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今本半陶子氏の侘び感覚数江教一氏の山上宗二記の空論より単刀直入に、侘び道具の話をした方がよほど、わかりやすいですね。私が以前から言ってる用に結局、高蒔絵の豪華絢爛な棗や色絵の茶壺や茶碗などは、本来侘び茶には相応しくないと言う事をわかりやすく書いておられます。⭕️侘び茶を標榜するならば、表流だけでも、派手な道具を使うのを慎みたいものです。私が先日も紹鴎棚は仰々しく好きでは無いと言ったのが良く分かる記述だと思います。紹鴎棚も竹台子の様に木地のままで襖も楚々としているかあるいは戸無けれ
「はるびよりりどうにこけのなじみたる」(木端美人)
特集は丹波焼水尾比呂志氏曰く日本人の美意識には無常観がある。茶道講座は旅箪笥の濃茶特記する事は何もお書きになって無いので割愛します。坐禅と同じでただひたすらに、気持ちを込めて繰り返し行う事だと思います。
久松真一氏が侘びを上手くまとめておられる著書「わびの茶道」よりわびの美とは1、不均斎2、簡素3、枯高4、自然5、幽玄6、脱族7、静寂つまりは無一物につながる。こころ「和敬清寂」「珠江曰く、茶会の旨趣ハ、よく和らぎ、よく敬い、よく清く、よく寂かなり」
侘びについての中村昌生氏の見解私見補足)結果、利休の侘び茶は「風流な遊び」の方向を向いてしまった。何度も書きますが、利休がなくなって百年も経たない内に侘び茶は廃ってしまった。それは現代も同じで、最も利休の茶を継承するはずの表流でさえ、既に宗旦の時代に禁裏や武家と繋がらずを得ず、息子達を大名茶の茶堂就職させ、結果、利休の侘び茶が、体面を保たざるを得ない武家茶と融合して今日にある。。。と思います。「利休に帰れ」。
如心斎宗匠についての彼の記事の中で彼の侘び茶に対する認識が良く出ているので掲載いたします。丿貫を真似てはならないと、宗旦は息子達に言った。私見補足)⭕️しかし、利休居士はそうは言ってません。私が思うに、宗旦の茶は利休居士の茶から既に離れてしまっていると思います。彼の禁裏との付き合いや出自となる武家の嗜みの象徴である能楽師の関係性など。宗旦の手紙から読める徳川政権との付き合いなども。思うに、丿貫らの茶には麻薬の様な魅力があるから、宗旦は若い息子達にそう言うお茶には近づくなと諭したのでは
我が意を得たりの小論。昭和46年11月号の茶道雑誌から。「光悦とその世界」題した藤井学氏の小論。以下印象的な箇所の抜粋。(その前に当時の歴史認識を釈迦に説法とは思いますが、若干。。。)筆者の認識以下「」。「光悦の老境の時代は、元和からやがて寛永、将軍は秀忠から家光となり名実共に幕府の直轄領となった京都の町には、法度や触書次々と発布されようやく近世封建制の締め付けが、あの桃山の自由で闊達な市民達の活動を次第にせばめてゆく時代である」⭕️「彼はただ単なる芸術家ではない。政治への鋭い感覚
ある朝、元嫁さん「昨日の残りのピザ、温めようか?」私「いやそのままでいいよ」元嫁さん「えっ冷たいままじゃおいしくないよ」私「自分の分だけ温めなよ」朝食中、元嫁さん「冷たいとおいしくないでしょ?」私「いやおいしいよ」元嫁さん「そう?」私「なんかこの冷たいピザって貧乏っちくて好き。侘びを感じる」元嫁さん(笑)「冷たいピザで侘びって。変な人ねぇ」夜、元嫁さんが仕事から帰って来る「うわっ、暗闇でなにやってるの?」私「いや普通にPCで遊んでいた」またある日「うわっ、今
石州侘びの文より「器物を愛し風情を好むは形を楽しむ数寄者也。心を楽しむ数寄者こそ誠の数寄者とは言うべけれ。たとへ千貫万貫の道具たりとも、炭斗瓢一つ程の数寄の本意は叶ふまじ」筆者「世をあげて道具を競い、見せ物化している現代世相の中で稽古を積むにつれ、侘数寄から遠のいて、道具が欲しくなると言う心情は、また止むを得ないものがあるのかもしれない。」「侘茶の不変の理念が潜んでいるこの自然な日常性の中へ、もう一度回帰することが今こそ茶道にとって最も必要なのではなかろうか」補足)この頃の茶道雑誌を読
