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はぴ☆らき☆ラボのアメブロにようこそ♪こんにちは、はぴ☆らき☆ラボひとみです。わたしは「もうガマンしない、あきらめない」をモットーに「さらに進化した人生」を手に入れるために「わたしを満喫できる」仲間を探しています。ハッピーでラッキーで、自分を満喫できる人つまり、Fulfillmyselfbymyself=自分で自分を満たせる!もっと自分らしくもっと自由にもっと可憐にわたしと一緒に、充実した世界を満喫しましょう!!プロフィールはこちら。https://pro
今日は、ちょっとあるテーマに関する曲を探していました。竹内まりや、kiroro、EveryLittleThing・・・・etcけっこういろんな人が歌っているんですね。早々に・・・・続きはこちら
難病支援チャリティー希望コンサート主催の感謝の心まんまるの会代表の😊はなちゃんこと😊塙真弓です。❤️めいっぱい生きる❤️〜逆境を乗り越えて、笑顔で生きるために【5】自ら行動すること⑤他者とのつながりと支援の重要性自ら行動するにあたり、1人で決めて1人で行動し始めたとしても、物事はずっと1人ではやっていけない。他者とのつながりがあるし、他の方からの支援も大事になってくると思います人間は社会的な存在であり、他者との関係を通じて多くのことを学び、成長します。他者とのつながりが
◉おおいなる自己◉********🦜他者も自己であり自己も他者である他者を自己から分離させたときにエゴが生まれる【ひとりdeポエム】第187言********他者と区別するから自己を認識できる他者と区別しなければ自己そのものの意識が変わる本日もご覧いただきありがとうございます心地よい気分で心地よいポエムを心地よい人生を心地よいGWを!【R060504】
昨日の早朝、6月に開催予定のCVCLAB主催1級キャリアコンサルティング技能検定実技(論述・面接)試験対策講座プログラムについて予約を開始いたしました。※4月の説明会に参加いただいた方々へメールにてご案内しております。早速、受講をご検討いただいた方、また講座に予約をいただいた方々へ心より感謝申し上げます。おかげさまで、昨日の時点でオンライン講座と対面型横浜会場での講座は満席となりました。なお、本日(午前8時現在)、対面型福岡会場であと2名様、大阪会場であと1名様のお席がござい
誰のことも愛する事ができないわたしは人を愛する勇気がない自分を愛せないこんなわたしでも生き物は愛せると自負したが「動物は可愛がれば背きません。植物は手をかければ花が咲きます。」当たり前のこと、と言われたようで何かが崩れた何をどう見ればいい何がどう真実時間には限りがあるわたしが生きている間にわたしは何に追い付けるのだろうわたしわたしわたしわたし、でなくなる日いつしか来ますように。
庭の花菖蒲が咲き、子どもの日が近いことを思い出して、菖蒲を買いに行きました。家の庭にもあるのですが、シロアリ駆除剤が強すぎるのか、お風呂に入れると痒くなりましたので、神社で買い求めました。心配性の母が咲かせた花菖蒲は綺麗な花には何とかです😅神社では、ご近所さんと思しき、おじいちゃんのアシストもあり、我が子は臆病な亀さんと交流することができました。お昼は我が子作タワーサンド。スカイツリーをイメージした
主観-〈われわれ〉我々が一つの「主観-共同体」に所属していることを告げ知らせるのは世界である。ことに、世界の中におけるもろもろの製造品の存在である。物品は、まなざし一般として個別化されない不特定多数の超越のうちの一つの超越のために、人々によって製作されたものである。なぜなら労働者は、無差別的で不在な一つの超越の現前において労働するからである。その際、労働者自身としてはこの超越の自由な諸可能性を、加工された物品の上にただうつろに粗描するだけにとどまる。その意味で労働者は労働のうちに
他者との関係論の感想および考察ここまでサルトルの言うところの、対自の他者との関係の基本的な内容を見てきた。そこにはサルトルの構想する、実存論的精神分析ともいうべき理論の素描が現れているように思われる。対自としての人間存在は二重の存在脱落である。第一の脱落は、対自が対自であるゆえんであるところの、即自からの転落である。対自は自己の失われた即自を取り戻そうとする不断の企みである。しかし自己自身であろうとする対自の企みの実現は原理的に不可能であり、即自-対自の一致は超越のかなたにおいて指針となり
