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これもまた徳川繋がりで、文京区の白山神社へ。こーんな無防備な猫ちゃんがいる、小さいながら清らかな神社さんでした🙏白山神社といえば、ご祭神は菊理姫です。ご縁結びの神様として有名ですね!ホツマツタエでは、伊弉諾、伊奘冉両神の間を取り持って娶せたといわれています。しかしご縁といえば、恋愛、結婚、だけではございませんぞ。より良い人間関係、仕事のご縁、旅行や趣味などのご縁だって、結んでほしいご縁ではありませんか!今まで伺うご縁がなかった白山神社に伺う流れがやってきた、そんなご縁も大切にして
お隣りに牡丹が咲いていた。それも満開を過ぎて。まったく気づいていなかった。何を見ていたのだろうと思ってしまう。盛りが過ぎてはいるが、さすがは牡丹。こちらは図書館前のツルニチニチソウ。毎年菫色の小さな花を咲かせる。明日から2泊3日で東京へ。メインは東博の法然展。見たいのは、阿弥陀如来二十五菩薩来迎図。京博で拝観したことはあるが、もう一度ぜひ見てみたい。修復したというが、どのようになったのだろう。いろんな来迎図を見てきたが、知恩院本は高野山の阿弥陀聖衆来迎図と並んで立
雷門提灯真下の彫刻↓↓↓提灯真下の彫刻↓↓↓金龍山浅草寺天井画↓↓↓娘のステイ先ファミリーのお土産買いに来ました~分かった方いらっしゃいましたか~浅草です~十六夜
こんばんは2月もあっという間に過ぎてしまいました。バレンタインを過ぎて、もうすぐひな祭りじゃない‼️と気がついて慌ててお雛様を飾りました。2月の下旬に懐中札を新しく頂きに、深川不動尊さまへ。そして冨岡八幡宮さまにご挨拶をした後、初めて伝通院さま、澤蔵司稲荷さまにご挨拶に参りました。立派な門です。近くに指圧の浪越徳治郎さんが設立した専門学校がありました。実家の母が数少ない有名人で見かけた事があるのが、浪越徳次郎さんだそうです。『指圧の心は母心、押せば命の泉湧く』何故かこの有名な
朝から曇り空、午後からは小雨がぱらついてきた。空を見上げても雨雲ばかり、春らしい雲を見ることができない。血圧が高めだったので、かかりつけ医に行った。特に朝起きた時が180くらいあり、心配なので朝方効く薬を出してもらった。長らく高血圧の薬をのんでおり、3年ほど前にようやく朝の薬だけになったのだが、夜の薬はそれ以来。何かあるといけないので、しばらくのむことになった。図書館で『漱石の地図帳』を借りてきた。前に借りてきたときにはあまり面白いと思わなかったが、今読むと先に進み
☆1月28日(日)昼休みの短い時間で街散策昼食は、歩きながら文京区の伝通院前に到着🔗無量山伝通院山門前の説明板(2枚)と石柱石柱には「不許葷酒入門内」と刻まれている。葷酒(くんしゅ)とは、辛味や臭味のある野菜と酒ニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガなどよく食べる野菜ばかりだ説明はサッと読みました。へぇ~~って感じ!後で調べようとにかく時間がない当日も、今も無量山伝通院寿経寺1415年に創建徳川家康の生母、於大の方(おだいのかた
伝通院徳川家康ママと孫の千姫等のお墓で有名徳川将軍家の菩提寺
毎年恒例の正月お参りウォーキング。神社仏閣を「江戸五色不動」、「江戸六塔」、「江戸六地蔵」などテーマを見つけて続けたあとはキリスト教やその他の外国宗教まで広げた。次は新興宗教巡りかと考えたが、統一教会騒ぎを見てする気がなくなった。そこで再び神社仏閣に立ち戻り、「東京ハイキング案内」という本で「江戸三十三観音札所巡り」を見つけたので、しばらくはこれでもたせることにした。その第1回が12番から16番までの文京区、新宿区あたりの5つの寺巡り。なお、「観音」の意味由来などを説明することは簡
