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愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.60理由No.30推古天皇からのメッセージ理由No.36皇極天皇(=斉明天皇)のリーダーシップ理由No.40持統天皇からのメッセージ理由No.50元明天皇からのメッセージときましたので、No.60はまんをじして元正天皇について書いておきたいと思います。(今さらですが、皇極天皇もキリ番にしておけばよかった)1300年後熱視線を浴びまくる女帝第44代元正天皇680年-748年(在位:71
2024年3月9日。西村慎太郎です。さて、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記された苕野(くさの)神社について見ています。本日も苕野神社の「縁起」について見てみたいと思います。「縁起」とは、寺社の起源、沿革や由来のこと。前回は『奥相志』に掲載された「標葉記」の内容を見てみました。「標葉記」に次いで記されているのが、苕野(くさの)神社の神職である鈴木家に伝来した記録です。-----------------------------
愛子さまが皇太子になるべき100の理由No.25今日は歴史の話です。飛鳥~奈良時代ごろまで、女性天皇が輝いた時代が確かにありました。592年の推古天皇が即位してから、称徳天皇が退位する770年までの約180年の間、女性天皇が8代、男性天皇も8代いた時代、です。単純な合計在位期間だけで見ると、女性天皇の期間の方が長い、というのもすごいですよね。(男性:87年、女性91年)つまり、この時代においては、女帝は例外ではなく、普遍であった、という事が言えます。
昨日の地震、東京にいても長い揺れを感じました。まさかあのような大きなものだったとは思わず驚きました。まだ火災が鎮火されていないところもあり、余震も続いていますが、少しでも早く治まり、被害も少なくなることを願ってやみません。本日予定されていた一般参賀は中止となっています。新年一般参賀要領-宮内庁www.kunaicho.go.jp一般参賀の中止について本年1月2日(火)に予定していた新年一般参賀については、令和6年能登半島地震の被害の状況等に鑑み、中止することといたしました。
永井路子著「美貌の女帝」を読み終えました。時代は7世紀終盤~8世紀。飛鳥時代終盤から奈良時代にかけて。女帝である持統天皇の統治下以降の皇室のお話。持統天皇の孫娘である氷高皇女、後の元正天皇が主人公。当時の宮廷は蘇我氏末裔が隆盛。持統天皇も蘇我氏系。台頭を図ろうと画策するのが後に隆盛をきわめる藤原氏系。蘇我vs藤原の権力争いのなかで皇位を継ぎ、その争いに終始する元正天皇の姿を描いた作品。この時代を描いた作品は少ないのではないかと思います。以前に永井さんの作品を何冊か読みました。
11月に1泊2日の旅行に行ったので日記に書きます。1日目は岐阜・養老の滝へ。大垣駅から養老鉄道に乗りました。紙切符だ〜シナモロールとコラボしてた。養老駅から歩いて養老公園に向かいます。天気が良くてよかった。瓢箪!養老の滝に向かう前に軽くランチ。滝ビールとしいたけウインナー。滝ビールは前に元正天皇ツアーで行った千歳楼さんでも飲みましたが、外だとより美味しく感じる。しいたけウインナーはめちゃめちゃ美味しくて3本あっという間に無くなった←楽市楽座・養老という施設で、地元名物の出
『愛国百人一首』の選定された15首目は葛井諸會(ふぢいのもろあひ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の葛井諸會の絵札)新しき年のはじめに豊の年しるすとならし雪のふれるはこの歌は、746(天平18)年に詠まれた歌です。歌の意(こころ)新しい年の始めのめでたい時に、雪が降るのは、その年が豊作となる前兆であって、まことにめでたい極みです。葛井諸
