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【ひと言:No.27:人の言葉は言霊・・・】ーーーーーーーー人の言葉は言霊。言霊には力がある。光の人の力が光の世を作る。ご存在と共にーーーーーーーー■1造物主天帝SumeLa葦彦様|あいうえおそら♬のの♪(ameblo.jp)■ブログ記事一覧|sume♫La葦彦様■ブログ記事一覧|めがね持ってるわ様
見た目は明るいが!!めちゃくちゃ暗い。闇のなか。自己統合が出来たならそれは常に安定した状態なんですね!!何か変。それしかわからない。わたしがわたしで変わるとき。怖いけど。孤独を感じる…。いつもありがとうございます✨✨愛してます🌹
自分のことを不幸と言ってしまうと、笑わせるなと父親にはおそらく言われるだろう。そもそも父親がモラハラ暴力暴言支配の毒親で私の不幸の源だったのだけど。某心理学では毒親に当たる確率は4割程度らしいがきょうだいもだめ、同級生も先生もだめという人の割合はさすがに少ないのではないだろうか。ついでに言うと親戚もご近所さんもダメ、友達もマウントしてくるからつきあえなくなる、2,3年前にスターシードだという人ですらせっかく友達になっても人前で私を笑いものにした上にマウントしてきたので絶望したことがある。子供の
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「投影」という心理学の用語があります。これは、自分自身の問題を、他人の問題として転換してしまうというもの。逆に言うと、他人に対しどういう点で責めがちかというのを見れば、その人が自分に対しどんなコンプレックスを持っているのかが見えてくる、ということにもなります。例えば「あいつはマナーがなってない!」とよく怒る人は、自分自身がマナー違反をすることをすごく恐れている。他人の容姿の良し悪しをよく言及する人は、自分自身の容姿にコンプレックスを持っている、てなところです。なんで
心が言うには、無意識の世界というのは言ってしまえば、「どんな機械でもある世界」みたいなものだそうです。やる気を一発で出す機械や、なんかすごい能力を発揮する機械、健康になれる機械、他人と楽しくしゃべれる機械など、なんでもある。でも「どんな機械でもある」ので、やる気が一発で消える機械もあれば、能力が全然発揮できなくなる機械、病気になる機械、他人とのコミュニケーションがダメダメになる機械もあったりする。結局は、どの機械が動いているかで、無意識の力がどう働くかは決まる。となれば、
たなごころのガチャブログへようこそあなたのまほろばへご案内しますステージアップナビゲーターたなごころのあかねです今日のあなたにお届けするガチャは~ぽんっこちらでーす↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓【交流会】D→START交流会たなごころ心斎橋サロンのあるシェアスタジオでは美と健康を中心としたさまざまなジャンルのサロンさんが活動されています。たなごころは再生医療クリニック監修のアイテムを一緒に取り扱いしている
今日の心は、「光絶ちについてさらに踏み込む」と言ってきました。これまではイメージ療法的なことを書いていましたが、ここからさらに踏み込むとなると、やはり言葉かな?という気がなんとなくします。その是非を心に確認した上で、どういう言葉をどう使えばいいの?と心に聞いてみると、「幼子先生が光の人と論戦しなければならなくなったというシチュエーションを想像してみ」と言われました。ということで想像してみると、相手の光の人に対して「バーカ」と言ってる幼子先生の姿が浮かびます。いや先生、
(一部抜粋)感情帯と自制心怒りは低い波動であり、和の状態に影響を与えます。光の人は和の状態でいられるように気をつけなければなりません。また、感情体は肉体と密接に繋がっていることを覚えておいてください。だから、原因不明のまま病気が進行します。感情体をチェックしてください。感情体をクリーンにできれば、肉体は本質的に繋がっているので、体自身が修正して回復し始めます。
幸せに生きるためには支配者にばかり注目するのではなく、光の人にも注目しないといけないのでは?という話の続きです。心が言うには、これを「光絶ち」と名付けるのだとか。絶つと言ってもどうすりゃいいのよ?と心に聞くと、「幼子先生が光にどう対処してるか見てみ」と言ってきたので、例によって見てみます。すると幼子先生は、目の前に強烈な光が生じたときは、さっと顔の向きを変えて光自体を見ないようにしている。どうしてもそっちへ進まないといけないときは、サングラスをかけて光自体を減らしてい
心安らかに過ごす方法については、いろんな人が、いろんなことを書いています。そういったものを目にすることは、昔も今も多いんですが、大抵のことはどうにもしっくり来ないんです。理屈は一見間違ってないけど、それを実践できないから困ってるんじゃない!と思う。左足が地面につく前に右足を上げれば、空を歩くこともできるよね、といった感じの空論に感じるんです。やはり私の場合、支配者という要素を抜きに、幸せに生きる方法は語れないんじゃないかと思う。支配者なんて概念は空論の極みじゃない