ショクダイオオコンニャクの開花を見にやって来た小石川植物園、長い行列も園内の紅葉をじっくり眺めることが出来るので苦になりませんでした。公開温室の前はイロハモミジの並木です。温室でショクダイオオコンニャクを見物した後は園内の紅葉を巡りました。小石川植物園は武蔵野台地の東の先端部にありますが園内南側の坂下には湧水池が連なります。池の周りの紅葉も見ごろ、落葉が浮かぶ水面に真紅の紅葉が映ります。小石川植物園の前身は1684年に徳川幕府が設けた小石川薬草園、1722年に薬草園内に赤ひげで知られ
皆さん、おはようございます。今日もお忙しい中、私のブログにお越し頂きましてありがとうございます。一昨日、浅草寺に行った帰りに東京都文京区にある伝通院にお詣りして来ました。第1土曜日の午後から写経が行われていまして、何度か参加させて頂いていましたが、土曜日の午後が仕事になってしまい、思うように参加できなくなってしまいましたが、こちらも大好きなお寺の1つです。傳通院・伝通院www.denzuin.or.jp徳川家康の生母・於大の方のお墓があります。思わず松嶋
JRが「駅からハイキング」というのをやっているのは、駅にパンフレットを置いてあるので知っていた。環状5、6、7号線を踏破したので、次はどうしようと考えたが方針が決まらないので、とりあえず一度やってみることにした。駅からハイキングは、ある駅を始点にしてそこからあるテーマを持ったハイキングをするというものだが、ちょうどその時は、神田駅から徳川家ゆかりの場所をめぐるというものだった。今回は、午前9時半から11時半までに神田駅で受付をすることになっていた。11時前に神田駅で受付け
伝通院の本殿と書院。伝通院は、空襲で焼失するなど何度か再建されているので建物は新しい感じがする。思わず紅葉に目が行ってしまったが、鐘楼と三尊。伝通院を出て門前の道をまっすぐ飯田橋に向かって歩いていくと、左奥に北野神社、別名牛天神の石段が見え、提灯に灯りが点っていた。急な石段だし、夕闇も迫っているし、だいぶ歩き疲れたし、パスしようと思ったが、もう来ることはないかもしれないと思いなおし、気力を振り絞って石段を登った。こじんまりとしていて、混雑という程ではないが、夕暮れ時にかかわらず、参
JRの企画による「駅からハイキング」に昨年秋からときどき参加してます今回は、「徳川家ゆかりの地を散策しよう」というコースで、神田駅から…神田駅はたまに利用しているけど、アース製薬とコラボしてからは初めて…西口アースジェット口からスタート!しばし歩いて、①御宿稲荷神社へ家康が江戸にやってきた際、江戸城に入る前に泊っていたエリアらしい。今はビルの合間に小さな神社小川町の交差点、御茶ノ水駅を通過…聖橋から湯島聖堂の紅葉がきれいに見えました②神田神社(神田
伝通院に向かう。途中、源覚寺がガイドマップに載っていたので立ち寄ってみた。別名こんにゃくえんまと呼ばれ、眼病治癒祈願に訪れる人が多いという。この時は2人ほど参詣者がいたが、その1人が香炉を抱きかかえるようにして煙を浴びていた。動く気配が全くなかったので、写真はあきらめた。神田川が造った平地から武蔵野台地に出た。この辺りが武蔵野台地の東端になる。善光寺坂という名前がついているらしく、登り口にその名前の寺があった。その隣が慈眼院。どちらもガイドマップにはないが、2~3人先客がいた
伝通院は、1602年(慶長7年)、伏見城で死去した徳川家康の生母・於大の方が葬られた寺。家康は増上寺に葬りたかったようですが、増上寺十二世の源誉存応(慈昌・観智国師)が増上寺を開いた酉誉聖聡の師である聖冏ゆかりの地に新たな寺を建立するよう進言したのだといいます。聖冏(酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ))は浄土宗第七祖。浄土宗第八祖の酉誉聖聡は千葉氏胤の子で、母は新田義貞の娘と伝えられています。そして、家康は、新田氏を祖とする源氏を称していました。於大の方の墓伝通院には、三代将軍家光の
