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今日の京都市内は、とうとう最高気温が30℃を上回って〝真夏日〟となった。昨日までは、薄いセーターを上に着ていたけれど、今日はさすがにそんな恰好は無理だった。今日の午前中は、京都市の北部・鷹峯にある常照寺へ出掛けていた。このお寺は、徳川家康から鷹峯に土地を与えられ、この地に工芸村を開いていた本阿弥光悦が土地を寄進した。そして、日蓮宗中興の祖と言われる日乾上人が開創した、「鷹峯檀林(学寮)」の旧跡とされている。だからすぐ近くには、本阿弥光悦にゆかりの光悦寺もある。(常照
凜ひとえYoutubeチャンネルに先日の常照寺・吉野太夫花供養の模様、奉納演奏をUPしました!!第72回吉野太夫花供養2024奉納演奏2024年4月、第72回吉野太夫花供養における凜ひとえ演奏奉納。吉野太夫花供養は、京都・洛北常照寺で行われる2代目吉野太夫を偲ぶ催しです。詩歌、管弦、和歌、聞香、囲碁、双六など諸芸に秀でていた吉野太夫、その才色兼備の名声は遠く中国にまで届いたとされています。この花供養は、内八文字を踏んで進む島原太夫の美しい太夫道...www.youtube.com
4/14常照寺さんでの二代目吉野太夫を偲ぶ花供養。凜ひとえ、演奏を奉納いたしました。桜も咲きほころぶなか、太夫道中に始まり・・・。禿を連れ、内八文字を描いてゆっくり歩き進む様子は、凛とした麗しさです諸芸に秀でた吉野太夫にならい、芸事に精進、邁進してまいりたいと思います。また、千年の都・京都の文化や伝統といったものを世界へ後世へと伝え継いでいければ幸いです。常照寺・奥田正叡上人様、京都松井市長、吉野会会長、関係者の皆様素敵なご縁をいただき、ありがとうござい
4月7日朝7時~8時半の1時間半(90分間)愛知学院大学モーニングセミナーに参加し東京農業大学名誉教授小泉武夫先生の講演会に参加しました。小泉先生は80歳という年齢を感じさせず、良く通る声で60分間の講演時間を75分楽し気に話続け、15分の質疑応答も軽快にこなされていました。前もって用意されたパンフレットには無頓着に平安時代から以下に、日本人が、お酒や酒器に心を砕き、それを酒道にまで高めたかをユーモアたっぷり話されました。源氏物語絵巻に女性が色のついたお酒をオンザロックで飲んでいる絵を示
4月の棚といえば、何と言っても吉野棚で、お茶の世界でも、最も風流なものといっていい。裏千家13代円能斎のお好みで、桐材の春慶塗の一重棚炉にも風炉にも使えるとされている。勝手付きには、障子の窓と葭戸(よしど)をはめることができ、風炉の時期は、葭戸が炉の時期は、障子がはめられ、4月は炉なので、障子が用いられる。勝手付きの柱には竹釘があり、茶入の仕覆は、打ち返さずに竹釘に掛けられる。この棚は、鷹ヶ峰の常照寺(じょうしょうじ)にあった二代目吉野太夫ゆかりの茶席「遺芳
#中島亜梨沙さんといえば去年のどうする家康での井伊直政の母ひよや今回の藤原実資の妻桐子も良いけど#真田丸での#吉野太夫が最高に美しかったよね🥰#大河ドラマ#光る君へ
ブログご無沙汰しています。立春、2月も半ばを過ぎてしまいました冬眠していたというわけではなく、この一年の計画や春の演奏に向けてなど、諸々準備でした。告知解禁となったので、お知らせです!!常照寺さまでの吉野太夫追善花供養、凜ひとえ奉納演奏のご案内です。詩歌、管弦、和歌、聞香・・・など諸芸に秀でた吉野太夫。その才色兼備の名声は中国まで聞こえたという!!吉野太夫花供養は、洛北・常照寺で行われる、2代目吉野太夫を偲ぶ催し。この催しでは、内八文字を踏んで進
