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『講演会・講話会』➕各種『講座』お一人様からご依頼承ります1️⃣『講演会・講話会』宮中公家文化、大和和歌、礼儀/マナーなど日本の伝統文化を主としたテーマでご依頼を承ります*過去のテーマ:本ブログ下部《ACTIVITIES》要参照2️⃣各種『講座』貴婦人としての常識、礼儀作法/マナー、美しい日本語、日本の伝統文化、年中行事などご要望を承ります3️⃣『和歌の講座』実際に作歌する体験講座ですどうぞお気軽にお問い合わせくださいませEmail:miyatsuki.shu
神田書学院のペン師範コースの卒業制作で取り組む予定の粘葉本和漢朗詠集(伝・藤原行成)を手本にして練習をしました。当初、漢詩の部分は筆ペンで書こうと思ってましたが、私は毛筆をきちんと習ったことがなく、筆の扱い方が身についていないため、いまいち上手く書けないので、筆ペンではなくつけペンで書くことにしました。漢詩は和歌より線が太く書かれているので、それを再現するため、ペン先を変えて書きました。まだ練習を始めたばかり。本当に卒業制作に取り組むのは夏以降なので、それまでに上達できるよう、少しずつ練習
源明子と兄の源俊賢は、父・源高明が藤原氏に「安和の変」で失脚させられたにもかかわらず、のちに明子は藤原道長の妻となり、兄も道長に仕えている。源明子と俊賢の波乱万丈の生涯を詳しく見ていこう。969年安和2年、源満仲と藤原善時が、橘繁延と源連を謀反の疑いで密告すると言う事件が起きた。世にいう「安和の変」の始まりである。その結果、醍醐天皇の第10皇子である左大臣の源高明が、娘婿の為平親王を皇位につけようとしているとの疑いが発覚し、大宰権帥に左遷された。まだ11,2歳であった三男の俊賢は、父・
今日は、良いお天気でした。布団も傘も干しました。朝ご飯です。鶏のから揚げ、珍しいメニューです。おいしかった。主人はトランス脂肪酸を減らしているらしいので、揚げ物が最近はあまりないんです。ゼロではないのがありがたいところ。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。しっとりと五月雨の後さくら葉にきらりと見せるいくつかの露返し歌です。魂の通う人とのめぐり逢い生きる歓びこの世の奇跡いちごもぼちぼち成っているんですが、硬そうだなあ。
誓願374~376ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月2日「タンゴの皇帝・プグリエーセ」と「タンゴの王者・モーレス」の“夢の共演”に、青年平和文化祭は沸き返った。山本伸一は、一つ一つの演技に大きな感動を覚えながら、励ましと賞讃の拍手を送り続け、文化祭を記念して和歌を贈った。「天も地も喜び祝さむ文化祭アルゼンチンの諸天は舞いけり」翌十九日午後、第一回アルゼンチンSGI総会が、ブエノスアイレス市郊外の会場で開催された。これには全国からメ
(和歌)ウルスラ・シャルフリヒター大佐・お姉ちゃん「ウチと、夏さんが阪神ふぁんやから、ふぁんになってんろ。単純なやつめ、可愛いやつめ」・お姉ちゃん「じゃあ、ウチがアイツ刺してって言ったら刺す?」「はい、おそらく。。」・「いや、お前には、別の役割が、ある。まだ刺さなくても、よいよ(ニヤニヤ)」・ウルスラ・シャルフリヒター大佐「命令だ。今日から貴様は、女の子になれ」・じ、実はもうすでに女のk(ピーーー!詳しくは性同一性障害でぐぐってみて!)・「ウィッグも貸してやろう。貴様と同
明日ご紹介する→→次の記事→→の詞書に登場する歌を先に訳しておきます。大江嘉言(おほえのよしとき)は対馬守(つしまのかみ)として遠く長崎に船で旅立つ際、「また帰ってきますよ〜」とこの歌を詠みましたが任国で亡くなってしまいます。この歌と明日掲載する歌『新古今和歌集823番』をセットでご鑑賞ください。《後拾遺和和歌集・476》命あらばいま帰り来む津の国の難波堀江の蘆のうら葉に大江嘉言☆☆☆☆☆☆☆☆【直訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は、曇りのち雨でした。今朝の朝ご飯です。コロッケなのでした。今日から5月。カレンダーの花束は、マリー・ローランサンの絵でした。5月の始まり、娘のお婿さんは、今日、職場復帰しました。今までご苦労様と思います。先日会ったとき、やせていました。奮闘してくれたこと感謝です。学校でも(教師なんです)頑張ることでしょう。外国籍の児童が増えていて驚いたと言っています。埼玉なので、何かと大変ですね。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。高らかに5月朔日今朝もまた
5月1日扇の日京都扇子団扇商工協同組合が1990年に制定。『源氏物語』で女性が光源氏に扇を贈っていることから、「こ(5)い(1)」(恋)の語呂合せで5月1日を記念日とした。『#源氏物語』(げんじものがたり、英語:TheTaleofGenji)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。全54帖、文献初出は1008年(寛弘五年)、平安末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された。作者の#紫式部は平安中期における和歌の名手の1人で、娘の大弐三位とともに「百人一首」や「女房三十六歌仙
