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母が腰の痛みを訴えて最初に地元の整形外科を受診したのは昨年の春です。レントゲン撮影の結果腰に膿瘍があるから精密検査が必要だと医師から言われました紹介状をいただいて総合病院の整形外科を受診したところ、軽度の椎間板ヘルニアと診断され経過観察となりました。毎月MRIも撮影していたのですが、椎間板ヘルニアというのは実は医師の誤診でした。母の痛みがロキソニンの湿布と飲み薬では全く効かないほど耐え難いものになり、流石にこれはおかしいと言うことで同じ総合病院の内科
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妹の会社は毎月1日〜10日がとても仕事が忙しいです。けれど、1月5日は私は病院の予約が元々入っていた為、妹に母のホームに行ってもらう事になっていました。忙しい妹は当初5日は姪っ子に母のお世話を頼んでいて、段取りを把握してもらう為にあらかじめホームに姪っ子を連れて来て、赤ちゃんや子供のお世話も全くした事がない姪っ子に妹が食事を介助する様子を見てもらったりして、備えていました。ところが、4日に母が誤嚥を起こした為、もしも5日に母の容態が急変するような突
母との最期の日々を思い出しながら書くのが段々しんどくなって来ましたが、書かないと一番哀切で一番掛け替えがなかった大切だった母との日々をどんどん忘れてしまうので、泣きながらでも少しずつでも、私は必ず書き上げます。1月4日は訪問診療のO先生に点滴について電話で確認して看護師のSさんとは真逆の回答を聞いて混乱したり、母が初めて誤嚥を起こして喉と鼻の吸引をしたりと、私にとっては混乱する事やショックな事が色々続きました。4日の母は食事の時以外はほぼ1日中
タイトル通り、1月4日の昼食時に母ははじめて誤嚥を起こしました私は急いで看護師さんをお呼びして、ホームの吸引器を使用してすぐに吸引していただいて事なきを得ました。今回は色んな偶然や幸運が積み重なったお陰で何事もありませんでしたが、まかり間違えば4日が母の命日になってもおかしくなかったし、この日の事が原因になり後々母が誤嚥性肺炎で亡くなってもおかしくありませんでした。この日のソフト食はとろみがとても強く、お茶さえもコップをひっくり返しても落ちて来ないほ
1月3日は我が家に長男家族が遊びに来る為、1月2日に引き続き1月3日も妹が母のナーシングホームに行ってくれましたお孫ちゃんと1日楽しく過ごして長男家族が帰った後、妹から連絡が来ました。「午後1回家に戻って3時過ぎに来たら尿管が詰まったから交換したって言われたんだけど、血尿がひどいから看護師さんに相談したの。そしたら、『水分量が足りないから点滴500くらい入れたらどうか』って言われたんだけど、どうしよう❔私が困ってたら『お姉さんと相談して下さい』っ
私と夫は当初新年宮中一般参賀に参列する予定だったので、1月2日は妹に母のナーシングホームに行ってもらうよう、頼んでいました。能登地震で一般参賀は急遽中止となりましたが、予定通り妹は母のナーシングホームに行ってくれました私は風邪を引いた夫から風邪をもらわないように距離を取りつつ夫と次男とあらためてお正月を迎えましたおせち料理を3人でいただき届いた年賀状を見たりテレビで格付けを観たりして、家で和やかにゆっくりと1日過ごす事が出来ました「今日はママどんな
お雑煮の大根や人参をすり潰しておだしで伸ばしたものでしたが、母はストレッチャーを少し起こしてみんなと食事を摂り、家族で無事お正月を迎える事が出来ましたホームでは母はいつも緑茶はいらないと言っていたのに、この日は「飲みたいな」と珍しく母が言ったので私はひと匙ずつ母に緑茶をあげて、母はなん匙か飲む事が出来ました私は甥っ子達にお年玉をあげたり、次男はいとこ達と喋ったりみんなでおせちを囲んで和やかなお正月を過ごす事が出来ましたこれが母と過ごせる最後のお正
