ブログ記事69件
息子→通信制高校からの大学2年生。ゲーム。パソコン好き。昼夜逆転が得意。娘→通信制高校の新1年生。ゲーム、アニメ、二次創作小説、哲学好き私→2人の子の母ちゃん。アニメ読書ブログ好き。私は復学支援というサービスは使っていませんが、今や復学支援の業者さんも、使われる親御さんも、ブログで結構お見かけするようになってきました。復学支援で学校に戻られた。っていう記事が純粋に羨ましいです。ご家族が大変に努力されていらっしゃるのよね。支援で家族毎変化する。大人が変わり、夫婦で考え方を合わせ
息子→通信制高校からの大学2年生。ゲーム。パソコン好き。昼夜逆転が得意。娘→通信制高校の新1年生。ゲーム、アニメ、二次創作小説、哲学好き私→2人の子の母ちゃん。アニメ読書ブログ好き。うちの近くにはね、公立中学校と県立高校があるんです。もう学校も始まってますのでね、制服来て多くの学生さんが我が家の近くを通り過ぎて行きます。行きかえりとね。学校のチャイムもね、それぞれ聞こえます。比べたってね、仕方ないし、娘はね、「今は」毎日学校へ通うというのはムリなので、その事実も受け
お兄ちゃんの関心が妹に向くのか、顔をあわせると妹の悪口を言うお兄ちゃん。。そのストレス&もともと気を遣う気味の妹が学校へ行きたがらなくなりました不登校支援センターで、家族で相談するようになり、妹の話もしたところ、性格検査にも妹がしんどいのが現れてると言われ、急遽、お兄ちゃんより妹のカウンセリングをメインにしましょうということになりました。お互い大好きなのに、反発しあっている兄妹お兄ちゃんがいずれは自分のことでいっぱいになり、妹への関心はなくなるだろうとカウンセリングの方からは言われました
ムスコにとっては非常に相性の良いスクールカウンセラーさんなのですが、ワタシは何故かかみ合わなさを感じていました。スクールカウンセラーさんとの時間に、何とも言えない苛立ちを感じはじめたので、こりゃダメだと思ったワタシは、以前の職場でお世話になった方伝えにお聞きした、不登校支援センターに連絡をしてみることにしました。お世話になった方は、迷いがあるたびに電話をして、迷いや悩みをカウンセラーさんに話して自分を立て直したそうです。ネット検索すると、初回は無料で90分相談できると書かれていたので
9日(水)、夕方カウンセラーさんが17時に来る予定、少なくとも昼には起きている兄、普通だったら問題なくお話ができる予定だったのだが・・・。昼前にふらっと起きてくる兄。本当なら9時半過ぎに私はジムにいくのだけど、自転車パンクが発覚して断念し、昼までは漫画を描くことにしていた私。たわいない話をしたあと、「さて、そろそろジムに行くか」という時に「ヨドバシカメラでも行かない?」とワンチャン目的で声をかける。「プラモデルにはもう興味ないから・・・ソフト買ってくれるなら行く!」「うー
こんばんは。あこです子どもが不登校になって、色々なところに相談に行きました。電話無料カウンセリング学校のスクールカウンセラー心療内科不登校支援センター市の適応指導教室の相談室本当によく頑張った何とかしたいと思ってたくさん行動しました不登校支援センターは東京の上野にあります。https://www.futoukou119.or.jp/不登校支援(復学・復帰/進級・進学)の専門機関-一般社団法人不登校支援センター一般社団法人不登校支援センターでは、独自のカウンセリングノ
『学校へ行きたくない…今日は休む…』と息子が言って休んでから、遅刻登校が続き、いろいろな方に相談をしました。小児科のドクター、看護師してる後輩、いつもお話をうかがっている市の家庭教育相談員の先生(小中学校を退職された先生)、そして、市の不登校児をサポートする支援センターの先生にも水曜日に相談してきました。息子の今までの様子や性格、休んでいる間のことなどたくさん聞かれ、途中で先生がおっしゃる息子のつまずきポイントがドンピシャで、すぐに「学校と連携して、学校へ行く楽しみを作っ
