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『人生』ウソだらけ(321)★♫折れた煙草の吸い殻で~♬なぜこの党には不祥事が多いのか自民崩れと、引き取り手が無く名誉欲だけが頭の中を駆け巡る人物の集りだ!国家の姿など描いたこともないのだろう。都合が悪くなれば「嘘をつく」「口汚くののしる」悲しい性◆「風土記」の記載でも冒頭には、都城に近い東から郡が記載されるルールに従ったものとみられるが、当郡の最後には「前述の一郡は入海の南にある。ここは国の廊(ほそどの)である」と特記され、やはり中心的な郡とみられていた。人口は一里を約4000人とし
「人生」浮沈(300)★97才囲碁棋士杉内寿子(かずこ)八段が天元戦の予選で対局したとのニュース彼女が棋士になったのが1942年のこと、と言うことは82年間プロとして活躍している。想像を絶する。それと高齢者対局の記録を持っていたのが何と夫の杉内雅男九段◆出雲国風土記の特徴③内容について記載項目順が整然とし郡家から郷や寺・山などへの方位・距離・池・島の大きさを里・歩で表示するなどの数値的記載が多いことである。④郡の記載順序や巻末の主要道の記載駅家の記載順、軍団、辺境から都への非常時を伝え
👨と夜に我が家を出発🚗途中、仮眠して到着の出雲大社です。何度か参拝に行ってるんですが・・今回の目的は御朱印帳が欲しい!何処の御朱印帳でも良いと言う訳ではないんです。全国一之宮御朱印帳に御朱印がまだなんです。その2つが大きな目的でした。and・・神在月の御朱印が頂けるみたい?7:56撮影です。最初に北島国造館出雲教へ『★(前半)出雲大社北島国造館出雲教in島根(出雲市)』時差投稿ですが・・日帰り出雲大社と一之宮御朱印
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*大国主神ーおおくにぬしのかみー別名大國主大神ーおおくにぬしのおおかみー大穴牟遅神ーおおなむちのかみー大穴持命ーおおあなもちのみことー八千矛神ーやちほこのかみー宇都志国玉神―うつしくにたまのかみー葦原色許男神・葦原志許乎神ーあしは
開示の時ねぇ。。。。。流行の作り方って知ってる?みんなこぞって本当の歴史を開示する時が来た!なんて言ってるけど誰がほんとの歴史を知ってんのよみんな個人的に調べて自分の説に都合のいいものを寄せ集めてつじつまを合わせてこれだあああああ~~!ってなってるだけの話そしてその説をもっと強くするために似た説の人たちとくっついてく今はくっついて強固にするために必死だけどそのうち仲間割れすんのよそ
11月26日(日)全国一之宮巡り、出雲方面にお出掛けです蒜山高原SA物部神社参拝稲佐の浜お宿は、出雲空港ホテルディナーは焼肉館すだ11月27日(月)出雲大社参拝おくに茶や日御碕神社では、一の宮巡り再開松江市に来ました。出雲国には「出雲大社」と並んで2つの「一の宮」が有ります。出雲国一の宮【熊野大社】空に日の丸が映えます晴天で暖かくて良かった■社号標石鳥居を潜り橋を渡ります。
11月26日(日)全国一之宮巡り、出雲方面にお出掛けです蒜山高原SA物部神社参拝稲佐の浜お宿は、出雲空港ホテル焼肉館すだ翌日7:30、ホテル出発8:00、出雲大社橋の架け替え工事中で鳥居の下は通れません!横の仮設道路を通ります。「宇迦橋大鳥居」5年前は無料の駐車場も有料になってました。出雲大社の第2の鳥居■勢溜の鳥居(せいだまりのとりい)写真撮ってるのに読んで無い後で知る事になった11月22日~2
私の通っていた小学校は、福岡市の油山山麓の樋井川の河畔に在りまして約40年前より約2年に1回、福岡で同窓会を開催していましたが、最終回になるやも知れぬと、私の第2の故里・福山に集い、福山城を見た後に山陰出雲を訪れました。写真は博多駅から同窓生7名を乗せた新幹線ひかり号が福山駅に到着です。次の写真は、福山駅新幹線上りホームから見た福山城天守閣と月見櫓です。ここからの眺めが一番です。福山城は1622年8月28日に初代領主水野勝成候が10万石にしては破格(30
これまた最強のリトリートが誕生した3日間の大山&隠岐島リトリート✨⛰️🗾まずは大山リトリート✨大神山神社奥宮⛩️のエネルギーがまさに神域そのもの。でした🤩😆あの頭が使えず、宇宙意識に繋がる感覚がたまんないですよね〜〜✨✨😆😆😂まずは#大神山神社に向かい、大山の土地神さんと#大己貴神(#大国主命)から重要なメッセージとエネルギーをもらいました。出雲國に来ると毎回、自分のガイドが全部出雲の神々になるんじゃない
