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皆様お待たせしました!女優の城麻美(じょうあさみ)さんです。麻美とピロ~ト~クのコーナーも、ぜひお楽しみください。【全日謝肉祭96'後編】ピロ~ト~ク川田利明のベストトークかもしれない。歌って踊れるプロレスラー♪【96年末の全日本プロレス】謝肉祭前編ベストマッチ発表https://youtu.be/KrPIsE2ISN0渕&藤原組長のファイプロみたいなタッグhttps://youtu.be/sas3KNFoVbU小川良成サブゥーとの遭遇https://
国際プロレスのレスラーたちは、好き嫌いや弱い強いに関わらず、キャラが立っていて見ていて面白かった。サンダー杉山の雷電ドロップ(ヒップドロップ)はあの頃のプロレス遊びの定番だった。当時はコミカルなイメージが強かったが、後にアマレスの実力者だったことを知り、高い技術に裏打ちされた動きだったことに感嘆したものである。自分の記憶の中ではストロング小林がエース的な位置づけだったが、新日時代の印象が強過ぎて国際時代の思い出が薄い。グレート草津も申し訳ないが坂口征二の劣化版というイメージ。当時の自分の贔
R・木村さんの名言おはようございます晴天、花粉のコンボで「休みたい病」発症なワタクシ流石にいい歳こいてサボりはイカン!己を奮い立たせるときに思い出したのが平成初頭の名物番組「イカすバンド天国」でのR・木村さんのお言葉R・木村(ラッシャーきむら)プロレスラーラッシャー木村-Wikipediaja.wikipedia.org正確には「耐えて燃えろ」
子供が小学校に入学すると運動会で強制的に聞かされるので、Runner🏃♂️は日本で一番有名なロックナンバーだと言うサンプラザ中野くんの説に激しく納得!爆風スランプのRunner🏃♂️とZARDの負けないで!は、どこの運動会でも流されるもんな!(´˘`)-ᴗ-)´˘`)-ᴗ-)כֿƕכֿƕサンプラザ中野くんの63歳とは思えない声量に驚きつつも、大きな玉ねぎ🧅がのって無い方の会場に到着!3:30開場で3時チョイ過ぎに到着したのですが、もう武道館国技館の周りは長
昭和52(1977)年3月14日(月曜)のテレビ欄より。東京12チャンネルでは夜10時から、映画監督競作われらの主役「世界最強・アントニオ猪木」なる番組を放送。同じく12チャンネルで夜8時からレギュラー放送されている国際プロレス勢の立場がないったりゃありゃしない……。5年後(昭和57年)には、ここに名前が記されるラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇は「はぐれ国際軍団」として三人束となり、猪木一人と戦うことになるのだから、壮大なる前フリだったということか。この猪木特番を
僕らは愛でていく。【有田が愛するプロレスラー】ラッシャー木村の胸熱エピソードと有田が大好きな外国人選手の忘れられない試合とは!?【次回生配信4/3(水)21時頃開催決定】次回生配信は【4/3(水)21時頃~】です!★★★★★★★★★★★★★★★★★★今回は特別回!YouTubeメンバー限定『有田編集長のプロレス飲み会』第22回生配信の一部を再編集して、期間限定で特別にお届け致します!第22回生配信では、他にもたくさんのエピソードをおしゃべり致しましたが、今回の動画はそのほんの一部...yout
これはネタではなくて本当の話です。また、お題とはちょっと違い、また、けっこう年配のプロレスファン・競馬ファンしかわからないと思います。ぼくが感心した名実況・身長約230cmのプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントが入場して歩く姿を見て、古舘伊知郎「ひとり民族大移動!」・菊花賞杉本清「菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!サクラスターオーです!」・菊花賞杉本清「それいけテンポイント!ムチなど要らぬ!」上の二つはテレビで見ていて、最後のは、ビデオで見たものです。
「異常な雰囲気でしたね。まさに、空前絶後のド迫力マッチ。アンドレとハンセンが戦うのですから。熱狂したファンの拍手、歓声、どよめきが飛び交って、見ていた僕も圧倒され、身体が震えたのを今でも覚えています。その一方で、僕たちは潰れた会社の人間ですから、みじめな想いも抱いていてね。そんな試合の後、僕と木村さんが敵のリングに上がったんです。メインで戦うタイガー戸口選手とアントニオ猪木さんがいました。山本小鉄さんもいたな。リングアナが木村さんにマイクを渡したんです。そうしたら、木村さんの第一声が、『
皆さんこんばんわラッシャー木村です(大嘘)いや、本当に疲れました平日は仕事で通勤、片道1時間40分土日はパチや競馬で大負けしてストレス金でストレス買うって何?もう疲れたよパトラッシュ明日からどうやって頑張ればいいんや毎週こんなことの繰り返しで生きててなにが楽しいんや?もう、無理だよ、、、
1月9日火曜日〜その3P391、ラッシャー木村選手の活躍に触れている。(写真)コレクションのラッシャー木村選手のスナップ。LOTTE冬季限定Rummyを食べる。
