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人道の港敦賀ムゼウム。中は撮影禁止。敦賀港が受け入れ港となったポーランド孤児やユダヤ難民についての展示施設。孤児は、列強のポーランド分割に抗って政治犯としてシベリア抑留された人々や移住者の子どもたちで、ユダヤ難民はもちろんナチスの迫害による。どちらもここ敦賀港からそれぞれの行き先に向かった訳だが、当然日本に入国してからもその先も、苦難は続いたろうな。当時の港の建物群外観を再現復元したものが展示館になっていた。命のビザを大量発給した杉原千畝氏は有名だが、他にも、南米オランダ領キュラソー
外交官・杉原千畝(1900~86)がカウナス総領事代理としていわゆる「命のビザ」を発行した時、ユダヤ難民がヒトラーのナチス・ドイツよりもスターリンの共産主義を恐れていたことを示す説が発表された。一次資料となる難民の証言を読み解くと、ソ連化で財産を没収される恐怖を語るものばかりが見つかった。東京理科大学の菅野賢治教授は、ニューヨークのアメリカ・ユダヤ合同分配委員会(JDC)が所蔵する報告電文など直接の一次資料のみ約3000点と難民の日記を分析。ソ連併合による財産没収への恐怖が述べられる一方、
信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)@himakane1外務省はその時杉原さんに何をしたか、覚えてないようだから言っとくと、本庁の指示に従わないとして処分しているんだよ。首相官邸のツイートなら、その辺を謝ってからじゃないのか。ビザを発給するなとの外務省の指示は間違っていたとか黙認し処分は避けるべきだったとか。杉原さんにタダ乗りかね。mTAKANO@mt3678mt“ニッポンのシンドラー”の岸田政権による政治利用。天国の杉原千畝氏は呆れているだろう。外務省は、訓令に背いたと
■1月30日の産経電子版のスクラップ20230130【産経抄】朝日の主筆だった船橋洋一氏が変節?!.pdfdrive.google.com20230130【朝晴れエッセー】どんなもんだい.pdfdrive.google.com20230130【日本の未来を考える・伊藤元重】停滞と安定の壁壊す時.pdfdrive.google.com20230130【ユダヤ難民保護した日本】大戦中東南アジアで寛容政策継続の公電英が傍受、保管.pdfdrive.google.com
①の写真解説↑左下:当時、ロックフェラー財団副会長で❪HumanBiologyComission❫の為、何度も来日した生物学者EdwinR.Embreeエレノアルーズベルト(ルーズベルト夫人で悪名高いシオニスト。国連🇺🇸代表として🇮🇱の国家承認や世界人権宣言の立役者)と。右下:Embreeと来日した生物学者Conklin—TomokoShimoyama(@TomokoShimoyama)May30,2022②の写真解説↑左上:1909年建設のシナ
みんな元気ですか昨日の続きだよテンゾーは上海在住のユダヤ人社会からヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の実態を詳しく聞いていた。このことに大きな関心を寄せていた。すぐに在外領事官などに日本の陸軍の友人を通じてユダヤ人を上海に受け入れる用意があると伝えた。当時日本は同盟国ドイツの意向に反し、人道的な立場からユダヤ人を助ける事には暗黙の了解をすることが政府の統一見解だった。同時にそれはある筋からの意向でもあった。もちろん対
福井県敦賀市へ。三度目の訪問。敦賀港の倉庫街。【敦賀観光案内サイト漫遊敦賀/人道の港敦賀ムゼウム】一般社団法人敦賀観光協会1920年にシベリアで救出されたポーランド孤児、1940年にはナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民が、リトアニア・カウナスの領事代理杉原千畝が発給した“命のビザ”を握りしめ、敦賀港に上陸したことに関連して展示を行っています。www.turuga.org昨年リニューアルされて、1920年代の港湾施設を再現したらしい。敦賀ムゼウムの裏、JR貨物の引き込み線が
