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今朝、園に着いた時の我が息子の様子、、、みんな教室内にいて誰も息子に気づかない。下駄箱から教室に向かって爽やかに叫ぶ息子、、、お〜い😆みんな〜オレがきたよ〜❤️そしたら教室からお友達や先生がわらわら出てきてあ〜〇〇くんきた〜おはよ〜💕そう言って迎えてくれた✨✨朝から息子はご満悦🌈息子よ君はナチュラルにすごいな、、ママはあっけにとられまくり、、オレが来たよ‼️ってまるでキング👑✨✨自分が来たらみんなは喜ぶ✨✨自分はみんなから歓迎される✨そのことに
【私を知る】【実践シリーズ】macoです。【前提を変えたら相手が変わった?!】いい感じの結果じゃなくてもいいーーーっ↑これと、嫌われてもいい覚悟↑これでA子に対する私の気持ちが『好き』もあるけど『嫌い』もあったのに、私は職場での関係性を崩したくなくて(ケンカしたり、野次りあったり、見た目に関係悪化したくなくて)『嫌い』と感じたその感情に一生懸命フタをして見ないように出さないように過ごしているという事をようやく腑に落ちて、実感した。---------------
何年か前にタロット&ホロスコープのセッションでお世話になったなぎやきょうこさんの「5年先の私を創る!しあわせ戦略セミナー」に参加してきました。日曜日の午前中に、この日は4人の参加者さんがあつまりました。ホロスコープを使って、自分の持っている性質をより深く知ったり、時期によって星の位置がかわり、その関係で変わる自分の状況をうまく使って自分の方向性を決めていくのに役立てていきます。占星術というと、占い、当たる、当たらないといったイメージだと思いますが、きょうこさんはそれをただの占いでは終わ
この記事は出来事を綴った前回の続きです。感情を出し切ればできたすきまに気づきと癒しが入ってくるー蓮の花の上で会いましょうー突然訪れた愛猫の死で落ち込んでいた私がどうやって立ち直ったのか。もしかしたらこういうことが起こっていたんじゃないかなって。まず私がたてた仮定がこちら。「悲しみなどの感情と気づき、癒しはこころの中の同じうつわに入る」何かショックな出来事が起こった時、そのうつわが悲しみでいっぱいになったとします。私の場合、カルちゃんとの突然の別れですね。そこで
大量の悲しみをだしきった後に入ってきたのは、気づきとそれからもたらされる癒しだったー。ここ数日でおこったことがあまりにも大きすぎて、まるで何年分かの経験をしたような気がしています。かなり久しぶりの更新なのですが、この経験をかきとめておきたくて投稿することにしました。起きたことをそのまま綴った今回の記事と、それがどういうしくみで起きたのかを考える次の記事と続きになっています。今日、18年連れ添った猫を荼毘に付してもらい、土に還すための骨壷に入れてもらいました。私が愛して愛して
引き続き、現実を受け入れなくてはならないのはなぜかについてあーだこーだ言っていきたいとおもいます。前回、現実を否定するエネルギーがもったいないから、現実を受け入れて、持っているエネルギーを望む方へ使おう、ということを書きました。そういうたかて、難しいわってなると思いますので(非関西人ほど関西弁を使いたがる)、じゃあどうしたら現実を受け入れられるかについて触れたいと思います。考えられる主な方法は以下の二つ。1、現実を否定することがエネルギーの使い方的に捉えるとどれだけ非効率
ここのところエネルギーの使い方シリーズでお送りしていますこちらのブログ、どうも、まどかです。今回はエネルギーの使い方の視点からなぜ現実を受け入れなければならないのかについてあーだこーだいいたいと思います。よく、「現実を受け入れろ」っておまえの現状なんてこんなもんだから諦めなさい、みたいなちょっと後ろ向きな意味で使いますよね。これ、エネルギーの使い方的にいうと、ちょっと違うかな?と思って。さくっと結論先に言っちゃうと、なぜ現実を受け入れないといけないのか、それは
