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言葉にする言葉には見えない意図が含まれています”こうしたい”という想い”こうなりたい”という願い意図とは”想い”と”願い”この二つが合わさって目に目える形となります。言葉にならないものは形にはなりません言葉にできていないものは目に見えません形もなく目に見えないとどうなるでしょうか?これが、怖れ・不安の正体ですもし、怖れや不安があるならその存在を特定することが重要です自分の言葉で怖れ・不安を捉えることができると、光
何気ない一言に傷付いてしまう言葉尻を捕らえているだけでは本当の意図は掴めませんプラスに捉えるかマイナスに捉えるかどう捉えるかは”私”の受け止め方次第です。どんな思いがあってその言葉を発したのだろうかその言葉を発することでどんな望みを叶えようとしているのだろうか言葉に隠された”想い”や”願い”に意識を向けてみて下さいそうすると見えない世界が開けていくでしょう
思いつきをやってみる出すことへの怖れ・不安から、出しても大丈夫だ。という状態へ向かうように、思いつきを拾うことを試しています。これしないと。と、頭をよぎっても、後でいいかなと後回しにしたり、結局やらないことがあります。それを、小さなことでも頭をよぎったらやってみることに取り組んでいます。とはいっても、小さなことでも動けない自分がいます。身体が覚えているんです。今まで感じていた怖れの感覚を。一瞬、ザワっと体の表面を何かが通りすぎるよう
昨日、娘が就職の為、家を出て大都会へと旅立って行きました。思い返せば、全然順風満帆ではなかった子育てでした。中1までは元気な明るい子だったのですが、中2の頃から徐々に様子がおかしくなり…。朝起きれない、長時間眠り続ける、無気力、そして、ついに学校に全く行けなくなり不登校に。本人も原因がわからないようで、対処のしようがありませんでした。しかし、親として日に日に元気がなくなっていく様子を見てられなくて、病院で検査をしたり、カウンセリングに連れて行ったり、薬を飲ませたりしましたが、何をして
出すことへの不安丹田発声修練会に参加して氣づいた、出すことへの怖れや不安。怖れ・不安が力みに繋がり、自分で自分を封印することへと繋がったように感じています。出すことへの怖れ・不安はどこからきたのだろうか?ということを考えていたら、幼少期のある出来事を思い出しました。この出来事は今までもよく思い出します。幼稚園の参観日でした。男の子は”木”の役に変身し、女の子は”葉”の役に変身します。男の子は、思い思いの形にポーズを取って木になりきります。そこで
娘が不登校になってからはなんだか悪いことばかりに目が向きがちですだから今日はちょっと娘の回復してきた?と言っていいのかはわかりませんが私なりに前向きになれるように良くなってきたところを書いてみようと思います部屋から出てくるようになった。前はごはんかトイレの時にしか部屋からはでてきませんでした。話をするようになった。前はしゃべる隙もなかったけど今は機嫌がいいと話しかけてくるようになりました。外出するようになった。たまに一人でも散歩へ行ったり友達とも遊ぶようになりました。こ
身体に意識を向けるとどんな感覚を感じるでしょうか?今、意識を向けると何カ所かに違和感を感じます。ヘソの上辺り、腹筋に力が入っている。右の首筋が張っている。右足、外側に弱い痺れを感じる。目が乾燥する。ちょっと意識を向けるだけも、これだけのことに氣がつきます。ここ数日、一番気になっているのは腹筋に力が入ることです。息が深く入らない感覚です。吸い切れないというか・・・吸切れないので吐き切れない。息苦しさのようなものを感じています。
呼吸と身体に意識を向ける日々、丹田に意識を置けるよう修練をしています。この春で丸3年。4年目へと突入します。節目ということもあり、昨日から振り返りをしています。振返るをすることで、掴んだことを明確にできればと思っています。始めたばかりのことを思い出しながら書いています。まずは、意識でもって無理やりにでも動かすことがスタートでした。それまで呼吸は胸でしていました。それを、ヘソ下を凹ませ膨らます呼吸へと作り変えていきます。作り変えるため
抜けきれない昨日は12回目の丹田発声修練会でした。月に一度の開催で丸一年が経ちました。今回も課題がいくつか浮彫となりました。一つ目は”脱力”です。力を入れずに身体がもともと持っている力を使う。”在る”ということは体感しているのですが、ではどうやって力を入れずに力を出すか?で停滞しています。もう一つは”意識の置き所”です。常に肚に置き続けることと、背中に一本線を通すことです。頭でなんとかしよう、力でなんとかしよう、とすると意識が上ずってい
活動の意義を改めて感じる機会が続いています子ども達の可能性をどう広げていけるかが子どもの持っている能力を引き出すことにも繋がりますそのためには、どう寄り添うかどう在るかがとても大切です子ども達は経験が少ないからこそひとつひとつ体験することで失敗することもありますたとえ失敗したとしても次にどう繋げるかを考えて行動することでまたひとつ成長していくのです完全を求めたら不完全がいつまで経っても消えません目の前の人のことを信じることが求められていますこれまでの活動を通じて
