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株やその他の金融商品で何にカネを預けるか悩んでいる人有望な投資先が出現したセゾン投信を追われた中野晴啓氏が起ち上げたなかのアセットマネジメントが運営する投信なかの日本成長ファンド間もなく楽天証券から売り出す積み立て王子の愛称がある氏だテレビで推奨する銘柄なども確実に当ててきた経緯があるスパークスやsonyも株主に連なる先ず以て安心だろう他にはウェルス・ナビも良いと思うが吾輩は自分で個別銘柄を買いまくるがな
スパークス。掴みどころの無いグループですね。スパークスで私の手元にあるのは、PropagandaとNo.1inHeavenの2枚だけ。No.1inHeavenは一時期ヘビロテの愛聴盤でした。近年になって、ストリーミングでタダで(無償じゃないんだけど)彼らの未聴のアルバムを落穂拾いするようになりました。スパークスというグループは実態が掴みにくいというか、固定的な音楽のスタイルを持ちません。常に変容し、変わり続け、同じスタイル、似たような音楽を作り続けません。時代時代によって
いまの運用成績は円安の影響も大…楽天証券の”中の人”に聞く「NISA・オルカン一択で大丈夫?」(FRIDAY)-Yahoo!ニュース>すでに【オルカン】や【S&P500】の積立投資をしている人で、もう少しリスクを抑えて効率的に運用したいという人には、国内株式の「アクティブファンド」を組み合わせることを提案する。FRIDAYデジタルより引用まず、リスクを抑えて運用という表現自体どうかな?と思われるが、まあディスってばかりじゃアンフェアなので聞き流そう。また、コストに関しても
監督・脚本レオス・カラックス原案・音楽・脚本スパークス(ラッセル・メイル、ロン・メイル)撮影カロリーヌ・シャンプティエ編集ネリー・ケティエ出演アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク2021年度製作国フランス/ドイツ/ベルギー/日本/メキシコ上映時間2時間20分1970年にメイル兄弟によって結成され、昨年もライブ活動で来日する等現役で活躍しているロックバンドスパークスのオリジナル曲と原案を基に、斬新な映像表現でカルト的な人気を誇るレ
スパークスは21世紀に入ってからも大変充実した活動を続けています。こんなバンドは数えるほどしかありません。本作品は前作から2年を経て発表された21作目のアルバム、「エキゾチック・クリーチャーズ・オブ・ザ・ディープ」です。順調なことこの上ありません。この作品の最大の話題はそのライヴ初お目見えのされ方です。2008年6月13日にロンドンで初披露されたのですが、そこに至る5月16日から6月11日までの間、「スパークス・スペクタキュラー」と称する過去作を演奏するライヴが行われたのです。それも過
とうとうスパークスのアルバムも20作目を数えることになりました。デビュー・アルバムの「ハーフネルソン」から35年、その間、激しい紆余曲折はありましたが、ロンとラッセルのメイル兄弟は仲良く仕事を続けています。こうなるともう尊敬しかありません。ロンによれば、前作「リル・ベートーヴェン」で人々の目を覚まさせるような作品ができたので、次のステージに行きたいと考えて、それが実現したのが本作品「ハロー・ヤング・ラヴァーズ」であるということです。前作からは3年と少しの時間が経過しています。前作ではア
ウィー・アー・忍者/フランク・チキンズRVC/KAZRPS-154なんか安っぽいテクノポップみたい。サビの、あんたも忍者私も忍者目つぶし投げてどろんどろんは耳につく。この二人組、スパークスの『キモノ・マイ・ハウス』の人達とばっかり思ってた。(本当かどうかは知りません)
2021年に公開されたスパークスのドキュメンタリー映画「スパークスブラザース」がネットフリックスで公開されました~しかも日本語の吹き替え版ですロン兄さんとラッセルの生い立ちから現在まで、いかに音楽シーンを駆け抜けてきたか?とか、合間にスパークスに関わった元メンバーやマネージャー、プロヂューサーに至るまで多くの人のインタビューメッセージがあり、見応えたっぷりでしたデビュー当時から変わり者扱いされたりしましたが、一部のカルトなファンから支持され、徐々に人気が出てきました。