他者に対する第二の態度-無関心、欲望、憎悪、サディズム他人に対する第一の態度の挫折は、第二の態度を取る機会ともなりうる。他人にとっての私の対象存在を介して、他人の意識を私に同化させようとする試みが不可能であることがわかると、私は決然として他人の方へ向き直り、他人に〈まなざしを向ける〉ようになる。私が何度も自分の主観性を投企し続けても、結局この主観性は裸のまま私の元に戻ってくるだけであった。私は開き直ってこの主観性を私の存在の根本原理としてたてるわけである。その場合、他者のまなざしに
他者に対する第一の態度-愛とマゾヒズム他者に対する第一の態度-愛〈まなざし〉としての他者の存在の顕示は、私の対自存在としてのありかたを根底からおののかせるものである。私の対象-存在、すなわち「対他存在」としての私のありかたは、他者においてその根拠をもっている。私は私の対他-存在の責任者ではあるものの、私の対他-存在の根拠であるのではない。よってこの対他-存在は、偶然的な所与でありながら私がそれの責任者であるような一つの所与として、私に現れる。一方で他者は、その自由な超越によ
身体論についての補足、および感想(2)サルトルの身体論は、我々が諸事物を知覚するやり方とは別に、〈対私〉および、私であらぬ私である〈他者〉に関する超越的な知覚によって身体をとらえるというものであった。身体は〈対私〉と〈対他〉というこの二つの異なる境位にありながらも、しかしそれが私の身体か他者の身体であるかを問わず、身体はただ事物として即自的にあるところのものではなく、世界に遍在しており、その〈対象-身体〉は私に対して展開される各々の具体的な世界の極として、世界を方位づけられたものとして
他者と比較をしないで生きられたらこの世にある大抵の悩みは消せるんじゃないかそんくらい、他者との比較は避けては通れず自分を苦しめてる気がする社会人として生きるいま同期のほめられエピソード、活躍同僚との数字争い、裁量権の大きさの違いいろんな業務の得意不得意など、、常に比較対象、比較条件がまとまりつく日々そんな柵があるから心穏やかにとはいかない日もそりゃあありますありがたいことに褒められたり評価をいただく機会があったとしても素直には受け取れない自分もいたりまたそんな自分が嫌
今日は歓迎遠足ですが、ちょっと難しそうです。けれど、お弁当はいりますので、作りました!我が子からのリクエストはねむねむ猫ちゃん。何がいい?と聞いた際、我が子は自分で作ると張り切っていてイラストまで描いていましたが、やっぱり今日も起きてきませんでした(笑)イラスト通りにはなりませんでしたが、それでいいのかな?という感じです。お弁当が作れるほど早くはありませんでしたが、サクサクっと準備しててるてる坊主と日照り乞いの呪文を作
九星気学、侮れない気がします。今、自分の周りにいる人を見渡してみると、五行にひったり当てはまってしまいます。勿論、九星気学だけとは言えませんけど、さすが何千年と歴史のあるものと感心してしまいます。特に・・・・続きはこちら
本を購入するとき、書評を気にしながら選んでいる人多いと思います。後悔したくない気持ちがあると、つい気になってしまいますよね。私も、気にするときは気にしてしまいます。でも・・・・続きはこちら
書評「カーヴの隅の本棚」文藝春秋鴻巣友季子「熟成する物語たち」新潮社鴻巣友季子文学の翻訳者による、文学とワインの異色の組み合わせを、その類比を俯瞰しながらも、自らが読み、自らが味わうという目線を外さない。その組み合わせによる関係を自らの言葉へと翻訳さしめ、ワインを、文学を味わっているのは翻訳者自身であるはずなのに、それらのMariage具合の妙ささえ気づけてしまう、言葉の普遍性ゆえの共感の創出であろうか。あるいは、身体的に隔たれている自身と他者が本質的には個々であるはずの人で
普段、何気ない日々の生活を送っているときに、ときにふと別のことを気付くときがあります。例えば、夕飯の買い物のためにスーパーに行く途中で銀行に入金することに気が付いたとします。そうなると、入金を先に済ませてからスーパーに向かいます。当初・・・・続きはこちら
天然石のアクセサリーが完成しました。けっこういい感じに出来上がったのですが・・・・結び目を石の中に入れることが出来ずじまい(^^;見た目に目立たないように微調整したけど、ちょっとがっかりです。ということで・・・・続きはこちら
人それぞれ生き方があると思います。過去を振り返らず、今が良ければいいんじゃないという生き方もありかもしれません。私には、ちょっと難しい感じがします。何故なら・・・・続きはこちら