尊敬しているからこそお断りする。こうして文章で書いても、一瞬、ん?となる。尊敬しているのに断るってどういうこと?それには、明確な信念、信仰心があるかこそ、断るという判断をすることができるようです。自分には明確に信じるものがあるので、相手も明確に信じるものがあると心の底から思っている。だからこそ、相手の領域へは中途半端な気持ちでは立ち入らない。立ち入ることができないくらい、相手が信じることに対して敬意を払う。お付き合いだから、
出来ることより出来ないことに意識が向いてしまう。いつも無意識に他人と比べてばかり。あの人はできるのに、自分は出来ない、出来ない、出来ない。。。他者を見ている時は、出来ることばかり。自分を見ている時は、出来ないことばかり。自分も出来るようになりたい。心ではそう思っているようだが、いざやろうとすると、できないかも、出来なかったらどうしよう、格好悪い・・・出来なかった時のことを考え、また、自分の出来ないところへ意識が向いてしまう。
何か新しいことや、今までやっていなかったこと、今までと違ったことをやろうとすると、ブレーキを踏んでしまいます。難しいかな・・・無理かな・・・受け容れてくれる人はいるだろうか・・・頭でごちゃごちゃ考えてしまってばかりで、行動することができません。胃の辺りはキリキリ痛む・・・意識は自分にばかり向いています。難しい、無理かな・・というのは言い訳で、結局は言い出すことができず、ただグダぐたしているだけなんです。”人を動かすことができない”そのような思い
卒業式も終わり、進学・就職と新たな道へ歩んでいく季節ですね。よく買い物へ行くお店の学生アルバイトさん達も、卒業と同時に区切りをつけます。レジでお金を払うわずかな時間ですが、声をかけ会話を楽しんでいました。いつもの人がいないなぁ~。。。3月で辞めるとは言っていたが、結局会えずじまいでした。元氣で愛嬌もあり、お店でも愛されキャラでした。卒論のためのデータ集めに、お店も協力してくれていました。就職先の職場でも周囲の人から愛され応援されるだろう。そんなことを
出張に行った際、タラの芽、蕗を直売所で購入してきました。出張であちこち行く機会があるので、その地域地域の特産品、旬のものがあると、つい買い求めてしまいます。今日は蕗とタラの芽を天ぷらにしていただきました。少しえぐみがある味。このえぐみがたまらなく美味しいんです。このえぐみを味わうと、春がきたんだなぁと実感できます。身体も春の目覚めを求めているのかもしれません。今の季節だからこそ味わうことのできる喜び。旬のものをいただける幸せを感じた夕食
根源と未来今から10年ほど前からお花の教室へ通い始めました。花の種子・苗を扱う会社の営業をしていますが、実際に咲いた花をどう使うか?が分かりませんでした。やったことないのに、口ではアレンジに使えますよ、寄せ植えにいいですよ、なんて説明をよくしていました。今思うと、聞いている相手には全く伝わってないし、そもそもまとめに話を聞いてくれていなかったんだと思います。逆の立場になると、適当に言ってるなコイツ。って感じてしまいますよね。そんなこともあって、
仕事がら、花の写真を撮影することがあります。カタログや資料掲載用の写真です。1点ものの写真なので、室内での撮影です。室内なので、どうしても人工的な光の下での撮影になります。素人撮影なので、微妙な色合いがなっかなか出せないんです。なんとかしたいと想いカメラ講座にも通いました。通ったおかげもあり、カメラ設定で悩むことは少なくなり、撮影自体はスムーズの進むようになりました。それでも、気に入った状態のものが撮れません。色が気に入らないんです。色の何が気に入ら
ブログを書くor読むどっちが多い?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう書いている時間より読んでいる時間のほうが長いです。風の強い1日でした。娘の卒業式から1年。実に濃い1年でした。親は信じてあげることしかできないから私のかかりつけ医の言葉です。まもなく桜も咲いて新年度が訪れます。笑顔あふれる新年度となるように😊
子供の頃、虫取りが好きでした。どこにいそうかな?どこにいるか探す前に、いそうな場所を推測しながら探していました。いた!いそうな場所に見つかると嬉しいのです。推測、想像して探す。無意識にやっていることの一つです。これには良い面と悪い面があります。良い面は、先回りできることです。ショートカットです。面倒くさがりの僕に身に付いた能力の一つです。良くない点をあげるとすると、自分の推測=考えに固執してしまうところです。”自分が正しい
とあることに憤りを感じている。・その憤る感覚、何がそうさせているのだろうか?・その憤る感覚を感じることで、この先どんな行動を取っていきそうだろうか?・もし、憤りを感じるからこそ良いこと、プラスのことがあるとすると、どんな良いことがありそうだろうか?何かを感じた時、3つの問を立てて考える癖をつけようと取組んでいます。根源を問う質問。目指す未来を問う質問。陰陽を問う質問。方向性でいうと”過去”と”未来”と”裏っ側”。今の状態を多面的