⛩️出雲~神在祭~リトリート⛩️リトリート☆お申込みフォーム😊✨出雲~神在祭リトリート~参加申込フォーム⭐︎pro.form-mailer.jp11/22(水)-11/23(木)開催🌟✨2023年を最高の自分で終わりにする🌟2023年も残りわずかですね😆立冬を迎え、イーグルスゲートが開いた今、もう目を背けることは出来ない『アセンション体験』に向けて人類の意識は進化発展していってます🌈😊我々は目醒め続けていってますが、アセンション🟰目醒
出雲国の一の宮「熊野大社(くまのたいしゃ)」です。石造りの大鳥居の前に広い駐車場があります。鳥居の横には自然石の社号標がありました。熊野というと紀州(紀伊国)が浮かぶ人も多いと思いますが、こちらは出雲国です。お祀りされている神様は・神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬみこと)です。あまり耳にしないお名前の神様ですが、これは素戔嗚命(すさのおのみこと)の尊称だそうです。大鳥居をくぐり橋を渡ると木製の鳥居があり、その奥の左手に手水舎が
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*前回の須佐之男命で触れた、誓約ーうけいーで生まれた神様を、紹介していきたいと思います。天照大御神が、右のみづらに捲いていた八尺勾玉ーやさかのまがたまーを、須佐之男命が、天の真名井に振り漱いで、噛み砕き、吹いた息吹から生まれたのは、五柱の男神でした。二番目に生まれたのは
大山&大神山リトリート⛩️⛰️申込みフォーム☆🌟大山&大神山リトリート⛩️⛰️pro.form-mailer.jpこんにちは!かいちです✨🌈鳥取県は大山にてリトリートを開催する運びとなりました!大山の麓にある超高波動の神社『大神山神社⛩️』を皆さん知ってますでしょうか😆😆✨大神山神社は太古の昔から出雲国から日本各地へとエネルギーを拡大するエネルギースポットとして知られています😊😆エジプトのピラミッドの
こんばんはー、わたしです。やっとブログ書くモチベが上がってきてアプリ開いたらなんか実績を獲得しましたってでてまして、「今月のアクセス数が先月を超えました」って。今月書いてないのになんで…!?ってなってました。なのでまぁそういう流れができてしまったので今回は書こうと思います。さて、それでは本日の神社へ参りましょう。県社内神社鎮座地:島根県松江市大垣町御祭神:和加布都主命、下照姫命旧社格:国幣小社(延喜式)県社(明治)御朱
金屋子神社奥宮。金屋子神の原初の降臨地とみられるが、まだ先に降臨地があったのでしょうか。◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~20「金屋子神のまとめ」なる章が出てきました。ん…まだまとまってなかったのですか~(笑)~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事1…金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)2…金屋子神の信仰圏3…「金屋子神」八幡神説(前編)4…「金屋子神」八幡神説(中編1)5…「金屋子神」八幡神説(中編2)6…「
◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~18久しぶりに強烈な背中痛を催し、救急車を呼ぶべきかどうかの寸前まで迫った昨日の朝。冷えたのかな?それとも違う原因なのか?まだまだ余談を許せない状態です。新しい車(中古車)もまだ納車されないことですし、まだしばらくは引きこもりですね~これを機に負荷が大きく時間のかかるテーマ記事作成に励んでおきます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事1…金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)2…金屋子神の信仰圏3
日御碕神社を出発し、一路出雲大社へと向かいます。稲佐の浜は、出雲大社のほぼ真西にある砂浜です。なぜ、日御碕神社を出発し、出雲大社を参拝する前に向かった(立ち寄った)かというと・・・。稲佐の浜|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】出雲の観光・旅行情報満載の出雲観光ガイド!縁結びの地出雲を代表する出雲大社をはじめ、見どころいっぱいの観光地。出雲そばをはじめグルメも大満足。縁結び由来のお土産物や「日本三美人の湯」の一つに数えられる温泉も女子旅のステキな思い出!www.
