ブログ記事1,151件
今の状態を言葉にして出す話を聞いてもらえる人がいるただただ聞いてくれる途中で口を挟むわけでもなく求めてもいない解決策をアドバイスされるわけでもなく目の前に存在そのものがそこに在るだけ頷き、呼吸音、包み込むようなドーム感言葉は発しないが全身全霊で”聞いている”と感じることができる何を話すかは自分次第こんなこと言ってもいいんだろうか・・・こんなしょうもない悩みを口にだしたところで・・・言うのも情けない、恥ずかしい・・・
身体の感覚に意識を向けるようになってから、ある部分に違和感をずっと感じていることに氣がつきました。へそ上の辺り、胃がギュッとなっているんです。”第三チャクラ”と呼ばれている辺りです。”第三チャクラ”の辺りと認識できたことで、チャクラについて調べてみたんです。そしたら、思い当たることが色々書いてありました。自立自尊心自分を信じる力行動を起こすエネルギー自分は価値のある人間だ支配・服従・依存・怖れ・怒り・臆病・攻撃性・執着・後悔他人との比較、他人の
罪悪感を感じている時、意識の置き所は自分の”外側”にあります。自分から離れ、何か他の対象となる出来事であったり、人に向いています。出来事や人に意識が向いているので、それに対して、何かを考えたり、感じたりします。プラスのことを考えて、プラスの感情を持つのであれば罪悪感も生まれないのですが、マイナスのことを考え、マイナスの感情を持ってしまうので、それが罪悪感となっていくのです。ここから心の奥へと掘り下げていく方法もありますが、マイナスと感じるこ
意識を自分に向け続けるには胆力が必要です。へそ下の辺りでグッとこらえておかないと自分に意識を向け続けることができません。自分に意識を向け続ける。と言葉で書くと自分のことばかり考えることなのか?と思われるかもしれませんが、そうではありません。自分に意識を向けることと、自分の事ばかり考えることとは、意識の”置き所”が違います。自分のことばかり考えている時、意識は”頭”にあります。自分に意識を向ける時、意識はへそ下辺りにあります。
やたら買い物がしたくなる・・・何かを買いたい想いに憑りつかれてあれもこれもと買ってしまう・・・何かに憑りつかれたかのように買い物をしていた。不要なものを買うわけではなく、普段の生活に必要なものばかりではあるが、毎日毎日、買い物に出かける自分に対して罪悪感のようなものを感じていた。身体の感覚はというと、胸のやや下辺り、みぞおちあたりに違和感を感じる。何かをしないと、とった焦りのような感じにも似ている。せっかくお店にきたのだし、ついでに買っておこう、
仕事はなるべく人に任せたいそのように思いながら仕事をしている人は多いと思います。任せるためには自分自身がいなくても仕事が回る仕組みを創る必要があります。自分が居なくても仕事が回るように自分だからこそできる仕事をするなんだか矛盾しているように思いますが目指す所はここなんだなぁと、今日、仕事仲間と話していて氣がつきました。早かれ遅かれいつか職場からは去らなければなりません。それまで、自分だから出来る仕事に執着し続けるのか。いつでも手放せる
太陽に向ってパッみなさんこんばんは息子が不登校になった四年前。娘が新生活に馴染めず凹んでいて、もしかして…娘も不登校なのか??と焦った今。どちらも、最終的には?突き詰めると?やっぱりさ!「私が」困る。「私が」嫌だ。なんですよね。。四年前、最初は、「息子のため」「息子が可哀想」「息子に申し訳ない」「息子」が主役で私は親として、息子をなんとかしてあげなきゃ…ってね。一体感を持って寄り添っていたつもりでいました。だけど、不登校の勉強やカウセリングを受けてみると。「息
