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(20)初回放送日:2024年5月2日命の森でナオキ(倉沢杏菜)はアオイ(井上音生)にホナミ(井桁弘恵)との関係について話をする。「この関係に名前なんてなくたっていい、初恋ってだけでいいんだ」真面目に話してくれたことで、葵(柊木陽太)は直樹(野間口徹)を信頼するように。一方、直樹はこれから穂波とどうすれば良いか分からず、途方に暮れていた。そんな中、穂波は医者から余命を告げられ…
黒澤明監督の不朽の名作『生きる』がリメイクされアカデミー賞の呼び声も高かったですが取れませんでしたねアカデミー賞はオッペンハイマーが総嘗めしてしまいました(私はオッペンハイマーに関しては低評価です)『行きる』のリメイクは脚本があのノーベル賞作家のカズオイシグロさんですし期待に胸を膨らませてアマプラで観ました~❣️舞台となっているのは黒澤明監督のは1952年頃の日本でこちらの映画は1953年のロンドンです黒澤明監督のはまだまだ貧しくて薄汚いどぶの臭いがする戦後の日本
【余命3日】「余命3日です」もし、そう言われたらあなたならどうしますか?あなたに残された命があと3日しかないとしたらあなたは何をしますか?きっとお金が欲しいとか高級車を乗り回したいとかブランドのバッグを買いたいとかじゃなくて家族と幸せな時間を過ごしたり大切なひとへ感謝を伝えたい・・・そんな風に思うんじゃないでしょうか?でも
みなさんおはようございます昨日、旦那の母が永眠しました💧余命宣告されていたので近いうちに旅立つことはわかっていましたがその日は突然きてしまいました大切な家族が亡くなる悲しみは私も経験しているので旦那の気持ちはわかるつもりですが、旦那が心配ですこんなにも優しく旦那を育ててくれた義母に感謝しています2024,05,0123:57永眠【11年連続総合1位獲得】母の日プレゼント花ギフト鉢植えアジサイアレンジアレンジメントスタンディングブーケ花束カーネーシ
肝硬変になった時、夫は最初「10年生きられない」と言われた。ただ、お酒をやめれば、生きながらえるかもしれないとも。10年生きても子どもは小学校を卒業してない。やはり気になるのは予後、余命。ネットで調べました。ここから先は、もしかしたら読むのに覚悟が必要な人もいるかもしれません。当初は余命10年足らず。そのまま良くならず。自分が医師から聞いたこと、ネットで調べたことなどから1年後くらいには夫の余命は2、3年なのではないかと思うようになりました。たぶん、子どもの卒園まで保たな
こんばんは今日はお昼に仕事を抜けさせてもらい面会に行ってきました。オムツが足りなかったので追加のオムツとクッション・愛鳥の写真・日付がわかる時計・そして早いですが母の日のプレゼントを置いていきました。花屋に務めている私は、今こそ私の力が発揮される時!と生のお花でアレンジメント作りたかったのですが花粉など衛生面的にダメだと言われて断念しました。なので仕方なくアートフラワーで作りました。病室につくと母は寝ておりましたが、すぐに私の気配に、気づいて目を開けました。痛みは相変わらず強い
ブログのことこのブログを書き始めたのは抗がん剤をしない選択をした方のブログがあまりなかったから少し残せたらと思ってでした私も夫が抗がん剤やらないと言うとは思わなかったです自分の母が、膵臓がんで抗がん剤治療をした時本当に辛そうで、この時は告知もしてなかったしもう手のつけようがなかったので、抗がん剤もすぐに断念しました夫の時は告知されましたが、以前にも書きましたが余命を聞くこと本人は望まなかった今のままでどれくらい生きられるかわからないのにそんな中で、なぜ抗がん剤しないの
部屋に案内され、父と一緒に医師から説明を受けました。15歳以下は面会できないという制限がありましたが、病棟まで行くことはできるとのことで、息子はエレベーター前で待っていてくれました。面会した週にCTを撮っていて、その結果は2月に大学病院で撮ったCTと変わりはなく、血液検査結果も異常なしとのこと。CTなので、詳しい所までは分からない、と言われ、5月中旬に大学病院でMRIを撮って評価することになるよう。今のところ検査結果上では腫瘍は拡大していなそうだけれど、
