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2006年1.4東京ドームにビッグマウス・ラウドが乗り込んで来た。永田裕志VS村上和成。両者とも目が危ない。村上のセコンドには藤原喜明とエンセン井上がいる。放送席にはビッグマウスの創設者である上井文彦が陣取り、喧嘩腰の解説。一線を越える試合になるのか。ゴングと同時に喧嘩が始まった。永田が張り手、膝蹴り、エルボー連打でコーナーに追い込み、キックキックキック連打!村上が猛然とパンチ連打!コーナーに追い込み、飛び上がって両足で踏みつけ!村上が永田をぶん投げて
ここのところ色々と悩ましい事由がそこかしこで噴出し、結構なレベルで疲弊気味の有馬です。承認欲求と自己肯定感強めの方々の中で微笑んでばかりいると腹の底からの笑い方をつい忘れそうになっていけません。皆んなが「俺が俺が」では会社は前に進まないのです。ましてこんなゲルピンな時には。常にマイボールを要求して許されるのはジャック先生だけ!というわけで今週末先生と飲みに行ってきます。最終ラインからの駆け上がりが久しぶりに見たいなあ。あまりにダウンだったのでダウン度合いには定評のある上井
幸いまだハゲてない有馬です。いやー、にしても良かったですね、武藤引退興行。ボクは先日の無料放送で初めて映像を見たのですが、噂に違わぬ名興行でした。最後の最後に蝶野を引っ張り上げる事で内藤戦の余韻をきれいさっぱり消し去ってしまう武藤のエグさたるや!あれで怒らなかった内藤はエラい。色々な意味で武藤らしい、実にいい興行でした。さて思い返してみれば実は案外行っている引退興行、個人的に思い入れが強いのはやっぱり猪木ですかね。文字通り超満員の東京ドームに大興奮したものです。試合はま
続きです。旬を過ぎたネタでも備忘録にはなるもので。気にはなるけど今更行きはしない場所編、という事で行ってみた信貴山ドライブウェイからの生駒聖天こと寶山寺。道中はもみじ、があったらしき痕跡を見つつ美しい夜景、になる前に帰るというなんともツボを外した仕上がりでしたがなかなか面白かったです。トシをとると神社仏閣が染みるのよ、また。接待in蒲生四丁目。城東区屈指のお高いお店ということもあってかなかなかのgoodフィール。美味しかったです。酔ったクライアントさんが北新地に行きたい!
ハーイ、カムイ!有馬です。さて先日よりお話ししております有馬家100年来の古物処遇の件、今回はいよいよ専門家を招いての鑑定編です。『古い物は明治の初めから、9パレット分』と伝えるや否や飛んで来てくれた鑑定士先生、『即金で是非!』と鍵付きカバンに札束を仕込んでの来訪と来てはこちらのテンションもいやが上にも高まるというもの。金目のものはあらかた売り尽くした、と生前父に聞かされてはいましたが、この調子ならまさかの大台も狙えるのでは?目玉たる東郷平八郎の書は後出しで大幅上乗せを目論
明日に向かって行ってきます。有馬です。さて早いもので全国数名の読者諸氏に向け書き続けてきたこのブログ、今回の投稿がAmeba通算500回目になるようです。アメブロに移って足掛け10年、so-net時代から数えれば15年、SOUL-NET時代も含めれば20年以上もこんな非生産的なことを続けているのかと考えるとちょっと気が遠くなりかけたりもするワケですが、まあそれはそれ。適度に寝かせた過去記事を読めばすっかり忘れてしまった当時の空気感が多少なりとも蘇ったりもして、昨日食べたものす
ゲラーアウト(出て行け)!どうも、白覆面の有馬です。さてさて、なかなか届かずやきもきしていた例のブツがようやく僕の家にも届きました!そう、アベノマスク!世間では世紀の無駄遣いだなんだと随分な言われようで、正直僕個人としてもあんまり上手いやり方とはとても思えない政策ではありますが、とは言えあの頃は今みたくマスクがダブつく状況なんて予想できませんでしたからね。マスクが手元に無く途方に暮れていた人も当時は沢山いたであろう事を考えると、そんなにあげつらわなくてもいいのに、とは思います
