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見ごろを過ぎた牡丹が一株二株牡丹散りて打ち重なりぬ二三片(与謝蕪村)軽食~身近な情報が一番です~
みなさま、こんにちは。ポスチャースタイリスト古谷維久子です。この泥が、あればこそ咲け蓮の華与謝蕪村さんの俳句です。美しく優雅な蓮の花は、仏さまを象徴する花です。その蓮の花は、厚く積もった泥の中から咲きます。逆に泥がなければ、キレイなお水だけでは、あの凛とした蓮の華は咲けないそうです。私も、思ったように物事が進まず、泥の中にいるような気分になるときもあります。そんな時は、この言葉を思い出します。この泥が、あればこそ咲け蓮の華泥の中にいて
今日は早朝5時起き💦6時出発🚙GO!高速道路を約2時間運転して娘をバレーボールの試合に連れて行きました試合の応援で体育館に8時間いて疲れましたー高速道路をまた2時間運転して帰りましたが…春の陽気がほんのり翳(かげ)って山にかかる夕日も柔らかく綺麗で✨後部座席で眠る娘の寝息を聞きながら試合で頑張ってた姿も思い出ししみじみしみじみ春っていいなぁー春の海ひねもすのたりのたりかな(与謝蕪村)の俳句をもじって春の山夕やみのたりのたりかな高速道路に乗る前
与謝蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」。一面が黄色に染まる菜の花畑の夕ぐれ時、空を仰ぐと東には月、西には太陽が同時に出ていた。一枚の絵画のような、ダイナミックでスケールの大きい光景に息をのむ。こんな美しい景色に出会ってみたいよね。
🩷吉田悦花の連載エッセイ🩷書道研究月刊雑誌「現代書道」コトノハ歳時記第13回菜の花や月は東に日は西に与謝蕪村「生命のリズム」を感得しましょう❣️
池大雅は、江戸時代の文人画家であり、与謝蕪村と並ぶ、南画の大成者である。その作品の多くが、国宝や重要文化財に指定されている。天才芸術家によくあることだが、大雅も相当な変人だったようである。今日の古文の授業で読んだ『逢原紀聞』に、こんなお話があった。大雅が淀藩主の依頼で金屏風を描いた。藩主の使者が、謝礼の金30両を届けに来たところ、部屋には古紙や書物が散らかっていて、足の踏み場もない。使者は謝礼を包みのまま床の上に置いて帰った。その夜、盗人が壁を切り抜いて侵入し、
2024年4月2日(火)【季語】春の水/春春の水山なき国を流れけり与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716〜1783年。江戸時代中期の俳人・画家。昨年の4月2日の句→高々と『高々と〜原石鼎』2023年4月2日(日)【季語】蝶/春高々と蝶こゆる谷の深さかな原石鼎(はら・せきてい)1886〜1951年。俳人。昨年の4月2日の句→まさをなる『まさを…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
登場する、与謝蕪村と共に日本の南画の大成者とされる人物は誰か?江戸中期に京都で活躍した「池大雅」は、幼少期から書に優れた才能を発揮、中国の南宋画を独学するなどし、日本の伝統絵画や西洋画の表現法なども加味して独自の新鮮な画風を生み出した。「十便十宜図(国宝)」(川端康成記念会・蔵)を合作した与謝蕪村と共に我国の南画を大成した。結婚して共に真葛原(マクズガハラ)に住んだ妻・玉瀾(ギョクラン)も画家として活躍した。*「十便十宜」は、清の劇作家・李
寫眞繪畫春の海初旅の菜の花の沖春の海/松風紫に夜は明かゝる春の海/几董灯台や手毬のやうな春の海/松山足羽限りなき日本領や春の海/尾崎紅葉春の海岩はひ上る遊び波/山口青邨舟歌に月こそ出づれ春の海/正岡子規春の海岬の月夜赤き塔/花輪春の海潮甘かれと思ひけり/巌谷小波島々に灯をともしけり春の海/正岡子規吹風や故郷の匂い春の海/松風海の駅君見送りて春の海/花輪春の海竜のおとし子拾ひけり/露伴子の声の溢る
「春休みひねもすのたりのたりかな(願望)」どこかで聞いたことが(^_^;)与謝蕪村でした柔らかな日ざしのなか、波穏やかな与謝の海が広がっている。白砂青松を海上に連ねる天橋立、彼方の丹後半島の山々もうす墨で描いたように霞んでいる。つい、うとうとと気持ちよく眠ってしまいそうな風景だ。そして、頭に浮かんだのがこの一句。春の海終日[ひねもす]のたりのたりかな作者は、与謝蕪村。この句は、丹後与謝の海を詠んだともいわれている。しかしこの句を目にすると、まどろむような海の情景がたちま
