ブログ記事23件
井氷鹿・・・日本神話に出てくる神。『古事記』では「井氷鹿」、『日本書紀』では「井光」と表記される。神武天皇が東征で熊野から大和へ入る際、光る井から出てきた。尾が生えている。「ゐひか」もしくは「いひか」と表記される。安彦良和『神武』より井氷鹿–國學院大學古典文化学事業kojiki.kokugakuin.ac.jpいや・・・「ゐ」の付く言葉がないかなと探してたところ、『古事記』に名前が載ってたので、無理矢理記事にしました。ちなみに、神武天皇と
奈良県川上村の井光川源流域の滝の動画をアップしました。
井光(いかり)川は奈良県川上村にある吉野川支流で、流域では氷瀑で有名な御船の滝や道沿いの岩戸の滝が一般にはよく知られている。左岸支流には火打岩谷、小谷、笹ノ谷があり、これらについては滝マニアの報告がある。ただ、笹の滝については完全立入禁止となったという情報をtakituber_keiさんのインスタで得た。今回注目したのは井光川源流域の左俣の大谷と右俣のカマ平谷である。これらの谷に20m級の滝があることは、以前から大阪わらじ会の「台高山脈の谷(上)」で知っていた。そして、精度の高い奈良県森林
丹生川上神社中社境内に設けられた「吉野離宮跡」石碑◆繙かれた「丹生川上神社」(附8)~「丹生川上神社と森口奈良吉翁」~既に「丹生川上神社と森口奈良吉翁」の書の核となる部分は紹介し終え、附録的なものを綴り始めて8回目の記事。附録的なものとは言うものの…前々回の記事、前回の記事と「鳥見霊畤」という古代史上大変重要な内容を扱いました。今回も大変重要な内容、「吉野離宮」。ところが…森口奈良吉翁は丹生川上神社中社を比定地として考え、認定させるために奔走したのですが…そしてその根
2022年5月4日大台ケ原からの帰りに宮奥・十二社神社へお詣りし背後の巨石群に感動し、5年振りに王塔宮の磐座へお詣りしました。井光神社神武天皇が井戸から尾のある井光と出会ったとされる井戸跡。(伝承地は何か所かあります)御船の滝。氷瀑が有名です。御船の滝から山道を20分程登ります。記憶は不確かなもので、こんな道だったかな?こんなに時間かかったかな?と不安になりながら登りました。しばしここでうたた寝をしていると、谷筋の上の方から、風が一緒にざあっーと背後を通り下へ吹
(井光神社奥の院王塔宮)◆「土蜘蛛」四顧(井光・磐排別之子・苞苴擔之子)早くも第四回目。このペースだと大和以外の「土蜘蛛」に進むのはあっという間?東北方面などまったくの無知。勉強していくと古代の知見が広まる期待を抱いています。前回の記事では、深い吉野の山々を越えてついに「菟田」まで進んだ神武東征軍。ところがなぜかまた吉野へ逆戻り。何らかの戻る理由があったのか…順序が間違えて伝承されていたのか…■過去記事*一顧(概要)*二顧(長髄彦・名草戸畔・丹敷戸畔)*
眞名井の清水(舞鶴市七日市)◆丹後の原像【49.「丹後史料叢書」~「丹後風土記殘缺」12】本来は神社紹介記事の合間に挟む閑話的なものとしてスタートしたこのテーマ。年末からの体調不良でまったく参拝ができておらず、紹介できる神社も無し。すっかりブログのメインテーマとなっていますが、おつきあい頂けますとさいわいです。「丹後」に独り熱くなっておりますが…。前回の記事より「田造郷」に突入その中で「笠水(うけみづ)」が紹介されています。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【読み
井光神社・八幡宮大和国吉野郡奈良県吉野郡吉野町吉野山2343(P無し、いつも勝手神社から5分足らず歩いています)■祭神井光神「吉野山街道」沿いの「宮坂」と呼ばれる急坂に面して鎮座する社。地名「字宮坂」から判断して、坂名の由来となった社でしょうか。ご祭神は井光神。神武東征の途次に神武天皇が吉野で出会った三神のうちの一神。井光神社から勧請されたのでしょうか。また「吉野山」北麓吉野町「飯貝」に鎮座する水分社(未参拝)も、井光神の「井」の伝承地となっています。創建年代等は伝わっておらず、
井光神社里宮(いかりじんじゃさとみや)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光34(駐車は下部写真参照)■旧社格県社■祭神井氷鹿神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。いわゆる「深吉野(みよしの)」と呼ばれる山間部、その小さな集落内に鎮座する社。標高は650mほど。◎井光神社は「御船山」全体を神域とし、1544坪もあるとのこと。当社は里宮として創建されています。御神体は奥の院王塔宮にそそり立つ巨大磐座。磐前に小祠が据えられています。こ