メインの連中を堕落・腐敗させ…立ち上がってくる批判勢力の中に「ならず者」たちを紛れ込ませる…これが「イルミ」の伝統的な手口…⇒「選挙妨害か?」「言論の自由か?」大音量のヤジで演説中止も「選挙妨害か?」「言論の自由か?」大音量のヤジで演説中止も東京15区補選「つばさの党」の行為に波紋「大人として恥ずかしくないのかよ」通りがかりの子供も…【news23】|TBSNEWSDIG先日の東京15区の選挙で一部の党が大音量で他の候補者の演説をさえぎるなどの行動が連日あり
さてさて………………この日は、すでに【龍安寺】にて5つの『天皇陵』に参拝して108陵目(124陵分の)となっていたが……………109陵目の『天皇陵』が見えてきたぞーーーっ到着したのは…………………【円融天皇後村上陵】京都府京都市右京区宇多野福王子町【円融天皇(えんゆうてんのう)】959年ー991年日本の第64代天皇。村上天皇の第5皇子で、母は右大臣藤原師輔の娘皇后(中宮)安子。冷泉天皇の同母弟。守平親王(円融天皇)の兄である冷泉天皇が即位すると、立太子をめぐり藤原氏と左大
◉ことばの根っこを「うたう」「うごく」ー呼吸と呼応のオイリュトミー、手遊び✴︎呼吸が、音声を得ると、「歌/うた」が生まれます。✴︎「言/ことば」を歌い合うと、呼応や「コミュニケーション」が生まれます。言語の源は「うた」に近いと、オイリュトミーを考案したシュタイナーは語っていますが、こうした言語活動の根っこにある、「うたの要素」を、私の手遊びやオイリュトミーでは、たくさん取り入れるようにしています。それは、生まれたての言語が、健やかに育つには、呼吸と呼応が大
ほかでは聞けない古事記講座inTOKYO講話:Ⅰ和歌に見る皇都講師:東京古事記研究会会長池本敬子講話:Ⅱ誰が読んでも邪馬壹国は阿波だった講師:阿波古事記研究会副会長三村隆範氏参加資料費2,000円日時:令和6(2024)年5月25日13:30~16:00会場:としま区民センター504会議室所在地:〒170-0013東京都豊島区東池袋1丁目20−10JR池袋駅東口(北)徒歩5分Googleマップhttps://maps.app.goo.gl/9efYfjqHV4
NTT労働組合退職者の会では、77歳になると「感謝をこめて『ありがと』」としてお祝いが送られてくる。頼りになる先輩に「ありがとう」の気持ちをこめて長きにわたるNTT労働運動への力強いご支援、これからも現・退の絆を大切に、私たちの力強い応援団として、NTT労働運動ならびに退職者の会の発展にお力添えを賜わります。77歳の節目を捉え、感謝の意をこめてお祝いを送ります。の言葉が添えられ、お祝いとして商品券が送られてきた。私が退職してからは10年近くになる、働く機会もあったが楽をする道を選んだ
ワカ姫さまとつらい別れをされたのち、イサナギさまとイサナミさまは、富士山のふもとのハラミ宮でアマテルカミさま、筑紫のツキスミ宮でツキヨミさまという、ふたりの男の子に恵まれました。あいつぐ皇子の誕生に、日本のお国がわきかえり、ふたかみさまの厄も祓われたと、国中が喜びにつつまれました。そして、これは、ふたかみさまがかたときも忘れることのなかったワカ姫さまに、朝廷にお戻りいただくときでもあったのです。「ヒルコさま、おめでとうございます。どんなにこのときを、待っていらしたことでしょう」
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》822返し源三位(げんさんみ)思へ君燃(も)えし煙にまがひなで立ちおくれたる春の霞(かすみ)を☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆返し源三位お思いください、君よ。帝のお燃えになった煙にまぎれて立ちのぼってしまうことなく、立ち遅れている春霞と同じように、おあとに残っているわたしのことを。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
家持が中堅役人の情事を諭した歌と云われています[1212]左刀妣等能見流目波豆可之左夫流兒尓佐度波須伎美我美夜泥之理夫利さとびとのみるめはづかしさぶるこにさどはすきみがみやでしりぶり~大伴家持・万葉集18-4108
さて、今回は新年度を迎えるにあたり、和歌のお話をしてみたいと思います!💁♂️昨年10月から、明治神宮の手水舎に掲げられている明治天皇御製と昭憲皇太后御歌の紹介を始めました。その目的は、神職である私自身がより古典や古語を学ぶと共に、このブログをご覧になっている皆さんにも、少しでも古典や古語といった美しい日本の文化を伝えられたらと思だだからです🥺ところが!!今まで、和歌の成り立ちなどのお話をしたことがありませんでした😱😱と、いうわけで、和歌の成り立ち、神道との関わりについて語らせてもらお