最近どうですか?こう問われると自然と心の内を打ち明けたくなるのではないでしょうか。話したいけど話す機会がない。話したいけど話す相手がいない。話したいけど黙って聞いてもらえない。解決策を求めているわけではないのです。ただただ聞いて欲しいのです。話している内に整理されて自らが自然と氣づきを得ることができるのです。聞き手は頷きと問いかけだけでいいんです。答えを先走ってはダメなんです。最期まで話きるまで話をきいてくれる人はいるでしょう
モヤモヤの正体に向き合うにはどうすればいいのか?前回は身体の感覚に意識を向けるということをお伝えしました。今日もモヤモヤ解消法を考えていこうと思います。二つ目の方法は”言葉にする”ことです。人は得体の知れないもの、つかみどころがないと、不安や怖れを感じてしまいます。夜、暗闇の中窓の外を見ると、何か白いものがゆらゆら揺れている・・・えっ⁉オバケ?泥棒?誰か人がいる?なんだろう、どうしよう。怖れは膨れ上がり不安が増すばかり・・・勇気をもって窓を
昨日の続きです人をしっかりみてるっていう事は人の良いところも見つけられるって事という話もあったと思い出しましたしっかり見ていこうと思いますしおりです🔖車でお出かけの時に下げておくと車内の雰囲気が明るくなりますめいさんの今日のラジオゲストは長男さんでしたね家族で夕飯を食べつつ聞くことができました柔道の初めての試合のお話でお父様の言葉に対する想いもなんかわかるみたいで息子二人とも共感していました。めいさんも長男さんも声がとても優しくてお話の内容もとても温かく感じ
心の内にモヤモヤがあると苦しいです。言葉にできそうでできない・・・なんだろう・・・息が詰まる・・・頭で考えようとすると、なんだろう・・・なんだろう・・・のループにハマってしまいます。そんな時は身体に意識を向けてみると糸口が見つかるかもしれません。モヤモヤしている時って、身体のどこにどんな感覚を感じていますか?胸の辺りがギュッとなって苦しい・・・頭の奥がガンガンする・・・喉が締め付けられるような・・・お腹の辺りがキュッとなっていたいような・・・
会社勤めでは、植物を扱う仕事をしています。生き物なので、生育が早まったり遅れたり、数量が足りなくなったりすることがあります。天候のセイにするわけではないですが、そういったことは避けられない時があります。遅れや不足が発生した際、お客様に対して納期遅れの調整をしたり、不足したものへの対応をお願いしています。今日もそのようなことが発生しました。ご迷惑をかけている状況にもかかわらず、みなさん調整に協力してくださいます。協力していただけたこと
力を入れるのではなく意識の力で身体を動かそうと意識しています。身体を動かすには筋肉の弛緩と緊張という仕組みを使うから腕が動いたり足が動いたりします。例えば、握るという動作。握力を使って力任せにギュッと握ると強く握れるように思います。それを、意識の力、筋肉の弛緩と緊張でもって握ってみました。機械仕掛けの手を握るイメージです。握るには腕の内側の筋肉に意識を向けます。力で握る時とは逆の筋肉を使う感じでしょうか。意識の力を使って体を動かそうとして
2022年8月から自分の想いを出していくココロミとして”内なる世界の旅”と題して書き始めた記事。昨日が600記事目の投稿でした。キリのいい数字は嬉しいですね。投稿数なんか気にしない、って方も多いとは思いますが、毎日積み重ねていくには、数字というのは励みになるんです。積み重なった数字が”報酬”と脳が感じるので、その仕組みも使いながら書き続けています。僕の継続パターンは、先ず、書くタイミングを決めたことです。夜、お風呂に入る前に書く。お風
おはようございますご訪問ありがとうございます!いつもいいね、フォローとても励みになります硬筆に通っているアメちゃん。以前、硬筆で荒れるというお話をしましたが『字が書けなくて荒れる硬筆』おはようございますご訪問ありがとうございます!いつもいいね、フォローとても励みになります昨日はアメちゃんの週に1回の硬筆の教室でした硬筆は大好き…ameblo.jp相変わらず荒れておりますどんなにそれまで機嫌よくても硬筆に行ってしば
