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もう、30年以上前になりますが…。お世話になった産科の女性医師から生まれたばかりの長女の脚に異常がある、と告げられました。平均よりかなり大きく、脚も長かったため、膝から下、特に足首からが極端に内向きに変形していたようです。紹介いただいた大阪の形成外科での診断は、内反足。早速、専用の補装具を製作してもらって、成長の都度、作り直して2年近く装用し、矯正した想い出があります。これが更に娘にも受け継がれて…。こちらは、手術が必要なレベルでしたので
ちょっと前まで…。年甲斐もなく、ずっと拘っていたのが、バッグの二本掛け。臙脂、赤、小豆などのミドルゲージのタートルニットに、ル・ボナーのショルダーバッグ(パパス)とワイルドスワンズのボディーバッグ(コリアー)を斜め掛けしていました。(「革製品(パパスショルダー)~ミネルバ・ボックス-ル・ボナー~」で紹介したル・ボナーのパパスです。)(「革製品(コリアー)~ミネルバ・ボックス②-ワイルドスワンズ~」で紹介したワイルドスワンズのコリアーです。)中
我が国で固有の進化を遂げた、今や文化と言っても過言ではない、自動販売機での商品流通。思い出すのは、初めてのお使いで、店のオジサンに使い方を教えてもらったビンのコカ・コーラの自販機。斜めに取り付けられたパイプの上に横置きされたホームサイズのビン。その一番下のビンを王冠で封印された口の方から引っ張りだすと…。上に並べられていたビンが順番にコロコロと転がり降りて…。「ガッシャーン」そんな擬音がぴったりの取り出し方でした。当時、500mlのコカ・コーラはホ
1928年に発明された折り畳み傘。同年から「クニルプス」のブランドで生産が開始されています。母国、ドイツでの認知度は非常に高く、辞書にも「クニルプス」は、「折り畳み傘」と表記されているとか。(8本骨で、中骨の短いコンパクトなフォルムです。)(共地の袋入り。)(袋から出して見ました。)フルトンに続く自動開閉のタイプになりますが、強度がこちらのセールスポイント。グラスファイバーを使用した柔軟性のある8本の親骨により、時速95㎞の風にも
子どもと言うのは、面白いもので…。意味が分からなくても、その語感や使われ方に敏感で、番組のクライマックスに達した場面で頻出する変わった台詞をよく使うものです。70年代の初め、鮮烈な印象を残した番組のひとつに、「レインボーマン」があります。(一服してください。レインボー繋がりと言う事で、レインボーの「虹を翔ける覇者」。ロニー・ジェームス・ディオのボーカルと、このアルバムから参加したコージー・パウエルのドラミングが圧巻です。)インドの山奥で、ダイバ・ダッタに師
七島イと書いて、「しっとうい」と読みます。イグサ科でもイネ科でもないカヤツリグサ科の多年草の植物。畳表と言えば、ほとんどの方はイグサを思い浮かべるでしょうが、大分県の国東半島だけで生産されている七島イは、最高級の天然素材として、知る人ぞ知る名品です。耐久性の高さから、かつては柔道畳として用いられたほか、琉球畳の素材として使われています。琉球畳について補足すれば、本来この素材を使ったものを琉球畳と言うとのこと。そんな素材を使った草履がありました。明治時代から続く
高級刃物の材料と言えば、安来市の和鋼。日立金属㈱がブランド化している和鋼が、高級特殊鋼「YSSヤスキハガネ」。その鋼は、硬度や成分によって青鋼(青紙)、白鋼(白紙)、黄鋼(黄紙)などに分けられています。用途によって鋼を使い分けているのでしょうが、僕が入手できる製品は限られているので…。そこで、選んだのが裁縫で使われる握り鋏。和鋏とも言われ、昔は爪切りにも使われていたとか…。鶴岡八幡宮には、北条政子が使っていた鎌倉時代のものが所蔵されているようです。こち