昨日は久しぶりに気持ちよく晴れたので、犬達を連れて福井県敦賀市にある中池見湿地というところへ向かいました。しかし、ペットはダメだそうです(T_T)なので、すぐ横にある天筒山城を登ってきました。登山道登り口のすぐ横には怪しげな遺構が…麓に怜と輝が大人しく待ってくれてます。あまりにも険しいので林道を登ります。天筒山はかなりの急斜面なんです。林道は山の斜面を削り、その削った土でもって盛土します。道のほぼ真ん中が切り盛り境で、山側の積ブロックの高さで斜面の急峻さがわかります。20分くらい
嶺南の敦賀に行ってきました。敦賀赤レンガ倉庫中に入るとジオラマ館昔の敦賀の町が再現されてました。(原発の建物もちゃんとありました)線路には電車、道路にはバス、海には船が以前テレビか何かで報道されていたのでジオラマ館の存在は知っていましたが、想像以上に大きくてビックリでした。昔の映像も見られて、歴史のお勉強も近くには敦賀鉄道資料館日本海側で最初に陸蒸気が走っていたそう(デス)しらさぎやサンダーバードの看板が懐かしい〜(昔は駅のホームにこの看板があったなぁ〜)鉄道の懐
芦原温泉の朝。少し早起きをして、朝の町を散歩。温泉街の賑やかさはないけれど、静かでいい。朝風呂に入ってから朝食。朝の味噌汁もカニ汁と、ほんとに蟹三昧🦀ホテルを出発して、今回自分が最も楽しみにしていた地、人道の港敦賀へ。杉原千畝さんが発行した命のビザを手にしたユダヤ難民が命からがらシベリアを経由して到着したのがこの港。そしてその20年程前の1920年代にロシア革命の混乱に巻き込まれたポーランド孤児達が上陸したのもこの港。だから人道の港と呼ばれている。※ちなみにポーラ
第二次世界大戦の開戦直後軍靴の響き高まる東欧リトアニアで、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民の人々に自らの判断で二千百三十九枚のビザを発給し六千人の命を救った日本人外交官・杉原千畝。彼は卓抜した語学力と独自の情報収集能力を駆使し、世界情勢の貴重な情報を発信し続けた優れたインテリジェンス・オフィサーでもあった。政府の意に反してビザを発給した杉原千畝を、戦後、日本の外務省は無視し続けたが、世界は彼の功績を大きく賞賛した。人間・杉原千畝を支えていたものは何だったのか、
https://youtu.be/zzlUJvg3GMw【世界が驚く..】「日本最大の危機」を救った男は「ユダヤ難民」も助けていた!『樋口季一郎』戦後、隠され続けてきた「先人たちの軌跡」《永久保存版》【ゆきのん日和】
敦賀港の続きです。ウラジオストクと敦賀港には定期航路がありました。敦賀港には海上保安庁の監視船もありました。JapanCoastGuardと呼ぶのですね。さて、欧州への入口として日本人利用もありましたが、外国人も多かったようです。現在のようにインバウンド的な訪問もあったでしょうが、人道的な話も残っています。自由への扉(Bramakuwolności)ポーランド語で書いてあります。英訳するとgatewaytofreedomと言った意味でしょうか!
みんな元気ですか続きだよ・・・シベリアと満州国の国境を越えた2万人を超えるユダヤ人の避難民はその後上海に向かいます。難民の計画は上海を経由して自由の国アメリカに移住することでした。当時上海にはイギリス租界やフランス租界がありましたがすぐに日本租界に吸収されます。当時の上海は他に比べて圧倒的軍事力を持つ日本帝国陸軍の支配地でした。支配地ではありますが、この日本租界を統治していたのは民間人でした。仮に名前をテンゾーとします。
「人道の港・敦賀ムゼウム」に到着。歴史を学んできます。
アジア開放のために欧米と戦った日本ユダヤ難民を守った日本大東亜戦争を第2次世界大戦とされ正義を行使する翼をもぎ取られてしまった日本北朝鮮に自国民を拉致されたままなにもできない日本世界最強の人権侵害国・中共と戦う香港や台湾を見ないふりしかできない日本香港でデモを続ける人に対して何もできないことに悔しさと切なさを感じるだけ以前、中国で子どもが自動車にひかれ、見て見ぬ振りをした中国人をバカにしたのは誰なのかいま、北朝鮮で中国で起きてることに見て見ぬ振りをしてるのは、中国人をバカにした日