1月7日日曜日〜その24時に休む。6時、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトプレーンで喉を潤す。『国際プロレス外伝』を読む。P276のラッシャー木村選手の次男木村宏氏へのインタビューで、大仁田厚選手の事が語られている。(写真)菊水丸コレクションより、大仁田厚選手のスナップ。
1月6日土曜日〜その5『国際プロレス外伝』を読む。P269のラッシャー木村選手の次男宏氏のインタビューでは、力士時代のラッシャー選手の同期陸奥嵐関のエピソードが語られている。(写真)大相撲史に残る、S50年名古屋場所11日目、前頭5枚目の陸奥嵐が大関魁傑を河津掛けで破った時に締めていた繻子の締め込み。これは、同じ宮城野部屋の元十両力駒関からの寄贈品。
昔・国際プロレスを応援していました。会場は青梅市の西友河辺店のイベントスペース。盛況です。入場無料!実行委員会がすべてを負担して実現しました。感謝!当時の入場ガウン。生れは文京区ですが青梅市で育ったんですね。地元の都立農林高校卒。国鉄に就職。同級生がストロング小林氏と同じ稲城長沼に住んでいて聞いた話では稲城のラーメン屋🍜で出前持ちをしていたそうです。元々稲城長沼駅勤務だったそうですから辞めてプロレスに入った頃でしょうか。国鉄車両の型に合わせてコンクリ
今回は久しぶりの『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、懐かしの新日本プロレスのプロレスラーを作ってみよう』のコーナーです。ただし正確に言うとハズブロWWFプロレスフィギュアではなく、以前から当ブログにちょくちょく登場するWWFハズブロフィギュアのバッタモンを改造します(笑)上記の写真から既にセクシーボーイ”ショーン・マイケルズもどきと”ナルシスト”レックス・ルガーもどきを使って、ジャイアントマシン選手とブラックジャック・マリガン選手を作りました。今回は、ハルク・ホーガンもど
恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ。今回が61回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。国
国際プロレス'79.04.21ラッシャー木村VSスーパースター・ビリー・グラハム(IWA世界戦・金網デスマッチ)
昨日TBS系列で22時から放映された「水曜日のダウンタウン」新聞のTV欄には「金網で囲まれたリングから、100万円を持って脱出した1人のみ賞金を獲得できるデスマッチ」プレゼンターは、ケンドーコバヤシ馬場さんも米遠征中に金網デスマッチをやったとのプレゼンこの試合、TV放映でみたので断片的に記憶がございます(笑)日本プロレス70年史で確認すると、昭和46(1971)年12月17日で、アントニオ猪木が日本プロレスを除名になった直後、馬場さんは渡米し、前年はジン・キニスキー
現在、新宿京王百貨店にて開催中の「燃える闘魂アントニオ猪木展」に行って来ました昨年10月1日に他界されたアントニオ猪木さん小生の人生に多大な影響を与えてくれた氏の展示会に行かない訳にはいきません。百貨店入口に堂々とこんな案内版が・・・・本会場は、何処(゚Д゚;)さぞや大きな会場かと思いきや・・・・探す事、約10分。やっと見付けた会場は、通常の売場ではなくB1の通路の片隅。狭っ(笑)しかも、バカ高いパネルやバカ高いTシャツの売場が、面積の半分以上を占めているではあ~りま
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おはようございます。残業で遅くなり事務所から帰宅する頃は空がうっすら明るく(朝4時)……なってた。なので…本日のおうちごはんはこれから5~6時間程寝て今日は昼過ぎに出勤予定。なので、もう寝ます。焼きそばだけじゃつまらないから昨日の夜7時頃に食べた弁当も貼っておきます……。メンチカツサンド▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようラッシャー木村マイクパフォーマンス
『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、懐かしの新日本プロレスのレスラーを作ってみよう』のコーナーです先日更新した【ブラックジャック・マリガンを作ってみよう】ハズブロWWFプロレスフィギュア改の時に、ブラックジャック・マリガン選手の試合が見たくてYouTubeで検索したところ国際プロレス時代の対ラッシャー木村選手との試合が有り、見させていただきましたラッシャー木村選手の試合、とても懐かしかったですと言っても、国際プロレス時代のラッシャー木村選手の試合を見たのは初めてでしたラッシャ
無事終了しましたー!PRSブースに来ていただいた皆さんありがとうございました😃久々にお会いできた方々もいて、とても嬉しかったです🙏😆開場する前の僅かな空き時間に、他のブースも駆け足で見て回ることが出来ました😂💦とりあえずアンプの音に負けないようにブースで声張り上げ続けてたらラッシャー木村氏みたいなガラガラ声になってしまったので、今日はゆっくり休みたいと思います😅ではではー!
