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太陽から地球までの距離、どれくらい離れているか知ってるかな?1億4960万kmあるそうなんだけど、想像つかないよね。時速300kmの新幹線で太陽に向かうとしたら、片道50年以上かかる。あなたが時速4kmの速度で歩くと、片道4,000年はかかってしまうという。どれだけ遠いか少しは理解できたかな?笑太陽から発せられる光は、8分19秒後に地球に到達しているという。だから、俺たちが見ている太陽の光は、8分19秒前に太陽から発せられた光だ。太陽の直径は、約139万
いよいよ離陸🛫です初オーストラリア🇦🇺わくわくドキドキちなみに妻は20数年前に🇦🇺上陸済みとのことまずはシドニーへ向けて出発フライトは9時間45分予定しばらくするとドリンクのサービス😁妻はビール、僕はシャンパンで上空10000メートルのBarを堪能気圧の関係で機内はアルコールが回りやすいなのでホドホドに飲みました😅野菜とチーズのオムレツ、白身魚の胡麻和えサラダ、チョコレートムース、車麩と鶏肉の玉子とじ丼、アイスクリームハヤシライス到着前の機内食スクランブルエッグ、チ
中国滞在記いつもブログを読んでいただきありがとうございます。創業19年目、8年前に儲からなくなった広告業に見切りを付け貿易業に転身、毎月東京オフィスと中国オフィスを行ったり来たりの日々、「下請け仕事一切御断り、大手メーカー直提案直取オンリー、中国工場直発注直輸入」をモットーに年160日間中国に滞在しているプチ単身赴任生活のブログです。ビジネスクラスで行く空の旅おはようモーニング早上好、東京滞在初日、昨夜無事中国から帰国しましたが、気分はまだ中国滞在記と言うことで「ビジネスクラスで行く空の旅
日曜日に乗った飛行機✈️福岡から羽田福岡空港上空は曇り空☁️曇り空☁️に向かって離陸🛫雲を突き抜けると青空です。飛行機✈️の後方は、夕陽になりつつあります。も少し遅い時間だと、グラデーションの空が見られますが。グラデーションの前に、雲の下に降下してしまいました。飛行機✈️から眺める外の景色はイイ!
GWの宮古島に向かう機内で撮ったのですが、カミさんが前日の朝5時起きで席を予約してくれたおかげで私の希望通りの席^^天気も味方してくれて早朝から絶景。富士山だけでなく南アルプスも見れました。
こんばんは。IRMエキスパートガイドの数澤健司です。新年初の投稿となります!昨年はこちらをご覧いただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。ところで皆さん、ご存知ですか?ネガティブな感情の元には必ず「価値観」があるってことを。私はちっとも知りませんでした。IRMを学んだ今、そのことが当たり前になっていますが、2年前の私は、そんなこと考えたこともありませんでした。〇嫌なものは嫌〇湧いてしまうものはどうにもならない〇自分ばか
めちゃめちゃ久しぶりのブログ更新。上空1万mまでの出会いまでは、まだまだまだまだ。。。。先は長い。一生懸命書きます。☆~~~~~~~☆~~~~~~~☆~~~~~~~☆意気揚々と上京してたった4カ月。専門学校とバイト生活の両立に挫折した私は、横浜の端っこにあるおじいちゃんちに転がり込んだ。おじいちゃんちと言っても、前回書いた通りおんぼろアパート。お世話になっておいて、「おんぼろ」はないと思うが、本当におんぼろだったのだ。許して、おじいちゃん、おばあちゃん。
さあ、東京生活が始まった。まずは、バイト先の寮へ入らなくてはいけないので、その寮へ。今、考えれば、それがどこにあるのかも知らないまま上京した私。バイト先のホテルへ出向き、その寮は、電車で30分以上かかるところにあると初めて知る。まぁ、仕方ない。その寮へ行く。すると、同じように地方から出てきた女の子でいっぱい。(女子寮です。)みんなどこからきたんだろうなぁ。。。と思う。そして、決められた部屋へ行く。2人部屋だ。ベット2台がそれぞれの壁にく
高校3年生の夏休みに網膜剥離の手術をするなんて、夢にも思っていなかったけど、そのおかげで、私は自分が本当にしたいことに向かって進むことを決意した。特に夢でもなかった看護婦の道には進まず、なれるかどうかもわからない、夢のまた夢、スチュワーデスになろうと決心したのだ。そのためには、大学へ行きたかった。でも、経済的理由で進学はさせてもらえなかった。だけど、どうにか親に頼んで、東京の専門学校への進学を許してもらった。そして、いざ東京へ!田舎者の私に
夢にも思わない入院生活を経験して、私の気持ちが変わっていた。やっぱりスチュワーデスになりたい!私は看護婦さんは無理だ、と。実際に入院してみて、あんな大変な仕事できないわ、と実感したのだった。このことだけ考えると、入院生活は私の人生においてとても重要だったと言える。あの入院生活がなければ、私は看護婦受験コースの乗ったまま、冬には看護学校を受験し、看護婦への道を歩いていたのだから。人生、どこで何がどうなるか、本当に分からない。2学期の進路相談で、私は担任の先生に言
手術当日、夜。早速、困る。あの看護婦さんが練習しておけ!と言っていたベッドでトイレ。(いえ、看護婦さんは優しく言っていました。なかなかできないものだから、今のうちに練習しておいてね。と。)そう、ベッドの上でトイレ、したことないでしょ、みなさん。そんなのできるさ!と思っていた私、で、出ません。な、なんで?なんで?こんなにおしっこしたいのに!と、私、自分でビックリ!ちょっとお恥ずかしい話ですが、容器を当てて準備OK。でも、出ない。精神的なものってすごいですね。したいし、出した
誰もいなくなった待合廊下で母と私は暗い気持ちで待っていた。いったい私の右目はどうしたというの?そんなに大変な病気なのかと。そして、医師に呼ばれて診察室に入ると、全部の言葉は忘れてしまったけれど、先生からこんなことを言われた。『ええっとね、右目、網膜剥離です。網膜が破けてしまって目の中の液体が漏れて網膜を剥しています。だから網膜が映像を映せないから真っ黒になっているのね。すぐに手術が必要です。』絶句する母と私。網膜剥離?なんだそれ?なんだ手術って?!医
高校3年生の夏休み前、私は右目の視野が狭くなっていることに気付いていた。いつ気付いたかは覚えてないが、自宅の鏡で顔を見たとき、何かがおかしくて試しに片目だけで見てみたのだ。すると、左は普通に見えるが、右目だけで見ると斜め右上の視野が真っ黒。つまり、斜め上半分見えていなかった。おかしいなぁ、と思いながら母親に言った。「なんか、右目が見えないみたい。夏休みになったら病院連れて行って。」と。なぜ、すぐに病院へ行かなかったのか、今でも後悔しているが、その時の数学の教
ずっと心の奥にしまっておいた、私の半生の出来事。いつか誰かに打ち明けて楽になりたい、と思っていたけど、事が事だけになかなか言えなかった。聞いてしまうと家族が傷つく。あれから25年以上が経った。その間、私の人生は狂いっぱなしだった。なんでこんなことになったんだろう、どうして私がこんな目に合わなくてはいけないの?と、ずっとずっと思い続けてきた。多分、今でも心の底でそう思っている。もう心の傷も癒えて、忘れかけてるけど忘れきれない辛すぎる出来事。全ては、およそ25年前に一人の男性に出会っ