井光神社奥の院王塔宮(いかりじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光(アクセスは下部写真参照)■祭神井氷鹿ノ守護神皇祖神武天皇神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。その最高所「御船山」の八合目辺り(標高1000mほど)に鎮座する巨大磐座と小祠。◎井光が祭祀を行っていたのがこの磐座。高さは10mほどでしょうか、そそり立つ威容な姿に畏怖を感じずにはいられません。一族のシンボルであり、すべての拠り所であったかと思われます。◎形状から陽
☆御船の滝(川上村井光)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光(アクセスは下部写真参照)神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。当地のシンボルは紛れもなく「奥の院王塔宮」のそそり立つ巨大磐座でしょうが、この「御船の滝」も大変素晴らしいもの。後に仏教の影響を強く受けてしまいますが、磐座よりもこちらの方を神聖視していたようにも見受けられます。落差は50mほど。とても繊細な美しさを醸しています。気候により表情は大きく異なるのでしょうが、なかでも
☆吉野首部連祖加彌比加尼之墓(よしののおびとべのむらじのそかみひかねのはか)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光(アクセスは下部写真参照)神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。記には井氷鹿が吉野首の祖と記されます。「新撰姓氏録」には「大和国神別吉野連加弥比加尼之後也」とあります。そして注記として「謚神武天皇行幸吉野到神瀬遣人汲水使者還曰有光井女天皇召問之汝誰人答曰妾是自天降来白雲別神之女也名曰豊御富天皇即名水光姫
井光神社奥宮神武天皇御舊跡井光井蹟(いかりじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光(アクセスは下部写真参照)■祭神(不明)*井氷鹿(井光姫)か神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。当史跡はまさにその出会った場所という伝承地。標高は800mほどの高所。544坪もあるという広大な井光神社(里宮)の神域、当地は奥宮とされています。◎菟田にまで進軍した皇軍ですが、吉野の地を見てみたいとまた引き返します。記の記述は以下の通り。━━尾生ひ
☆岩戸の滝(川上村井光)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村井光(車の停め置き可)神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」にある滝。吉野の奥地、「吉野川」の支流「井光川」の上流。落差は10mほどでしょうか。2段になっています。この先の「御船の滝」の方が有名、ついでにこちらもという方がほとんどでしょうか。私もその一人。国道169号線から「井光」へ。5分ほどで「井氷鹿の里」という、小さな道の駅のような施設があります。そのすぐ側に掲げられ案内板。
御船の滝への道の途中にある岩戸の滝の動画をアップしました。YouTube
奈良県川上村の「御船の滝」の動画をアップしました。YouTube
御船の滝は氷瀑で有名な滝で、私は7年ぶりの訪問となる。昔の地図にはナカネノ滝と書かれている。地形図では道が点線となっているが、現在はカマ平谷の右岸上部を経て1102mピークまで林道が延びているようだ。入口から滝までは近いという記憶があるが、展望台などは完全に忘れていた。今は途中に足場も設置され、かなり整備された印象である。到着すると、おじさんが一人カメラを構えていた。軽く声を掛け、私は展望台に向かう。明暗差がきつく、写真は難しいが、陰るタイミングがわずかにあった。この滝も素晴らしいが、好み
12月〜2月は、神縁深いお宮にお詣りする強化月間^_^;今年は1月中にお詣りできました。2年ぶりでした(^o^;今回も双龍として、空に示現くださいましたよ(ちょっと強引かなぁ?)エエ天気でしたが、山間部に入ると、ご覧の通りの雪国でしたね(;´∀`)また日記に書きますね。
