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王宮親衛隊第四中隊は、強くなった。強いが、実戦経験がないのがレオンの悩みのタネだった。そんな時に、カムロのリーダーに任命したクロカンが、よい話を持ってきた。ちなみに副リーダーはボンタとハサマで、後にカムロはそれぞれをリーダーにした『Z』『C』『SY』の三つの組織に分かれる。貴族家の四男、五男や妾の子などは、そのままではどこにも行き所のない者が多かった。傷のジルベールや赤ドレスのジュリエット第四王女なども、元はといえばそんな身の上だ。そんな連中は、大変な努力して王宮親衛隊に合格したり
公的な場では猫をかぶって常に完璧王女を演じてきたジュスティーヌのうろたえぶりを、父王は面白がっているようだ。「ん?レオン、その格好はどうしたのだ?」「はい。衣装が汚れたため、失礼がないようにマントをかぶりましたっ」「なに?どうしたのだね?」父王は、レオンとのやり取りに興が乗って、ふざけている。今でこそ啓蒙専制君主といえるような賢王だが、若い頃は王宮を抜け出して遊び回ったり、高級娼婦を身請けしてジュリエット第四王女を産ませたりする一面のある人だ。「いえ、イノシシと戦って斬り倒し、
まさか、あのジュスティーヌ第三王女殿下が、旅行先で父王陛下に無断で結婚し帰国されるとは!しーかーも~、新郎のレオン・ド・マルクスは、田舎男爵家の出身で無職の文無しなのだ。まったく贅沢はしないが、カネはあればあるだけ遣ってしまう男である。王女の無断婚姻などという父王と母王妃以外は、だれも想像しなかった事態に、フランセワ王国の貴族界は騒然となった。とはいえ、バロバ大神殿長を筆頭に聖都ルーマ大神殿の高位神官の名がずらりと並んだ結婚証明書を見せられると、だれもなにも言えない。最初はあきれていて
今回は、『レーニン理論の検討』(『経済建設論ノート第三巻』)である。この第三巻では、レーニンが提起して実施した新経済政策(NEP)を今日的にどのように捉えるべきなのか、トロツキー派、レーニン派、そしてコロンタイらの労働者反対派の三者のあいだで繰り広げられた労働組合論争にはらまれている問題を今日的にどのようにえぐりだすべきなのか、というようなことについて、深くほりさげている。これを読み、その後のスターリン派による歪曲を許さないかたちで、1917年の革命直後のロシアの過渡期社会の経済建設
いよいよロシアにもヤキが回ったか。ロシアの外相ラブロフは1日、イタリアのテレビとのインタビューで、ユダヤ人を弾圧したナチ・ドイツのヒトラーに「ユダヤ人の血が流れている」と妄言し(写真)、イスラエルや世界のユダヤ人コミュニティーで反発が高まっている。「ヒトラーにもユダヤ人の血が流れている」ラブロフは、侵略戦争をしかけている相手国ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ系であることに触れ、「ユダヤ系だからと言って、ウクライナでのナチの存在が否定されるわけではない」と、プーチン流
荒地を思う朝ワカケホンセイインコの叫声に目覚めて曇天を見上げる4月は本当に残酷な月だ否応もなくささやかな希望を打ち砕くかつて恋が成就したこともないいつも天候不順な私の4月はいまはコロナ禍とウクライナ侵攻とで荒地となって極東列島にある大陸では百年遅れの帝国や民族主義が大草原の風を蝕んで木々を枯らすその陰で現代のゴリオ爺さんがせっせとオレンジ相場で富を蓄積させていく突然死したエイゼンシュタインよあなたのモンタージュ手法の軍港に向かう階段坂シーンはこんな世界でも根拠
プーチン大統領のロシアによる「ウクライナ侵攻」から、10日が経過した。ゼレンスキー大統領率いるウクライナは、ロシアの侵攻に耐え、必死の抵抗を続けている。ロシアとウクライナは、何度か停戦協議を行なっているが、まだ停戦には至っていない。どうやら、プーチンはウクライナの「全土制圧」を目指し、それを遂行するまでは、「ウクライナ侵攻」を止める気は無いように見える。一方、ウクライナも、黙ってロシアに併合される事は望んでおらず、それが必死の抵抗に繋がっている。ロシアとウクライナの間の隔たりは、依然と