…桂離宮の造営に関して、その様子を著書『にぎはひ草』に記したのは誰か?灰屋紹益(ハイヤジョウエキ)である。江戸前期の京の豪商で本阿弥光益(コウエキ)の子。灰屋は、屋号で本姓は佐野と云々、大叔父「本阿弥光悦」より茶ノ湯の他、文芸を学んだ。飛鳥井雅章・烏丸光広・松永貞徳の門人となり、和歌・挿花(ソウカ)・書画・蹴鞠(難波系)・俳諧などをよくした。後水尾天皇、八条宮智忠親王らの皇族とも親交があった。又、島原の名妓・吉野太夫(2代目)の身請
寒暖差アレルギーっていうの。。。たぶんソレだと思うけど。。。鼻水タラ~。。。目のまわりが痒い。。。瞼がガサガサになっているので。。。アイメイクが出来ん。。。はい。。。鷹峯方面に行ったら。。。行っておきたいお寺。。。「常照寺(じょうしょうじ)」。。。コチラから入ると。。。山門が観えてきて。。。名妓・吉野太夫が寄進した朱塗りの山門。。。吉野門。。。
鷹峯源光庵からバス停を過ぎてちょっと行くとすぐ左手にある常照寺はじめましての参拝参道の紅葉もキレイやったけど境内の紅葉も見事!紅葉は逆光がキレイ見頃の時に来れてよかったなついつい何枚も撮っちゃう先輩とお抹茶席に紅葉を愛でながら懐かしい昔話に花を咲かせる写真もお互いに撮る(笑)鳥のさえずりも心地よくお抹茶が冷えた身体に染み渡る寛永の三名妓のひとり二代目吉野太夫さんが寄進した門今も毎年春には花供養がされてるそうな
京都市北区鷹峯にある三つのお寺を訪れた。光悦垣(202311.21撮影)源光庵源光庵は3年ほど建物の修復で拝観できなかった。2022年4月から再開された。鷹峰山にあるので、紅葉は進んでいるのかな?と思って予想してきてみたけれど…。黄色くてまだ、赤く染まっていなかった。円形の悟りの窓角型の迷いの窓を見に来た。↓そうだ京都行こうのポスターのような紅葉をイメージしていたけれど早かったようだ。血天
7月の中旬のこと。4か月ぶりのJIDAIYAさんです。インスタで、戦国姫の打掛で吉野太夫をしているお客様がいたので私も真似てみました。その方は水色の打掛を選んでいましたが、私は慶長小袖です。メイクは白塗りにしました。慶長小袖は通常であればこのようなスタイルとなります。この時は長袴でした。背景は金屏風と脇息、敷物(?)です。小道具の短冊と筆は持参ですが、お店にも同じものがあります。まず、オーソドックスな立ちポーズ。こちらも定番のポーズ。
京都市の市街地から見れば北の端ともいえる「鷹峯」。かつて、「本阿弥光悦」が徳川家康から土地を拝領し、ここに工芸村を開いたことでも知られている。その光悦の住居跡は、現在、紅葉の名所の「光悦寺」として知られている。また鷹峯一帯は、光悦寺だけでなく、島原の花魁・吉野太夫が寄進した山門で有名な「常照寺」もある。(光悦寺の紅葉)さらに、光悦寺の斜め向かいになる「源光庵」という曹洞宗の禅寺も、本堂にある「円窓」と「角窓」が、禅で言う〝悟りと迷い〟を示している、として知られている。
利休と南方録堀口捨己花と幽斎細川護貞禅語と花立花大亀吉野太夫と茶道江馬務箱書原随園中国陶磁佐藤雅彦茶道講座一閑人蓋置宗完稽古日誌茶会の主客応待
島原の置屋輪違屋の「主の間」は、お茶屋も兼業するようになり客にも利用される事になる。一見その襖は、桂離宮「松琴亭」の市松模様を思い起こさせるが、太夫、芸妓のご贔屓様にしたためた和歌の色紙のようだ。奥の床の間には吉野太夫の掛け軸。余りにも達筆なので文字が読めないが、ご丁寧な説明でようやく意味を理解する事に!その向かいには近藤勇書の屏風。輪違屋の内装はこの時代の建物としては、アイデアとセンスが際立っていて驚く。太夫、芸妓のしたためた色紙をこの様