スパークスによる通算19作目のスタジオ・アルバム「リル・ベートーヴェン」は自身も認める代表作になりました。ロンとメイルのラッセル兄弟にとって「大きな音楽的転換点」となった作品だとして、メディアを中心に高い評価も集めました。しぶとく生き残ってきたスパークスです。この頃にはこれまで冷たかったメディアもスパークスを尊敬のまなざしで見るようになりました。関係者によれば、みんなとにかくスパークスのことを褒めたがっていたのだそうです。潮目は変わりました。実際、本作品は「これまでのシンセポップやエレ
23年の曲特集、ここでロック・シーンに戻って来ます。個人的には、ほんと、何十年ぶりにゲットしたスパークスの新作からのピックアップ。個人的には全くフォローしていなかったのですが、21世紀に入ってもコンスタントに新作を発表していたようで、このアルバムは20年以来となる3年ぶりのアルバムでした。15年にフランツ・フェルディナンドとのコラボ作を発表。その後、17年、20年、そして今年と新作を発表し、いずれもUKアルバム・チャートでベスト10に入っているようです。デビュー当時から
スパークスの3年ぶりのアルバム「ボールズ」です。オリジナルのCDジャケットはシンプルなデザインながら、赤緑青黄黒のバージョンが存在するというコレクター泣かせのアイテムです。本人たちが登場しないのは久しぶりのことでした。本作品は過去の楽曲のリメイク集となっていた前作よりも、その前、スパークス復活となったアルバム「官能の饗宴」の路線を引き継いだシンセ・ポップ・アルバムです。各楽曲は長くても5分程度とフォーマットからしても見事なポップ・ソングばかりです。クレジットされているミュージシャンはロ
閃光を放ち続ける変人たちスパークスは、ボーカルのラッセル(弟)がロックスターでキーボードのロン(兄)が詐欺師みたいな、兄弟によるロックバンドというかユニット。ロック好きなら名前は何となく聞いたことがあるんじゃないかと思う。何しろ1970年頃にデビューしてから50年以上も休まずに続けている。長く音楽を続けていても、枯れたり、立派になったり、伝統芸能になったり、実験的すぎることがなく、まだ誰も聞いたことがないポップで変な音楽を今でも更新し続けている、最高のミュージシャンだ。ジョン・レ
前作「官能の饗宴」で復活を遂げたスパークスの次なるアルバムはセルフ・カバー集になりました。題して「プレイジャリズム~盗作の世界」です。何とも皮肉な題名です。正真正銘自分たちのオリジナルなのに「盗作」、スパークスらしい題名の選び方だと思います。タイトルの皮肉からも分かる通り、ロンとラッセルのメイル兄弟にとって本作品の企画は不本意なものでした。ロンは本作品を「もっと強ければ受けなかった」企画だと後に告白しています。常に前しか向いていないスパークスにレトロスペクティブは似合いません。雄々しく
11月14日に生誕101周年を迎えるヴェロニカ・レイクの映画をご紹介しています。(1922年11月14日生誕-1973年7月7日死没)■VeronicaLake1922年11月14日-1973年7月7日父親はオランダ・アイルランド系。母親はアイルランド系。フロリダの高校に通った後、ビバリーヒルズに移り、演劇を学ぶようになる。1939年に端役で映画デビュー。監督のジョン・ファローが、彼女の右目がいつも髪の毛で隠れていることに気づき、それ以降その姿がトレードマークとなった。
スパークスの実に6年ぶりとなる新作「官能の饗宴」です。しかし、この邦題は何なんでしょうね。原題は「グラテュイタス・サックス&センスレス・バイオリン」、おそらくはこの「サックス」を「セックス」と読み間違えたのではないでしょうか。記念すべき作品なのに散々です。前作を発表した後、スパークスは一時的にレ・リタ・ミツコとバンドを組んでシングル「シンギング・イン・ザ・シャワー」を発表し、フランスでそこそこのヒットを記録しています。しかし、その後、レコード契約は途絶え、しばらく自身の音楽を発表することは