本当の自分開花ナビゲーター佐藤みふゆ(みーこ)です。^^ご訪問ありがとうございます。「人生100年時代の大学。遅すぎる学びはない。」早稲田大学LifeRedesignCollege1期生。2023年3月21日に卒業しました。母親に虐待されて自分の人生を生きられなかったのでアラフィフから自分の人生を取り戻してきました。初めての方は、こちらをご覧ください。↓「本当の自分開花プロジェクト」私の想いお問い合わせ←クリック■受付
11/3,時代まつりin文京に行ってきました。第20回全国藩校サミット文京大会を記念して開催されたこの祭り。朝顔市でおなじみの伝通院と後楽園駅横の礫川公園で物産展・キッチンカー・縁日が開かれ、2つの会場を結ぶルートでパレードが行われます。今回は伝通院には行かず、パレードを見ることに。公募で選ばれた小学生150人によるパレードですこちらの人力車上は「竹千代」。全然縁もゆかりもないお子様だけどかわいいね~伝通院には於大の方を始め徳川家ゆかりの方々のお墓があり
今回は、徳川三代将軍家光の正室鷹司孝子の墓参りです。鷹司孝子とは江戸幕府3代将軍徳川家光の御台所。鷹司信房の娘。母は佐々成政の娘か。諱は孝子。家光との婚姻は、将軍家御台所を摂家など京から迎える先例となる。しかし、本理院自身は不遇で秀忠の命により城内の別御殿に住み中之丸様と称した。これは本理院の嫉妬深さのためといわれるが、詳細は不明。宝暦13(1763)年贈従一位。墓所は小石川伝通院。
新撰組の前身浪士組のリーダー清河八郎の墓参りです。清河八郎とは幕末期の志士。出羽庄内藩の郷士・斎藤治兵衛の子で、名は元司。16歳のとき江戸に出て、剣を千葉周作に、儒学を東条一堂に学ぶ。59年、神田お玉が池に文武指南所を開く。翌年、桜田門外の変を契機に志士たちと交流。尊攘運動の大義を貫くため、志士たちを伏見寺田屋に集めるが、島津久光に阻止されて挫折。63年には、幕府浪士と京都・壬生に駐屯。近藤勇ら佐幕派と対立する。江戸に戻って新徴組に入るが、麻布一の橋で幕吏に暗殺された。現在の神田東松下
今回は、小渕内閣で民間人閣僚として経済企画庁長官に就任し、第2次森喜朗内閣の2000年12月まで務めた堺屋太一さんの墓参りです。堺屋太一とは1935年、大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業。通商産業省(現経済産業省)に入省し、日本万国博覧会を企画、開催したほか、沖縄海洋博覧会や「サンシャイン計画」を推進した。在職中の75年、『油断!』で作家デビュー。78年に退官し、執筆、講演、イベントプロデュースを行う。予測小説の分野を拓き、経済、文明評論、歴史小説など多くの作品を発表。「団塊の世代」とい
今回は、讃岐高松藩藩主松平頼胤の墓参りです。松平頼胤とは8代藩主・松平頼儀の次男として誕生した。母は藤木氏。幼名を雄丸、通称は都太郎、貞五郎。文政元年(1818年)、松平頼恕の養嗣子となる。天保13年(1842年)、先代・頼恕の死去により家督を継ぐ。弘化元年(1844年)、幕命により若年の水戸藩主徳川慶篤の藩政を補佐した。安政4年(1857年)から翌年の将軍継嗣問題・日米修好通商条約の勅許問題においては、大老・井伊直弼につき、本藩である水戸藩を圧迫している。その後、桜田門外の変によ
