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みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「⑥三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
(つづき)●成功について本項と次項で、それぞれ成功と幸福を取り上げますが、本項では、成功を幸福と対比させているので、先にみることにし、次項では、幸福を掘り下げているので、後でみることにしました。まず、成功は、幸福と対比させると、次のようになり、成功は、量的なので、過程・成果を数値化できる一方、幸福は、質的なので、数値化できず、相対的な半幸福半不幸は、成り立たず、絶対的な幸福か否かが、存在することになります。これは、半生半死や、半健康半病気の、中途半端が成り立たず、死か否
(つづき)●健康について前々項・前項・本項で、死・孤独・健康と、取り上げてきたのは、生も死も絶対的にみる、古典主義的な見方と、生・病・老・死と相対的にみる、浪漫主義的な見方の、死の見方の二分を、それぞれ伝統主義の見方・孤独の見方・健康の見方の二分と、呼応させているからです。この項では、健康の見方は、次のように、その双方と呼応させています。・古典的=絶対的:生・死~古代哲学=健康の所有感から出立し、自然物の形成・維持を発見・浪漫的=相対的:生病老死~近代科学=
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「⑤三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
(つづき)●孤独について「死について」の項では、死の見方を、生も死も絶対的にみる、古典主義的な見方と、生・病・老・死と相対的にみる、浪漫主義的な見方に、二分しましたが、この項では、まず、孤独の見方も、次のように、その双方と呼応させています。・古典的=絶対的:生・死~古代哲学=欠乏で思考:死・孤独=生・交流の欠乏で、実在性なし・浪漫的=相対的:生病老死~近代科学=条件で思考:死・孤独=恐怖の条件で、実在性あり古代哲学では、死を生の欠乏、孤独を交流の欠乏とみ
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「④三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
(つづき)●死について(原題:死と伝統)私が『人生論ノート』を考察する最初に、この項は、特に難解だとしましたが、三木の主要かつ独特な思想の虚無や虚栄を説明し、三木の発想もおおむねわかってきたので、ようやく冒頭を取り上げることにしました。この項は、「死と伝統」という原題で発表され、大雑把にいえば、死についての三木の意見、死の見方、伝統主義の見方の、3者からなり、「死の見方の二分は、伝統主義の見方の二分と呼応する」ことを主張しているので、この2者を先に、三木の意見を後に、説明し
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「③三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
(つづき)●噂についてこの項では、まず、噂は、不安定・不確定・偶然的で、荒々しくて気まぐれなのに、運命よりも人間の存在を決定しますが、運命ではないうえ、人間が噂で滅亡することはないので、噂を愛したり・開拓したりするのは、バカげており、気にするべきでないとされています。つぎに、噂は、遠方から密接に関係し、噂の批評に基準がなく、実体もないので、対処できず、信じないとしつつも信じてしまう、原初的な形式のフィクションで、情念から発生し、観念(第1次)→神話(第2次)へと転化し、
(つづき)●習慣についてこの項では、まず、人生は、習慣がすべてとし、習慣は、生命的な形で、弁証法的な形だといい、それは、生命とは、形であり、習慣とは、生命の行為で弁証法的(空間的+時間的)な形ができてくるとしているからで、生命には、形を作るという、本質的な作用が内在しているとされています。この弁証法的とは、習慣が、空間的に止まっていても(死)、時間的に動いているので(生)、空間的と時間的(死と生)の結合・統一という意味のようです。つぎに、習慣は、統計的な形だといい、
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「②三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