今回のラジオ関西・播州一のラジチューバープロレスにラジチューバーNo.70キン肉マンから長州力No.71プロレスごっこから桜庭No.72女子プロレス里村明衣子No.73プロレスのポスターNo.74車椅子の方をプロレスにNo.75世界一性格の悪い鈴木みのるNo.76スタンハンセン女性ファンNo.77元新日本プロレス上井文彦さんdodododoマサ斎藤・作詞作曲・播州一https://youtu.be/LbyL9jhWpLwあの伝説のアントニオ猪木vs
以前ご紹介した京都のイタリアレストランCUCINAKURAMOCHIの7周年パーティに参加して参りました!もちろんお目当ては初代タイガーマスク!果たしてパーティは、大いに盛り上がりました。すべては初代タイガーマスクの期待以上のトーク力に尽きます。特に、上井氏の司会進行による質問コーナーは圧巻!参加者30名全員の質問に全て回答するという、前代未聞の展開となりました。「新日本にいた頃は、道場で藤原さんと『俺たち、世界でも5本の指に入る実力はあるよな』と話すくらい、自分たちの練習と実力に
6月初日の金曜日。保永昇男トークショーに行って参りました!これは元新日本プロレス営業本部長、上井文彦氏がプロデュースするUWAIdeNIGHTPart4として企画されたもの。プロレスラーのトークショーといえば、藤波や長州、天龍などメインエベンターのものがほとんどで、中堅クラスの選手が主役になることはめったにありません。ところがこのトークショー、主役は保永、ゲストは北沢幹之という超マニアックな顔合わせ!まさに平成の仕掛け人上井氏の面目躍如のマッチメーク!正直、どんな内容になるのか
11月7日、初代タイガーマスク佐山サトル認定原点回帰プロレス(於:後楽園ホール)に行ってきました。リアルジャパンプロレスの興行です。ポスターには、18時30分試合開始とありましたが、始まったのは、昭和の名勝負のビデオ力道山豊登vs黒い魔人ボボ・ブラジル組いつもの九州地方の下ネタは割愛して、次・・・・1974年アントニオ猪木vsストロング小林1981年タイガーマスクのダイナマイト・キッド相手のデビュー戦まるで、猪木酒場状態こんな昭和の名勝負を先に見せ
先日9月22日城東KADO-YAがもよんホールで『STRONGSTYLEHISTORY〜anightforstartingover〜』に行って参りました!病魔に苦しむマサ斎藤選手を支援することを目的に、昨年スタートした元新日本プロレス営業本部長上井文彦氏プロデュースの大会です。いろいろなアクシデントを乗り越えて開催された興行は、第一試合大矢剛功vs須田匡史からスタートし、第二試合HEATvsブラックタイガーV、第三試合黒潮イケメン二郎、第四試合TAJIRIvsスペル・デルフ
昨日、元新日本プロレスの執行役員だった上井文彦氏のトークショー(UWAIdeNIGHTvol.3)を観に茨木まで行って参りました。ゲストは、あの武藤敬司選手と進行役にケロちゃんこと田中リングアナ。この3人が揃って話せば、あんな話、こんな話も飛び出して、爆笑に次ぐ爆笑でした!次回もぜひ可能なら行ってみたいです!そして、最後の抽選会では普段クジ運のない私が、一番の目玉賞品が当たってしまいましたw2.8武藤主催のプロレスリングマスターズのメイン選手(藤波、長州、武藤、カブキ、越中
UwaideNightVol3上井さんにご招待していただききましたレスラーとのトークショースペシャルゲストは武藤敬司さんです15:00からゴング!!
