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前回からの続き(2月4日のこと)です今回は三宝院の中からのことです中は基本撮影禁止🈲ただ一部(表書院の襖絵)が撮影出来たのと、中から庭園之撮影はOKでしたでは、こちらの玄関(重文)から入って行きます玄関入ったところにも何だったか祀られていましたf(^^;そこから表書院へ行くまでに5つの間があります楓間桜間葵の間(重文)秋草の間(重文)勅使の間(重文)一番手前側に納経所と物販所が設けてありましたこの頃は、こちらで醍醐寺の御朱印は全て頂く(ける)パターンでした(今は観音堂
前回からの続き(2月4日のこと)です総門をくぐって、すぐ左側に三宝院の山門が見えます御本尊弥勒菩薩歴史など永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主・勝覚(しょうかく)僧正により創建醍醐寺の本坊的存在歴代座主が居住する住坊でもある三宝院はもと醍醐寺の塔頭創建当時は金堂の西側に位置していたが、応仁の乱で焼失桃山時代に義演准后によって再興それが現在の建物寺地は、金剛輪院の跡地である醍醐寺は修験道の本山聖護院の本山派に対して、当山派と呼ばれる三宝院は当山派修験道の本山(
今日も一日お仕事忙しかったです後二日頑張ります‥先週末はお花見に京都醍醐寺へ行きました🌸去年も同じ時期に行きましたが今年は満開の時期過ぎてましたまずは霊宝館から綺麗な桜でした🌸次に三宝院園庭へ行きましたおみくじ建物の大半が国の重要文化財に指定されています立派な庭園西大門五重塔弁天堂次はランチを‥mayuko
今日は花祭りですね♪醍醐寺と言えば、秀吉の醍醐の花見で超有名ですね!先日の桜の時期は人出も多かったでしょう。さて、醍醐寺は、空海の孫弟子の聖宝が9世紀後半に創立と伝えられてます。空海の弟子なので、基本的には真言密教なんですが、聖宝は東大寺で南都六宗も学び、修験道にも精通していたそうです。醍醐寺は下醍醐と上醍醐に分かれていて、山道を1時間程歩かないと上醍醐には到達出来ません❗(/ロ゜)/僕も下醍醐しか参詣したことがない怠け者でございます(^^;しかし!下醍醐だけでもボ
三宝院太閤桜唐門西大門(仁王門)世界遺産のにほんブログ村に参加しています。よろしければ、応援よろしくお願いします。にほんブログ村
先週末初めて訪れました。桜のトンネルは満開で圧巻の美しさ桜吹雪も楽しめる素晴らしいお花見日和三宝院当時の暮らしが垣間見えて豪華絢爛で贅沢さこの上なく素晴らしかったです。仁王門までも桜が続き皆を和ませてくれる五重塔辺りの枝垂桜は見頃ではかない美しさに魅了されました。広い敷地内は伽藍・霊宝館・三宝院に3つのエリアに分かれてます。三宝院は秀吉自らが基本設計したものそんな才能もあったんですね…ランチのあんかけ湯葉丼
こんばんは、りえです昨日の醍醐寺、続きです次は三宝院へ行ってみます入り口から一番近くのエリアです受付と門の右には立派な唐門があります三宝院御殿の中に入るには別に500円かかりますすごい行列できてるって思ったら、御朱印の列でした外から見えるのは↑↓このくらいなので、せっかくだから、入ってみました三宝院永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主
トンネルどころか、桜に埋もれてる〜🌸醍醐寺霊宝館へ入ります。人がいっぱい。外国人もいっぱいでした。TVカメラも来てました。満開のしだれ桜🌸三宝院の唐門が見えます渦巻いてる〜って感じです花びらがヒラヒラと。まりもっこり写真とってたら後ろから、記念写真を撮ろうとバックしてきた人に当たられた。中国人ソーリーやって〜淡いピンク、綺麗です仁王門と桜🌸桜と土の塀が雰囲気いいなぁムラサキサキゴケ。いつまでも見てれます名残惜しいですが退散します。醍醐寺総門前。地下鉄醍醐駅ま