龍野のことについて書いてので、続いて、現在の竜野市の地域出身の哲学者、三木清のことについて書くことにします。三木清は、京都帝国大学の卒業で卒業の後、ドイツに留学しているのですが、1924年にはパリに移りパスカルを研究することになります。その成果は、帰国後に、『パスカルにおける人間の研究』として1926年に出版されています。三木清は、京都帝国大学に就職することを希望していたのですが、かなわず法政大学の教授となります。一方、岩波茂雄の岩波書店設立に協力し、岩波新書には、三木が執筆した『哲
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「①三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。三木清著「語られざる哲学」の概要はこちら。『【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート』みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は…ameblo.jp角川ソフィア文庫では「人生論ノート他二篇」のp173~p266に収録されています。1から12に割り振られたものの
(つづき)●秩序についてこの項では、まず、秩序は、生命あらしめる(であるようにさせる)原理で、温かさを必要とし、充実させるべきだとしたうえで、外的(外見の)秩序よりも、心(内心)の秩序を、真の秩序としています。つぎに、心の秩序の法則には、経済の法則、美学の法則、技術の法則があり、このうち、経済の法則は、最少の費用で最大の効用(費用対効果)を原則とし、浪費せず、節約するのが、秩序尊重・崇拝のひとつの形式で、大きな教養であり、宗教的な敬虔に近づき、倫理的だとされています。
みなさま、こんにちは。Lynnです。今日は「【概要】三木清「語られざる哲学」抜粋ノート」と題してお届けします。角川ソフィア文庫の「人生論ノート他二篇」著者は三木清さん。「他二篇」のひとつが「語られざる哲学」です。角川ソフィア文庫ではp173~p266。読みながら付箋をはった箇所をみなさまとシェアしたいです。今回は、概要。*****「語られざる哲学」の最後に、三木はこう記しています。p266【──千九百十九年七月十七日東京の西郊中野にて脱稿】巻末、岸見一郎さんの解
(つづき)●懐疑について(原題:懐疑と決断)この項では、まず、懐疑は、過度だと、神秘を払拭したいのに、神秘化したり、知性の中の道徳で改善したいのに、不道徳で非難される等、逆にひとつの独断になり、宗教化・懐疑論に陥落してしまうので、懐疑には、節度が必要で、懐疑と節度は、自由な人間に内在しているとされています。人間の精神は、立ち止まるのが、自然な習慣なので、その精神を打破・浄化するために、知性のある懐疑が必要になり、純粋に懐疑のままで立ち止まるのが困難で、節度ある懐疑は、方法的
【Q19243】出身地・兵庫県たつの市の白鷺山公園にある「哲学の小径」に記念碑が建てられている、1945年に治安維持法違反で検挙され終戦直後に獄死した哲学者で、著書に『パスカルに於ける人間の研究』『哲学ノート』や、ロングセラーとなった『人生論ノート』があるのは誰?【三木清】【Q19244】将棋の竜王戦で「永世竜王」の称号を与えられるのは、竜王のタイトルを連続何期もしくは通算何期獲得することが条件?【連続5期もしくは通算7期】【Q19245】作曲のギャラは1000万円だったといわれ、坂本龍
(つづき)●仮説についてこの項では、思想(思考)を生活(経験的事実)や常識(すでにアル信仰)と対比させ、思想とは、信念をもった仮説の追求で、人生とは、自分が誕生した固有の仮説の追求だとされ、その仮説は、力をもつために、純粋さが必要だとしています(折衷主義の仮説は、思想として無力です)。これは、「虚栄について」の項で、人間の根底を虚無(実体なし・可能性あり)、人生をフィクションとし、自己は、創造的な生活・芸術で、先に、虚栄を張り(設定・貯水し)、後に、その虚栄を形作り(形成・
(つづき)●利己主義について「名誉心について」の項では、虚栄心と名誉心を対比させ、虚栄心は、不特定多数の社会から、依存的な自己を前提とした一方、名誉心は、特定少数の社会から、自立的な個人を前提としたので、次のように対比できます。・虚栄心:不特定多数の社会→依存的な自己・名誉心:特定少数の社会→自立的な個人そして、「人間の条件について」の項での、実体概念と関係概念を加味すると、この項で、依存的な自己と関係概念から導き出されるのが、ギブ&テイクの原則で、自立