2023年11月に近隣スポット紹介で登場した自然公園の春の様子です3月下旬は梅がとてもきれいでした!(これは梅であってますよね?焦)4月某日で桜が満開でした!お花見している方々がたくさんいらっしゃいましたよ。みなさんはお花見派ですか?それとも花より団子ですか?グッドタイムナーシングホーム・川口新井宿ブログ担当スタッフKS
30日は妹家族が旅行から帰って来る日でした30日の午前中がペットホテル年内最後の営業の為、私は妹家族が預けたポーちゃん(文鳥)を引き取りに行きました。妹から預かっていた家の鍵で玄関を開けてポーちゃんを居間の定位置に置き、鳥かごを覆っていたカバーを外すと、ポーちゃんはそれまで全然鳴かなかったのに「あっ、おうちだ❗おうちに着いた❗」と言うように、急にものすごく賑やかに鳴き始めたので、すっごく可愛かったです❤さて、28日の母は自分が団委員長を務めていた
現在の話を書いて元気を出してから、母の事を少しずつ書くようにしております家族でスノボ旅行に行っている妹とは、29日もラインでやり取りしました。「今日は昼も夜も完食したせいか声が大きくなった。認知症っぽい事も言わなかったし普通の会話が出来た🎵昨日は『お腹空いた』って言うんだけど食べられなかったせいか反応が薄くて、ぼんやりしてるし話さないし声も聞こえないくらい小さいから口元に耳を近づけてたのに。やっぱり、食べるって大事だなって思った。『あ〜、外に出た
22日に入所した時は普通食が食べられたのに27日に刻み食に変わった母は、すぐに刻み食も食べられなくなり、29日にソフト食(ペースト食)にあっという間に変わりました上の献立はさつまいもペースト、白身魚ペースト、ほうれん草ペースト、ソフト豆腐、お味噌汁、おもゆです。さつまいもペーストはじゃがいもペーストに、ほうれん草ペーストは人参ペーストに変わる事はありましたが、白身魚ペーストとソフト豆腐は毎食同じでした。29日はなんと朝食も昼食も夕食も3食すべて
母が寝ている間に私は車で母のアパートにとんぼ返りしながら、これはいよいよ大変なことになっていると胸が早鐘を打つように轟きました。妹はまだ蓼科への移動中で、家族だけで楽しい旅行を満喫している所です。今はラインや電話をして邪魔せずに、まずはとろみをつけて色々やってみた後夜に電話しようと思うのですが、私は不安でたまりませんでした。母もこんな風に自分のあっという間の変化に、ずっと不安と恐怖とで1人でおののいているのだと実感しました。猫たちは私が戻ると駆
ブログを書くために妹とのラインを見返していたらナーシングホームの個室の写真を見つけて、ちょっと泣きそうになりました。この時はまだ母はこの世でこの部屋で、私達とともに必死に生きようとしていたから…。ナーシングホームに入所する前の母は、骨折して歩けないのと自力で排泄出来ない以外は普通に話せて普通に食事が出来て、普通の生活が出来ていました。私達はこれからもあと何ヶ月かは母と普通に過ごせると思っていましたが、実際には入所してすぐから坂道を転げ落ちるよ
「今日、ママ、『この(予備の)布団は〇〇(私)が使った』って言ってたよ。「うん。ママが寝てる時、私もリクライニングチェアで寝てたからね。」「あと、『さっきまで〇〇が来てた』とも今日は言ってた。」「それはない(笑)」「ママ、日にち感覚はもうないね。」「そうだね。なくなった。」「今日、私が黙ってたら『何か喋ってよ』ってママが言うから、『今年は3月からたくさん病院行ったね』って私が言ったら、『もうどこの病院だか忘れた』だって。」「昨日はママ、私が視界から