おはようございます京都のkojiro(小次郎)です今日は2023年6月10日土曜日土曜日のこの時間(10時過ぎ)から動き回ることが減った小次郎ですが、今回は今日も明日もお仕事が入っているので、朝からバタバタしています。今回も電車での移動中にこのブログを更新しています(笑)。というわけで、今回の「kojiroの京散歩」は仕事用のPCに保存されていた今年の京都散歩画像(春の寺院画像)から京の桜をお届けします(残念ながらこのPCには京都府立植物園で撮影した薔薇の画像が保
ランチ後はず~っと気になっていた鷹峯へバスを降りて常照寺さんへ吉野太夫が寄進した吉野門まずは本堂で吉野太夫のビデオを拝見しました枝垂れ桜がまだ美しく咲いていました吉野太夫さんのお墓紅葉の季節は混雑するそうですがこの時期は人が少なく静かにゆっくりできました2023年4月
常照寺(じょうしょうじ)は元和二年(1616年)に本阿弥光悦、光瑳の親子の発願により、同所に「法華の鎮所」を建立し、身延山日蓮宗中興の祖である寂照院・日乾上人(にちけんしょうにん)を招じて開創し、鎮所を寂光山常照寺と号した。そして、日乾上人は、常照寺に僧侶の学問所である鷹峰壇林(たかがみねだんりん)を創設した。往時は、広大な境内に大小三十余棟の堂宇があり、幾百人と勉学にいそしむ学僧で賑わっていたと本阿弥行状記などに紹介されている。宗派:日蓮宗御本尊:三宝尊所
源光庵庭園年末年始のご挨拶を挟みまして、再び11月13日(日曜日)に開催しました「錦秋の京都蘖の会」の続きをご報告いたします~。前編はこちらからどうぞ♪源光庵松野醤油さまから源光庵はバス停ひとつ分。この頃には雨もひと息つき、さほど遠い距離でもありませんので歩いて向かいます。1346(貞和2)年、臨済宗の寺院として開山。1694(元禄7)年、加賀(石川県金沢市)より、当世随一の高僧であった卍山道白(まんざんどうはく)禅師を迎えたことをきっかけに曹洞宗の寺院
今年の紅葉シーズンには、鷹峯方面に行きました。鷹峯に来たのは2回目です。紅葉がとりわけきれいだったのは、常照寺です。吉野太夫ゆかりのお寺です。朱塗りの山門が吉野太夫が寄進したもので、吉野の赤門、吉野門と呼ばれます。11月24日時点で、既に散りもみじとなっていましたが、境内全体が吉野門と同じ朱色に染まり、とてもきれいでした。風が吹くと、落ち葉が散っていきます。境内の北西の奥にあるのは、鬼子母尊神堂で、鬼子母尊神を祀っています。パンフ
さてさて……………『時代祭』の行列巡行は続く………『江戸時代婦人列』おお〜〜〜〜っ吉野太夫の登場だ【吉野太夫(よしのだゆう)】寛永の頃、京都六条三筋町の芸妓で、のちに豪商灰屋紹益(はいやしょうえき)の妻となった。ここでは名妓と謳われた頃の太夫姿で、打掛小袖に帯の盛装ださらにその次に登場は出雲阿国(いずものおくに)だカッコいいーーーーーっ『出雲古代探索ツアー(16)出雲阿国』出雲阿国(いずものおくに)安土桃山時代の女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したと云わ
京都「時代祭」の前回の続きです。今回は、20ある時代祭の列の2番目から4番目までです。引き続き、明治維新の時代から。②「維新志士列」です。(以下敬称略)「桂小五郎」「西郷吉之助」「坂本龍馬」「中岡慎太郎」「高杉晋作」「吉田松陰」「近衛忠煕」時代は江戸へとさかのぼります。③「徳川城使上洛列」の皆さんです。「酒さえ飲めば、重い荷物も軽かなるわぁ」と元気よく行列が始まりました。重そうな傘を投げました!見事にキャッチ
1.時代祭2022美人列主体全行列御苑撮影会時代祭2022美人列主体全行列御苑撮影会2022年10月22日(土)時代祭全行列を御苑と平安神宮、かぐやの夕べ撮影会。三年ぶりの時代祭の日、ドクターイエロー、竹林公園かぐやの夕べもあり大忙し。朝天気良く、午前バス地下鉄乗継丸太町、御苑御所建礼門前11:45着。観覧席横を北へ、御所建礼門西横で、時代祭舞妓さん探し、準備中見つからず。建礼門前で撮ろうとしたが超満員、先導美人列撮って時代祭列見えず、。丸太町通で先導