上醍醐から下ってきて、裏手からは醍醐寺に入れないので境外を周ります醍醐寺の南側。貸切です〜。南門仁王門へ周って戻って来ました人がいっぱい桜馬場。桜に埋もれてる〜🌸三宝院へ入ります。太閤しだれ桜🌸大玄関。こちらから入って庭園へまわるのには別料金となるので、外から庭園を眺めます。しだれ桜🌸、いいですねぇ〜庭園。つぎは霊宝館へ行きます。つづく。『令和5.3.30.上醍醐寺准胝堂跡西国三十三所第十一番』西国三十三所第十一番の御朱印は、下醍醐の観音堂でいただけましたが
桜を見にわざわざ出かけることは、今年はないかなぁと思ってたのですが、思いがけずお誘いがあって、京都の醍醐寺へ行ってきました。もう満開は通り越していたのですが、まだまだ、見どころはいっぱい💕入り口の右側の枝垂れ桜はとても綺麗✨✨✨左側は盛りを過ぎてました。必死で桜を撮るババァ笑笑では、中へお邪魔します。緑の葉が混ざりながらの淡いピンクが可愛らしい💕唐門!秀吉っぽいわー✨✨✨仁王さん!こんにちは😃五重の塔が美しい💕満開の桜🌸角度を変えて、高台からの五重の塔色とりどりのコ
二泊三日の京都旅桜の名所で、ただいま人気爆発中な醍醐寺に来ました。平日なのに人が多かった京都が大好きな僕が、春の桜シーズンに合わせ行きたいオススメな桜スポットをいっぱい見て観て見まくりで感動してきましたよ歩きすぎて足と股関節がチョー痛いです…ここでは醍醐寺の塔頭、三宝院の拝見レポ。通常は非公開な場所も特別公開していました。醍醐寺レポはコチラから『春の京都旅桜を見るなら醍醐寺』二泊三日の京都旅醍醐寺へ行ってきました♪春の桜シーズンに合わせ、行きたいオススメな桜スポットをいっぱい見て
こんにちは😃今日は、かみさんと一緒に京都にいます世界遺産醍醐寺最後に…三宝院にお邪魔します入って直ぐに桜🌸ここには、桜🌸はこれだけでしたお庭があるんですが、2016秋にお邪魔したときに上がらせていただきましたお庭は、紅葉🍁の場所でした春は、こんな感じですでは、三宝院から総門を通って帰ります総門の周りには桜🌸ありました改めて境内図我が夫婦は、総門を通って地下鉄醍醐駅へ歩いて移動していきました丁度、お昼過ぎだったので醍醐駅の駅ビルその中にスーパーがあ
高野山の奥の院で、四国八十八か所結願のお礼参りを致しました。ありがたや高野の山の岩かげに大師はいまだおわしますなる子供の頃、信仰心の篤い四国の実家の祖母からは、お大師様は生きておられる、とよく聞かされました。義弟が徒歩で四国巡礼をしたとき、結願寺である八十八番札所の大窪寺で参拝を終えた時、「また来いよ」と、お大師さんの声が聞えてきたとのこと。白装束に菅笠を被り、金剛杖を携えての参拝でしたが、外つ国の女性3人から細君が被写体の要請をされたのみでした。
また歩きます。逆向きですが、以前歩いたことのある道をてくてく。15分位でしょうか?着きました。醍醐寺総門。京の冬の旅の公開していました。まずは初めて行く理性院へ。三宝院の唐門を通り過ぎて仁王門の前を左に行くとありました。初めて来ました。本堂?説明はあったのですが、忘れてしまいました😅このお堂の右側のお堂に、三つの仏さまがいらっしゃるのですが、左に毘沙門天像。右に重文の不動明王像。中央のお像は秘仏大元帥明王像。80年に一度の公開だそう。次回は46年後だとか(生きていません💦
…庭園がある寺院は?醍醐寺の本坊的な塔頭「三宝院」である。世界文化遺産・醍醐寺・三宝院の門跡が、真言宗醍醐派座主を兼ねている。平安末期・永久3年、醍醐寺14世座主・勝覚(ショウガク)によって創建された。醍醐寺は元より真言密教の流布にも大きな役割を果たし、修験道(山伏)当山派の中心寺院でもある。三宝院・建造物の多くが庭園も含めて貴重な文化遺産で、特に国宝・表書院は寝殿造様式を今に伝える桃山期を代表する建物。これらの復興を手掛けた
醍醐寺の総門から三宝院まで。山道の山桜はそれほど開花していませんでしたが、しだれ桜は早くも見頃。河津桜も綺麗でした。撮影日:2023.3.22