心が言う今日のテーマは「無意識について」です。毎日書いてることじゃん、という話ではありますが、真正面から改めて触れてみるのも面白いかもしれない。そもそも無意識というものに対する定義自体が、人によって結構違っていたりします。一般的な定義で言えば、意識してないのに知らないうちにやっちゃった、ということを無意識と言っているのでしょう。例えばスポーツ選手なんかが、意識せずに自然と身体が動いていました、なんて言うときは、無意識で動いたんですねと大抵の人が理解しているかと思います。
心が言う今日のテーマは「健全な精神について」です。どっからそんなワードが出てきたんや、と私の意識は面白がりつつ、とりあえず考えてみます。もっとも、真っ先に思いついたのは、「そんなのはない!」だったりします。健全な精神なんてものはどこにもない、という意味ですね。だって人って例外なく不健全じゃん、というのがこの思考のベースにはあります。そこはいったん置いといて、相対性という価値観で見ても、そもそも「健全な精神」って社会や時代によって変わるんじゃない?てなことを思う。
すっかり主人に懐いてくつろぎまくりの2歳の孫今日聞いた斎藤一人さんのお話で心に留めておきたい言葉をここに残します✨(ꈍᴗꈍ)死んだ時に質問されること✦人生楽しみましたか?✦人に親切にしましたか?生きていたら色々と問題が出てきますねその時その時に愛と光で解決をすると考えるだけであなたは100点満点💯だって、あなたは愛と光の人だから
昨日は趣味の話の日、ではあったんですが、実際には記事の大半は催眠について書いていました。改めて書くと、以前心に究極の催眠ってなに?と聞いたら、「心と身体をその場その場で適切な状態に一瞬で調整すること」みたいな答えが返ってきたんです。例えば、今こうしてブログを書きながら、ちょっと眠かったりもするんですが、一発で意識スッキリ!とやるのが催眠、となります。その上で言うと、催眠において重要なのは物語なのでは?てなことも考えました。小説を読んだり映画を見たりすると、その世界の
いっぱいいっぱいで病気なってるのに…これやったほうがいいとかこのサプリがいいよとかまた情報を増やす事とかすすめられたりして余計自分がわかんなくなってたり・・・みんな、よくなることを考えるよねプラスプラスって神様(腸)は逆に病気のなり方を考えたら?…どうやったら病気になれるかどうやったら悪くなれるかの方法を考えるマイナスマイナスをとるそしたら自分の癖がわかるから悪魔は治そう治そうと考えるけど…病気に
今日も心は「ダラダラ書こう!」と言ってきてるわけですが、これが簡単なようで、結構すぐにはできなかったりします。「本当にダラダラ書くことができれば、なんの抵抗もなく一瞬で書き始めることができる」と心は言う。でも実際には、いろんな抵抗がわいてくるわけです。これは書かないほうがいいな、こんなこと書いてもしょうがないなといったものから、ダラダラ書くことができない自分はダメだ!と、そこにまでダメ出しが出るんかいとツッコミたくなるようなものまで。ちなみに、書かないほうがいいなと却下
8月もお誕生日ヒーリングが続いています不思議とお誕生日前は不調な方が多いんです。それはまるでサナギから蝶に生まれ変わるかのようにどうしても、夜明けの前の闇のようなものは訪れます。ここでサナギをしっかりと脱いでおくことが本当に重要で、次からの一年が全く違いますからお誕生日ヒーリングは3日前から少しづつヒーリングをいれていき、生まれ変わるサポートをする!当たり前といえば、当たり前ですが本当にお誕生日ってひとりひとりにとって特別なんですよ蝶になることを見守れることはヒーリングを始
おとといのブログで、心は「次のステージへ進む」と言ってきました。その、次のステージってなに?と聞くと、「虚無の無意識に触れ、他の無意識を排除すること」だそうです。昨日の動画のほうでしゃべってましたが、私は「無意識=無条件で自分を助けてくれるもの」とは考えていません。なぜなら前提として、人間には虚無・支配者・光の人という3つの属性があり、それぞれがそれぞれの無意識を持っていて、脳のネットワークを通して互いに影響しあっている、という仮説があるから。私は虚無に属するようですが
昨日は趣味のゲームの話を書いたんですが、なんかいつもの記事と感じが違うなー、と書き終えてから感じたんです。単に普段と話題が違うからというだけではなく、もっと根本的ななにかが違っている感じがした。なんでだろう?と考えてみると、昨日の記事はゲーム内における損得、有利不利、つまりは「正しいか間違っているか」の話ばかりしていた、ということに気づいたんです。これは三属性理論で言うところの支配者にとっての真実であり、虚無である私の真実である「快か不快か」、最近だと「楽しさ」と言っていると
毎日のブログでなに書くかを心に聞くと、「無意識モードでネタが出るのを待ってみ」と言われることがよくあります。言われた通りに無意識モードというやつでネタが浮かぶのを待つわけですが、今日もそれをやっていてふと、ネタが浮かんだ時点でこれって意識になってるよね?と思いました。そして、この状態以前で、つまり本当に意識で認識できてない無意識そのものを書くことってできないのかな?と思ったんです。心に聞いたら「できる」とのこと。意識で認識できてないことでも、現実にやることが可能だとい