髭を生やし始めてから四半世紀。毎朝のルーティンは、そのトリミングと、はみ出している無駄毛(髭)の処理。そこで、重宝するのがツイーザー、いわゆる「毛抜き」です。歌舞伎十八番にも数えられた「毛抜」。江戸の字を冠する毛抜きには、手打ちのものがあり、聞くところによると500回も叩いて造るとか。僕が知った名人のひとりは、倉田製作所の倉田義之氏。こちらは、胴体の部分に節の細工を施した鏡面仕上げの89ミリのもの。その名も「竹節・光沢」。(毛抜きとしては大
爪切り。爪を切る道具ですが、古くは、小刀や和鋏を使っていたとか。僕の父親が舶来の製品を使っていたのが半世紀以上も前の事です。刃先の形状が平面ではないので、砥げる職人を見つける事ができず、切れ味が鈍ってからはタンスの肥やしになっていました。ただ、母から、それを見せられた時に、ニッパー型の美しさと高級工具のようなボックスジョイントで作られている精巧さに驚いたものです。(刃の形状からキューティクルニッパーではないかと思います。)(ボックスジョイント(三枚
父親の仕事の都合で、京都へ移って来た頃、テレビで見たボヤキ漫才のインパクトは、今でも忘れられません。関東で見ていたそれとは、明らかに話術もテンポも違っており、独特の灰汁の強さと大阪弁の乗りの良さとが相俟って、大爆笑してしまいました。その当時から漫才ネタの定番になっているのが…。ボケ役が説明する荒唐無稽としか思えない行動をとっている人物に対する、ツッコミ役の一言「そんな奴おるかい!」(一服してください。シルヴァーズの「HighSchoolDance」、バックで
そもそも教員は、現在、法的には、原則として時間外勤務をしないことになっています。正確には、「公立の義務教育諸学校等の教育職員を正規の勤務時間を超えて勤務させる場合等の基準を定める政令(以下、「政令」という。)」第1項で勤務時間の割振りを適正に行って、時間外勤務を命令しないとされているのです。つまり、本来の勤務時間以外に勤務が必要となった場合には、正規の勤務時間の一部と勤務が必要となった勤務時間以外の時間を振り替えるなどして、時間外勤務が発生しないようにすると言う事です。(一服してください。
公立学校の部活動に対して、1日3,000円程度(地域によって額は異なる。)支給される特勤手当。この特勤手当が話をややこしくしていますが…。超過勤務に対して本来、支払われるべき時間外勤務手当を支給しない代わりに、ほとんどの教員に一律支給されているのが、前回、話した教職調整額です。そのベースの時間数(月:約7時間43分)は、興味深い事に、2013年OECD国際教員指導環境調査(TALIS)の「教員の仕事の時間配分」の項目で示された課外活動の指導時間7.7時間とも、ほぼ一致しています。〇課外活
あまり馴染みの無い言葉でしょうが、「みかぐら」と読みます。皆さんご存知の「神楽」は、物の本に依りますと、「人間の生命力を強化し、復活を図るため、清め、祓い、鎮魂をする祭祀であり、芸能である。」と説明されています。その基となったのが、御神楽なのです。基本的には、神前で庭燎(にわび、ていりょう:篝火のこと)を焚いて行い、ほとんど一般公開されません。僕の知る限り、大阪の国立文楽劇場と九州国立博物館で催されただけだと…。「門外不出の秘祭」との表現がピッタリです。
昭和を代表する写真家と言えば、木村伊兵衛先生と土門拳氏が双璧ではないでしょうか。こちらは、土門拳氏の代表作のひとつ「筑豊のこどもたち」。(1977年の新装版です。)当時、ボタ拾いをしながら生きていく炭鉱の子供達の姿と「弁当を持ってこない子」と言う題名に衝撃を受けました。「写真は、リアリズムだ!」、そんな声が聞こえてきそうです。ところで、親子で伺った木村先生宅。父の緊張の理由は、もちろん師匠の指導。発展途上の技術で撮った作品に対して、「何を撮っているのか分からない」、「距離が遠い」、