出雲国は現在の島根県の東半分。この地域は神話の舞台となった(であろう)場所が多々存在しています。何度か訪れている地ではありますが、今回(多分)7~8年振りに訪問してみました。和歌山から出雲に向かうには、鉄道、飛行機、夜行バス、自家用車という交通手段が選択できます。どの経路でも訪れたことがありますが、今回は鉄道にしました。鉄道で和歌山から出雲に向かうには、和歌山~(くろしお)~新大阪~(新幹線)~岡山~(やくも)~米子・出雲市という風に、新幹線と特急列車で乗り継ぐのが
おはようございますm(__)mペコリ本日は三穂神社の参拝をした時の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノパッ☆まずは鳥居の前で一礼して境内に扁額の写真は…………………………あれ?ズレてる鳥居の建立時期は昭和九年です(≧∇≦)b石燈籠も潮風で凄く風化してました(・・;)文字が全く見えませんね(´Д`)ハァ…💦おっと参拝でしたε≡≡ヘ(´Д`)ノ拝殿に向かい早速参拝を(ー人ー)パンパン由緒書は…………………………無いので私の資料から(≧∇≦)ノ三穂神社(みほじんじ
P.44.(二)出雲国攻撃老人になると、必ずといつていい程、夜中にトイレに行く為に目が覚める。五島も例外ではなく夜中に必ず一、二回は目を覚ます。でも彼の年令から考えると、回数が少ないほうであつた。今夜は二時頃尿意を感じて目がさめた。冬の寒さは身に応える。でも尿意には勝てず、起き出してガウンを羽織り便所に立つた。急いで戻り、まだ温かさの残る寝床に潜り込んだ。普段はすぐ睡魔が襲って来るのだが今夜は違つた。なぜか
快晴の出雲国です。日本海🌊のシーサイドコースを快走しています。メチヤ気持ちええ~。出雲市多伎町の駐車場でカフェ☕タイム。今の気温は17度。午後は20度超えるらしい。ぼちぼち出発しま~す。
先に『倭国の古代学』なる一冊を読んで、「この頃(古墳時代)には小さな単位での海の向こうとのやりとりが盛んに行われていたのであるなあ…」てなふうに考えたわけですけれど、古代中国の春秋戦国時代とか群雄割拠とか、そんなふうにまでは言わないものの、後に日本としてまとまる領域のあちらこちらにそれぞれ一定の勢力をもった小国(といいましょうか)があったのですよね。畿内のヤマト王権や北九州はもとより、岡山には吉備が、北陸には高志(越)が、そしてもちろん山陰には出雲という独自勢力があったのですものね。そして
いつもRainbowRose万理子のblogにお越し下さりありがとうございます12月スタートしましたね自分が思った以上の濃ゆい11月で自分でもビックリしていて初めての神在月での出雲訪問神迎祭、神在祭を経験出雲大社様だけでなく様々な神社様がお祭りを執り行われているのを知り、感慨深いものがありましたそして、この時、ご紹介して頂いた石見国一宮の物部神社様のことそこで行われる大切なお祭り鎮魂祭のこと鎮魂祭(みたましずめのまつり)www.mononobe-jinja