ただいま、小金井市議会では令和2年度の決算審査中です(10月4日迄)。「教育費」のところでは、もくせい教室の執行について質問をしました。委員会に向けて「もくせい教室(適応指導教室)への相談・見学者数及び登録児童・生徒について」という資料を提出いただきました。◯立地がネックでは?東町の在籍者(通室者)はゼロこの資料では、決算年度(R2年度)にもくせい教室に通室した児童・生徒の学年・町別内訳を表にまとめてもらいましたが、東町からは通室者がいなかったことがわかりました(この表は人
ご覧いただきありがとうございます息子たちの不登校をきっかけに自分の人生の振り返りを始めた人生ストーリー今日で最終話となります。ブログは今後も続けますブログを始めた頃に感じたこと…自分の想いを吐き出すって気持ちいい~そして、書いてるうちにどんどん気持ちが整理されて改めて自分の気持ちに気づいたり泣けてきたり腹が立ったりジーンとしたりこれだけの感情が溜まってたんだなーと思いましたもしここで吐き出さずに
中学生になり、すぐに不登校になった息子。あれから丸2年になる。この2年間いろいろありましたが不登校支援センターや通信制高校の中等部には何とか通えるようになりました。そして中学校での部活も週末と長期休みの時だけ参加して好きな野球ができる息子。明日から学校が始まります。中3になったら行くって言っていたけど、さて明日はどうするかな??
こんにちは日本初公立不登校経験生徒対応高校都立チャレンジスクールの元先生不登校カウンセラーやまちゃん先生こと山内玲子です。今回のご質問は不登校の相談に行ってとても嫌な思いをしました。やっとの思いで相談に行ったのに私の受け取りかたなのか?こうしなかったあなたが悪い的なことを言われたように感じました。不登校に悩んでいますが相談に行くハードルが上がってしまいました。相談に行っても解決になるどころかかえって辛くなりました。相談に行くのに
三男が不登校の時に私が二番目にした失敗は、三男のペースに合わせ過ぎたことです。こちらの三男が不登校の時に私が最初にした失敗にも書きましたが、行けなくなった当初は車で学校まで送って行ったりしていました。その後、朝起きることもできなくなった時に私がした二つ目の失敗、それは生活のペース全てを三男に合わせたことです。仕事をしばらく休み、出かける予定を入れることにも罪悪感を感じてできなくなりました。頭の中で起こっていたのは、学校に行けないように育てた自分が悪い↓そのせいで三男
中1の5月から不登校になり只今、中2の息子。学校には行かないけれど不登校支援センターと通信制高校の中等部での勉強。そして週末の部活と何かと忙しい毎日を過ごしています。そんな息子の妹。下の娘が12月に入り小学校を行き渋りだした。「休みたい」と言ったら「うん、わかった~」と言って欠席の連絡を学校にする日々が続きました。息子は休ましているのに娘を無理矢理学校に行かす事ができない私。結局、登校日数の約半分を休みました。息子で免疫がついていると思っていましたが、ま
三男が高校1年の冬休み明けに学校に行かなくなった時、私が最初にした失敗…それは、車で学校まで送って行ったことです。「車で送ってあげるから行ってみたら?」と何度か送っていきました。それでも行けるなら行った方がいいとその時は本気で思っていました。でもそのやり方は、三男の気持ちに寄り添った方法、根本的な所に目を向けた方法ではありませんでした。結局、何度か車で送ってもまた学校に行けなくなり、朝起きることもできなくなってしまいました。学校に送って行くことは、私の期待で行ってもらっているという
ここ数年のこの時期、三男が不登校になったのが3年前高校に戻らない決断をしたのが2年前高卒認定試験に全科目合格できて大学受験に向けて動き出したのが1年前と三男に大きな動きがあった時期でした。中でも高校に戻らない決断を口に出した後、三男の表情が激変しました。この子のこんなに穏やかな表情を見たのはいつぶりかなと思いました。わかってるつもり、知ってるつもりでしたが、それだけ本心を口に出せない関わり方になっていたのだと気づきました。この時期にあった三男の転機は彼が自分の本心に徹底的に向き合