御神示食物、のど通らずとも、鼻、耳、生きておるぞ。合掌いわ子先生よりこの御神示に驚かれる方が多いと思いますが、どうか食べ物が食べられない病気の方にも、季節の香りのよい果物などをお見舞にお持ちし、本人の目の高さに見せ、耳元でその説明をして上げて下さい。それから鼻のところに持っていって、食べられなくてもゆっくりとその人の好物の香りを楽しませて上げて下さい。心を込めて"香り"を食べさせて上げるのです。実は早速、この"弘法大師様のお言葉"を勉強会でお伝えしたところ、身近にそうした余命いく
こんばんは今日は3度目の正直!抗がん剤治療薬変更日でしたが、案の定抗がん剤治療断念という形になりました。そしてあとは穏やかに最後を迎えるしかない緩和ケアだけが残りました。もう痛み止めが効かないのです。今回薬の変更などドタバタでしかも連休が重なり痛み止めのトラマドールが通院日まで最後1日分足りなくなってしまい代用でカロナールで対応しましたが、カロナール200を1日16錠飲んでも痛いのです。私は今日も先生に先に呼ばれて抗がん剤治療中断の宣言をされました。覚悟していたのに思わず
実家には毎日電話して様子を聞いてました。父は寝ていることが多い様子仕事を休職前の最後の土曜日に食事を持って実家に帰りました。母はかなり不安がってて後5日程で毎日来れるようになるからね後もう少し頑張ってねと言って帰宅次の日実家に電話したが、何回かけても電話に出ないのでおかしいと思い急いで車で実家へ家に入ると真っ暗の部屋に父と母が二つ布団を並べて寝ているどうしたん?お母さんが腰が痛くって動けないと父様子を聞いているとまた圧迫骨折か⁉️まだ前よりは少し動けるみたいなので
「哀しみの笑顔」彼女はいつも笑顔で周りを明るく見せる女性だった。しかし、その笑顔の裏には深い哀しみが隠されていた。彼女の名前は寿々(すず)。彼女は幼い頃から周囲の期待に応えようと努力し、いつも笑顔でいることを心がけていた。だが、内面では孤独や絶望に苛まれていた。寿々は幼い頃に両親を亡くし、親戚の家で育てられた。家族に愛されることがどれほど幸せなことかを知っていたが、自分にはそれが叶わないことを悟っていた。成長しても、寿々は自分を愛してくれる人が現れることを信じ
昭和が遠くなったと思う。では昭和とはなんだったのだろう?人には色々な昭和があるが、癌の告知ーというのが分岐点だったような気がする。平成の重松清の小説「その日まで」では容赦なく癌が告知されている。人は生まれたら、いつかは死ぬものだし、事実は事実として受け入れるというのが当然のようになってきたのだ。勿論余命は絶対ではないけれど、嘘で騙すことはなくなった。1988年昭和天皇の病状を伝えるのに宮内庁は真っ赤な嘘をついた。何故なら本人に知られてよいことはなにもないからだった。
日本の4月30日は、ちょっと辛い日です。6年前の4月30日、妹から電話がきてくだらない話をしながら、「なんかお腹が張るんだよね〜、ゴールデンウーク入っちゃうと病院休みだから明日行ってこようかな。多分この前の肝臓の検診で新しい薬(B型肝炎のキャリアで肝臓の薬を飲んでいました)に変えたからその副作用でお腹が張るってあったから、それだと思うけど〜」っていうので、私も「うんうん、前の薬に戻してもらえるといいね〜。」なんて話して。この日の妹は、友達とテニスをして帰ってきて「テニス暑かった〜
岸部一徳の妻が緊急逮捕の真相...近所住民が恐怖した奇行に驚愕!『相棒』でも活躍した名俳優の余命宣告された難病...突如襲った病魔の正体