出光美術館で開催中の「生誕300年記念池大雅ー陽光の山水」展へ行って来ました。伊藤若冲や円山応挙ら、日本美術を変革する個性的な画家たちが輩出され、百花繚乱の様相を呈した江戸時代中期の京都画壇。その中でもひときわ多くの人々に愛された画家に、池大雅がいます。幼い頃から神童としてその名を知られた大雅は、当時中国より新たに紹介された文人文化に深い憧れを抱き、かの地の画家を典範とした作品を数多く描きました。一方で自然の光の中で描くことで培った抜群の色彩感覚と大らかな筆致、そして彼がこよなく愛した
与謝蕪村の句「うぐひすの啼くや小さき口あいて」。美しい鳴き声で春の訪れを告げるウグイス。あらためて見つめてみると、小さな口を開けて一生懸命に鳴いている様子がわかる。自然の前にちょっと足を止めてみて、ふと見つけた美しい瞬間と喜びがビビッドに伝わってくるよね。
今週の三択問題次の3人の俳人のうち、最も早く生まれたのは誰でしょう。小林一茶、与謝蕪村、松尾芭蕉選択肢・小林一茶・与謝蕪村・松尾芭蕉正解…松尾芭蕉解説生年で表記します。・小林一茶・・・・・1763年・与謝蕪村・・・・・1716年・松尾芭蕉・・・・・1644年
美しく、雄大な風景がイメージ出来る俳句ですが、俳人であり、画家でもあった与謝蕪村の、写実的で絵画の様な俳句です。現代語訳すると、「一面、菜の花が咲いているよ。丁度月が東からのぼりつつあり、日は西に沈みつつあるところ」一面が、黄色に染まる菜の花畑は、まさに春らしい眺めですが、この与謝蕪村の俳句は、菜の花の鮮やかな黄色と、月がのぼって来る東の空の赤っぽい色、日が沈む西の夕焼け空の色!と色彩感に溢れた絵画的な句です。ちなみに昇って来た月と、沈もうとする日が空に並ぶ「月は東に
❀✾燃えろn回目❀ホワホワはなこサー2024年3月7日2024/3/5頃から「ふきのとう※こくごの文」→「何処から聴こえてくる,12の向きの唄」※恵方の唄(゚∀゚)連絡版のライブドアブログに投稿しておいたのですが,もう呪術的な唄にしか聴こえない程,近隣から音楽が流れてきていました(´ー`)フゥー...何か唄いたくて堪らないそんなお年頃なのかな?その前は李香蘭耐久みたいな感じでした.※川島芳子とごっちゃになった感じ李香蘭も川島芳子も余り私には印象薄い女達ですね.日本
伊藤若冲、円山応挙などの個性あふれる、江戸時代の京都で、若冲や応挙よりも画家として人気があった作家がいます。その池大雅(1723ー1776)の展覧会が東京・有楽町の出光美術館で開かれています。生誕300年記念池大雅ー陽光の山水会期は3月24日(日)までです。■入り口■フライヤー表紙この展覧会ほフライヤーは全部で6ページもある大作です。■池大雅とは京都に生まれ、幼い頃から神童と呼ばれるほどの絵
花園橋で乗り換え。。『5』(京都市バス)🚌一乗寺下り松町🚌今回の3連休最終日、まずやって来させられたのはw、●金福寺[G]2月29日迄拝観休止だったのでw。。江戸中期、松尾芭蕉と親交のあった鉄舟和尚が再興した。松尾芭蕉・与謝蕪村ゆかりの寺(●˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾大人500円。゚(゚´ω`゚)゚。芭蕉庵と与謝蕪村の俳句特別ご朱印京都・洛北&えいでん特別ご朱印めぐり☆29社寺目。あと1。寺宝展示蕪村筆芭蕉翁像サツキの築山と白砂の枯山水庭園。コウバイ
(東京都杉並区西荻窪)遅き日のつもりて遠き昔かな与謝蕪村昨日、沖縄と変わらないほどあたたかい、と書いたが、やはりこっちは寒い…(苦笑)。しかも花粉が飛んでいるようで鼻がむずむずする。今日は西荻窪の「芭蕉の五大紀行文を読む会」。先月、「野ざらし紀行」が終わり、今月から「鹿島紀行」になる。「鹿島紀行」はなかなか難解である。「擬古文(ぎこぶん)」だからである。「擬古文」とは、字の通り「いにしえもどきの文」という意味で、古い時代の文体に倣った文章というこ
与謝蕪村の句「水仙や寒き都のここかしこ」。まだ寒々しい京都の町で水仙の花が咲き始めた。目の前とおなじ黄色い花が、都のあちらこちらでたおやかな美しさをほころばせていることだろう。さながら絵屏風のようなイメージのもと、春の気配が広がってくるようだよね。
2024年2月28日(水)【季語】椿/春古井戸のくらきに落つる椿かな与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716〜1783年。江戸時代中期の俳人・画家。昨年の2月28日の句→いま割れし『いま割れし〜飯田龍太』2023年2月28日(火)【季語】二月尽/春いま割れしばかりの岩ぞ二月尽飯田龍太(いいだ・りゅうた)1920〜2007年。俳人。昨年の2月28日の句→下萌…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