「本人の気持ちを追い越してはいけない」これは三男が不登校だった時に不登校支援センターのカウンセリングで言われた言葉です。カウンセリングで言われる言葉が全くわからなすぎて、受ければ受けるほど、自分はどうしてこんなに言われていることの意味がわからないのかと恐ろしくなりました。この言葉を腑に落とすまでかなりかかりました。HSS型HSPの方は、人にどこまでやってあげたら、協力してあげたらいいのか、限界がわからなくなるという方、多いのではないかと思います。私は子育ての中で、本人がこうしたい、こう
三男が不登校になってしばらくの間、朝私が仕事に出るときにまだ布団から出られずにいた三男が発する「行ってらっしゃい」の言葉が、私の中で勝手に「俺を置いて仕事に行くのか」と言っているように聞こえていました。本人に聞いたわけではないのでわかりませんが、三男が私を責めていたのではなくて(こんな時に仕事に行ってていいのか)と自分で自分を責めていたのだと思います。不登校の親という経験をされた方は、きっとみなさんご自分を何度も責めたことあるのではないでしょうか。私たち親子がお世話になった不登
中1の5月中旬から不登校になり只今中2の息子。不登校生活が安定してくるとたまに波風が立ちますがそれなりに穏やかな生活。息子の今の生活は不登校支援センターに週2回、通信制高校中等部の週1回は行ったり行かなかったり、そして週末だけの部活。私の1週間は息子の送迎などで関わる時間が殆どでその間には家事に娘の小学校の役員の用事、自治会の用事などなどあっという間に過ぎていく。年中から小2まで療育に週2回。小4・小5は放課後デイサービスに週1回の送迎をしていた時は仕事も
私は、三男が不登校の時お世話になった不登校支援センターのカウンセラーさんに物事の見方が「ド近眼かド遠視かどっちかしかない」と言われたことがありました。その時はピンと来なかったのですが、最近になってたしかにそうだったなと思うようになりました。気になったことを一点集中で凝視するか、ものすごい引いたところから傍観するかどちらかになってしまうという、距離感の取り方が苦手なのもHSS型HSPあるあるかと思います。特に何か問題が起こったり、気になることがあった時に自分に余裕が無いと、ド近眼になった
最近、とっても些細なこと、くだらないことですが、三男とそれぞれ言いたいことを言っていることに気づく度に、前はこんな風にすぐに言えなかったな…と振り返る自分がいます。お互いに理不尽なこと言っていることもありますが、言いたいことを言うと、そのあと元々何が原因だったか思い出せないくらい後に残らないことに気づきます。そんな風に三男とやり取りできるようになっていることが嬉しく感じます。次男は自分の気持ちを言葉に表すのが上手で、よくフラットに伝えてくれました。私もそれに対してハッとしたり、気づかされ
毎日我慢に気づいたときに❌をつけていくという方法を三男が不登校の時にお世話になった不登校支援センターのカウンセリングで教えていただきました。我慢している人がいると、身近な人まで伝染してしまうとも言われました。子どもと母親の関係だとなおさら感じとりますよね。女の人は特に我慢強い方、多いと思います。そして、我慢していることにすら気づいていない方も多いと思います。朝、起きるのが辛いなと思ったら、もうそこから我慢になると言われ、「そんなことから?」と正直思いました。むしろ、朝パッと起きられな
三男が不登校になり、学校をやめてから自分で一つ一つ動き始めやり遂げたことが5つあります。以前こちらの記事でも書きましたが、一つ目はアルバイトです。居酒屋の厨房で多いときには6連勤、7連勤で働き、今でも同じ所でバイトを続けています。2つ目は高卒認定試験の勉強です。これは、不登校支援センターのカウンセラーさんにも相談したり、勉強を見てもらったりしながら進めていました。予備校の話も聞いたようですが、本人が行かないと決め、自宅で勉強したり、時々カウンセラーさんに見てもらったりしていました。試
不登校期間が長くなってくるとたま~~に登校しても続く訳もなく中学校の復学は目指していない私。しかし息子は先週2日登校して少し自信が湧いてきたのか?1週間続けて行けるか試してみたいと口では言っている。でも言っただけでその後何にも言ってこなかった。私は息子が行ける時に行けばいいと思えるようになったので放置。でも高校で野球がしたいと常々言っているので高校進学に向けては息子と話し合って通信制高校の中等部T学園に週1日通う事にした。本当に受験できるかわからへんけど今できる事