p126「今日では竹置筒花入として何のこだわりもなく床の上に置いて使っているが、花入とは唐物の青磁、そして染め付け、それに古銅といった格調の高いものを使ってきた時代の者にとって、利休居士の作らせた青竹の花入を床に飾るまでには大変な英知と勇気を必要としたことは想像できる。利休居士の侘びの世界の出現をこんなところに見る思いだと言えないだろうか。」私見補足)山下慧光宗匠は自ら東京芸大で漆芸を学んだ芸術家でもいらっしゃり、何よりも、表千家即中斎宗匠に師事して侘び茶を実践しておられるので、こうした
第33章第2節数寄について要約⚪︎数寄は東山殿の古い様式を部分的に改めてこの茶の湯を完成させていった⚪︎茶の湯の人々は、禅宗の宗派に属するかその先祖が当時まで他の宗派であったとしても、禅宗であるようによそおうかする。⚪︎隠遁的孤独、公的な交渉の雑事から身を引く事だけを模倣し、万事に於いて意思の果断と敏速さを模倣した。⚪︎茶の湯の師匠は、言葉ではいくつかの一般的基本しか教えないで実践によって教える。栄耀栄華と外面的華麗と公的生活の豪華さを避けて、むしろ僻地の隠者に適した様な
立花大亀利休に帰れp48姿形行動は侘びであっても、それを行う人の心が侘びでないのが有ります。心根の無い人が侘びと言う姿のみを取りあげて描き出す。絵空事より尚、まずいものを見受ける場合が多い。
p191利休の孫の宗旦が千家を再興して、なかなか侘びしい茶の湯を展開して世人を感心させました。しかし、千軍万馬の豪傑の運集する中で鍛え上げた筋金入りの利休とは、同じわびでも大変に差がある様に思われます。ちょうど中国まで出かけた雪舟の描いた水墨画と、中国を見ていない狩野探幽の墨絵ほどの差がありましょう。二人の修行の深さが違うのです。茶の湯は煎じ詰めるとお茶を通じて人物を鑑賞する事が最後の目的の様です。主人の力量の如何によって、使われる名器が生き生きと働く場合もあり、少しも感銘を与えぬ場合
p170侘びの象徴の様な話文が長いので要約します。南方録の滅後に記載あり。武野紹鴎と利休が偶然、同じ花入を気に入った。結局は利休が手に入れ紹鴎に、花入が手に入ったので茶会をするので来てほしいと。紹鴎が出掛けると、花入の耳が片方だけ駆け落としてあった。紹鴎は、自分も片方を落とそうと思って金槌を持ってきた。、、、という話です。これに筆者江守氏は厳しい言葉で批判しています。p172「本来“わび”と言うものは自然の姿の中に侘びしさを見つけるもので、作為で器物を壊して、それが侘しいと言
p131偽書南方録を引用している点では有りますが、侘びの核心の部分なので、引用紹介させて頂きます。「豪華な書院のお茶も経験しないで直接浦の苫屋へ入るのでは、それは“わび”ではなくて乞食の生活です。いろいろな贅沢な生活も味わい最後に浦の苫屋の生活に入る事が肝要です。これが本当の茶の心です。つまり、鴨長明がお歌所の寄人であったり、西行が北面武士で歌道にも達していたり、上流社会の生活も経験し、学識も十分に備えた人々が最後に浦の苫屋で風月を楽しむことこそ侘びで風流で有り、それこそ侘び人と申す事が出来
久保権太夫は、「侘数寄は心強く大胆でなければ、道具をはじめすべて不如意なので、世に名高い人と交われば心劣りして肩身がせまく、自然と茶湯が嫌になる」と言っている。私見捕捉)正にその通りです。侘数寄は、それを乗り越える心の強さが必要とつくづく思います。
「千利休」侘び寂びの道を究めるみなさん、おはようございます2月は今日で終わり笑って過ごしましょうさあ、今日「2月28日」の國史を学びましょう「千利休、没」元正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉から切腹を命じられ武士の如く切腹します堺の商人本名は田中与四郎、号は宗易茶道のトップになります茶道は村田珠光が始め武野紹鴎が侘びの精神を確立し三畳、二畳半の茶室をつくります千利休は武野紹鴎に弟子入りし侘び茶を確立します不完全が
2月のお稽古はお正月に華やかさから一転侘びの風情を楽しみます。お花には白梅が入っていました。春はもうすぐなんですね!桜の前のこの梅の季節の取り合わせ。結構好きなんです。この時期によく出てくる抱清棚(ほうせいだな)水指は運び出しで持ち出すのですがお客様からは水指がちらりとしか見えません。奥の窓は「香狭透かし(こうざますかし)」。丸みのあるちょっとかわいい形。お寺などの欄間などにも見える形だとか→☆このお棚、炉の時期しか使用できないので毎年この時期に登場する