『愛国百人一首』の選定された14首目は紀清人(きのきよひと)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の紀清人の絵札)天の下すでに覆ひて降る雪の光を見れば貴くもあるかこの歌は、746(天平18)年に詠まれた歌です。歌の意(こころ)天の下のこの国土を覆って降る雪の清くまぶしい光をみると、皇室の御稜威もそれと同じく及ばぬところもなく、まことに貴いことでご
『愛国百人一首』の選定された13首目は橘諸兄(たちばなのもろえ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の橘諸兄の絵札)降る雪の白髪(しらかみ)までに大君に仕へまつれば貴(たふと)くもあるかこの歌は、746(天平18)年に詠まれた歌です。歌の意(こころ)今降っている雪のように、頭髪が白くなるまで長い間、天皇陛下にお仕えもうしてまいりましたので、貴く
5月末に参加した吉野ビジターズビューローさんの持統天皇ツアーの記録です。持統天皇の足跡をたどる吉野ビジターズビューロー吉野の旅の玄関口「吉野ビジターズビューロー」のWebサイトです。森林セラピー、吉野山、津風呂湖、もの作りの里国栖、伊勢街道の風情が残る上市、吉野町の観光情報をお伝えします。yoshino-kankou.jp講師は生駒あさみさんでした。まずは歴史に憩う橿原市博物館へ。初めて行く場所。学芸員さんのお話が面白かったです。(あまりにも好き嫌いがはっきりしてて、おお…ってなっ
昨年の滋賀旅2日目の記録です。目的地の道中で撮影した瀬田の唐橋。壬申の乱の重要な場所だったので…山の中をひたすら歩く…1時間半くらいかかったかな…景色が良いわーその分山を登ってきたことになりますが…夏の元正天皇ツアー以来の岩間寺に行きました。道中お寺の方の車とすれ違ったらしく、歩いて来たことを褒められました。笑元正天皇勅願寺!開山千三百年記念で千手観音さまが御開帳されていました。ツアーで知ったときから是非来たいと思ってまして。記念御朱印!頑張って歩いて来た甲斐があった。
昨年通いまくった元正天皇展の記録を。氷高内親王編・全編・元正太上天皇編の3部構成からなるロングランな企画展でした。まずは氷高内親王編。誕生〜即位までの出来事がパネル展示されています。特に気になったのは2歳で病気になったときに天武天皇が行なった大赦でしょうか。かなり大規模な大赦だったので、政治的な意図があったのか、孫娘が可愛かったが故の行いだったのかが気になるところ←会場には時差スタンプラリーなるものが設置されていました。3部全てのスタンプを押すとプレゼントが頂けるというもの。これ
北九州市小倉北区金田、今朝はまた冬が来たよな空の雲昨日のお昼に食べました。厚揚げカレー。これも、コンニャクに降りかけて食べました。結構おいしかったです。*******これまでの運動不足がたたって、ここ一週間ほどのスクワットで、腰が少し張っています。今日から回数を20回に減らそうと思います。*******葉室麟「緋の天空」から…女帝への尊崇元正太上天皇の清らかな声を聞くうちに、光明子はこの年の正月、平城京に大雪が降ったことを思い出
10月ですね。あと3ヶ月で2023年が終わるのか…奈良関係の日記でまだ書けてないものもありますが、とりあえず最近の奈良活記録を。近鉄奈良近辺で用事があったので、久しぶりにクラフトビールのお店に行きました。ビールと揚げ物!焼野菜も美味しかった。大和西大寺駅の方は割とよく行くので、久しぶりに行けてよかったです。用事はこちら。久しぶり?のことのまあかりさん。削氷を食べにきました。鸕野讃良皇女は初。美しい。メニューが大海人と隣同士なのも凝ってて大好きです。駅でお土産なんか買っちゃ