こんばんは紅葉もそろそろ終わりかな地味に近場ですが紅葉見に行ってきました「さくらの紅葉まとめちゃうぞっ」・・はじまりはじまりぃ~まずは當麻寺奥院友人がこちらの御朱印帳を購入したいというのでやって来たら・・・紅葉がすごく綺麗なお寺で・・・ラッキ~このパネル見るだけでわくわくしちゃうね當麻寺奥院は圓光大師二十五霊場の札所なのら浄土庭園は見ごたえがありデスこのお庭の中を散歩して、すごくいい時間を過ごしました
井光神社奥の院王塔宮■表記井氷鹿(ヰヒカ)、井光姫(イヒカヒメ)、水光姫、*伊加里姫と同神説有り■概要神武東征の折、大和国吉野郡の奥深い山中で出会った人物(神)。◎「井」から現れ、容姿は紀に「光りて尾あり」記されます。神倭磐余彦(後の神武天皇)が現れた姫に名を問うと、「吾は国津神で、名を井氷鹿という」と述べたとあります。現在の「吉野郡川上村井光」がその伝説の該当地であろうとされ、「井氷鹿の里」としてPRされています。◎一方で「吉野町史」は「いひ(族名)こ(子)」であろうとして
今日は曇天で蒸し暑い此の後数日は雨交じりのこの様な天気らしい同窓会も無くなり数年に成る中何人かの有志が昼食と温泉で明日集まる事に成った幾つになっても昔の儘の呼び名でちゃん付け煙草を好む人には肩身の狭い思いをしている昨今私は禁煙して30年位に成るが未だ煙草を愛してます
6月2日は、聖地へ吉野国巣之祖・磐排別命を巡りました。時間が無くかなり消化不良でしたが。先ずは大宇陀・栗野の岩神社(2度目)栗野より西にある上片岡に戸隠神社(祭神:手力雄命)、大熊にも戸隠神社(祭神:天磐戸別命)が鎮座します。本殿の後ろの巨石の一部。
ここから人が出てきたと?無理があるでしょ井光の候補地は三ヶ所あるが、川上村の井光が一番可能性が高い
『淤能碁呂』…『淡路洲』『井光』聖跡奥宮☆ミhttps://ssecret.ameba.jp/1994199820022006/amemberentry-12401632249.htmlイヒカ加弥比加尼。。白雲別神。。豊御富。。。水光姫。。。『井光』聖跡奥宮☆ミ珍彦。。と宇陀の弟猾。。『保久良神社の由緒』は、その晩年をも記している。珍彦は『倭国造』の要職を子孫に譲ると、この『菟原』に戻り、吉野の宇陀で出会った土着の民の弟猾(おとうかし)と共に故郷の開拓に尽
今日は朝に吉野山に行きました。そろそろ、春がやってくる予感です。桜、今年も綺麗かな🌸ここ、吉野山の善福寺には、井光の井戸があります。お寺の裏に回ると、階段があって、降りていくと井戸の跡が有りますよ。イヒカという光る尾っぽのある人が、ここから出てきたらしいです。
こんにちは~人気ブログランキングにほんブログ村気になる動画奥秩
2018年9月23日奈良県の吉野山を旅した。近鉄吉野駅に着き、まずは中千本までのバスの時刻表を観に行ったところ、現在バスの運行は休止されていた。しかも中千本行きのロープウェイも休止中なので、タクシーか徒歩で巡るしかなかった。ゆえにまずは駅から中千本へ向かった。駅から登ること10分、吉野山の黒門へ到着。黒門を潜ってしばらく進むと銅(かね)の鳥居がある。銅の鳥居は奈良の大仏を鋳造した際に余った銅で造られたと云われている。だが初代銅の鳥居は南北朝時代に足利尊氏の家来・高師直(こうのもろなお)の
今日は奈良の龍田大社へ寄り道。龍田大社拝殿末社白龍神社先日、風の神と思われる男女が登場する夢見により龍田大社を訪れたのである。今朝観た夢の話(風の神?)龍田大社では火水埴の清祓い、白龍神社では龍神祝詞を奏上してお参りした。その後、ついでにどこかへお参りしようかと考えたが、特に思い浮かぶ所がなかったので帰ることにした。そして京都から帰るか、新大阪から帰るか、迷った挙げ句新大阪で軽く直会してから帰ることにした。新大阪では以前二度ほど訪れたことがある飲み屋へ立ち寄った。そして生ビール、枝
『井光』『井光の井戸』。。そう云われているところが‼️…実は。。さらにもう1つあります‼️。。神武天皇旧跡『井光の井戸伝承地』え⁉️…何これ⁉️。。こんなの前からあった。。はじめて気づいたょ‼️…(『吉野山を下りた麓。。『駅』の近くである。狭い道のところ)『井光井戸』神武天皇が、吉野で次に出合ったのは、光る井戸から出て来た人でした。神武天皇が「お前は誰か」と聞くと、「私は国つ神で、名は井氷鹿と申します」と答えました。(これは『吉野の首の先祖』)と記されていま
『井光』『井光の井戸』。。そう云われているところが‼️…実は。。他にもあります‼️。。それは。。『吉野山』にちょっと分かりにくい場所にあります‼️いわゆる吉野山の『メインロード』から外れて、細い道へ入っていく感じ。『井光山善福寺』【善福寺と井光井戸】おっ⁉️…社の『向き』が違う。。井光大権現『高野山真言宗・井光山善福寺』『ご挨拶』『善福寺の歴史』「善福寺」の詳細は不詳なれど江戸時代には現在の『桜本坊』の所にあったという古文書を「金峯山寺編纂(きんぷせんじ