先日アップしたこちらの記事(まどか式エネルギー考古いものを捨てるから新しいものが入ってくる)ですが、エネルギーの使い方について語ってみたものの、そもそもエネルギーってなんなんだろう、どう説明したらいいんだろう、って思った時にふと思いついたのが意識の体力みたいなもんかと。ゲームとかでいうとヒットポイント、HPですね。体力って、限界あるじゃないですか。動き続けると疲れて何もできなくなっちゃう。その人が持っているエネルギー(まどか的にいわせると意識の体力)もやっぱりそういう
今回はいつものこころのあーだこーだとはちょっと趣を変えて、先日行ってきたちょっと不思議な日帰り神社参りについてレポートしたいと思います。あ、先に言っておきますが、前世とか神話とか知らんし、知りたくないし、という方は回れ右してくださいませ。よくキネシオロジーの勉強会でお世話になっている、新婚さんの上川先生の引率で、先生の日本語の五十音を使って心と体に変容のきっかけを与えるメソッド「あうん」でその土地とつながりやすくなる言葉を教えてもらったり、普段はわからないその土地の裏話?みたいなのを聞い
最近いまいちブログが更新できない病のまどかです。結局は他人からどう思われるのかを気にしているのと、自分をよく見せたいって思っているのが理由なんですよねー。じゃあなんで書こうかなと思ったかというと、実は書こうと思っていて途中までかいていたり、構想していたりする記事がいくつかあったんですが、これ一旦外に出さないと新しいもの入ってこないんじゃない…?って思ったからなんです。人でも物でも自分に入ってくるものって1、新しいものが入ってくるから古いものが手放せるのか
本当に本当にご無沙汰しています。実は前回の記事でゆるくいこうなんて言っていましたが、ブログ、まったくかけなくなっていました(>_<)。なのに、なのに、読んでくれている人はいてくれて、なんと前回の記事に100いいねがついていました。もうありがたすぎて泣けて来ます(;ω;)。記事がかなり長文になってしまったので、この間に起こったことを先にかいつまんで話しますと「こんな世界つまらない」と世界に対してスネた↓気づきも起こらなくなり、無気力になり、ブログがかけなくなった↓「世界=つまらな
かなり久しぶりの更新になりました、こころの法則研究家のまどかです。この自称の肩書きも気が変わったら変更するかもしれません、うへへ。この間何をやっていたかというと、目覚ましをかけずに朝起きてストレッチして録画したテレビみたりごはんつくったり旦那さんとでかけたりケアンズに旦那さんのレースの応援に行ったりそれをずーっと別ブログにかいたりしていました。そう、IHのセッションもせず、社会に貢献することとか一切なし。こちらのブログをなぜ更新しなかったかというと
「空気読めるようにならないと」とか「和を大事に周りにあわせるのがよい」とか日本人的教育で、環境に反応するだけで生きてきて、自分がどうしたいのかわからなくなっているor本当の自分とかけ離れた自分が世の中に現れちゃっている人ってけっこういるんじゃないのかなって。どうもー、こころの法則研究家とかいっているMadokaです。仕事が忙しくなったり、毎日の雑事に追われていると、起こった出来事に反応するだけ人間になりがち。「って言っても、やらないと回っていかないんだからしょうがないじゃない」と言
古くはブッダの時代から「中庸がいい」って言われていて、「そりゃ、極端なのはよくないよね」くらいにしか思っていない自分がいましたが、あ、それってこういうことが起こってるのかなって気がついたので今回語ってみようかと。どうもーこころの法則研究家Madokaでございます。つい別ブログで宮古島のグルメについて熱く語ってしまって、更新が後手にまわっております(-_-)。まあ、ここのブログね、ゆるさがウリなんでね、まあいいかと。先日聞いたお話なのですが、介護職の仕事先で理不尽に患者に
かなりご無沙汰しています、こころの法則研究家と名乗りだしたMadokaです。実は、4月末から宮古島に行っていて、トライアスロン応援したり、青い海で泳いだりしていたら、正直、人の精神の機微とか、他の人の葛藤とか、ど〜でもよくなっていました(爆)。不思議ですねー、都会にいる時は、「あー、心が不安定だ、この人のブログみたらヒントあるかも、読んでみよう」みたいにむさぼるように読んでいたのに、宮古島にいたら、自然が圧倒的すぎて、「あー、細かい文章とか読みたくないぜ!」ってなるんですね〜。私