マリアがスラムに流れてから七カ月ほどたった深夜、いよいよ自分が死ぬ時がきたことを悟った。剣を持った十人ほどの男たちが、癒しの小屋を囲んでいた。このままでは関係ない人まで皆殺しにされ、小屋に火を放たれるだろう。マリアは、女神の光を発現させ全員眠らせ小屋から出ることにした。自分が突然消えたら問題になるのではと考え、はしっこいマルコス少年についてきてもらうことにした。死にざまを見て記録に残してもらいたい気持ちもあった。小屋を出る時に癒しの順番を待っていた病者が地に伏して眠っているのを見て、申し訳
01020304050607神殿の用意した数台の馬車に分乗し、『クラーニオの丘』に行くことになった。王女であるジュスティーヌは、王族用の王宮馬車に乗り、侍女たちに加えてレオン、ラヴィラント隊長、ジルベール君が直接護衛に同乗する。フランセワ王国の一行三十人に合わせて、バロバら大神殿の神官たちも三十人ほどが同行した。忌み所であるクラーニオの丘に神官や貴族らが六十人も訪れるなどということは、かつてないことだ。一時間足らずでその丘に着いた。直径八百メートルくらいの巨大な饅
010203040506少しも嫌な顔を見せずバロバ大神殿長は、ジュスティーヌの手を取って愛想よく微笑んだ。「ジュスティーヌ王女、聖都ルーマ女神セレン正教大神殿神殿長バロバが、あなた様を歓迎いたしますぞ。女神セレン様の祝福のあらんことを」本当は、消え入りたいような気持ちなのだが、ジュスティーヌとて生まれながらの王族だ。おくびにも出さず薔薇のように微笑んだ。「バロバ大神殿長様。女神セレン様の祝福をいただき、この身に余る誉れにございます」実際に、バロバから祝福を受けてジュステ
0102030405貴族用の宿の貴賓室でレオンとジュスティーヌは、対面して食事をとることになった。あえて護衛の騎士はつけない。見かけによらず度胸のあるジュスティーヌが、数人の騎士が護衛してもレオンをいらだたせるだけで意味は無いと判断したからだ。ジュスティーヌ王女の後ろに、アリーヌ侍女とマリアンヌ侍女が控えている。二人は、恐ろしかった。女神様の奇跡を目のあたりにしたことが恐ろしかった。それ以上に、自分たちを斬り殺そうとし、それを止めて下さった姫様を、「人殺しがっ!」と面罵した男が
0102030405国王ら王族と高位貴族を中心とした高官。それに参考人としてレオン・ド・マルクスを知る者を集め、明日の謁見にそなえた非公式の会議が開かれた。王宮に女神セレンの関係者が滞在している⋯⋯。聖都ルーマですら、聖女マリアが昇天して以来二十年も経つ。フランセワ王国にこのような前例はなく、失態は絶対にゆるされない。女神の眷属顕現は、名誉なことだが頭も痛かった。謁見の名目は、王族の命を救ったことへの褒賞である。褒賞金は、あまり安いとみっともない。王族の値段はそんなもんかと国
0102030405野盗どもの死骸が転がっている丸焼け宿の現場にフランセワ王国の騎馬隊が到着したのは、昼過ぎだった。切り捨てられた死体に囲まれて、血を浴びた男が大の字になって寝ていた。──────────────────(緊急)状況報告ラヴィラント王宮親衛隊騎馬隊隊長少数の護衛のみで聖都ルーマ巡礼に発たれたジュスティーヌ王女殿下を心配された国王陛下の命により、ラヴィラント伯爵指揮の王宮親衛隊騎馬隊十五名が急遽出動した。部隊が急行したところ、二日後の早朝、ルリア山
ー一九七八年三月二五日ー『三里塚を闘う青年学生共闘』を担う最も尖鋭的な部分が、朝倉団結小屋に結集した。三十人ほどいただろうか。オレもその中のひとりだ。「全員集まったな?」今日まで三里塚現地に常駐して闘争を指導してきた現闘団の幹部が切り出した。「最後の会議を始める」「⋯⋯明日二六日からの開港阻止決戦は、組織の総力を挙げて取り組むことを政治局が決定した。我々が掲げる空港包囲・突入・占拠は、単なるスローガンではない。我々は断固として人民抑圧空港の開港を粉砕する!」水を打っ