上海と満州のユダヤ難民を保護した日本ユダヤ人を救った人と言えば、オスカーシンドラーや杉原千畝を思い浮かべる人が多いはず。じつは大戦時の日本は、国としてユダヤ人を保護してたようです。大東亜戦争を第二次世界大戦と言い、あの戦争がなんだったのかを多くの日本人が知らされてないのではないかと思います。「上海と満州のユダヤ難民を保護した日本」のなかに、下記のような記述があります。第二次世界大戦中、ドイツで公然と行なわれたユダヤ人迫害に対して、ヨーロッパ諸国の政府もアメリカ政府も長い間沈黙を守った。
杉原千畝による「命のビザ」発給の2年前にあたる昭和13年3月、ソ満国境の地・オトポールに逃れてきた約2万人(一説には数千人)ユダヤ難民に対し、樋口季一郎は、人道的な見地から特別ビザを発給するよう満州国に要請し、特別列車を出して救出していた。参考①ユダヤ難民を救った「もう一人の日本人」を知っていますか?文春オンライン(2018.9.17、参考)早坂隆「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば、杉原千畝の名前を思い浮かべる人がほとんどであろう。だが、実は「ユダヤ人を救ったもう一人の日本人」
北部軍軍司令官として札幌で終戦を迎え、終戦後に火事場泥棒的に占守島に侵攻したソ連軍の撃破を命じた将軍として知られる樋口季一郎陸軍中将。アッツ島玉砕時の軍司令官でもあった。その樋口将軍のエピソードとして有名なのがハルビン特務機関長であった樋口季一郎の「人道上の問題」としてユダヤ人の受け入れを独断でしたことであった。それは「ヒグチ・ルート」と呼ばれ、イスラエル建国の功労者の名を刻む「ゴールデンブック」に記載されている。以下NEWSポストセブンより転載祖
昨日は72回目の終戦記念日だというのに、時間はあわただしく過ぎていきました。戦車兵様の記事が深く印象に残りました。毎回突然なのですが、リブログさせていただきますね。ありがとうございます。また、イーグル様のように飛行機に乗り、九段下に馳せ参じられた熱い!御仁もいらっしゃれば、皆様、思い思いにこの日について記事を綴っていらっしゃいました。私は外地におりますから、日本時間の正午母国に向かって黙祷をおささげし、心穏やかに過ごしたかったのですが、台北では14日、15日と比較的大規模な
”自分の身は自分で守る”とっさの判断が自分の未来を大きく変える要因ともなりうるとしたら、、、?ましてやそれが、自分の家族や、慣れ親しんだ故郷、母国の危機であったなら?皆さんは『樋口季一郎陸軍中将』とお名前を聞いたとき、何を思い浮かべられますか?私は”ユダヤ難民、オトポール通過、もう一人の杉原千畝”などが思い浮かびます。命のビザを発給し続けた杉原氏の偉大なる功績は、このブログに書くまでもなく有名な事実でありますが、樋口中将も軍人の身でありながらそれに劣らぬ人道
赤穂市立歴史博物館Wondertrip北は日本海、南は瀬戸内のあたたかい海に囲まれた兵庫県。おしゃれな港街・神戸があることでも有名ですね。その一方姫路には、長い歴史を誇る世界遺産「...「母の写真で歴史知って」ユダヤ人難民の娘ら敦賀市に寄贈/福井毎日新聞リトアニアの在カウナス領事代理だった杉原千畝が発給した“命のビザ”で、ナチスドイツの迫害を逃れて敦賀港に上陸したユダヤ人難民、ソニア・リードさん(故人)...F1エンジンの歴史-馬力・気筒数・排気量の推移を振り返る
15、16日に「川越まつり」豪華な山車23台競演東京新聞展示資料には、大相撲番付を模して当時の町の勢いを格付けした一八六四年の番付表があり、「武州川越」は関東で最も高い前頭九枚目に位置している。学習院大学東洋文化研究所が10~12月に東洋文化講座シリーズ「デジタル化とアジア研究」(全3回)を開催SankeiBiz当日は各分野における第一人者の講師を招き、日本やアジアにおける歴史資料・文化遺産・情報資源のデジタル化をテーマに講演を行う。受講料無料、事前...韓国・南九州出土