10回以上投稿できず❌マジで萎えているのであの時の気持ちで書くことができません💧アメブロは、醍醐寺三宝院の記事はNGなのか??🤔🤨😩NGくらいたくないので本気で萎えてるので💧💧💧メモ的に短く書く事にします2023年3月18日(土)【醍醐寺三宝院特別拝観】へ醍醐寺の駐車場にある『雨月茶屋』でお昼をとってからチケット売り場に行き拝観料を納める。【三宝院】りっぱな松✨咲き始めの枝垂れ桜🌸表書院は撮影、SNS投稿OK⭕素敵な襖絵✨唐門✨✨枝垂れ桜越しの【西大門(仁
昭和の人間なので、野球が好きで⚾️好きで⚾️誰が好きとかどのチームが好きとかではなく、とにかく野球が好きで⚾️でも野球経験はないです💦今日は朝からテレビにかじりついて興奮してました🤗野球の試合としても最高で、とにかく素晴らしい勝利でした㊗️明日は是非優勝を決めてください🙏午後から雨の予報だったけど、今日はさすがに午前中に走りには行けず、試合が終わってから桜を探しに軽くラン。まずは桜の名所の醍醐寺🌸枝垂れ桜はまあまあ咲いてました🌸醍醐三宝院も同様。けっこうきれいに咲いてます🌸
3月21日(火)春分の日17℃/10℃春分の日の休日午前中は何とか天気は持っていました午後になると本格的な雨に、おまけに寒いです暖かくなって桜の花も咲き始め、春に向かってはいますが時折寒い日がありこたえますね先日第三日曜日月一の例会があり参加してきました今回は京都へ、JR「山科駅」から地下鉄に乗り換え醍醐駅へ駅から20分ほど住宅街を歩き最初に「赤間薬師堂」へ町の集会所を兼ねているお堂に、平安仏が京都市の指定「薬師如来像」(座高84.6㎝)講義を
高野山にはその時代その時代にさまざまな流儀が伝えられていますが次々と消えていくのでしょうか?江戸時代の初めに洞泉性善という偉いお坊さんを高野山へお招きして醍醐寺の三宝院流を伝授していただいたのです江戸時代には高野山を風靡した三宝院流も山内で伝えている人は今もいるのでしょうか?学僧や行者でますます密教が栄えますようにありがたい口伝の教えが盛んに伝えられますように正しい教えがいつも身の回りにありますように
まずは三宝院へ醍醐寺といえば、秀吉の醍醐の花見その秀吉が設計した庭園しかし、秀吉の死後に完成したため、見ることはできなかった今回の目玉、”京の冬の旅”で特別公開の、快慶作弥勒菩薩座像どこからどう見ても、快慶!シンメトリー、ヒダヒダの美しさ、装飾品の細やかさ、光背の緻密さ・・・美しすぎて、涙が出そうになった。京都で最も古い木造建造物の五重の塔美しい!!!奈良時代の技術は、素晴らし過ぎる!!!金堂へ薬師如来と、四天王4体とも光
前回『醍醐寺国宝三宝院唐門・表書院』醍醐寺の「五大力さん」ついでに、三宝院へ向かいました。醍醐寺には、6件の国宝建築物があります。上醍醐に、・国宝清滝宮拝殿・国宝薬師堂の2件。下醍醐に、…ameblo.jpからの続き……さて、いよいよ国宝三宝院殿堂/表書院に入ります(^_^)/↑国宝表書院を、外から見る場合は右に、中から見る場合は左の三宝院殿堂「大玄関」から中に入ります。↑航空写真で見ると、こんな感じ。これら建物群は「三宝院殿堂」と称されます、この建物群が「表書院」と
御本尊准胝観世音菩薩開帳日5月15日〜21日宗派真言宗醍醐派入山料800円宇治駅から三室戸寺へ行きましたが、醍醐寺へは宇治駅には戻らす京阪電車の三室戸駅に行き黄檗駅でJRに乗り換えます。乗り換えと言っても連絡されておらず、一旦改札を出てJRの駅まで歩くことになります。更に六地蔵駅で地下鉄に乗り換え醍醐駅で降り10分程歩くことになります。醍醐寺に到着しました。本来の札所は上醍醐ですので、ここから更に50分程山を登っていくことになりますが、准胝堂が平成20年に落雷により焼失し、
こんにちは😊京都の旅の記事の続きです。醍醐寺。三宝院「非公開文化財特別公開」のエリアです。いろいろ思うところもあって、”御朱印”を集めることを控えていました。しかし、こちらの御朱印は、ぜひいただきたい!と思いました。まだ、桜はぜんぜん咲いていませんでしたが、醍醐寺といえば、これでしょう?と、この御朱印帳を購入。醍醐寺のご本尊薬師如来と三宝院本堂の御朱印。素晴らしい筆の運びに見惚れてしまいます。いよいよ。普段は非公開の建物内部へ!!