自分の感覚や感情を大事にしよう、というのは最近いろんな方のブログとかでも書かれているのですが、自己否定村の出身の私としては、なかなかそれが難しかったり。以前の記事にも書いたのですが、「この厄介な感情をなんとかしたい」と思って七転八倒したり、「こんなふうに感じる自分はおかしいんじゃないだろうか」とか思って否定したり。でも自分の感覚や感情って、自分が何を本当に望んでいるのかを教えてくれる超重要ヒントだったりするんですよ。なので、こういう感覚は常識はずれだからだめだって却下して、感情を見
先日投稿した、「びびっても自分の感覚を大事にする」ですが、後日談がありまして。そこで、「間違えるのが超怖い、でも自分の感覚を大事にして気づいたことを発信していきたい」という感じのことを書いたわけです。んが、その記事自体に間違いがあったという…。本当テーマにぴったりで苦笑い&脱力。間違いにどうやって気がついたのかというと、ありがたいコメントをいただきまして↓さすがにお名前のことなので即訂正しました。これね、記事の核ともなる「ピッチャーびびって
先日書いたこの記事「あるベース」と「ないベース」で異なる幸福度ですが、たまことの岡田哲也さんをフェイスブックでタグづけしたところ、なんとつっこみ&リブログまでしてくだいました(滝汗)。http://ameblo.jp/mirokumadoka/entry-12262834482.htmlここで私のこころの中で起こったことがなかなか揺さぶられた内容でして…。岡田さんが以下のように書かれたんですね。(引用)これ、私的には『半分もある』も間違いで『半分ある。』が正解で
ひとが世の中や物事を見る時の傾向って、「あるベース」と「ないベース」に分かれるんじゃないかと。どうも、先日からそろっとこころの法則研究家を名乗りだしたMadokaです。ものの見方で、「自分にはこれがある」とか「これを持っている」とか、「ある」ことに目を向けている人と、「あの人がもっているあれが自分にはない」とか「これも持ってない」とか「ない」ことに目を向けている人では実はかなり幸福度が異なっているんじゃないかと思いつきまして、ここで考えてみますね。よく聞くたとえ話で、半分に水が
どうも、先日ひっそり「こころの法則研究家」を名乗りだしたMadokaです。研究っていっても、こころのことについてあれこれ考えたりあーだこーだ言ったりするだけなのですが、研究といえば発表とセット、ということで日々気がついたことをブログで書いているわけです。最近気がついたのが、多くの人が問題が発生すると、それが不幸の原因と捉えてなんとか解決しようとするけど、実は問題は原因じゃなくて、結果なんじゃない?ということ。私の敬愛する心屋仁之助氏の有名な言葉に「問題はダミー」というのがあるん
4月1日、本日皆様に以下の嬉しい報告があります(´▽`)。ー敬愛する心屋仁之助さんの新刊の挿絵を担当することになりました。ーLINEクリエータースタンプの前者ちゃんと後者ちゃん100万ダウンロード超えました。ーアメブロ読者登録10000人突破しました。ーブログの書籍化が決定しました。ー冬の寒さが辛くて外に出たがらない私が、ついに寒い時は暖かいところに住むという多拠点生活をスタートさせます。第一弾は沖縄。南半球も視野に入れています。ーインターネットで私メディア、Madokaチャンネ
このページは私が主張したい、こころの法則と思っているもの、とそれに関しての記事のまとめです。「前提が体験を創る」(ブログタイトルの思いが、体験をつくるはこれをちょっとかっこよく聞こえるようにしたものです)「私力ある」で世界を見る。他力との関わり方心屋仁之助独演会レポ「そうかそうか」と生きていく「リラックスがいいアイディアへの最大の近道」「ラクにならないでいい」でネガティブな感情をその場でなんとかするのをやめる「本来の自分を離れると辛くなる」「セッションでは問題を
「自分のやりたいことがわからない」「好きなことがわからない」人についてその1で「以前に却下したことも復活させて条件ぜーんぶクリアにして棚卸ししたらみつかるかもよ」と書いたわけですが、そもそも「自分の中を見るのがつらい」「考えてもわからない」という人もいるかと思います。そういう人の、その時点でのやりたいこと、それは休むことだったりします。えーーなにその非生産的なの!こちとら毎日迷って右往左往して、がんばって探しているのに!という声が聞こえてきそうですが