京都旅行中の京都画像クイズ。今回は当日更新した他のブログにも多くのコメントいただきまして、返信ができていないコメントがあるかもしれません。もし、無かったら、この場でお詫びします😖。それでは正解です光照山蓮久寺下松屋通五条下ルにある日蓮宗寺院。解答を寄せられた皆さん正解です😆。寛文元年(1661)創建。開山は高運院日定上人。中興開基は一音院日暁上人。蓮久寺の赤門は常照寺の赤門と同じく、吉野太夫寄進。吉野門と呼ばれます🤗。現在本堂
新型コロナウイルス感染症防止のため、イベント中止や日程変更があります。【処暑】24節気のひとつ。暑かった季節もようやく収まる頃とされるが、地方によってはまだ残暑が厳しい。天文学的には太陽が黄経150度になったときのこと。【一遍忌遊行忌一遍上人の命日享年51】鎌倉時代の僧で時宗の開祖。勧進帳念仏札を携えて全国をくまなく巡り、その勧進帳に名前を記した人は250万人以上。【白虎隊の日】1868年(明治元年)8月23日、戊辰戦争中、若年者で構成された会津藩の白虎隊が、守るべき鶴ヶ城が落
…「吉野太夫花供養」が4月に行われる寺院は?江戸初期、彩色兼備の名妓と謳われた吉野太夫は、島原の花街(当時は六条三筋町にあった公許の花街)で、禿(カムロ)の頃から修業を積み、14歳で2代目の名跡を継いだ。『法華経』への信仰篤い吉野は、元和2年に「常照寺」を開山した日乾に帰依して、その証しに同寺の山門(吉野の赤門)を寄進している。
昨日の記事の続きです。「サカイ」で食べ終わり、ついでに旦那の車で“鷹峯”まで乗せてもらいました。途中「玄琢」の坂道で「御土居跡」発見‼️御土居マニアなので、車を止めてもらい写真を撮る📸✳︎御土居とは、豊臣秀吉が京都の市街地の周りに土塁を築き「洛中」として内外を管理した。結構高低差があって迫ってくる感じテンション上がるわー⤴️「常照寺」の前で降ろしててもらいました。吉野太夫の寄進した赤門吉野太夫は花街島原の一番位が高い女性帯塚吉野窓・・のある茶室「遺芳庵」ねねの道の高台寺
…と云う山門が有る寺院は?鎌倉中期、日蓮が開宗し法華宗とも呼ばれる日蓮宗だが、弘安5年、日蓮が亡くなる前に六老僧「(日昭・日朗・日興・日向(ヒコウ)・日頂(ニッチョウ)・日持(ニチジ)」を本弟子とし、各門流が形成された。京都では布教が盛行し、町衆が支持、洛中二十一カ寺本山(現・16・本山)が建立される。常照寺は元和2年、日蓮宗中興の祖・寂照院日乾(ニチケン)が本阿弥光悦・寄進で開創した。寛永4年僧侶学問所・鷹峰檀林を開設。日乾
今日は、千本北大路でバスを降りて、北に歩いていきます。大学の西側に、左大文字が見えます。北山通りの交差点から、道は細くなります。色々な老舗が、並んでいます。光悦と御土居とは、そのものずばり。どんどん歩いて、鷹峯に着きました。遠くに、沢山。この道を進むと、京見峠から国道に合流します。本阿弥光悦ゆかりの、光悦寺の入り口です。緑に洗われそう。今日は、ここで失礼します。東に戻ると、曹洞宗の源光庵です。こころを静めて、門をくぐります。鐘楼の
光悦寺の次に向かったのは常照寺です。光悦寺の近くには悟りの窓、迷いの窓で有名な源光庵もありますが、源光庵は現在、修復工事の為、拝観休止になっています。来年の春頃までのようです。光悦寺は以前も訪れた事がありますが、常照寺は今回初めてでした。紅葉の時期なのでお抹茶を頂ける拝観券もあるとご案内頂いたので、今回はそちらのセット券にしました。参道を歩くと吉野門があります。この吉野門は吉野太夫という有名な太夫さんの寄贈だそうです。吉野太夫は諸芸に秀で、情の深い、信仰心の厚い方でした。お墓もこ