ブログ記事436件
昭和には野球の記録の本が児童書にもなっていた。そんな、記録の本で、すごい記録としてイラスト入りで紹介されたものを紹介します。1971年のロッテオリオンズは、前年10年ぶりのリーグ優勝をし、この年も江藤慎一も首位打者を獲得する好調さで、4月は7勝7敗と5割の成績だったが、5月1日、2日と不調東映相手に2連勝しスタートダッシュの遅れを取り返していた。そして、5月3日祝日のゲーム、一方、東映フライヤーズは4月を2勝12敗と悲惨な戦い、前日まで9連敗と元気がない。もちろん最下
僕はプロ野球、パ・リーグの、オリックス・バファローズファンだ。元々は、近鉄バファローズのファンだった。忘れもしない1988年、僕が小学6年生の時──いわゆる「10.19」という試合があった。当時のパ・リーグは森祇晶率いる西武ライオンズが圧倒的な強さを誇っており、暫定首位で先に全日程を終えていた。僅差でそれを追っていた仰木彬率いる近鉄は、ロッテオリオンズ相手に残すところ2試合、しかもダブルヘッダー。近鉄が優勝するためには、この2試合を両方とも「勝つ」必要があった。結果は、1試合目
あの雨の中、よく試合やりましたね。スタンドはガラガラで昔の川崎球場・ロッテオリオンズ対南海ホークスの試合を彷彿とさせる一戦でした。結局7回表ホークス攻撃中に試合が中断となり、そのまま降雨コールドとなりましたが、その時点で9点差もついているのですからそれだけで十分コールドゲームでしょう。点差だけ見ると打線がよほど爆発したのかと思いきや、実際には犠牲フライや内野ゴロの間の得点に加え、相手のエラーによる得点もありました。このあたりそつのない野球をやっていて今年のホークスの強さを実感します。そ
明日の試合は、昔仙台を準本拠地にしていた、ロッテオリオンズの時から現在の千葉ロッテマリーンズまでの通算て10000試合目の記念日㊗️オリオンズ通算5549試合2723勝2551敗275分マリーンズ通算4450試合2089勝2236敗125分そして、その記念すべき10000試合目に佐々木朗希が投げる⚾水曜日に大腸CT検査があるので、明日1日は検査食しか食えない😮💨😮💨😮💨
なんだこりゃ?!1978年のロッテオリオンズのファンブックか。中央のカネやんにワロタ☆ノムさんやん。びっくり。村田兆治、有藤、リー兄弟、山崎、弘田か。リアルタイムで観てないけど。古い野球は面白いから。よく調べたりしてる。落合さんはまだ入団してないか。愛犬のどんちゃん「ボクの好きなタイガース、いよいよ連勝で。調子が出てきたよ♪」
1946年10月2日~2011年4月21日東京都足立区出身右投右打修徳高校で1964(昭和39)年第46回夏の甲子園大会に出場。1965年東京オリオンズに入団。球団から30番以降なら好きな番号を選んでも良いと言われ46回夏の甲子園出場した縁で、背番号「46」を選んだ。当時としては大きな背番号を背負って、速球とキレっ切れのスライダーでエースの階段を上がっていく。二枚目で人気もあり、3年目の1967年に14勝を挙げ1968,69,70年と3年連続20勝以上をあげた。そし
思い出のプロ野球選手、今回は「土肥健二」選手です。1970年代から80年代前半を中心にロッテの控え捕手として、一時期は正捕手として活躍し、「打てる捕手」として独特のフォームから繰り出す「神主打法」は、あの落合博満選手も打撃の手本としたものでした。【土肥健二(どい・けんじ)】生年月日:1950(昭和25)年5月17日入団:ロッテ('68・ドラフト4位)経歴:高岡商高-ロッテ('69~'83)通算成績:897試合打率.268497安打44本塁打199打点
BBM20061stバージョン466初芝清直筆サインカード30/502006年4月中旬に発売された『BBM20061stバージョン』に封入された初芝清さんの直筆サインカードです。このカードは確かカードショーでコレクターの方との交換で入手した記憶があります。初芝清さんの2005年引退で川崎球場時代、ロッテオリオンズの現役選手は堀幸一さん、小宮山悟さん、前田幸長さんの三名だけになりました。カード裏面です。『BBM2005ロッテM041初芝清直筆サインカード