前者後者論、その1では、後者の憂いというか、苦労みたいなものに焦点をあててちょっと切ない内容だったのですが、このその2では、そんな後者でもいいとこあるよ、希望持てるよ、ということを書きたいと思います。前者後者論についてはこちら永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?!前者後者ってなんだ?心屋仁之助さん(仁さん)が言っていました。前者は後者を助け、後者は前者に助けられて、それぞれの能力を発揮できるようになっているのです。なので、後者は助けてもらうためにも「できない
素敵な感想頂きましたので紹介しますね。このセッションの流れについての、私のレポートはこちら。よかったら先にレポを読んでみてください。以下頂いた感想です。セッションの感想として、1番言える事は何かなぁ、と考えると……第1チャクラのところで導き出した悩みと次の目標の更に奥にある事に気付かせてくれる所が凄いなぁと思ったんです。母が喜ぶような人生を送れてないという、母への罪悪感に気づき→それは皮肉な事に母に従ったが為、勇気を出して自分のしたい事好きな事を貫かなかった故にこの残
まず前者後者、というのは心屋仁之助さんが見つけて提唱した、人間はその性質によって二つの種類に分けられるという分類です。実は私、この前者後者論で救われました。文字通り救われたのです。ざっくり特徴をかくと(引用)「大人になりたくて、大人になれた人」と、「大人になりたくて、大人になれなかった子どものままの人」(中略)便宜上、先に書いたものを前者、後に書いたものを後者として分けた代名詞が、そのまま前者・後者という名称になりました。または、最近の仁さんの著書「それも
今回セッションに来てくださったOさんは、心屋仁之助さんのフェイスブックでシェアされた私のブログを見て来られました。仁さんがテレビに出られる前からオープンカウンセリングに行ってらしたそうで、仁さん話ができて私も楽しかったです(´▽`)。私のセッションの場合軽くカウンセリングというかお話しながらセッションのテーマの候補になるお悩みを聞いていくわけですが、今回Oさんは、このカウンセリングの時にでたお悩みは筋反射で選ばれず、さらに探っていくと「お母さんへの罪悪感」という問題を今回のセッション
ネガティブな気持ち、嫌な気持ちになるっていうのは生きている限り避けられないわけです。んではそういう気持ちになったときどうするか、ということでふと思いついたことがあるのでまとめてみました。以前の「ラクにならなくていい」の投稿で、感情について、精神世界とか勉強したりして、感情をコントロールしたり現実を好きなように改変する極意を身につければ、この心はラクになるはずって思って、右往左往していたわけです。あわよくば悟りとか起こして、一生心穏やかにいたいとか。要するに「ラクにならない
IHのセッションを受けていただいた真穂理さんからもう、かなり素敵な感想をいただいたので、シェアしますね。(この記事のタイトルは、このセッションでたてた真穂理さんの目標です)本文の中からちょっと引用時々、セッションを受けるって大事ですね。自分の答えは、必ず自分の内側にあるだからこそ、筋反射を使って、プラクティショナーさんのリードで、自分自身の体と時間をかけて対話し、IHの方法で、癒して行くという良い時間を過ごせました疑り深い私にとっては、自分
今朝、Happyさんの記事でかなり気になった、というか感情が動いて怖くて縮み上がったことがありました。神様への反逆行為(Happyさんブログ)Happyさんは、昔は「申し訳ないって自分を責めることが怒らせてしまった人を幸せにすると思っていた」そうで、宇宙の法則のことを学んでいったら、(引用)「罪悪感と自己否定が1番本当の自分と離れさせるもので、申し訳ないと反省してれば誰かを幸せに出来るし、その問題自体も解決できるって思い込んでたけど、、、まさかの真逆。罪悪感を感じば感じるほどそ