26日の午後は訪問診療のO先生が来てくれる火曜日でしたO先生は母の在宅介護が始まった当初から、訪問診療をお願いしていた方です。O先生と私達とはなんとO先生が私の長男にそっくり❗ということと、O先生の亡くなったお祖母様が母にそっくり❗という二重の奇遇があり、初めてお会いした時からお互い親近感がありました母と名栗温泉に旅行した時や伊勢に旅行した時もその都度O先生に細々と相談しました。O先生は旅行はとても良い事だとおっしゃり「どんどん行ってきて下さい」と送
12月28〜30日に妹家族は家族旅行の為、もう1年も前からエクシブ蓼科に予約を入れていたのです。せっかくずっと前から予約していたホテルなので妹の旅行中は私が3日連続母の所へ行くことにして、26日と27日は妹が母の所へ行きました。母のがんが発覚してからの私と妹は、母の様子を電話やラインで毎日報告して介護の為の情報共有をしていました。「今日、ママが『食べるのが疲れる』って言ったから、後半は私がスプーン持ってご飯食べさせたの」「そうなんだ昨日も疲れる疲れるっ
12月25日は妹が家で家族とクリスマスパーティーをする為、ナーシングホームへは私が行きました母はこの日もベッドの体位が気にいらず、私は母に言われるまま1日ずっとベッドを上げ下げしたり枕を腰にあてたり外したりして、色々試行錯誤しました。母はこの日も「(お弁当についてくる)このスプーンだと角のおかずが掬いにくい」と言いながらも、完食してくれましたお箸は入所してから母はなぜか使おうとしなくなりました。それから、母は緑茶が大好きで1日何杯も飲んでいたのに、
12月23日に私が母の所へ行った日は、母は目が覚めると「あら、来てたの。」と私に言いました。私と妹は母はもうテレビを観て内容を追うことが出来なくなっているのはわかっておりましたが、少しでも脳の刺激にならないかと思い、22日も23日もテレビをつけっぱなしにしました。お昼を一緒に食べた時は母は割合調子が良かったのですが、その後の午後は昨日に引き続き、「ベッドを上げて」「やっぱり下げて」「枕を動かして」「足が熱いからお布団掛けないで」「お布団が厚すぎる
1階に下りてきたワゴンにお昼を取りに行った私は、お弁当の数と個室の数を数えて、母のいる1階は満室なのだということがわかりました3階に入所している方はお体が比較的お元気で、廊下のトイレにもご自分で行けるようでした。4階で食事もされていてナースステーションに飾られているイベントのご様子から、もしかすると認知症の方かもしれないな…となんとなく感じました2階に入所している方は車椅子で廊下に出ていらしたり扉の開け閉めの時にポータブルトイレが見える事から、行動に
12時になると、ナーシングホームではお昼ご飯のワゴンが4階から母がいる1階へと降りてきました。食事は母がいるナーシングホームを経営している医療法人のグループ会社が作って各ナーシングホームへと届けるそうで、大きなプラスチックの松花堂弁当のような箱を4階のキッチンで温めてからワゴンごと各階に降ろすのです。私と妹は入所した22日に吉野家のうな重を温めようとして4階に行った所、そこにいらっしゃった看護師さんから「電子レンジや冷蔵庫は職員が使用するものですの
最近は母のことを思い出して泣くことは大分なくなりましたが、折に触れて心の中で母に語りかけています。元々、朝はお茶を供えてご先祖様や祖父母や父の冥福を祈った後、近況をこまごまと報告していました。そこに今は母が加わりました。昼間とか夜に母にふと電話したりラインしたりしたくなった時には、今は心の中で話しかけています。元々父には心の中でずっと語りかけていましたから、今は語りかける対象が増えた感じですね昨年の12月22日に母はナーシングホームに入所しまし
私達が母の個室に戻ると、母は「あ〜❗良かった〜❗」「急に誰もいなくなっちゃうから怖かった〜❗」と、びっくりするくらい大声をあげたので、私達は驚きました「契約があるから4階に行くからねって言ってあったでしょう❔」と言ったものの、「怖かった〜❗」「もう、どうしようかと思った〜❗」「いなくならないでよ〜❗」と母はひとしきり大声で何度も繰り返し続け、普段と違う母の様子に私達は心の中で狼狽しましたそこから母はまるで子供がお母さんに駄々をこねるように、ベッド