夫が亡くなったことを伝えるとき、私はほとんどの人に、肺の病気で……と言ってきました。おそらく大半の方は、肺がんを患っていたと思われたことでしょう。夫は2012年の秋、肺アスペルギルス症と診断されました。(他界する約10年前のことです。)このブログは闘病ブログのつもりでもなく、夫が亡くなっている今、今さらながら病気の詳細について綴ることはやめようと思います。なので、簡単に……肺アスペルギルス症は、アスペルギルスというカビによる肺の感染症で、5年生存率は約50%と言われる、予後不良な病
しあわせな人生の選択2017年7月1日(土)公開末期がんに侵された男性と周囲の者たちとの最期の日々を追い、スペインのゴヤ賞で作品賞はじめ5冠に輝いたドラマ。スペイン在住の友人フリアンを訪ねたトマス。フリアンは余命いくばくもなく、愛犬トルーマンの新しい飼い主探しなど彼の死に支度に付き合う。あらすじカナダ在住のトマスがスペインで暮らす長年の友人フリアンのもとを訪れたところ、フリアンのいとこ・パウラからフリアンが肺がんに侵され余命いくばくもないことを聞く。すでにがんの治療を諦め死に支度を
先週の泌尿器科での検査で前立腺ガンの指標「PSA」値は測定限界値の「<0.009」だった。前立腺ガン治療薬「フルタミド」がよく効いていて3年間効果が持続しているのは嬉しいことだ。3年前までは「ピカルタミド」を使用していたが、効かなくなり「フルタミド」に切り替えた経緯がある。ただ手放しで喜んでいるほど、楽天的でもない。この薬の効果は平均3年ほどだ。いずれ必ず効かなくなるときがやってくる。がん細胞に薬に対して抵抗性ができるためだ。次の薬
まったく食べ物を受け付けなくなりずっと寝てるポッキー閉じた口の横から注射器で水をやっても、いやがるばかり。指で犬用ちゅ~るを無理やり口に入れるも拒絶される老犬が食べることを拒否したら、余命3日ほどとネットで見た。今日・・・・2日め。病院で点滴すれば少し延命できるだろけどそれは、もうしたくない。ポッキーもきっと家にいたいと思う。明日も仕事・・・気になりながら行かねばな~。
カナダドライの辛口よりさらに辛いかも?中途障害者になって以降のオレは、世間的には余生と呼ばれる範疇の中で生きていることになっているのだと自分では思っています。それでも、やれ一人暮らしだ、再就労だ、もう一旗揚げるだのと世俗的な野望は一向に尽きることなさげな未だ懲りない忙しいジジイなオレです。その一方で、そんな日常的なパーソナルな野望や願望とは別に、公言してもいい「できれば死ぬまでに誰かと一緒にやりたいことリスト」も作っておこうかな?と最近よく考えます。オレは人間としてもかなりの俗物ですが
検査入院退院から約1週間後、外来にて結果説明を受ける退院後の数日間は痛み止めの薬の効果が切れる時間帯に苦痛があったがその他はこれまで通りの日常膵臓部腫瘍生検結果説明〇病理診断にて膵臓癌(腺癌、膵尾部)〇ステージⅣ〇大きさ約3.5cm〇転移は肝臓、骨〇治療を行わない場合の余命は3か月、抗がん剤治療をした場合は1年位ある程度覚悟はしていたがかなり厳しい内容すぐに抗がん剤治療を開始することを勧められたが夫はしばらく考えるとのこと仕事の都合があ
ダイちゃんの抗がん剤治療、今回は第6週目ビンクリスチンの投与。まずは体重をチェック。6.26kg少し増えていましたよしよしそして血液検査の結果は、白血球も正常に作られていました。よしよしそういうわけで今回も無事抗がん剤を投与することができました。体調もすこぶる元気で、嘔吐もなく食欲もあるということで抗がん剤が効いているのかなぁ。だといいなー。治療費は23,320円でした。(抗がん剤は15,000円です)次はGW明け、5/7にシクロホスファミド投与と続
金持ち父さん貧乏父さんは金持ち父さんについてしか書いてないので、骨肉の争いの本ではないが、書いてある意味は分かるが習慣としてこういう考え方が身についてないのと、習慣として身についてない考え方で、経験については既に誤った考え方に分解されてるので、本から得た知識が記憶から消えていく。。。声に出して読みたい日本語。読んでて声出た方の声に出して読みたい日本語。日本国憲法前文の暗記を教える先生は多いらしいですけど。。。(気が付いたらうちの家に六法全書がないことを各所から指摘されてたけど