目次1.暦(こよみ)2.『和歌のお箸』3.やまとうた(大和和歌=歌道)~『今日の和歌』4.御所言葉(女房言葉)~『今日の御所言葉』5.PROFILE6.ACTIVITIES1.暦(こよみ)今日は…令和五年癸卯(みずのとう)新暦「2月7日」旧暦(陰暦)「1月17日」季節は…02月・03月・04月「春」05月・06月・07月「夏」08月・09月・10月「秋」11月・12月・01月「冬」そして…2月11日は🎌「建国記念の日」(けんこくき
目次1.暦(こよみ)2.『和歌のお箸』3.やまとうた(大和和歌=歌道)~『今日の和歌』4.御所言葉(女房言葉)~『今日の御所言葉』5.PROFILE6.ACTIVITIES1.暦(こよみ)今日は…令和五年癸卯(みずのとう)新暦「2月2日」旧暦(陰暦)「1月12日」季節は…02月・03月・04月「春」05月・06月・07月「夏」08月・09月・10月「秋」11月・12月・01月「冬」そして…明日2月3日は「節分」(せつぶん)・「冬
建築物や庭などに、苔なんかが生えていると<侘び寂び>を感じることがあります。これは、西洋思想には見られない感受方法だと思います。朽ちていく…という感覚だからでしょう。やがては、消えていく儚さが感じられるからでしょう。機能がなくなる直前の今を愛おしく感じるのでしょう。バイクでも、<侘び寂び>を感じることがあります。僕は、こんなところで、感じます。ホイールのハブダンパーが、長年の使用で機能を果たさなくなり、部品<ハブダンパー>を新品に交換して、しかも、部品が廃番になって
侘び寂びを愛で(めで)求めつつ生きるとも未だ錆びなく侘しくもなし侘び寂びは愛れば尚更温かき魂(たま)…………………………達観という字も読めぬガキの道
今日12/12の朝ドラ【舞いあがれ】の最後、吉川晃司氏がかっこよすぎてー!不安な舞ちゃんがホレてしまっても仕方がないって感じの(^^)今日のエンディングでした!ハプニングに遭遇し不安感いっぱいで、誰かー!助けてー!って時に🐸「予想しない形で助けてもろたらそりゃアカン!(^^)そんなの【ホレてまうやろ案件】になっちゃいますよね?笑不安というか不安定不完全な状態ある意味総じて……侘び…とも。不安定さが鍵を握るという件は恋愛以外にも世の中にはたくさん存在するやろし
ヘーゲルの「主と奴」には、実は、この続きがある。命がけの闘争によって勝者となった「主」は根本的な矛盾を抱えている。というのも、この闘争の目的は自由で独立した自己意識を獲得するために他者から「承認」を得ることにあったが、「主」がこれを得たのは「奴」からである。「奴」に「承認」されたからこそ、かれは、戦いの勝者となり、自由で独立した自己意識、いいかえれば人間としての尊厳をつかむことができた。ところが、「主」は戦いに負けた「奴」のことを自己意識として「承認」していない。かれは自分が尊厳ある人間
湖畔の黄菖蒲芭蕉の第五回大津滞在は、元禄三年三月中下旬の頃から、九月末までの六か月余り、最も長期の滞在でした。その滞在の当初、芭蕉は、膳所在住の医師で門人の洒堂(珍碩・珍夕)の招待を受けて、その住居「洒落堂」に滞在し、下記の俳文『洒落堂の記』を贈呈しました。洒落堂の記山は静かにして性(心)を養ひ、水は動いて情(心の動き)を慰す。静・動二つの間にして、住みかを得る者あり。浜田氏珍夕といへり。目に佳境を尽くし口に風雅(俳諧)を唱へて、濁りを澄まし塵を洗ふがゆゑに、洒落堂といふ。門に戒幡(戒
山桜、好きなんです。赤い葉の桜も緑の葉の桜も。ソメイヨシノとは違う侘びを感じて・・・・。
不便な生活も1か月半が経とうとしています。足が治ったらあれもしたい、これもしたいと日々考える毎日。外の風景は冬から春へ変化してきている。積もった雪も消え、日に日に昼が長くなってきていると実感をする。寒いのは変わらないけれど日が長くなるとやはり心が踊り始める。さて【やりたいことリスト】①庭を散策したい(草取り含む)②畑の様子を見に行きたい(秋に植えたネギがみてみたい)③ホームセンターに行きたい④リンパトリートメントを思いっきり受けたい⑤