指圧の心、母心、押せば生命の泉湧くアーッハハと笑っているお爺さんのイメージでした。浪越徳治郎とは香川県仲多度郡多度津町に生まれる。7才の時に北海道虻田郡留寿都村に移住。1955年、東京都文京区小石川に日本指圧専門学校を設立した。マリリン・モンローが新婚旅行で来日した際に、胃痙攣で体調を崩したモンローに素手で触って指圧した唯一の日本人である。このことについて浪越は「そりゃあもう、とにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍くらい時間をかけてしまいました」と後にテレビ番組の中で述懐している。
今回は、12年ぶりに傳通院に参拝に行って来ました。前回参拝山門浪越徳治郎寄贈の指塚物故指聖供供養塔本堂傳通院由緒応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるよう
今日は、徳川家康の生母於大の方のお墓がある伝通院に行きました(^o^)徳川秀忠の娘豊臣秀頼に嫁いだ千姫のお墓将軍の子どもたちの墓徳川家光三男の墓徳川吉宗ニ女の墓将軍たちの側室のお墓将軍家ともなると子どもも側室もたくさんいたわけですネ(^_^;)byXperia1Ⅲ
今日の目的地は、徳川家康の生母於大の方のお墓がある伝通院です(^o^)東京駅から東京メトロ丸の内線に乗って後楽園駅で降りました伝通院大きな門の立派なお寺です(^o^)本堂於大の墓大きい\(^o^)/byXperia1Ⅲ
今日は、新橋に来ました(^o^)銀座を歩いたあと、後楽園の伝通院に行く予定です(^o^)いきなり🚀ステーキでお昼を食べたあと、駅のSAZAECOFFEEに入りました(^o^)徳川将軍珈琲740円byXperia1Ⅲ
今日はダンナが仕事を含めたちょっとした用事で西部・副都心へ出かけるというので乗せて行ってもらい江戸三十三観音霊場を参拝してきました宝福寺東圓寺放生寺駐車場がないので少し離れた路地に停めてダンナに待ってもらいました参拝すんで車に戻ると大雨に金乗院へ向かって駐車場に停めましたすると何故か車の防犯ベル鳴りだして何しても止まりません二人でアタフタしているとお寺の方も心配して出てらしてアレコレいじって何故か急に音が消えましたびしょ濡れになって呆然としましたその後は大丈
「坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して一心に歩む」司馬遼太郎の「坂の上の雲」のあとがきだ。タイトルの説明でもある。明治時代の盲目的ともいえる前向きな価値観をあらわしている。これから、本郷台地の坂巡りをはじめる。巡り出す本郷坂上雲仰ぎわたしが住んでいる文京区は、とにかく坂が多い。猛暑の昨今、正直、うんざりすることもある。最寄り駅から我が家までも、どのコースをとってもだいたい坂があり、もっぱら「本妙寺坂」をのぼる。江戸時代、この本妙寺から出火し、江戸中が焼け、江戸城の
文京区小石川に住んでいました。1944年4月「日独幼稚園」入園園児は日本人とドイツ人が半分位ずつ。園児の中には白手袋の運転手と白手袋の執事がついて自家用車で送迎の子が2,3人いました。戦争が烈しくなって私が入園して半年位で閉園に。幼稚園のお昼に歌っていた歌を黒柳徹子さんが「徹子の部屋」で歌ったことがあって、もしかしたら…徹子さんもあの幼稚園に通っていたのかしら?…なんて思ったことがあります。幼稚園は伝通院の坂(善行寺坂)を上ったところのムクノキのそば
『第38回文京朝顔・ほおずき市』(その1)https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/7f675de5a260d792be477004e1ef90f9文京区の夏の風物詩でもある「文京朝顔・ほおずき市」が、7月22日(土)23日(日)の二日間に亘り、「朝顔市」は徳川家ゆかりの傳通院(でんつういん)、「ほおずき市」は「こんにゃくえんま」で知られる源覚寺(げんかくじ)をメイン会場に、開催されました。今年で第38回となるイベント期間中は、朝顔