今日のブログも雑談の間合いで行くのかな?と思って心に聞いてみたら、「今日は心に聞きまくる回にしよう」とか言ってきました。なにを聞くの?と尋ねると、「なんでも」と言う。そう言われると逆になに聞けばいいのか迷っちゃうんですが、そこはそれこそ雑談の心意気ということで、適当に聞いちゃう。てことで以下は、地の文は私の言葉、「」内は心の言葉です。ひろプリ、面白いな。「ええアニメやね」私は女児じゃないのに、なんで面白く感じるのかね?「ひろプリは虚無率が高いんよ
この前見たマリオの映画の影響からか、昨日久々に、途中で放置していたマリオのゲームの続きを遊んでみました。感想としては、「しんどい!」というのが前面に出てきて、それが自分でも意外でした。ゲームの進行状況としては、すでにメインストーリーはクリアし終えていて、今は「クリア後のおまけ」を遊んでいるような状態になります。最近のマリオの作りとして、メインストーリーの部分はそこまで難しくないけど、クリア後のおまけは結構難易度が上がって、それこそ何度も失敗してはやり直す、いわゆるトライアンドエ
支配者というものが存在する、という前提で考えた場合、幸せになるためには支配者からの支配(=洗脳)をはねのければいい、となります。けれど心に聞くと、「その支配の元である光をはねのけたほうが、もっと効果は高いな」と言うんです。光とは、光の人が「美しい」と見なしているもののこと。支配者はその美しい光に照らされて、「自分は美しくないから醜い!」と思ってしまうわけですが、その自分の醜さを認める(=内省する)ことは属性的にできないので、「お前が醜いんだ!」と自分の醜さを他人に丸投げする。
虚無・支配者・光の人という三属性それぞれの幸せについて考えたとき、支配者と光の人は「積み上げていく」、虚無は「いらないものを排除する」ことがそれぞれの幸せにつながります。支配者は、これが正しくてこれは間違ってる、という正誤のジャッジをすることで自分や他人に発作を起こさせ、罪悪感を与えることが幸せにつながる。光の人は、苦難の道を切り開き、より高みを目指すという光り輝く発作の世界を生きることが幸せにつながる。そして虚無は、そういう発作を全部排除して「無」の状態になることが幸せにつな
皆さま。こんにちは!!(・∀・)マシューくんのメッセージの神さまのお話が僕アニの神さまに通じるものがあったので載せます。みんなホントは光の人なんだよね(・∀・)そうは見えなくても。また後でじっくりと読むことにします。僕アニの最新記事は有料のノートてすがアニキさんの過去。神さまの声が聞こえるようになったいきさつです。読み応えたっぷり。朝から感動していました。(≧▽≦)てはまた(^_^)/~おかげさまでありがとうございます。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきました。映画館で見て、家に帰るまで、そして帰ってからもしばらくの間、ずっと脳がしびれたような状態になっていました。そしてその後、ああそうか、と気づいたんです。これが「光」の力なんだ、と。人間には、虚無・支配者・光の人の3タイプがいる、という仮説を前提に、私は日々色々書いています。そして、人間が作る全ての物もまた、その3タイプの要素をそれぞれ持っているんです。正確に言えば人間そのものも同じで、例えば私は虚無に属す
ゲームあるあるで、誰かがゲームをやっているのを側で見ているとき、つい口を出したくなる、というのがあります。特にゲームをやっている人があまりゲームが得意ではなく、見ている側は結構得意、というときほど、「なにやってるの!」という感じでアドバイスをしたくなる。考えてみれば、これって発作だよな、てなことを思ったんです。アドバイスする側は、居ても立っても居られないという心理になっていろいろ言ってしまうけれど、言われた側はそのアドバイスに感謝するということはあまりなくて、「余計なことを言っ
心が言う今日のお題は「自己肯定感」について、です。このお題を聞いて、自己肯定感の意味についてとっさに検索した自分は、自己肯定感が足りてないなーと思ったんです。だって、自己肯定感の意味なんてとっくに知っているはずなのに、その自分の知識に自信がない!となっちゃっているから。自己肯定感の意味とは、自分の全てを肯定すること。それこそ検索結果をよく見ていけば、ちょっと違うことが書いてあったりするかもしれませんが、「これでええんや」と心は言うので、これでいいことにします。では
不快な物は脳内でぶん殴る!というイメージを浮かべると、「なんて傲慢な!」というダメ出しがわいてきたりします。「なにかを不快だなんて判断するような権利がお前にあるのか!」「不快な物も受け入れてこそ人は成長できるんだ!」なんて考えも浮かんでくるんです。そういったダメ出しについても、やはり脳内でぶん殴ってみる。するとぶん殴られたなにかが、小さな虫のようになって、カサコソと逃げていくイメージに変わったりします。ところで昨日、動画のほうではグノーシアというゲームを、心に言われ