前作から約2年ぶりに発表されたスパークスの15枚目のスタジオ・アルバム、「インテリア・デザイン」です。今回は地元ロサンゼルスのスタジオでの録音となっています。久しぶりにロンとラッセルのメイル兄弟がジャケットに登場しない作品です。本作品は米国ではファイン・アートなるレーベルから発表されました。調べてみるとこのレーベルはライノ・レコード傘下にスパークスのために作られたレーベルのようです。しかし、ここからは本作品とここからカットされたシングル曲のみのリリースです。そうなんです。これまでレーベ
スパークスはロス制作の前作が不調だったことから、「イン・アウター・スペース」を収録したベルギーのスタジオで再び楽曲を制作することにしました。スパークスの影響が顕著なシンセ・ポップ・バンド、テレックスのメンバー、ダン・ラックスマンのシンサウンド・スタジオです。ここで制作した楽曲が「チェンジ」です。前作の不調でアトランティック・レコードとの契約が終了しており、この時点でスパークスはレコード・ディールがありませんでしたが、めでたく英国のロンドン・レコードが「チェンジ」をシングルとしてリリースする
毎回兄弟がさまざまな扮装で楽しませてくれるスパークスです。兄がぼけとなることも多いですが、本作品では兄のロン・メイルが人形師、弟のラッセル・メイルがパペットとなって、兄弟の力関係を素直に表現しています。妙なシリアスさが漂います。本作品はスパークスのアトランティックへの4作目、通算13作目のアルバム「プリング・ラビッツ・アウト・オブ・ハット」です。前作での成功を足掛かりに、スパークスの全米での人気を確固たるものにしたいとするレーベルの期待を担ってのアルバムです。アトランティックはプロデュ
スパークスのアトランティック・レコードからの3作目、全体では通算12作目のアルバム「イン・アウター・スペース」です。ここのところ、バンド・メンバーも安定しており、年1回の順調なペースでアルバムを発表してきたスパークス、ついに全米でブレイクしました。本作品からのシングル「クール・プレイス」が全米49位のヒットを記録したんです。前作からの「アイ・プレディクト」が60位と予兆はありました。まだまだトップ40とまではいきませんが、スパークスとしては大きな成功です。MTVでもそのMVが大いに流れてき
今では「アンガスト・イン・マイ・パンツ」とされていますが、発売当初は「パンツの中の用心棒(ゾウさんの悩み)」と邦題がついていました。あんまりです。スパークスはいじってよし、という申し合わせがあったとしか思えません。「ゾウさん」はないでしょう、象さんは。しかし、本作品のジャケットやシングル・カットされた「アイ・プレディクト」のMVを観れば、レコード会社のスタッフがスパークスをいじってよいと考えたとしても責められません。スパークスは常識外れです。お兄ちゃん、そこまでやるかという狼藉ぶりです。
ロンとラッセルのメイル兄弟は自分たちが狙っていないところで人気が出ることに気づき、それではということで、バンドを再編成することを選択しました。時はニュー・ウェイヴ時代ですから、バンド形態には逆風が吹いており、逆張りといえそうです。そこで、兄弟はロサンゼルスのコーヒー・ショップで知り合ったベイツ・モーテルなるバンドを雇いあげます。ギター、ベース、ドラムの典型的なロック・トリオです。ロスで6週間のリハーサルを行って手ごたえを感じた彼らはミュンヘンに飛んでレコードを制作します。それが本作品「
ジョルジョ・モロダーと組んで意欲的な作品「ナンバー・ワン・イン・ヘヴン」を発表したスパークスは続くアルバムでもモロダーと組むことを希望しますが、多忙なモロダーの時間がとれず、やむなく別のプロデューサーを立てることとしました。白羽の矢がたったのは、モロダーがプロデュースしたドナ・サマーの「バッド・ガールズ」にてシンセサイザーを演奏していたハロルド・フォルターマイヤーです。モロダー人脈の人ですから、モロダーの紹介なんでしょうね。うっすらと継続性が確認できます。そうして出来上がった作品が本作