思い出のプロ野球選手、今回は「奥江英幸」投手です。1970年代から80年代初頭にかけて、大洋、ロッテで先発にリリーフに活躍し、両リーグで1回ずつ2ケタ勝利を挙げています。【奥江英幸(おくえ・ひでゆき)】生年月日:1950(昭和25)年8月16日入団:大洋('71・ドラフト2位)経歴:岡山東商高-日本石油-大洋('72~'77)-ロッテ('78~'82)通算成績:283試合53勝62敗13S980投球回25完投4完封504奪三振防御率4.56位置:投手
今日紹介するのは、元ロッテオリオンズ、有藤通世さんです!有藤さんは1969年にロッテオリオンズに入団後、1年目から新人王、ベストナインを受賞するなどして活躍され、2000安打も達成されるなど「ミスターロッテ」として現在もロッテの多くの球団記録を持っています。引退後、そのままロッテオリオンズの監督に就任すると、3年間監督を務められ結果は出ませんでしたが落合さんのトレードや「10.19決戦」など、話題は多かったと思います。返信は今年の1月にいただいたものです。カー
思い出のプロ野球選手、今回は「吉岡悟」選手です。長年の下積み生活を経て1976(昭和51)年に突如現れ、打率.309で首位打者を獲得した「控えの星」的存在で、主に福岡でのライオンズ時代に活躍しました。昭和24年生まれの選手の記事はこれで最後となります。【吉岡悟(よしおか・さとる)】生年月日:1949(昭和24)年4月14日入団:ロッテ('71・ドラフト10位)経歴:富山商高-東京・ロッテ('68~'74)-太平洋・クラウン・西武('75~'79途)-日本ハム('7
今日紹介するのは、元ロッテオリオンズ、西武ライオンズの山崎裕之さんです!山崎さんは、1965年に「長嶋2世」といわれ、契約金5000万の超大型契約で東京オリオンズに入団され、当時ヤクルトの鬼軍曹広岡達朗さんが獲得を熱望されるなど毎年安定した成績を残し、西武に移籍後は内野の要として黄金時代につながる土台を築かれました。返信は昨年いただいたものです。カードにもサインをいただきました。手紙に西武ライオンズの大ファンである旨を書いたところ、左のカードを追加していただきました
早いもので、もう4年経ちました・・・。未だ信じられない気持ちです。2020(令和2)年2月11日日本プロ野球史上、捕手として3000試合現役引退後も監督としても3000試合出場し、プロ野球ならずとも、昭和、平成の社会に大きな影響を与えた野村克也氏が亡くなった。84歳だった。もう、死去のニュースが流れてから、今でも様々なメディアやSNSでノムさんへの思いや思い出を語られている。しかし、改めて考えると、野村克也氏の野球の実績は1954(昭和29)年に南海ホークスに入団
ベースボール・プギー/リー・ブラザーズSMSSM07-68ブルース・ブラザーズではなく、プロ野球選手のリー・ブラザーズ。当時ロッテオリオンズの外国人選手。レロン・リーとレオン・リーは本当の兄弟。二人ともかなり優秀な選手でした。兄レロン・リーはロッテ一筋。手元にロッテのクィッククエンチガム持ってるwロッテは昔から外国人ハズレは引かないイメージが強い。このリー・ブラザーズほかラフィーバーとか。レロン・リーの実弟、レオン・リー。横浜へトレードされても大活躍。のちにはオリッ
2024年2月6日、関東地方は各地に大雪警報が出されており、私も早々に職場を引き上げて自宅で作業をしております。さて、野球は冬はシーズンオフのため「雪で中止」は滅多にありませんが、開幕戦で関東に季節外れの大雪が降ったことがあります。それが、東京ドームが開業した初年度の1988年4月8日です。この日は、関東では西武球場で西武対南海戦、そして、東京ドームで昼は巨人対ヤクルト戦、夜は日本ハム対ロッテ戦が開催予定でしたが西武球場は大雪の影響で早々と中止が決定します。一方の東京ドー