(つづき)●偽善について偽善と虚栄は、同じ点と、違う点があり、同じ点では、偽善は、虚栄で、虚栄とは別に偽善があるのでなく(偽善は、虚栄と一つ)、虚栄も偽善も、人生に若干の効用をもつとされています。そのうえで、虚栄は、人間の存在の一般的性質で、虚栄の実体が虚無なので、人生は、フィクション(小説)で、先に、偽善を設定し(外面の「ある」)、後に、誠意・熱意のある自己形成で実在性を証明することで(内面の「する」)、偽善(外面)に実体(内面)を追い付かせようとします。ちなみに、偽
(つづき)●名誉心について「虚栄について」の項では、人間の根本的条件の虚無(空虚)から、虚栄を張り(設定し)、その虚栄を形作る(形成する→なくす)、行程をみましたが、この項では、その虚栄心と対比させ、名誉心をみることから、はじめています。まず、名誉心は、次のように、虚栄心と対比させています。・名誉心:個人(有名・記名性の社会)が対象、自己の品位を自覚、流行の模倣を嫌悪、永遠を思考・虚栄心:社会(無名・匿名性の人々)が対象、対世間的、虚無に帰着、流行を模倣、時間的
(つづき)●虚栄についてここからは、虚栄・名誉心・偽善を取り上げていきますが、これらは、否定的なイメージがつきまといがちなのに、三木は、いずれも人間本来の性質とみており、この独特な発想は、以下のような理由からでしょう。仏教や儒教(朱子学)では、人間には元々、内在する本性(人が生まれ持つ本来の性質)・本分(人が本来尽くすべき務め)があるのに、煩悩(ぼんのう)や気(気質の性)で曇らされているので、修行・念仏や修養・道徳等で晴らし、悟りを得る・理(本然の性)を回復すべきとされてい
三木清(1897/明治30~1945/昭和20年)の『人生論ノート』(1941年)は、難解ですが、ロングライフのベストセラーでもあるので、ここでは、私なりに考察してみます。三木は、兵庫県で出生、20歳で、京都帝国大学に入学し、西田幾多郎に師事、25歳で、ドイツの新カント学派・リッケルトのもとへ留学し、26歳で、ハイデッガーに師事、28歳で、帰国すると、29歳で、処女作『パスカルに於(お)ける人間の研究』(1926年)を発表しました。30歳で、法政大学法文学部哲学科の主任教授となり、
三木清の人生論ノートこれも霊感なり♪~(´ε`)
三木清の人生論ノート明日仕事やのに寝すぎ(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)(˘ω˘(ヾ(ᅙωᅙ)
三木清人生論ノート🥰🥰🥰🥰🥰🥰🥰🥰
希望があるところに人生がある。[アンネ・フランク『アンネの日記』より。]生命(いのち)のあるかぎり、希望はあるものだ。[セルバンテス(スペインの小説家)]目を開(あ)けて、闇の中に光を見なさい。[有吉京子(漫画家)]堪(た)え忍べ、働け、祈れ、そしてつねに希望を持て。これがわたしが全人類に一度に吹き込もうと願っている真理なのです。[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の小説『スチェパンチコヴォ村とその住人』より。]希望があるから前に進めるのだ。[アレキサンダー大王(古代マケドニアの
芸術は人間の内において生まれ、その人の作品の内にはその人の人間性がおのずから表現される三木清(1897年-1945年)三木清(みききよし、1897年(明治30年)1月5日-1945年(昭和20年)9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派[1]の哲学者、評論家。法政大学法文学部教授。京大哲学科卒。西田幾多郎・ハイデガーに師事。留学中にパスカルを研究、帰国後『パスカルに於ける人間の研究』(1926年)を刊行。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支
芸術は人間の内において生まれ、その人の作品の内にはその人の人間性がおのずから表現される三木清三木清-Wikipediaja.wikipedia.org芸術とは、AIに侵略されない最後の聖域かもしれない
僕はトイプードルのペレ結婚相談所を運営しているご主人と散歩に行く時は、必ず神社に立ち寄ってみんなの良縁祈願のお参りをするのが日課だワンそんな僕が婚活に役立つ名言・格言を教えるよ今回は、日本の哲学者であり、著書の『人生論ノート』で知られる三木清氏の名言だワン「自信のある人はあまり怒らない」。自分に自信を持っていると、心を穏やかにして過ごせるもの自信が持てないことだってあるけれど、その部分は自分が成長していくための良い機会ととらえようそうして小さな成功体験を積み重ねて