ブログ記事6件
【不昧因果】いつもありがとうございます。「不昧因果(ふまいいんが)」とは禅語です。原因あって結果あり。すべての結果には、必ず原因があるのです。善意は善行を促し、善き結果へとつながります。人知れず努力を重ねていくと、やがて思わぬ成功を実現させるのです。一方、悪意は悪事を促し、悪しき結果をつくり出します。嘘やごまかしで取り繕っても、その思いや行為は、決してくらますことができないのです。不誠実なところもあったかもしれません。間違った考え方に洗脳され、他
〇……君子も亦窮すること有るか、と。子曰く、君子固より窮す。小人は窮すれば斯(すなわち)濫(みだ)る、と。(15-2)……君子もまた窮迫することがあるのですか、と。孔子先生は答えて言われた。「君子ももちろん窮迫するよ。小人は窮迫すると精神も生活も乱れる(が、君子はそうでない)のだよ」と。いきなり儒教以外の思想と結びつけて考えるのは邪道であろうが、そこはブログの自由さということでご容赦いただきたい。禅に次のような話がある。ある狐が、名僧の所に来て言う。「自分は昔、僧侶であった
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…《先哲の言葉に光を当てる》孔子は「述べて作らず」(述而第七)といいました。私は自分の意見なんか何もいっていないよ、先人の教えを皆さんに伝えているだけだ、と。これは安岡先生もまったく同じです。安岡先生はこういう言葉を残しています。「僕の人生は、古今東西の名言や記録の渉猟(しょうりょう)に明け暮れてきたが、その功徳は僕にとっても大変なものがあった。これをまた、分け与えるのが僕の使命である」古今東西のあらゆる先知先
今日は、【善を施せば善は倍増して返ってくる悪をばら撒けば悪は増幅して返ってくる】ということばをお届けします。善因善果悪因悪果御縁に感謝です。笑顔に満ちた日々となりますように!∽∽∽∽∽∽∽□HomePage⇒https://tenzo-koubou.jimdofree.com□Blog⇒https://ameblo.jp/tenzo-koubou□Facebook⇒https://www.facebook.com/tenzo.koubou□LINE⇒
2カ月前、自分の誕生日にお誕生日の御朱印を書いていただきたく参拝に伺いました。当日は難しいとの事で郵送をお願いして帰ってきました。それが、届きました〜〜🙌🙌🙌なんと、飛び出す御朱印写真ではわかりにくいのですがプレゼントの中に『不昧因果』と書いてあります。『ふまいいんが』意味を検索してみたら、、、難しい事が沢山書いてあった(笑)ひらたく言えば、『起こってしまった事は仕方ない』『どんな状態になっても楽しく過ごそう』『なるようになるさー』『Letitbe』みたいな
(中公クラシックス、2017年1月)。・畢竟ずるに仏教の大意は対象界を超越することです。・(不落因果と不昧因果)人間は道徳的行為の主体であるが、それと同時に因果の法則そのものであるのです。行為の外に因果があって、それが行為の上に加わるのではない。それ故、人間として生活している限り、業は人間につきものである。修行の有無、悟道の如何などによりて、因果が外にはなるべき性質のものではないのです。因果は元来不落も不昧もないのです。因果は知性面の事象である、霊性的自覚の上では因果はないのであ
(岩波文庫、1994年6月)。すごく貴重ではあるが、一般的に考えて売れない本を出してくれる岩波書店に感謝!禅の公案の本。四十八個クイズがあると思えばよい。第1問は超難問なのでパス。第2問は分かる気がする(気がするだけだが……)。百丈和尚のところへ相談に来たキツネ(元人間)が言う。「悟った人も因果の法則で苦しむことがあるのか」と弟子に聞かれて「ない」(不落因果=因果に落ちない)と答えたら、五百世の間キツネになってしまった。助けてほしいというのだ。百丈和尚は(不昧因果=因果を
運命を開く―人間学講話(人間学講話)/安岡正篤¥1,529Amazon.co.jp佐藤忠之先生による早稲田大学エクステンションセンターの合氣道クラスが休講になったり大学のクラブの春合宿が中止になったり、アポイントがキャンセルになったり、ホテル案件の売買アドバイザリー・仲介ビジネスが滞ってきたり、と新型コロナウイルスの影響が諸々出てきている。ご年配の方々や基礎疾患をお持ちの方には危険なウイルスの様だが元氣な壮年、青年での重症者、というニュースは聞かない。例年のインフルエンザや
禅のブログ村はこちら(月)(水)(金)更新決定!原因と結果の法則。よく聞きますが、実際に考えて行動している人はどれくらいいるのかな(^∇^)私はまだまだできていません(;^_^A今日の禅語。【不昧因果】(ふまいいんが)不昧とは明らかにしない、はっきりしないということ。因果とは原因と結果のこと。何事も原因があり結果がある。何かはわからなくても、ちゃんと理由があるということ。そのわからない理由を観ない事にしていると、同じことを繰り返す。大体が見たくない原因という事