エアリハで笑顔のおすそ分け全国に一生モノの笑顔と健康をお届けします48秒に1回、笑いが起こるエアリハ講演の日向亭葵です年末も近づいてきましたが、来年度(4月以降)のご依頼を3件、頂きました。5月、6月、9月です!春と秋は特に集中しますので、お早めにだいたいのお日にちだけでもご予約くださいませ。(今年は常連さまをお断りすることが多くて心苦しかったんです…)DMキャンペーンも製作中!乞うご期待です!さらには年明けにはとっても嬉しいニュースをお届けできそうですぜひ、手に
元新日本プロレス取締役を経て、様々なイベントを手掛けてきた上井文彦さんが「パーキンソン病で現在、闘病中のマサ斎藤さんに元気になってもらいたい!」という想いを行動に移したプロレス興行『STRONGSTYLEHISTORY〜GOforbrokefoever〜』を12月2日に開催致します。10年前にビッグマウスラウドでお世話になった上井さんに「マサさんに元気を与えたい!だから……試合を……」と口説かれまして(笑)考えさせていただいた結果、偉大な先輩に何か少しでもお役
1972年マサ斎藤のセッティングにより、新日本プロレス社長・アントニオ猪木と会談した日本プロレスエース・坂口征二すみません!またコメ返が長くなってしまいそうなのでこちらで失礼します。※いや、本当はネタとして面白そうだから少し掘り下げてみる?ま〜あまり細かい所まで調べるつもりは無く、自分の記憶を繋げてざっくりとお話しますので、時代考証とか間違っている部分も有ると思うし、あくまでも私の主観ですのでそれは違うんじゃないか?とか思われる方も居ると思いますが、その辺はコメント欄に書き込んで頂
上井文彦著「ゼロ年代」2000年代初頭、新日本プロレスのマッチメーカーとして活動していた上井氏の著作。K-1やPRIDEなど格闘技ブームの最中、いわゆる「暗黒紀」、「迷走紀」などと称された新日本プロレスにおいて、同じく2000年代に社長を務めていた草間氏と並び“戦犯”との呼び声の高い著者。当時、“土下座外交”と揶揄された天龍ら外敵偏重のマッチメークや格闘技路線への強引な舵取り。果てには新日本を退団し自らが立ち上げた“UWAISTATION”に至るまで。これまでにも数々の新日本プロレス
~ここまで読んで頂いた皆様へ~たかだか2試合の為に何日掛けるんだよ!!(ノ-"-)ノ~┻━┻って、感じですよね。長々とお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。_(._.)_僕は、柴田を中心に見た新闘魂三銃士の3人の相関図がすごく好きで、今回改めて見直してみて、ますますG1が楽しみになって来ました。ここからは、自分の勝手な思い込みですが…同学年の4つ後輩、中邑の事を高校の時から意識してるんだけど、入門した途端にどんどん先に行かれちゃうから、悔しくてしょうがない。かた
~2005年1月柴田勝頼新日本プロレス退団~当時新日は、猪木が送り込んだ経営コンサルタントの草間社長体制になり、3人は会社の戦略で新闘魂三銃士というユニットで売り出しを掛け、永田、天山、中西らの第三世代には新闘魂三銃士の踏み台になって貰うと公言する。これに関しては3人ともに否定的で、特に柴田は1括りにするんじゃね~と完全否定。特に踏み台にされて来た柴田としては、先輩レスラーに踏み台になって貰うなど、会社から公言される事も許せなかった。結局、柴田勝頼は2005年1月31日サラリーマン
~2003年12月9日大阪府立体育会館~IWGPヘビー級選手権試合(60分1本勝負)vs.天山広吉《第33代IWGPヘビー級チャンピオン》12分8秒腕ひしぎ逆十字固め初挑戦で天山広吉を沈めデビュー1年4ヶ月、23歳9ヶ月での快挙。第34代IWGPヘビー級チャンピオンとなる。当然ながらこの時期の柴田、棚橋には挑戦の機会すら与えられていない。そして中邑真輔をチャンピオンに据えた新日本プロレスは、更なる仕掛けに打って出る。~2003年12月31日愛知・名古屋ドーム~K-1Dyna