若狭の名宝と呼び声高い十一面観音を安置する羽賀寺。716年、行基が創建したとされているそうです。独身のまま即位した女帝、元正天皇の勅願であったことから、その元正天皇の姿を写した十一面観音立像を造らせたとのこと。実際は、9世紀半ば以降の平安期の作らしく、技法や美意識は、京都や奈良にひけをとらない美仏であり、若狭国に深く仏教文化が根付いていたことを物語る名宝ですね(*´ω`*)彩色も鮮やかで、目の前にするとしばし動けなくなりそうですm(。≧Д≦。)mこれは是非一度お目にかか
今日は『敬老の日』ですね✨戦後の日本を築き上げてきた方々に心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げますm(__)mさて今日は、敬老の日の由来について記事にしたいと思います(^^)お年寄りをお祝いする「敬老の日」は、そもそもどのような経緯で始まったのでしょうか⁇私たちにとっては当たり前の行事ですが、その由来まで考えることってなかなかありませんよね(^^;;⭐️由来その1〜としよりの日〜昭和22年(1947)9月15日に、兵庫県多可郡多可町八千代区(旧野間谷村)で“老人を大切にし、
2019/01/29配信<第44代元正天皇>(女帝)氷高皇女[ひだかのひめみこ]中継ぎ(皇弟)文武天皇。元号・霊亀(左大臣)石上麻呂(右大臣)藤原不比等(中納言)粟田真人、阿倍宿奈麿、巨勢麻呂(参議)藤原房前(非参議)長屋王718年養老律令
本日は、以前は敬老の日とされていた日です。敬老の日は、現在ハッピマンデーにより9月の第三月曜日となっており、今年は9月18日となっています。日本の休日が明治時代に決められた時、その日付は宮中祭祀の祭日や祝日から制定されました。終戦後名前が変更させられたりしましたが、その本質は変わっていません。その後追加されたものもなんらかの天皇に由来する日付で制定されています。※現在は何の関連もない山の日が追加制定されています。日本の休日についても知ることができる「宮中祭祀」そうした中で、敬老の日は
2023年8月26日この日は、月1定例のおじさんたちのお出かけ会。今回は、奈良の生駒に午前8時40分におじさん四人が集合して、Fさんの車で滋賀方面へと出発した………まず最初に到着したのは……………【岩間寺(いわまでら)】滋賀県大津市石山内畑町82正式には【正法寺(しょうほうじ)】。西国三十三所第12番札所だ『京滋ツアー②〜岩間寺〜』【三室戸寺】を出発したココロたちが、次に到着したのは…………【岩間寺(岩間山正法寺)】滋賀県大津市石山内畑町82番地西国観音霊場十二番札所。滋賀県大
詔が発せれたとされる、飛鳥浄御原宮の「エビノコ大殿(大極殿)」。*橿考研附属博物館の展示模型(説明は最下部写真にて)◆「真の持統女帝」顕彰~反骨と苦悩の生涯~(15)飛鳥時代というのは生まれて初めて歴史に興味を持った時代です。まだ小3の頃生まれ育った同じ橿原市に都があったこともあり、自転車で行ける範囲に古代の史跡だらけ。すっかり虜に。何度も書いていますが…当時の土曜は半ドン。土曜の午後は橿原考古学博物館へ自転車を走らせるのがお決まり。こうして「歴男」に仕立て上がりまし
若い女性が元正、元明天皇陵をご参拝。古墳マニアかと思った(笑)『いつも明るく元気よく』と『気持ち良くご利用頂こう』がモットーの"めだか"こと、窪田泰伸です。先日、平城宮跡大極殿の北側を駅方面に走行してたら、疲れた表情でバス停に佇む若い女性が。私のタクシーを見るなり、サッと手を挙げてくださった。ありがた〜い「ありがとうございます。どちらまで行かれますか」「えーっと、元正天皇陵までお願い出来ますか」「えっげ、げ、元正天皇陵ですね。か、かしこまりました」予期せ
【訳者後記】チェンバレン『古事記序論』を翻訳した寺田惠子氏は、掲載された後に、他の研究者から指摘を受けたことについて「訳者後記」に記している。ひとつは「元明天皇」の読みの問題。チェンバレンは「元明天皇」を“EmpressGem-miyo”と記しているので、寺田氏が翻訳の中で「元明天皇」としているのは、「諡号の読み方という問題点がなくなってチェンバレンの翻訳の問題点を消すことになる」と松井嘉和氏からの指摘を紹介している。(アーネスト・サトウもウィリアム・ジョージ・アストンも”