運を良くする、運を上げたいと思うときどうしたら良いか。簡単で手軽にできる方法は、指先、爪を綺麗にしておくことだと聞いたことがあります。手は常に外に晒されていますので、いいエネルギーをキャッチしやすい状態にあります。いい・・・・続きはこちら
人とのお付き合いをするうえで、私は九星気学を参考にしています。意外と役に立っています。生まれ持った九星の基本性格・特徴を軸にお付き合いするようにすると、意外とスムーズな人間関係を築けます。人間関係・・・・続きはこちら
誰もが個として生きるしかない、と理解はしていても共感やら同情やらシンパシーは得られる筈も無く、自身でも意味も意義も感じられない。時期を経ても何ら、成長したやら、いい経験だった、とは言い難く、良い思い出でした、と流す訳でもない、と。内田樹氏の「レヴィナスと愛の現象学」を読んでいたら、スラスラとは読めない筈の哲学が入ってくる、分かること分かること。誤読を恐れずに言えば、生かされる、と言う感覚がある事をアブラハム的主体としてレヴィナス氏の著作を援用しながら語る。対比されているのが、オデッセウス的主
はなと申しますご訪問ありがとうございます80歳からアメブロ始めました81歳で運転免許証🚙を返納それを機会に独り住まいを卒業し自分の家に戻りました娘と孫と私と3人暮らしになりました【節約】も楽しい年金生活健康で・オシャレに過ごしたいをモットーに喜び・悩み・経過・解決こんなはずじゃなかったそんな日常のドタバタを綴ります同じ経験されている方も、そうでない方も【クスっと笑って】お読みくださいね広い地球の中の小さな人生もう少し共感のいいね・フォロ
私は、常々普通からちょっとずらしたところに、自分を置きたいと思っています。何故かと言えば、普通から見えないところに気付きがあり、自分を少しでも変え続けたいという思いがあるのです。かと言って、“変わり者”になると言うことではありません。「あたりまえ」・・・・続きはこちら
他者は自分のためにいる。他者は自分にないものを持っている。他者がいるから自分がいる。他者がいるから感情を体験できる。他者がいるから生きていける。他者がいるから新しい自分を発見できる。他者がいるから知らない世界にいける。他者がいるから活力が湧く。他者がいるから自分を知れる。他者がいるから光の道にいける。他者がいるから幸せを感じられる。他者がいるから人生が楽しくなる。創造主は自分が完璧がゆえにそれがつまらないからこそ、
読書やアウトプットに関する本を読んでいると、他者と会話することが必要だと言われるのだけれど、私には不可能に近い状態です。本に書かれている理由には納得しているけれど、他者に話さなくても記憶に定着する方法はあるのではと、ちょっと疑問に感じてしまいます。どんな人にも話ができる他者は必ずいるだろうという発想は、私からしたら著者の思い込みだと思います。だからと言って・・・・続きはこちら
愛の行為を実践しましょう。〈今日も一日お元気で365日31日〉人生の目的のキーワードは、「喜び」と「楽しみ」です。「あなたのために喜んで何でもする」と言いますが、「あなたのために楽しんで何でもする」とは言いません。楽しみは自分に向かいますが、喜びは他者に向かい、楽しみを犠牲にする愛の行為から生まれます。喜びの中に、生かされている真の味わいがあるのです。田中信生著今日も一日お元気で365日
罪悪感でなんであれ、全ての苦痛は支配者が入れてきているだけ!と心は言います。そしてそれへの根本的な対策としては、「自分が自分であればいい」とも。そう言われても、自分が自分であるってどういうこと?どうすればいいの?とわからないので、それも心に聞いてみる。すると、「自分で自分を傷つけることはできない。傷つけることができるのは他者だけや」という答えが返ってきます。とはいっても心身両面において、自傷行為は普通にあるでしょ!となるんですが、一連の心の言葉を信じるのなら、それ
他者とは僕のパラレルで在る。時代とは今の僕のパラレルで在る。【パラレルとは可能性】だと僕は解釈しています。つまりあらゆる他者一人一人もあらゆる時代の一時一時もそれは僕の無限の可能性で在るという事です。よって今在る僕の可能性で在る他者を何人たりとも否定しないし傷付けない。この時代に在る僕の可能性で在る過去も未來も否定しないし拒絶しない。もちろん今この時、この瞬間、この時代もです。可能性の話ですから良いも悪いも無いのです。それは僕の可能性の一つの結果に過ぎないからで