物心ついた頃、父は写真を生業にしていました。写真家の渡辺義雄氏や英伸三氏とも親交があり、いつも自宅横の暗室からは、酢酸の匂いが漂っていて…。そんな影響もあって、休日には首からオリンパスペンとセコニックの露出計をぶら提げて、自宅近くの山野に出掛けたものです。(ぶら提げていたオリンパスペンとセコニックの露出計です。)背丈の高い陸稲(おかぼ)に寄り掛かる時の感触を、今でも思い出します。まだ、フィルムが高価な時代でしたが、24枚撮りを2本ぐらい撮っていたでしょうか。それでも、ハーフサイズのカ
スーツの安息の場は、冷暗なタンスの中でしょうが、その際、型崩れさせないためには、人体の形状に近いハンガーに掛ける必要があると思います。これは、私見ですが…。(今回の主役のアッシュブラウンのプレジデントハンガーです。)(こちらも主役のマットブラウンのプレジデントハンガーです。)現行モデルのプレジデントハンガーNEOは、色調が既に紹介した中田工芸や木内製作所に近い、光沢のある濃いブラウン系に変わりました。手にしたのは、木目の美しいアンティークアッシュブラウンとアンティークマットブラウンの2
至高のハンガー最後の1社は、1951年創業のハンガーのながしお。(今回の主役。クリア仕上げのプレジデントハンガーです。)(こちらも主役のマット仕上げのプレジデントハンガーです。)以前のモデルは、白木をニスで仕上げたものとマットな茶色の2色展開でした。手始めに手に入れたのが白木のタイプの43cm。淡色なのに光沢がこれほど鮮やかとは…。(届いた時の正直な感想です。)(白木の美しさが良く判ります。)(正面の角度を変えて撮って見ました。)(もちろん、背面には継ぎ目はありません。)当時
至高のハンガー、次の1社は…。(木内製作所のハンガーが今回の主役です。)あるメンズ雑誌で知って、居ても立ってもいられず、即、連絡してしまったのが、木内製作所。重厚で光沢のある濃い茶色のボディに金ピカの金具が取り付けられています。もちろん、サイズは43cm。同社のものは、プレジデントと言う名だったかは、定かでありませんが、中田工芸のそのラインのものと並べても少し色合いが違う程度で、甲乙付け難い、至極の出来栄えです。(光沢のある濃い茶色のボディにやられました。)(前回紹介した中田工芸の
無垢の材から手作りされている至高のハンガー。(今回の主役のプレジデントハンガー、背景が映り込むほど輝いています。)迎賓館や有名デザイナーズ・ブランドなどで使われていると聞きます。ブナの原木から職人が削り出して作っていくのですが、個々の形がほとんど異なりません。僕の知る限り、国内で販売しているのは、3社(他社をご存知の方は、ご紹介を)のみ。豊岡市にある1946年創業の老舗、中田工芸。プレジデントと言う名を冠したハンガーを同社にお願いしたときには、既に注文生産になっていました。スーツの
江戸屋は、その名のとおり、江戸時代の中期、享保3年(1718年)に開業した老舗中の老舗。こちらの黒毛の3本は、同店の花馬毛、いわゆる馬の鬣(たてがみ)を使ったタイプ。(花馬毛の大判形と長方形です。)(角度を変えて見ました。)大判形のものは、長さ135mm、幅55mmのブナの木地に、毛丈40mmの黒の花馬毛を植えていて…。(毛丈40mmの花馬毛で、サイドに削りが入ります。)(こんな密度で植えられています。)綺麗に面取りされた共蓋(ともぶた)には、上部に「極上」の文字、下部に「○」に「
ふた昔前、とある八幡宮の頓宮で「薪能」を企画していた頃、仕事上、数多の能舞台を見る機会がありました。(最近、国宝になった本殿です。)四座一流(しざいちりゅう)の立派な能楽堂の舞台、神社の境内に寄進された能楽堂の舞台、屋外に仮設しライトアップされた舞台、どれも、いわゆる檜舞台でした。そんな視察の時を経て、数年間の天気の統計を頼って設定した葉月の初旬に、地元の観世流、大蔵流の方々による、当地所縁の演目を交えた野外能を決行。雨の心配もあったものの、大盛況のうち、五番目物(切能)まで無事上演でき