三男が小さな成功体験を積み重ねるきっかけになったのが、不登校で高校をやめた後に始めたアルバイトでした。三男は高校1年の冬休み明けから不登校になり、高校2年の12月、高校に戻らないと決断しました。数ヶ月後、居酒屋でアルバイトを始めました。学校にそのまま通っていれば高校2年生の春休みに入る頃。行ったり行かなかったりもありましたが、不登校になって1年2ヶ月程たった頃のことでした。高校に戻らず、高卒認定試験を受けて大学進学をするという決断も相当な覚悟だったと思います。そして、アルバイトに通う
只今、中2の息子。中1の5月中旬から不登校になりました。そんな息子がたまには学校行かなあかんやろと言って先日朝起きて何事もなかったようにいってきま~すと登校して行きました自分から行くと言った時は驚くほどスムーズに登校する息子。息子のスイッチは突然ONになって、すぐにOFFになるんやなぁ。ほんまどんな気持ちで登校するのか、頭の中がどんなふうになっているのか覗きたい!と心の中では思うけど、一切聞かないようにしている私。さて今度はいつONになるかわからへんけど、気長に
中1の5月中旬から不登校で只今、中2の息子。その間、不登校支援センターには通ってますが(勿論、私の送迎つき)自宅ではゲームとYouTube三昧で全く勉強せず、昼夜逆転気味。1年半経って穏やかな不登校生活。でも少し、ほんの少しずつ前進。前進しては戻っての繰り返しだけどでも少し前進?1年前を振り返ると全く外に出なかった。たま~に車で出かけてもフードを被ったりして人に見られるのを嫌がってた。そんな息子が何を思ったか去年の11月下旬から週末と長期休みの部活だけ復帰。
25年位前になりますが、児童相談所で働いていた時、不登校、発達遅滞、養育拒否など様々な事情を抱えた子どもたちと関わってきました。息子が不登校になったとき、あれだけ不登校の子どもたちに関わっていたのに、私は何をしていたのだろう、息子の何を見ていたのだろうと情けなくなりました…息子の姿と、仕事で関わった子どもたちの姿が重なりました。個別に自分が担当した子どもたちの顔は、今でも覚えています。特に不登校の子どもたちは関わった時間も長く、その間の様々な出来事が思い出されます。何度も彼らの選択の場
三人の息子たちの子育てで楽しかった思い出ももちろんたくさんありますが、子育てに関する後悔、子どもたちに申し訳ないと思うこと…これも数えきれません。世の中のお母さんたちは多分、誰でも子育てのことで苦労したり、後悔していることがたくさんありますよね。HSS型HSP特性をお持ちの方は特に、子育て大変ですよね。自分が何者なのかもよくわからず、自分と付き合うことに精一杯なのに、周りのことも全て自分の責任と感じてしまい、結果自分は後回し。我慢していることさえも気づかない。でも、確実にキャパオーバー
息子は中1の5月中旬から不登校。中2になって再登校を試みるも3日で挫折。週2日の不登校支援センターと週末の部活以外は殆ど外出せず、普段は昼夜逆転YouTube・ゲーム三昧の変わりばえのしない毎日。そんな息子。先日から終業式は学校行こうかなぁと独りごとのように言っていましたがいつも行く行く詐欺なので最近は聞き流しています。でも担任の先生には電話で終業式は行くと言っていますので三者懇談の時にでも息子と話してみてください。と連絡を入れておきました。そして三者懇
このままなんて嫌だ!と私が思っても息子は週2回の不登校支援センターと週末の部活のみ動くだけでその他の日はゲームやYouTube三昧の昼夜逆転生活。去年の今頃に比べたら確かに動いているのだけどこのまま安定していてはと思う私。不登校支援センターの帰り道車内で息子に私の気持ちを伝えた。お母さんは後悔するのが嫌い。後で~しとけばよかったと思うくらいなら失敗してもいいから今自分ができる事を精一杯する。後悔するのが嫌いやから今自分ができる事をする。例えば毎日走るのが無