このところお気に入りブログで、立て続けに「阪急ブレーブス」「大洋ホエールズ」の歴史を踏まえた記事を拝読させていただく機会に恵まれて。懐かしい球団名を目にして、閃光のように脳裏に蘇ってきたことがありました。その昔、職場の先輩が飲み会の席で「贔屓の球団はホークスだ」とおっしゃるので。「ダイエーがお好きなんですね」と話を合わせたところ、「ホークスといえば南海だろ」と叱られて。不条理だな、と思ったものですが、今となってはその気持ちが理解できるんですよね。思えば私も「ロッテオリオンズ」の
思い出のプロ野球選手、今回は「弘田澄男」選手です。1970年代から80年代中盤まで、ロッテでは走攻守揃ったリードオフマンとして活躍し、阪神でも渋いベテランの味を発揮し、セ・パ両リーグで日本一に貢献した小柄でガッツに溢れた選手です。【弘田澄男(ひろた・すみお)】生年月日:1949(昭和24)年5月13日入団:ロッテ('71・ドラフト3位)経歴:高知高-四国銀行-ロッテ('72~'83)-阪神('84~'88)通算成績:1,592試合打率.2761,506安打7
メジャーリーグで15年間プレーして首位打者を4回獲得した後、日本プロ野球のロッテオリオンズで主に指名打者として1年間プレー。マドロックがしっかり打っていれば落合放出も大きな後悔にはつながらなかったかもね。サザエさんの歌がヒッティングマーチだったのはワロタ。
福岡県立田川工業(現・福岡県立田川科学技術)出身。専修大学に進学し、東都リーグに所属。1959年・春の大会では、6戦無敗の成績を収め、MVPを獲得。以後、日本大学選抜チームの常連となりますが、3年時の1959年(昭和34年)、突然の退学し、毎日オリオンズに入団となりました。親会社が「毎日」→「東京」→「ロッテ」と変わる中、毎年エース級のピッチングを披露。180cmの長身を生かした、変則的なアンダースロー投手として活躍しました。通算成績は166勝(186敗)と、日本野球史でも上位に
今日紹介させていただくのはこの方です。元ロッテオリオンズ、村田兆治さんです。村田さんは日本のプロ野球選手で初めてトミージョン手術を受けた、いわば先駆者で村田さんの事例がきっかけで、その後数々の日本の投手がトミージョン手術を受けてきました。また、その後の復活ぶりから「サンデー兆治」と呼ばれ、当時のロッテオリオンズのエースとして活躍されました。返信は2年前にいただいたものです。「人生先発完投」という村田さんの座右の銘に加えて、「常に成功を確信して頑張れ」というメッセージ、名前までいただいて感
あなたが知ってる野球選手を教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう山口県の片田舎育ちですがオヤジは大の巨人狂でオカンに言わせると巨人が負けると茶碗が飛んでくるので負けた日は逃げたそうです…プロ野球中継も巨人戦しか観た記憶が無い…📺⚾田舎の地方球場で初めて観たプロ野球はオープン戦で太平洋クラブライオンズ(現西武ライオンズ)の東尾修投手でした…⚾対戦相手は忘れましたが嬉しかった…✨そして少年工科学校入校で横須賀市へ…当時完成して間もない横浜スタジアムでプロ野球
BBM2005千葉ロッテマリーンズM103得津高宏直筆サインカード078/100M100飯塚佳寛さん、M101長谷川一夫さん、M102弘田澄男さんは直筆サインカードを書いてませんのでM099有藤通世さんの次はM103得津高宏さんになります。得津高宏さん初の直筆サインカードになります。得津さんは2008年に発売された『BBM2008ロッテ40周年』でも直筆サインカードを書いてます。カード裏面です。通常のレギュラーカードの裏面です。