気になることは確認しよう毎年4月終りは、新しい商品カタログが出来上がる時期なんです。発行前に改定・変更された点を一覧表にする作業を行っています。リストを作りながら気になった点、あやふやな点は確認していました。ところが、今日、再度チェックしていたら間違いを発見したんです。見つけた瞬間、あぁ~やっぱりか・・・って思ってしまったんです。やっぱり。実は気になっていたんです。変わりない。と言ってたのは聞いてたので、現物の原稿まで確認しなかったんです。
今日は一歩も外に出ていないなぁ~、と風呂上がりに思ったんです。本当に外に出なかったのかなと、一日を振り返ってみました。選択を干すためにベランダには出ていました。ベランダは外なのか?・・・お風呂で温まったこともあり、夜のヒンヤリとした空気に触れたくもなり、外に出てきました。極端に寒くもなく心地いい風をカラダに感じました。車が走る音、新幹線が通過していく音、信号の点滅、点々と光る星。意識が自然と外に向いていました。意識が外に向くと、何か覆われて
出張中に現地で購入した柑橘類を食べました。アンコールという品種です。品種名の由来をお店の人が教えてくれました。「一個食べるともう一個食べたくなるからアンコール」へぇ~そうなんだ!と思って、だったら食べてみようと想い購入しました。ちょっとした営業トークに心動かされると、買ってしまう自分がいます^^;同じカテゴリーで種類がたくさんある商品を説明するのって難しく感じます。柑橘類を買うときに考えることと言えば、味「酸味・酸っぱい」「甘い」段取り「外皮の剝き
出張から先ほどかえってきました。久々の4泊5日の長旅でした。四国4県、岡山と回ってきたのですが、行く先々で桜を見ることができました。満開のところから葉桜のところと、訪問先によってみんな違うんですね。毎日、桜が見れて幸せでした。最終日の今日は岡山だったのですが、ちょうど満開。良いタイミングで回ることができました。良いタイミングというと、人とのご縁もタイミングが良いことばかりが続きました。これも、想いを素直に出してみた結果なのかなと思っています
今週は月曜から出張に出ています。今日で4日目です。コロナも関係なくなり、またコロナ以前のように出張が多くなりました。出張に出ると身体はやっぱり疲れてしまいます。それでも、楽しみがあると元気も湧いてきます。ご当地の旬のものを頂くのが楽しみの一つです。今回は高知と愛媛でカンキツ類を10種類ほど買い求めました。品種の食べ比べです。愛媛県はカンキツ王国ということもあり種類がた~くさんありました。初めて見る種類もあります。どんな味がするんでしょうね~
身体と呼吸と意識の関係身体に力が入ると呼吸が通らない呼吸が通らず詰まると無意識に自らの想いを封じ込める身体と呼吸と意識この3つに関係があるのでは?と思うようになっています。丹田発声修練会に通うようになってから、身体と意識の使い方で呼吸が通る/通らないということを身をもって体験しています。では、どうやって呼吸を通せばいいのか?をずっと考え続けては意識と身体の使い方をあれやこれやと試しています。その成果が少しずつでているのか、意識
嫌だなぁ、苦手だなぁ・・・誰かのことで頭の中が支配されているこんなこと言ってもいいんだろうかこんな直前にアポ入れてもいいのだろうか多分忙しいだろうな無理だろうな断られたらどうしよう・・・人の目、人の顔色ばかりを気にしてビクビクドキドキおどおど目配りしつつも目が会いそうになるとサッと目を背ける目を合わせると何か言われるのではないかと怖くて目を合わすことができなかったこんな自分はダメなやつだ・・・自身のなさが表れていたように