スパークスの8枚目のアルバム「ナンバー・ワン・イン・ヘヴン」は当時の音楽シーンに静かに深く影響を与えました。シンセ・ポップ、ニュー・ロマンティクスなどはこのスパークスがいなければ、登場するまでにまだまだ時間がかかったことと思います。アメリカに戻ったロンとラッセルのメイル兄弟は今一つぱっとしない状況に陥っていました。自らの音楽を改革する必要を自覚し、果敢な挑戦にうってでました。それはディスコの帝王ジョルジョ・モロダーとのコラボレーションです。当時としては驚くべき展開でした。この経緯が面白
ロンとラッセルのメイル兄弟は「ビッグ・ビート」が期待外れの成績しか残せなかったことから、またまたバンドを一からやり直すことにします。そして、前作に集まった三人のミュージシャンに引導を渡し、次の作品はザ・セッション・ミュージシャンと制作することにしました。出来上がった作品が本作品「イントロデューシング・スパークス」です。デビュー・アルバムでもベスト・アルバムでもありませんし、レーベル移籍後初のアルバムというわけでもありません。ここで「イントロデューシング」を使うのは皮肉でしかありません。
スパークスはイギリスで大きな成功を手に入れた後、アメリカに帰ることにしました。言葉が同じなのでイギリスに住んでも支障ないように思いますが、やはり違うんでしょうね。前作が思ったような手ごたえが得られなかったことからホームシックにかかった模様です。ロンとラッセルのメイル兄弟が帰国するに際し、イギリスで共に演奏したバンド仲間は置き去りにされました。そうして戻った当初はイギリスにわたる際に置き去りにした当初のメンバー、アール・マンキーとセッションを行い、「イングランド」なる曲を録音しています。
スパークスのアイランドでの3作目、通算すれば5枚目のアルバム「スパーク・ショー」です。原題は「インディスクリート」、直訳すれば「思慮に欠けた」とか「軽率な」とかそんな意味ですから、音楽のアルバム・タイトルとしては見事に訳しにくい言葉です。スパークスのメイル兄弟が使う言葉は十重二十重にひねってあり、そこに隠された意味を把握するには英語ネイティヴでも時間がかかる模様です。いくらでも深読みが可能であるということで、ここもまたスパークスが英国的であるポイントになっています。たとえば本作品の中で
「キモノ・マイ・ハウス」の大成功を受けて、わずか半年後に発表されたのがスパークスの四作目となる本作品「恋の自己顕示」です。この時期のスパークスはツアーで多忙な合間を縫って、本作品を短期間で仕上げるという猛烈な仕事ぶりをみせていました。新生スパークスはスタジオに入るたびにどんどん曲が出来ていったといいますから、ロンとラッセルのメイル兄弟とバックを固める英国人ミュージシャンとの相性は抜群だったのでしょう。やはりスパークスの音楽には英国が似合います。本作品は原題が「プロパガンダ」ですが、邦題
スパークスはデビューしたものの、発表した2枚のアルバムは商業的にはさっぱりでした。しかし、英国ではある程度の手ごたえを感じたのでした。スパークスのひねくれポップ感覚は確かに英国向きです。本人たちも英国の音楽にのめり込んでいましたし。ところが、英国でのプロモーション活動はレコード会社によって打ち切られてしまいます。あきらめきれないメイル兄弟が英国でのマネージャー、ジョンズ・チルドレンのジョン・ヒューイットに相談すると、ジョンは当時新興だったアイランドとのディールをまとめます。その条件の一
ロック/ポップス界に特異な位置を占めるバンド、スパークスのデビュー・アルバムです。後のスパークスらしからぬ地味なジャケットですけれども、中身はもうすでに完成品です。実にスパークスらしいサウンドが展開する素敵なアルバムになっています。本作品は当初、ハーフネルソンという題名、バンド名で発表されましたが、まるで売れませんでした。そこでレコード会社からの提案を受けてバンド名をスパークスとし、タイトルも変えて1年後に発売されました。その際、ジャケットも変更されています。会社の提案はスパークス・ブ