BBM2005千葉ロッテマリーンズM099有藤通世直筆サインカード023/100有藤通世さん2種類目の直筆サインカードになります。初出は『BBM2005きらめくスターたち』になります(未所持)。カード裏面です。通常のレギュラーカードの裏面です。
BBM2005千葉ロッテマリーンズM098山崎裕之直筆サインカード077/100山崎裕之さん初の直筆サインカードになります。山崎さんは2008年に発売された『BBM2008ロッテ40周年』でも直筆サインカードを書いてますし、その後も何種類も直筆サインカードを書いてますので商品・ブランドを選ばなければ直筆サインカードを入手しやすいと思います。カード裏面です。通常のレギュラーカードの裏面です。
BBM2005千葉ロッテマリーンズM097新井昌則直筆サインカード086/100新井昌則さん初の直筆サインカードになります。新井さんは2008年に発売された『BBM2008ロッテ40周年』では直筆サインカードを書いてません。もしかするとこのカードが唯一の直筆サインカードかもしれません。カード裏面です。通常のレギュラーカードの裏面です。
BBM2005千葉ロッテマリーンズM096村上公康直筆サインカード061/100『BBM2005ロッテ』のカードナンバーM096~M103は『74優勝メンバー』というサブセット(レギュラーカードを補足するカード、とお考え下さい)になってます。□M096村上公康□M097新井昌則□M098山崎裕之□M099有藤通世□M100飯塚佳寛□M101長谷川一夫□M102弘田澄男□M103得津高宏この中で、村上公康さん、新井昌則さん、山崎裕之さん、有藤通世さ
高校野球の名門校、千葉県習志野市立習志野高等学校を選手と監督として、夏の甲子園で2回の優勝した名将、石井好博氏(現東葉高校野球部監督)が2023年11月26日に亡くなった。各メディアの記事を以下に要約しました。《メディア情報の要約》千葉県習志野市立習志野高校の元監督、石井好博氏が亡くなったことが27日に明らかになりました。享年74歳。26日に千葉県内で開催された少年野球大会に参加していた際、体調を崩し病院に搬送された後、亡くなったとのことです。石井氏は1967年夏の全国高校野球
ネタバレ&勝手で偏った感想はご容赦&基本敬称略で。というわけで、ロッテとの是非は別にするしかないが野球の枠を超えた(苦笑)激闘を制したアストロ球団だったが、すぐに新たな敵が。しかもそのビクトリー球団を率いるのは、同じ超人の峠球四郎...という怒涛の展開に、リアタイ通読時は血沸き肉躍ったものである(笑)。そして、この頃から、中島徳博の画がぐんと上手になったような気もして、それが作品自体の迫力をさらに増していったと思っている。
ロッテ球団と関係のある宗教団体は、創価学会です。創価学会は、日本の新宗教団体で、ロッテグループの創業者であるロッテ初代会長、重光武雄氏が信者であったことから、ロッテ球団とのつながりがあります。ロッテ球団は、1955年に創設されたプロ野球球団で、本拠地は千葉県千葉市です。創設当初は「国鉄スワローズ」という名称で、国鉄の職員が中心となって活動していました。しかし、1961年に国鉄が民営化されたことに伴い、球団も民営化され、「ロッテオリオンズ」と改称されました。創価学会は、1930年に創設された新
ネタバレ御免で勝手で偏った感想を基本敬称略で。で、ロッテ戦であるが、今思えば(リアタイ時もそうだが)、ロッテ(というより金田監督だが)はかなりえげつない(笑)。人数不足のアストロ側に不利な条件を突き付けたり、故意に死球を得たり球一の手を踏ませたり、しまいには球一をビーンボールで死にかけさせたり...アストロ球場欲しさに手段を選ばぬヒール、いや卑劣ぶり...最後にはアストロ側にプロの厳しさを教えるためと善人ぶっていたが、白々しいというか、単なる言い訳にしか聞こえなかった。それにしても、ひどい描