あなたの目の前にいる、すべての子どもはヒカリ輝く可能性を秘めている先日、娘が公園で「シャボン玉ふきたい!」と。さっそく子どもたちを連れ公園へGO♪きれいなシャボン玉に魅了され、まわりで遊んでいた知らない子どもたち近くに寄ってきてパンチやキックをしてシャボン玉と戦ってる?子「キレーイ」と優しく手を添える子遠くでママの後ろに隠れながらじーっと見ているだけの子シャボン玉ひとつとっても反応のちがい(個性)が
嫌いなままでいいという話から前回、良いも悪いも出しまくるということを書きました。その中で感じながら”味わう”という大事な大事な部分がありました。よく「感情を味わいなさい」と本に書いてあったり、見聞きしたりすると思います。でも、いつも思っていました。味わうのか~・・・どうやって?と僕はこう定義しました。”味わう”とは”出し切る”ことだと。出し切るのです。昨日も書きましたが、嫌いな部分、悪口を100個書き出してみるということを実
前回、嫌いなままでいいということを書きました。とはいっても、嫌いな部分は気になるものです。では、どうすれば嫌いな部分が気にならなくなるのでしょう?僕のがやってみた方法を書いておきます。これは”鏡の法則”という本にも書いてあったことで、離婚調停中に実際に行いました。嫌いな部分、腹が立つことなどなど、マイナスのことを紙に書き出します。頭に思い浮んだことをぜ~んぶ吐き出すつもりで書き出します。ア〇、ボ〇、〇ス、し〇、、、、誰かに見せるわけで
嫌いなままでいいあの人のことが嫌いだ許せない嫌いや許せないといった感情を抱いてしまう頭のどこかで”みんなと仲良く””嫌いな人がいるなんてダメだ”と、思い込んでいるそもそも嫌いな人がいるとはどういう状態だろう?あれが嫌いこれが嫌いここが嫌いそこも嫌い人そのものというより行動だったり発言だったりある”一部分”が嫌いなだけだと思う一部分が嫌いなだけなのにその人”丸ごと全部”が嫌いだと解釈している嫌いな部分を好きにな
今日は息子の誕生日高校3年生になった誕生日といっても今は一緒に暮らしていない離婚して8年離婚前からの家庭内別居期間を含めると年長さんくらいまでの記憶しかないどんな姿格好になっているのだろうか高校では何をやっているんだろうか進学はどういった方向を目指しているのだろうか交わりを拒絶し続けた末の果てがこのような状態です・・・自ら招いた結果とはいえ悔い改めたとしても時間は二度と戻ってこない久々に保存してあった写真フォルダを開けたお絵描き、工作、歌
吸い切れない呼吸に意識を向ける日々を送っています。吐いて吸って~吐いて吸って~生きている限り呼吸は意識せずとも繰り返されます。意識せずとも繰り返される呼吸に意識を向け、意識の力で肚呼吸へと作り変えています。呼吸へ意識を向けると身体のクセに氣がつきます。僕の課題は吸い切れないことです。肚へ空気を送り込もうとすると、へそ上辺りに無意識に力が入ります。力が入ると、その部分から下へは届きません。力が入って遮断された部分をこじ開け、広げ、空気を
桜の季節になりました桜の季節が来ると頭をよぎるあと何度見れるのだろうかと子供の頃には考えもしなかったけれどいつの頃からかそんなことを考えるようになっていた親子そろって最期に見たのはいつだっただろうかと今日は母の誕生日母がこの世に生を受け父と出会ったから今こうして僕が存在している父母と見た桜子供たちと見た桜桜を見るたび思い出す川沿いの桜を今年も父母二人で見に行くのだろう誕生日おめでとうそしてありがとう
3月も毎日Blogを継続することができました。ありがとございます。今日から4月1日ですね。新年度が始まりました。進学、就職と新たな一歩を歩み出した一日だったのではないかと思います。新たな一歩を踏み出すということでは、これから新しいことを始めてみよう、実際に始めた方も多いかと思います。僕も何かを始めてみようということで考えていました。そして、パット思い浮んだことは”辞める”ということでした。「辞めることを始める」なんか矛盾している表現になっ