昨年6月末、香港に国家安全維持法が施行され、民主主義が死んだ。香港にも本土並みのスターリン主義化が進み、多くの民主派が獄中につながれ、今年も6.4市民革命(天安門事件)の犠牲者の追悼集会すら開けなかった。開こうとして民主派生き残りの女性が逮捕された。法ではなく独裁者が統治・支配した体制現代中国と北朝鮮の思想であるスターリン主義がいかに人道と人権に無縁な暴力的なものかは、13年10月27日付日記:「日曜の思索のひとときに:『スターリン主義』とは何か;ジャンル=現代史」を参照していた
世界近・現代史入門(ソ連のスターリン時代)(ソ連の社会主義建設)ソ連では1924年レーニンが死ぬと、スターリンとトロツキーの後継者争いがおこった。スターリンはロシアは後進国であるが、広大な領土を持っているので一国だけで社会主義を存続できるという一国社会主義論を唱え、トロツキーはロシアは後進国であるのでソ連単独だけでは革命は存続できないので全世界で革命を続行して社会主義勢力を拡大してのみソ連は存続できるという世界革命論を唱えて対立した。スターリンはトロツキーを追放して実権を握り(下の資料
トロツキー『永続革命論』永続革命論|光文社古典新訳文庫作品「プロレタリアートによる権力の獲得は、革命を完成させるのではなく、ただそれを開始するだけである」。トロツ[…]www.kotensinyaku.jp『ロシア革命について』と比べると、収録されている文は些か末梢的で、特定の人物(議論そのものより!)を論難するものであって、いわゆる「社会主義的」な論争であるのだなと感じさせられる。ラデツキーを執拗に批判することもそうだが、何よりレーニンとの意見の一致を正しさの根拠にするのは理論家
トロツキー『ロシア革命とは何か』ロシア革命とは何かトロツキー革命論集|光文社古典新訳文庫ロシア革命100周年何を目指したのか?作品革命の理論的支柱であったトロツキーが、自身の永続革命論について[…]www.kotensinyaku.jp十月革命100周年もの。トロツキーという名前にはロマンがある。それは未完ゆえに(可能性として)成功した共産主義を体現し、そこに新左翼の夢があった。なるほどスターリン派への反論として語られる党のあり方は、今の私たちが思い浮かべるソ連(あるいは社
備忘録(2020年12月27日)時代は変わった。10年前、大学でマルクスの講義をすると、「なぜマルクスの講義をするのか」と文句を言う学生がいたそうだが、今の学生は皆、目を輝かせてマルクスの講義を聞いているという。学生たちがアルバイトをしている時の何となく<嫌な気分>の正体を、学生たちは初期マルクスの「疎外された労働論」で知るからだ。アメリカの若者だけでなく、日本の若者の間でも、マルクスは復活しつつある!!HK&LesSaltimbanks-Onlâcherien-
こんにちは、氷上エメロードです。いつも「占い部屋黒真珠」と「クロウカシス書店」の応援ありがとうございます!!最近、寒くて乾燥しておりますが、如何お過ごしでしょうか。さて、先日3分で分かるタロット解説―第15話「悪魔」を投稿しました。※よかったらご視聴下さい悪魔のカードは一般的に悪い意味が多いですが、欲望を肯定的に捉えるか否定的に捉えるかで、意味合いが変わるかもしれませんね。ただ肯定的に見る場合でも、悪魔は過剰な意味合いが強いので、前回の14
昨日、ロシア革命について書いたら、トロツキーを思い出し・・・私は、若かりし頃に腰の手術を受け、定期的に硬膜外ブロックという麻酔科で硬膜外と言うところに痛み止めの注射をしながら日常生活を送っていました。フリーダ・カーロ(メキシコの画家)は、交通事故にあって足が不自由になって絵描きになった人。それで、彼女と彼女の絵に、興味を持ち、絵を観たり本を読んだのが25年くらい前??彼女のことは昔の記憶で書いています。私も、痛みを抱えながら働いていましたが、職場や周囲に痛くても痛いと言わず(会