*7月9日エントリーの続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは奈良時代。本日は、奈良の都のおはなしです。🍟あんみつ「先生、和銅三年(710)三月に平城京移転。元明天皇による遷都の詔は和銅元年二月ですから、新京はわずか2年で造営されたんですね。人夫は雑徭(ぞうよう)と呼ばれる国民負担の強制労働で、諸国から徴用されました。そのうえ租・庸・調の納税はさせられるんですから、人民は悲惨な生活
★第二九代欽明天皇は大和時代の天皇です。和風諡号あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと天国排開広庭天皇。御父継体天皇即位後に皇子として誕生され、御母は仁賢天皇の皇女、手白香皇女(たしらかのひめみこ)で雄略天皇の皇女、春日大娘皇女、雄略天皇は母方の曽祖父。継体天皇三年(509年)誕生。即位した年代に複数説がありますが、継体天皇以降の御歴代天皇の中では、昭和天皇、明治天皇に次ぐ長い在位(539年~571年)となっています。皇后は宣化天皇皇女、石姫皇女。また蘇我稲目の二人
まさにそれ。仮に始祖が女で1回目は女系でも、以後、男系で続いたなら、継承は別の話になる。キリストは処女懐胎で女系でも、教皇は男で継承した。聖母マリアとキリストは女系だから、ローマ教皇は男に限定する必要ないと言ったら「はあ???」となるだろう。https://t.co/OrcfYJaMSp—谷田川惣(@yatagawaosamu)April19,2023血統原理からのすり替えが凄すぎて溜息しか出ませんε-(´ー`*)そもそもローマ教皇は世襲ではありませんから、例える話に
天皇の直系からかなり遠い継体天皇母娘継承だが男系継承の元明、元正天皇道鏡事件を起こした称徳天皇各天皇には男系の拘りが垣間見えるな。女系が当時からおkなら、称徳天皇は道鏡事件なんて起こす必要がなかった。着眼点が素晴らしいなw
アイツらはマジでたまにいい資料をくれる場合があるなwwww富山が持ち出してきた資料に付け加えたツイートの一部ww(俺じゃねぇw)天武帝孫文武帝妹氷高皇女wwwwジョケイガーこれで言えなくなんなwwwwそれにしても、こんな資料、どこで手に入れるんだろうなぁwww
現在の元号は【令和】248個目の元号だそうです。大化の改新でお馴染みの【大化】が始まり。今こそ、一人の天皇がいらっしゃる間は一つの元号を通す一世一元ですが、大正以前はそれはそれはころころと元号を変えていました。ラッキーアイテムを取り換えるがごとくです。なんか、ここで名前を変えて、世の中を心機一転したいぞ!!という感じで変えていたんですね。後醍醐天皇の時は8回も変えてるみたいですよ。政治不安もあるだろうし、大地震とか疫病とかそういうのが影響してるようです。令和に変わるときは
久しぶり?の奈良日記と本日の購入品を。今日は「ことのまあかり」さんに行ってきました。相変わらず入口からワクワクします。メニュー表記が変わってる!次は日本書紀ブレンドを頼もう。カヌレも食べたかったけど次回のお楽しみに。最近カヌレにハマっておりまして…本日のお目当ては期間限定メニューの「奈良のきなこ雑煮」でした。奈良のお雑煮はお餅をきなこに付けて食べるそうで、初めての食べ方でしたがとても美味しかったです。物販も購入しました。ずっと欲しかったので、店頭で見かけてビックリしました。
四十三代元明天皇は奈良時代の女性天皇です。御名は阿陪皇女(あべのひめみこ)。斉明天皇七年(661年)生。御父は天智天皇、御母は蘇我姪娘(めいのいらつめ)。在位、慶雲四年(707年)から和銅八年(715年)。草壁皇子と阿陪皇女の皇子であった第四十二代文武天皇が崩御されたとき、その皇子である首(おびと)皇子はまだ七歳と幼なかったため、文武天皇の母である安陪皇女が即位しました(元明天皇)。皇后を経ないで即位された初めての例です。文武天皇は、日の丸を初めて掲げたとされる天皇です。『日の