熊野大社出雲国意宇郡島根県松江市八雲町熊野2451(P有)■延喜式神名帳熊野坐神社名神大の比定社[境内摂社稲田神社]合祀社が前神社の論社[境内摂社伊邪那美神社]合祀社が能利刀神社・田中神社・楯井神社・速玉神社・布吾弥神社の五社がそれぞれ論社[上の宮境内末社久米神社]久米神社の論社■社格等[旧社格]国幣大社[現在]別表神社出雲国一ノ宮■祭神伊邪那伎日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(イザナギノヒマナコカブロギクマノオオカミクシミケヌノミコ
本日はお朔日(おついたち)ということで。仕事部屋の神棚の「米」「塩」「水」そして「榊」(さかき)を新しく。新しい気持ちで神様に手を合わせました。朝にガガさんからお話もあったように、小野寺S一貴『霜月のガガ~オオクニヌシの愛の力を見習うべし!!~』さあさあさあさあ!!読者の諸君!!いよいよ霜月に入ったぞ!!おっと、すまんな。感情が先走って朝の挨拶を忘れていたがね。あらためて諸君、おはよーなのだ…ameblo.jp明後日は出雲国では神迎祭が行われます。全国の
JR山陰線、鳥取駅から、出雲市駅を不定期に走る、観光列車「あめつち号」が、因美線、鳥取駅から津山駅を、不定期で走ると聞きました。停車駅は、鳥取、郡家、智頭、津山駅とのことです。山陰線の場合停車駅は、鳥取、倉吉、米子、松江、出雲市でした。一度だけ、米子から、出雲市間の往復で、乗車したことがあります。丁度、胃がんの手術を終えて、静養中の時に利用しました。全てがお馴染みの場所だし、珍しくありませんでしたが、車両もきれいで、食事も選べて、ちょっと新鮮でした。「あめつ
イザナキ神は亡き妻に会いたい気持ちが募りとうとう死者の国である黄泉国までイザナミ神を追って行きましたそして黄泉の国の御殿の内側にいる妻のイザナミ神に向かって言いました「いとしい私の妻よ私とあなたで作っている国はまだできあがっていないどうか、帰ってきておくれ」しかしイザナミ神は「残念ですあなたが早くいらっしゃらないので私は、黄泉の国で作った食べ物を食べてしまいましたのでもう帰れませんでもいとしい夫のあなたが来てくださったので帰ろうと思います
愛しい妻を亡くしたイザナキは嘆き悲しみ「愛しい私の妻よおまえは子どもの一人に代わろうというのか」といってイザナミ神の枕もとで腹ばいになって泣きに泣きましたその涙から女神が生まれましたそしてイザナキ神はイザナミ神の亡骸を出雲国(いずものくに)と伯伎国(ははきのくに)の堺にある比婆(ひば)の山に葬りました葬った後イザナキ神は腰につけた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて火の神であるカグツチ神を切るとそこにタケミカヅチ神などの神々が生まれました
島根県安来市十神山(とかみやま)は尼子に滅ぼされるまで、備前にルーツをもつ松田氏の館があったからです。松田氏は、出雲国の東部の豪族でしたが、備前にルーツがあり熱心な法華経信者だったのです。
神西氏は貞応2年(1221)に鎌倉より小野高通が地頭として来たことに始まります。歴代については八幡宮及び十楽寺位牌から12代の名がありますが、順番は不明ながら高通は初代として共通しています。これらをもとに湖陵町誌などから導きだした系図を作成しましたが、実際はどうであったかはわかりません。ただ最後の元通は庶子家であったようです。公通の子綱通は戦死、その子長通と掃部助は下関の一部を領地としていたようです。