白熱した五大力餅上げ力奉納が終わって帰ります醍醐寺の五重塔友人によると京都市で一番古い木造建築物だそう国宝です途中にあった顔出しパネルちょうど外国の方が撮っていたので便乗国宝の三宝院唐門2010年に1年半かけた解体修理を経て往時の美しい姿に戻っています特別公開中京都と大阪のケチ(実はケチではなく貧乏)なオジさんは無料エリアだけ覗いてみますそういえば醍醐寺は桜の名所突然
2023年2月26日くもり最低気温ー1度最高気温7度という、めちゃくちゃ寒い日でした朝おきたらうっすら雪が積もっていたとはいえ、氷点下だったとは・・・そんな寒い中『白砂伸夫先生とあるく醍醐三宝院庭園と醍醐の民家庭園』が実施できました。参加者21名。この事業は、京都府建築士会のまちづくり地域貢献活動の助成金事業の第2弾であります。第1弾は、昨年10月8日の朗読会でした。先生の優しいけれどよくとおるお声と素人にもわかりやすい説明でお陰様で、好評のうちに終えることができました。先
『醍醐寺三宝院②(京の冬の旅)』『醍醐寺三宝院①(京の冬の旅)』醍醐寺理性院の次にお参りしたのが三宝院でした。「京の冬の旅」では快慶作の弥勒菩薩坐像を安置する弥勒堂(国重文)が公開されてい…ameblo.jp続きになります。醍醐寺三宝院は表のお庭も壮大ですが、裏の高低差を生かした池周りのお庭も見ごたえがあります。奥に茶室が見えます。茶室の手前のつくばいは完全にフローズンな状態です。池の水面にも部分的に氷が張っているようです。茶室の手前の座敷から見た雪のお庭。
…金閣寺・銀閣寺の各庭園に加え、三宝院庭園だが、その三宝院がある寺院は?国の特別名勝と特別史跡の両方に指定されている「三宝院庭園」は、醍醐寺・塔頭の「三宝院」に在る。三宝院は、天正3年に金剛輪院(コンゴウリンイン)などの跡地である現在地に再興された。慶長3年、秀吉が自ら縄張(建物の配置を決める事)を行い庭園の大改造に着手した。此地での盛大な花見と、翌年に控えた後陽成天皇の行幸のためであった。主石として藤戸石が聚楽第から運び込まれ、
『醍醐寺三宝院①(京の冬の旅)』醍醐寺理性院の次にお参りしたのが三宝院でした。「京の冬の旅」では快慶作の弥勒菩薩坐像を安置する弥勒堂(国重文)が公開されています。『醍醐寺塔頭・三宝院』三宝…ameblo.jp①からの続きになります。池の周りの石にもそれぞれ雪が積もってマリモのようになっています。池の水面は凍り付いているようでした。建物と建物の間の小空間にもきめ細かい配置が見られます。奥の本堂(弥勒堂)は通常非公開になっていて、中には快慶作と
(そうしゅんのひかりみちびくちゃしつかな)「純浄観」は、豊臣秀吉の醍醐の花見の時に、槍山に造られた建物です。慶長3年(1598年)3月15日、700本の桜を畿内から集め、女房衆1300人を招待し、武将達に警護させる沿道を伏見城から大行列で醍醐寺へ来ます。豊臣秀吉は、5ヶ月後に亡くなりますのでかれのフィナーレを飾るのに相応しい盛