タイガーマスク引退発表後の新日本プロレスのシリーズ、ブラディファイトシリーズは1983年8月26日に開幕。ポスターにはタイガーマスクが載っているね、引退が急だったことがわかるねシリーズ3戦目の田園コロシアムのメインはアントニオ猪木さんの復帰戦でした。猪木さんの復帰戦の相手はラッシャー木村。試合は卍固めで猪木さんの勝利。試合後、猪木さんはマイクを取り、「おまえら、姑息なことなどせず、堂々と俺にかかってこい!俺の首をかっ切ってみろ!坂口、お前の挑戦も受けてやる。いいか、てめえら、強い者が
「うたコン」。ひばりさん熱がおさまらない。「悲しき口笛」の途中で、バンドの名前が出た。<VI>クラッシャー木村。VIって、バイオリンでしょ。バイオリンは女性なんですよ。なのに、なぜこの名前?本名が木村さんで、そこにクラッシャー、ぶっこわし屋をつけたのかなと?検索する。すぐに出た。本当にラッシャー木村からつけたとのこと。日本最高峰のミュージシャン。宇崎が使うのだから、並みではないことはわかる。でも、私にはラッシャー木村と、クラッシャー・リソワスキーを合わせた名前に思えて仕方がない。
今から40年前の今日、1983年6月2日。新日本プロレスに於いて第1回IWGPリーグ戦の決勝戦が、東京蔵前国技館で開催されました。「乱立する世界王座を統一し、真のプロレス最強王者を決める」というのが、IWGPの構想でした。柔道の五輪金メダリストのウィリアム・ルスカとの対戦から始まり、プロボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの対戦を経て、全米プロ空手ヘビー級王者のエベレット“ザ・モンスターマン”エディや極真空手(当時は破門)のウィリー・ウィリアムスと対戦した、一連の“格闘技世界一”路線
タミヤのドイツⅣ号駆逐戦車70(A)を製作しておりまんす。本体の組み立てが完了したので、次は皆様お待ちかねのトーマシールドの組み立てに作業を移行します。トーマシールド、わかりやすく言うと金網ですけど、金網と聞くとこのヒトを思い出します。国際プロレス所属時に、金網の鬼と呼ばれたプロレスラーのラッシャー木村氏でございますwww新日本プロレス参戦直後の「皆さんコンバンワ」事件は、昭和のプロレスを語るうえでかかせない大事件でしたwww晩年は全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場と
YOASOBI-群青/THEFIRSTTAKE「THEFIRSTTAKE」は、一発撮りのパフォーマンスを鮮明に切り取るYouTubeチャンネル。ONETAKEONLY,ONELIFEONLY.一発撮りで、音楽と向き合う。第96回は、「THEHOMETAKE」で「夜に駆ける」を披露し話題となったYOASOBIが、Ayase・ikuraの2人...youtu.beラトビアのロシア大使館の前にあるポールストラデインス医療史博物館に掲げられた見事なカリカチュア。
引退試合のパンフレットを掲載した記事を書いて、観戦記を書いていたことを思い出しました。本日は4月14日。引退記念日に、21年ぶりの再掲です。普段のNOAHの興行とは全く違っていた。開場を待つ人々の顔ぶれもさることながら、何より雰囲気が。あちこちに人の輪があり、それぞれに笑顔だったりはするのだけれど、やっぱり一人のレスラーが引退するという寂寥感が漂っているような気がする。入り口にはレスラー、関係者からの多くの花束が。このほかに、藤波や越中の名前も見えた。中に入る。売店に行くと、きち
わたしは……………広島カープが好きだっ!!!いよいよプロ野球開幕。が……………「新井のアニキぃ……」「負けちゃったじゃねぇか、コノヤロー!」↑ラッシャー木村マイクパフォーマンス風我らがエース大地、そして次世代投手リーダーのトコちゃん……。好投すも……、打線沈黙。二試合無得点。一人、気を吐くのは狂犬秋山のアニキ!半数以上がいまだ無安打、これでは勝てません。「なにしとんじゃーーーっ!新井ぃ!!!」