壊れてしまったもの千束の人工心臓に手が加えられ、充電ができないことで余命宣告が為されてしまう。ショックを受けるたきな。そして時同じくDAへの復帰の辞令を受ける。第9話What’sdoneisdoneAmazon(アマゾン)淡々と残酷な宣告を受け入れる千束ちゃん。一気に物語が切なさを増し、核へと近づいてきましたね・・・必死で千束のそばでなんとかしたいと願うたきなちゃんが健気で。でもたきなちゃんのためにDAへの復帰を打診する千束ちゃんも健気で。二人ともいい子すぎて
こんにちはゴールデンウィークになり、姉が帰省しており少し余裕が出来たので母の現状報告です。母は先日余命宣告を受けました。余命宣告は私だけこっそり呼ばれました。腹膜播種がある胃がんステージⅣは平均の余命が1年。母は予定よりも体調が悪くそれよりも早く亡くなるかもしれない。しかし腹水を抜いて食べれるようになれば抗がん剤治療も出来、余命が伸びるかもと。私は先生に余命3ヶ月を切っているという事ですか?と質問しましたが、これも腹水を抜いたその後の体調によると言われました。先生ははっ
こんばんは腹水を抜いてから5日経ちました。腹水を抜いた針穴から未だに水が出てきています。声は弱々しくボソボソと話します。昨日あたりから足首から下の浮腫が酷いです。ぶよぶよしています。一生懸命オイルマッサージ+指圧マッサージ機で2時間かけて血行を良くすると多少マシになります。ご飯も食べれる量はさほど変わらず痛みも日々強くなっています。血圧も上が110〜100の間を右往左往。足先も冷たい。先生はまだ余命が残り3ヶ月切るかどうかははっきりと分からないと言っていましたが、色々
70歳を目前にしてジジ活を始めました管理人のシローと申します。数年前にパパ活に挑戦しまして、コロナ禍の中、主に20代のJDさんとお付き合いしました。その後、勤めていた会社が倒産したり、老母の介護が必要になったりといろいろありまして、パパ活から引退しました。現在は、気ままな年金暮らし、と言っても全然生活費にも足りてなく、近々経済的には破綻しそうな状況です。それなのになぜジジ活なのか?はっきり言いましてもう余命いくばくもないという自覚があるからです。男としての機能にも自信がありません。し
内科に転科して再度主治医になった先生と話した内容で、その時はパニック状態で思考が追いついていなかったけど、改めて思い出しながら考えてみました。自分での理解だから合っているかどうか定かではないのですが…・何もしなかった時の余命は平均して1年。→これは受け入れるしかないです。でも、頭では理解しようとしてますがかなり辛いです。・転移の場合のステージはその時点でⅣとなる。→はい。こちらも受け入れるしかないです。血液かリンパに乗って全身に行っているのでしょう。想像するとこわいです
おはようございます。余命。がんになり気になったことは、あとどの位生きられるのか・・・初めからかなり気になっていました。結果から言えばまだ分かっていない、決着はついていませんが、多くのがん患者を看取ってきた、医師なら余命宣告はそうそう外しはしないのかな~と、言うのが今の感触です。患者の受け止め方や、現状把握の状況により、医師が意図的に短めに言ったり、長めにぼやかしたりすることはあっても、医師の本音が聞ける信頼関係があるのなら、主治医はおおよその見当は外さないのだろうな~というのが、私の感想で
お目に止めていただきありがとうございます所在不明だった父5日前突然の電話‥末期がんで入院中余命3〜6ヶ月、要介護3、短期記憶欠落戦時中に産まれ破天荒な人生を送り80年色々振り回され、恨み怒りで父にハサミを向けた時、突然「プツン」と糸が切れ、父の全てを受け入れてから楽になった母の性格では、かなり寂しく辛い思いをしてきたんだろと‥今日お見舞いに行くと、痩せた姿でベットに横たわってました「みんな元気しとるか?」と。「ありがとう」をたくさんもらいました私からも「ありがとう」と恩返