときには人間の本性を構成する四つの部分を認識することが必要であるという意識が存在していました。』1
唯物論から目覚める〜シュタイナーの予言偉大な哲学者で教育者のシュタイナーは「唯物論から脱しないと、人類の未来はない」と予言しました「心」より「物」に重きを置く唯物論によって、現代人は結果のみを重視して、科学を盲信し、虚無感で人はまるでロボットの様になり、比較と競争による欠乏の世界を作ってしまいました「唯物論から脱却できなければ、人類は大きな災害ののち、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならない」100年前にシュタイナーは、私たち現代人に
【石田ゆり子さん発言が炎上】日航機事故のペット論争「ペットは物」か問題が実は深かった仏教的解説https://youtu.be/Olq_xOUxZe0どうもこんにちは、筬島(おさじま・オサジー)です。1月2日日本航空516便衝突炎上事故がおき、379人全員が脱出に成功し「奇跡の脱出」と世界が賞賛しています。一方、手荷物として貨物室に預けられたペット2匹は救出できなかったことに関する発言が大きな話題となっています。当然ながら、これは乗務員の過失ではないということが
「動物たちは、われわれと共に、この地上に生きている。しかし動物が苦しむのは、われわれ人間のせいなのだ。われわれは苦悩を克服する可能性をもっている。動物は苦悩に耐えねばならない。われわれは動物に苦悩だけを残し、自分たちだけがそれを克服する手段を手に入れている。」このような宇宙感情を発達させるなら、動物に深い共感を寄せることができるようになるでしょう。暗い見霊意識の中で根元的な叡智を記憶に留めていた時代の人類は、動物に対する共感をまだ高度に保っていました。私たちは今、ふたたびこの霊的叡智を認識
☆五井先生からいただいた御言葉☆口には神仏をという言葉をつかわなくとも、人間に自然を慕う気持ちのある限り、その人々の心には神を求める気持ちが起こっていることは間違いないことである。唯物論といい唯神論といい、その表現の違いこそあれ、人間がなにかを求めて動いているその心の底には必ず、人間の本質のもつ自由自在性つまり神の心を自己のものにしたいという願望がかくされているのである。そしてその端的な心の現われが、自然への憧憬となってゆくのである。
●「唯物論」と「仏教の空」を比較すると凄かった【知識0から一気に分かる】https://youtu.be/Uugs3Gfs6sAどうもこんにちは、筬島(おさじま・オサジー)です。現代人の考え方に「唯物論」「物質主義」があります。人間は「物」である「心」は「物理法則」の副産物「心」は全て物理法則に換算できるなどという考え方で、「心」は実質存在しないかせいぜい「心」より「物」が大事という考えです。科学の進歩により、唯物論、物質主義が科学的だという思いから広まっている