録画してた古い映画・・・・・観た。1971年の『ニコライとアレクサンドラ』なんて映画ね。帝政ロシア末期の皇帝一族の終焉を描いたものですが、最後は残虐だな。皇帝一族を根絶やし・・・・銃殺とはエゲツナイ。ロシア革命を主導したレーニンやトロツキーと若きスターリンなんぞも登場・・・・と。そうそう。ラスプーチンなんて怪僧も出て来ますな~。会話の中に朝鮮半島を捨てる分けにはいかないとか、三流国の日本に負けたら大恥がナンチャラ・・・・・とか。まあ、明治の頃の日本ですから欧米に比べて一流とは申し
偶然は絶対的必然だ、と言った人。メルロ・ポンティ―と袂を分けたのは、その決定論だったのか。ジクムント・フロイトとカール・グスタフ・ユング。ヨシフ・スターリンとレフ・トロツキー。畢竟、方法論の対立か。幾つもある手段は、目的の手前で、対立し、崩しあう。収斂は、敗北なのか。
マスコミが報道しない歴史ソ連(現ロシア)の原爆やロケット・戦車などの軍事技術を含む大半の技術能力と製造技術は、米国が与えたもの。(前段記事)日本危機(13)歴史を学ぶ意味2020-08-30https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12621353864.htmlその具体例としては、チェリノブイリ原発事故で、真っ先に駆けつけたのはアメリカ。この事は、当時のソ連に原発の技術者がいなかったことを意味。イコール、原発の設計並びに建造はアメリカ企業が
人類史上、大極悪人を5人上げよと言えば、スターリン毛沢東ウッドロー・ウイルソンフランクリン・ルーズベルトアドルフ・ヒトラーでしょう。この中ではヒトラーは一番の小物と言って良いと思ます。一番、人民を殺害したのは毛沢東です。狂っていたのはウイルソン。バカなのはルーズベルト。これらの項目をすべて併せ持つのがスターリンです。スターリンは大粛清しまくりましたし、ある意味狂っていました。猜疑心の塊です。バカというよりもずる賢く、臆病者です。ですから、少し
キャラのコンセプト1欧州のギタリスト:ギター(隠れキリシタン)×タロット(セフィロト)。非武装中立戦争主義+大和守安定×獅子王2日本のデイトレーダー:今日は株式信用で+1.4、指数先物取引で+1.2、ネットショッピングで-1.2、買い物で-0.8。獲得予算執行主義+オシント×エクストリーム読書3米露の小説家:カテゴリ・レオ(トム・レオ・クランシー+レオ・シュトラウス)×(レオ・トルストイ+レオン・トロツキー):猟官式一夫多妻制+賢者タイム4中国の軍師:易姓革命(太公望+諸葛亮孔明+毛沢東
レフ・トロツキー【敵督】出典:フリー百科事典Wikipediaレフ・トロツキー出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動ソビエト連邦の政治家レフ・トロツキーЛевТроцкийレフ・トロツキー(1929年)生年月日1879年11月7日出生地ロシア帝国、ヘルソン県没年月日1940年8月21日(60歳没)死没地メキシコ、メキシコシティ現職政治家編集者所属政党ロシア社会民主労働党スイス社会
今回は極左の1つである革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)について説明します。1963年に革命的共産主義者同盟が分裂し、中核派と革マル派が誕生しました。両派は共にトロツキー主義に基づく世界革命を主張しています。両派の思想はほぼ同じです。革マル派は表だった行動よりも共産主義の理論学習や組織拡大に重点を置きます。60年代の後半の学生運動には革マル派も参加していました。しかし、機動隊の東京大学バリケード封鎖の時に組織温存を行うため革マル派は退却しました。これ以降、革マル派は中核派と