夜、寝る前にBlogを書いています。寝る前に書いていると、自然と今日一日の出来ごとを思い起こすことになります。思い起こしながら、感じたこと気づいたことを振り返っています。いいこともあれば、嫌なのこともあるし、嬉しいこともあるし、悲しいと感じることもあります。そんな中から今日は何をシェアしようか考えています。頭に浮かんできたことは、昨日のつづきにもなりますが、振返りをすることは未来の扉が開かれるということです。過去と未来がどうして繋がるのか?と、思われるか
過去は変えられないだから前を向いて進まなきゃ。一般的にはそうのように思われているかもしれません。振返ってばかりでは前に進まないのでは?振り返るって後ろ向きだし、過去に執着があり手放せず未来へ進めないじゃないか・・・以前の僕もそう思っていました。それが、内観を繰返し繰返し行っていたら、過去と未来は繋がっているんだ。ということに氣がつきました。その氣づきがBlogのタイトルにもなっています。「過去を辿ると未来へ辿り着く」この”辿る”というMy
営業の仕事をしていることもあり車で移動することが多いんです。今日も近くて遠い渥美半島の先の方まで出かけていました。渥美半島は暖かいですね。菜の花が咲き乱れ春の景色になっていました。車での移動が多いので、頭の中になんやかんやインストールされている感覚があります。車の操作はハンドルを手で操作するというより、脳(意識)で操作している感覚があります。意識を進行方向へ向けると自動的に身体が動いて曲がっていく感じです。脳の自動運転機能ってやつですね。ス
戦国時代に傷🩹ひとつ負わなんだ本多忠勝平八郎戦国時代にここまで無事に生きてこれたことこそに感謝しております生きていることに感謝して🥹🥹殿に感謝しています🥹🥹🥹戦国時代を生き抜いてこられたことに誇りを感じた小平太殿のおかげですありがとうございます殿えいえいおー大事な人の命と引き換えにえ?信じられない麒麟🦒が来ることは絶対あります!!!まじで麒麟🦒が来てほしい
前回、目を閉じて想いにアクセスするということを書きました。未来へ意識を飛ばしては、妄想ばかりして何もしない、理想の未来があるのでは?と頭で考えるだけで具体的に何も見えていない、そんなことを繰り返してばかりでした。今朝、布団の中で氣づいたことがあります。それは、”どこに意識を置くかが大事だ”ということです。意識を頭に置くのか肚に置くのか。この意識の置き所の違いが妄想で終ってしまうかエネルギーが沸き上がってくるかの分岐点だと思ったんです。
矛盾に氣づくあなたの強みは何ですか?→忍耐力あなたの弱みは何ですか?→すぐに諦める強み・弱みのどちらか一方を語っている時には氣づくことができない。それを、文字で書いて画面で見ていると、あれ???と氣がづきます。忍耐力があるのにすぐに諦める全く矛盾しているんです。忍耐力があるなら、すぐに諦めるなんておかしいよね?すぐに諦めるのに、忍耐力があるってどういうこと?頭で考えているだけでは氣づけないことがたくさんあります。では
教師歴30年の現役教師があなたの背中をそっと押すチアアップライフサポーターおおぬまゆかり(ゆかりん先生)です。今日もブログにご訪問くださりありがとうございます。娘が婚約しました。先日はフィアンセのご両親との顔合わせでした。とてもとても厳しく育ててしまった娘です。自分が通ってきた道を娘にも歩ませるのが最良の方法と思い込んで娘の自由を奪ってしまっていたかもしれません。もし、そんな頃に娘が婚約していたなら、私は、相手のアラを探し、
出張から帰ってきました。先週火曜日から出ていたので、5日ぶりに帰ってきました。今回は寒の戻りで寒い一週間でしたね。帰ってきてからエアコンを付けていますが、部屋が冷えているのか、なっかなか暖かくなりません・・・帰ってからやることと言えば、やっぱり片付けなんです。疲れているから後回しでもいいと思うんですが、着替えから仕事の書類やメールやら、手を付けだすと綺麗さっぱりしないと氣がすまないんですよね。そんな性格もあり、綺麗さっぱり片付いたので、今こうしてBl
自分に嘘をつくことで、さらに自らを苦しめる状態へと突き進んでいってしまう。何がそうさせているんだろうか・・・?と内観していると、子供の頃の出来事を思い出しました。4年生から6年生までサッカースクールに通っていました。どうして通い始めたのかは記憶にありません。自分から言い出したとは思えないし・・・親が申し込んだ?のだろうか。サッカースクールに通い始めた経緯は今でも謎のままです。キャプテン翼が流行っていた頃でした。サッカー自体に興味もあったのは確かです。
東京都の私立認可保育園に勤務する保育士です年度末の様子…今日は、年長5歳児のお話『ワクワクしている3歳児』東京都の私立認可保育園に勤務する保育士です3歳児年少の子どもたちが、時間軸の理解や生活経験値が上がってきたことで見通しを持った行動や、言葉が多くなってきまし…ameblo.jp『中間管理職的な4歳児』東京都の私立認可保育園に勤務する保育士です『ワクワクしている3歳児』東京都の私立認可保育園に勤務する保育士です3歳児年少の子どもたちが、時間軸の理解や生…ameblo