今日の横浜は、一日どんよりと曇っていました。昼頃出かけたんですが、午前中に雨が降ったようで、道路が濡れていました。マンションの整備をしているおじさんが「雨が上がってよかったね」と声をかけてくれました。ラッキーなことでした。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。散る花も絶え無かりせばみどり葉に譲り渡しの卯月のみそかみどり葉の彩柔らかく眼に優し吾がこころをも斯く在るべきに返し歌です。窓からの風心地よく頬
(1)鍬に尽くす赤人の描く和歌富士の下の耕人親孝行な息子達にとっては耕せ、耕せ白鷺は後から追いついてくる、この水路を通して時に陽も高くなり影も短くなり菜の花も黄色く野を染めぬ(2)士農工商田を打ち風先に堪える我々、江戸時代からの農民供よ徳川家康公に附いて、附いて参れ関八州へと参じた路彼の開拓民の如く生まれ変わる田んぼに映りゆく風雲(3)夏は来ぬ畑の土を起こすのはモッコを運ぶのは我らの春先のお仕事動くのは水色の空と我々の足初々しく植える乙女のお披露目
遅くなりました米原ー敦賀間は大雪の影響を受けることが多くて敦賀駅は今まで通過するだけでした日本一高い場所の駅舎明治期には欧亜国際連絡列車で東京から敦賀港そしてウラジオストク港へシベリア鉄道でウラジオストクからモスクワそしてベルリンやパリまで一枚の切符で行ける直通ルートがあったそうです与謝野晶子も乗車して夫鉄幹のいるパリへ向かいましたコンコースの柱の絵に金ヶ辻子山車を飾った水引幕に関連する中国の故事『二十四孝にじゅ
今回の旅の一番の目的は、このシンポジウムでした。『稀才・江藤新平の真に迫る』聴いてきました。終わったあと、すごく胸がいっぱいになってしまって…ホテルに帰り着いたあと、ボーっとしていました。彼の功績は調べればいろんなとこに載ってるので数え上げれば偉大さが語れるんですけどね、今回、佐賀藩とか江藤研究の第一人者の皆さまが語る、彼の人となりの部分が胸にズキュンときまして、すっかり心を持っていかれちゃったよ〜特に心に残ったのが、「江藤新平は急進的に過ぎて、生き急いで、死に急いだ」っていう言
ブログ更新5982回目①京都「城南宮」四季折々の花に彩られる方除の大社源氏物語花の庭所長散策ぶらり~お散歩旅です。794年の平安京遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と八千矛神(やちほこのかみ)と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀り、以来都の南方に鎮まり国を守護する城南宮と仰がれる。平安時代の末に白河上皇がこの地に壮大な離宮を造営して院政を開始されると、政治・文化の中心地となり、祭礼も大いに賑わった。『平家物語』の舞台でもあり、当時盛んに行われていた、熊野詣での際に
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》821後朱雀院かくれ給ひて、源三位(げんさんみ)がもとに遣はしける弁乳母(べんのめのと)あはれ君いかなる野べの煙(けぶり)にてむなしき空の雲となりけん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆後朱雀院が亡くなられて、源三位のもとに詠み贈った歌弁乳母ああ、帝は、どういう野辺の火葬の煙で、虚空の雲となられたのでしょうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
桜の後は、新緑やあやめなど、青みのあるものに、初夏の爽やかさと彩りを感じます。先日、能の杜若(カキツバタ)を観ました。伊勢物語を元に、有名な東くだりの「唐衣着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ。」の和歌も含まれ、カキツバタという言葉が出てきます。演じられる作品には、綺麗な紫色の装束が使われます。そして、その色を表す日本語でも、カキツバタと同じ種属性の菖蒲と名のつくものがあるそう。菖蒲色と呼ばれ、それが現在の紫がかった色を示すようになったのは、江戸の後期からとのことでし
古典や古歌、漢詩や和歌を目にする機会があり、読んでみた。表現されている世界を理解したり感じたりするには、自分の中の空間を整え広げなければならない。現在の余裕のない世界から、広い世界へと、意識を開き、情景を思い浮かべる。心を広く広くする、広く広く持つこと。漢詩・和歌どちらであっても空間が必要だ。余白がある。現在みたいにギツギツじゃない世界。
ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます前記事で対面セッションのご感想をいただいた方から和歌のご感想もいただきましたのでご紹介させていただきます『【ご感想】この苦しみを光に変える事が出来たら…』ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます佐賀県から北九州まで対面セッションにおいで頂いたお客さまからご感想をいただきました(ご了承いただ…ameblo.jpありがとうございます。本当にありがとうござい