午後1時に私と妹がエレベーターでナーシングホームの4階(最上階)に向かうと、そこはちょっとしたホールのようになっていました。テーブルと椅子が並んでおりキッチンや電子レンジウォータースタンドがある他、リハビリに使う為の道具がまるでジムのようにずらりと並んでいて、明るい空間が広がっていました4階は普段は利用者の食堂として使われる他、見学者が説明を受けたり利用者が契約するなどの打ち合わせに使われたり、リハビリしたり毎月のイベント会場としても使われるなど、
ナーシングホームに入所した日母と3人でうな重を一緒に食べたのは、時間にしたらほんの30分くらいだったのだなぁ…と、当時の事を思い出しながら書いていて、ちょっと驚きました。会社のお昼休みよりもずっと短い時間だったのに、久しぶりですごく楽しかったせいか、もっと長い時間だったように私は思いこんでいました。人とおしゃべり出来るのも一緒に食事が出来るのも、日常の事だけれど本当は全然当たり前の事ではなくて、すごく幸せで掛け替えのない大切で貴重な時間です。母を失っ
ナーシングホームに母と私達が着いたのは11時半頃でした。母の個室は緩和ケア病棟と同じくナースステーションの目の前の部屋だったので、私達が母に「良かったね❗これで何かあってもすぐ来てもらえるね🎵」と言うと、「そうなの❔(ストレッチャーの上に)寝ていたからわからなかったわ」と答えつつも、母は安心したようでした緩和ケア病棟での入院当初不安からか母はせん妄を起こし、骨折しているのにベッドの上で正座したりオムツを外したりカテーテルを抜いたりした為、腕を拘束
楽しかった事や幸せな事をたくさんブログに書いたら、母の事を思い出して書くエネルギーがやっとチャージされたので、続きを書いてみます❗またしんどくなったら中断しながら書きますので、ご了承下さいね。母が緩和ケア病棟を退院する日とナーシングホームに入所する日は同じ12月22日でした。それまで緩和ケア病棟では1日15分しか母と面会出来なかったので、ナーシングホームに入所すればクリスマスもお正月もずっと一緒に過ごせるね❤と私達は母と一緒に喜んでいました。この時点では
鎌倉旅行の事が書き終わりましたので、ちょっと辛くなって書くのをお休みしていた母の事を、また少しずつでも書いて行こうと思います。緩和ケア病棟から紹介を受けたナーシングホームを2箇所見学して母の行き先を決めた所、年末年始に向けてベッドに余裕を持たせたいということで退院をすすめられ、12月22日に母を退院させる事が急に決まりました。これより1ヶ月前、11月17日に母が緊急入院した事を私が上の妹にしらせたところ、今後は上の妹がメンバーに入っていないグルー
ナーシングホームに見学に行った妹は、母が入居した場合1か月にかかる費用の見積を、私にラインで送ってくれました。「えっ、10万くらいでいいの」「いやいや、そんな訳ないじゃん下をよく見てよ。オムツ代とかリネンクリーニング代はここには入ってないよ」「そっか、そうだよね」「空いてる部屋を見せてもらったんだけど、大きさは病院の個室くらいだった。洗面台はあったけど、あとは部屋には何にも置いてなかった。」「えっ、ベッドとかないの」「うん。空っぽ。ベッドと
ナーシングホームを見学した後、翌日の面会を取る為にナースステーションの入口で妹がノートに母の名前を書いていると、緩和ケア病棟の看護師さんから「見学してみていかがでしたか」と尋ねられたそうです。「母が退院した後はAの施設への入居を検討しています」と妹は答えました。すると看護師さんは「それでは、退院時期についてはこちらでも相談してまたあらためてご連絡します」と仰ったそうです。そして早くもその日のうちに緩和ケア病棟から妹に電話がかかってきて、「12月22