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第8代南アフリカ共和国大統領、ネルソン・マンデラ(NelsonMandela)氏が亡くなって、今日(12月5日)で10年になります。私にはついこの前のことのように思い出されます。ネルソン・マンデラ氏は私が最も尊敬する政治家のひとりです。ネルソン・マンデラ氏と言えば、長年にわたって南アフリカのアパルトヘイトに反旗を翻し、27年に及ぶ収監を経て1990年に釈放され、その後、1991年には第11代アフリカ民族会議議長に就任、1993年には、アパルトヘイト撤廃に尽力した当時の大統領、フレ
知り合いからの連絡で久々の舞台鑑賞。#人種差別#反アパルトヘイト#ジャーナリズム#戦場のカメラマン#禿鷲と少女#報道か人命か#横山涼
他国が侵略したら、市民はどのように対応すべきなのだろうか?頭に浮かぶのは、ガンジーの非暴力・不服従の教えである。セポイの反乱のように暴動になると犠牲も大きい。ガンジーの方法は、ストライキ、公職辞任、納税拒否、夜間外出禁止令などの不服従などである。イギリスの綿織物を拒絶して、手織り・手紬のカディを着用するといった輸入代替も行った。大勢の市民がこうした運動を展開すれば、侵略側も統治は続けられない。南アフリカの反アパルトヘイト運動も、マンデラ、ツツ大司教はこの非暴力・不服従の教えを踏襲した。こ
~友人からのメール~闇に輝く星(2013年12月5日の記事)南アフリカ共和国、元大統領、ネルソン・マンデラ氏(95歳)死去のニュースが世界中に報道されました。彼のことは、ノーベル平和賞を受賞した有名な人権擁護者として知っていましたが、インターネットで調べたら、本当に彼は偉大な人と呼ばれるだけのことはある人だと思いました。インターネットには、彼の母親はクリスチャンで、その影響で彼も若い時にクリスチャンになったということが書かれていました。彼は若くして反アパルトヘイト運
出演者のほとんどがたいして僕と歳の変わらない、反アパルトヘイトのブロードウェイミュージカル「SARAFINAサラフィナ」1990年・大阪公演(30ヶ月に渡るヨーロッパと日本のワールドツアー)これが僕とアフリカ音楽との思い出せる限り一番古い出会い。当時13歳、14歳の誕生日直前だった様に記憶する。ブロードウェイで大成功を収めたミュージカルで、92年には「天使にラブソングを」で有名なウーピー・ゴールドバーグ主演で映画化されたので知ってる人もいるかも。ちなみに僕はま
昔、大阪でネルソン・マンデラ氏の雄姿を目にしたことがある。そのころ、私は雑誌にコラムを連載しており、マンデラ氏について原稿を書いた。懐かしい・・・。生誕100年!(・0・)!ということは、彼はあの時、幾つだったのだろう・・・?と、今、ふと思ってしまった。なんにしても、素晴らしい人は、どんなに時が流れても語り継がれるものなのだなあ
1990年の今日、国家反逆罪による終身刑で服役していた、反アパルトヘイトの闘士、ネルソン・マンデラが釈放されました。彼はたくさんの名言を残しましたが、「勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ」も、その1つです。
久しぶりのプレイング・フォー・チェンジで、このプロジェクトのカバー曲は、かなり良いと思うのですが、このブログでも、反原発でぶっちぎれてブログを書いてた2011年の頃知り、かなり癒やされていました。特にロック系のカバーが秀逸ですね。新しい曲は小生も大好き、ピーター・ガブリエル(ピーター・ゲイブリエルですね、毎回ご連絡してくれる方がいますので、でも80年代多くのロックファンが勘違いの言い方で表記させてください)の曲です。「Biko」は80年『PeterGabriel/Melt:ピーター・ガブリ
☆ネルソン・マンデラ・デー☆南アフリカ共和国の政治家で、反アパルトヘイト運動を主導したネルソン・マンデラを賛える国際的な記念日。ネルソン・マンデラの1918年の誕生日。☆光化学スモッグの日☆1970年のこの日、東京都杉並区で日本初の光化学スモッグが発生した。☆憲法記念日(ウルグアイ)☆1830年のこの日、ウルグアイの最初の憲法が採択された。アパルトヘイトになんて意味はない。確かに数年前の私は、黒人が怖かったけど、今はそこまで怖くはない…かな。地元の駅に大人数でたむろしてて、「