お散歩していたら梅がとってもきれいでした。すでに八分咲きといったところでしょうか。春が近づいてきているのを感じます。とはいえ日によって寒暖差がありますね。受験生の方はもちろん皆さま体調に気をつけてお過ごしください。本日のデザイン書与謝蕪村の句『朝がほや一輪深き淵のいろ』下記Instagramにも作品を載せました。ぼちぼちゆったりペースでやっております。応援してくださると励みになり嬉しいです。p.s.大人の生徒さんから京都『鳩居堂』一筆箋をお土産でいただきました。素敵なメッ
描いた画家は誰か?明末清初の文人・李漁(リギョ)が自分の別荘(伊園)生活の快適(便宜)さをうたった「伊園十便十宜詩」を主題に、江戸中期の画家2人が合作で画帳に描いたのが「十便十宜図(国宝)」。その2人とは、放浪生活の後、京に住み俳句・南画に異才を発揮した与謝蕪村と、幼い頃から書・南画を学び日本的な独自の画風を展開した池大雅である。蕪村が主として事前環境の良さを詠んだ詩(十宜)を絵にすれば、大雅は主として田園生活での便利さを詠んだ詩(十便)を描いた。因みに
「菜の花や月は東に日は西に」2月4日は「西の日」です。この俳句は江戸時代の画家であり俳人でもある与謝蕪村によって詠まれました。この句に詠まれた月はどんな形の月でしょうか?古典の授業で教わる柿本人麻呂の有名な短歌「ひんがしの野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月かたぶきぬ」には、西の空に沈もうとする月が歌われています。このときの月の形はどうでしょうか。答えはどちらも満月です。なぜ、そんな昔のことが分かるかって?太陽と月が地球をはさんで180度正反対の位置関係にある時、月は太陽
2月4日の今日は「立春」暦の上では春少しづつ春が近づき嬉しくなります『菜の花や月は東に日は西に』与謝蕪村の有名な春の一句が思い浮かびます日曜日ファイトー!(>艸<。)でスタ-ト
与謝蕪村の句「斧入れて香に驚くや冬木立」。寒い冬の木立におのを入れると、思いがけず匂い立つ木の香りに出会った、その驚きがよまれている。木々にやどる生命、自然とのふれあいから生まれた感動。日常の中に驚きや美を見つけ、その小さな時間を大切にしたいよね。
「かわいい」が世界共通語になってどれだけ経つだろう。若い頃にフランスに住んでたとき、日本趣味のフランス人が使ってたが、今では使い方も変わったがよりメジャーな言葉になった。少し前まで住んでた中国のかわいいは本来「可愛」(クーアイ)と言うが、これはあくまで子ども対象の言葉であり大人に使うのは失礼になる。だからkawaiiを使う。さてさて、かわいい絵画は江戸に始まるという絵画史の本を読む。著者によるとその開祖は俵屋宗達だそうだ。あの国宝、風神雷神図屏風を描いた人だ。その一方で独特の水墨画で動物のかわ
来ていただいて、ありがとうございます。我が家の水仙が咲きました。そこで水仙の句を書いてみました。(与謝蕪村の句)
このところ拙ブログでt利挙げている俳句。地震を詠んだ句があるのか調べてみたら、たくさんあった。そのサイトがこれ地震を使用した俳句地震に関連した俳句の例をまとめました。地震を含む俳句例下萌を催す頃の地震哉/正岡子規地震て冬帽動く柱かな/正岡子規一輪の白玉椿夜の地震/松村蒼石おろし置笈に地震なつ野哉/蕪村塊に蜂歩み居て地震かな/原月舟百取の机つ物に春の地震/攝津幸彦嫁がwww.haiku-kigo-ichiran.netこの中で、今回の能登半島につながるような句を5つ選んでみた。
与謝蕪村の句に「菜の花や月は東に日は西に」がありますが…今朝は、真逆の情景が見られました。西の空、山並みに沈んでいく月。振り返って東の空を見れば、昇り始めた太陽がまぶしい。ここで蕪村のように一句、と思いを寄せましたが…当然のことながら、自分なんかに思いつくわけがないのでした。
1月17日が命日・忌日の有名人・著名人1751年満79歳没(糖尿病)トマゾ・アルビノーニさん作曲家アルビノーニのアダージョ1784年(天明3年12月25日)67歳没(心筋梗塞)与謝蕪村さん俳人、画家1893年70歳没(心臓発作)ラザフォード・B・ヘイズさん第19代アメリカ合衆国大統領1933年84歳没(肺炎)ルイス・カムフォート・ティファニーさん宝飾デザイナーティファニー社創業者2010年満67歳没(急性心不全)浅川マキさん歌手、作詞家、作曲家、編