ブログ記事5件
私は多分人より、礼儀にうるさい。と言っても、マナー講座講師な訳でなく体育系で半端な知識の中でうるさいだけだから時々、自分で「うるさいよなぁ」と省みる事もある。そう、古くて固い煩さ。昭和の中でも古い方の。若い輩に「老害!」とか言われちゃうかもね。そんな事を考えてたらふと祖父の事を思い出した。大正生まれ、戦争を体験し腹巻の中に品物を隠し大阪まで通い、闇市から始めて会社を立ち上げた祖父。自力で15キロ近い距離、丸太を運んで家を建てた人。仕事においてもマメ家事におい
少し前から私はメロンソーダにはまっている。それがちょっと不思議でメロンソーダを飲みたくて飲みたくてしょうがないのだけど時々、飲むと気分がイマイチだったりする。ワクワクして買うのに、喜ばないのだ。添加物が気になってるから?でも、そんなん気にしてたら余計体に悪くなるんだから「美味しい!」って飲めばいいんじゃんと、割り切る。それでもなーんかスッキリしないでも時々、スッキリする時もある違いはなんだ?と思いながらきっと添加物云々に罪悪感があるだけなんだわと、片付けて
今日もありがとう。桜🌸綺麗ですね。どうしてだろう。自分の存在が薄くなってきているような気がする、そんな時。頑張っても、頑張っても消えそうになる感覚は減っていかない…減るどころか、次々と現れる。どんなに周囲に訴えても、声は届かない感じがするし叫べば叫ぶほど悲しさ、虚しさは増すばかりやしなぜか解決しないやん…?なんなん?この現実は…!だってその現実、自分が作ってるんだし。なんでわざわざ自分を悲しませる現実を作るのか。「私を助けて」と訴え構ってもらうために
本当に鬱に落ちる少し前誰に話しても私の話を最後まで聞いてくれる人はいませんでした。目の前にいる弱い私を受け入れてくれる人はほとんどなく元気な頃の私だけを受け入れて「あなたらしくないよ」「元気だしなよ」それしか言ってもらえなかったのが本当に辛かった。そのうち相手が望むように相手のアドバイスで元気になったように振る舞い相手を満足させ結局最後には相手の話を聞き相手の悩みを解決して帰るようになった。そんな状態にうんざりしてどんどん人に悩みを話す事が減っていきました
人は間違いに気づきたくないものだ自分が歩いてきた人生自分が頑張ってきた事自分が作り上げた「自分を守る方法」親に教えられてきた事が違っていたと認めるのは「がっかり」を伴うからだ。もしかすると、少々どころではないかもしれない。でも間違いがないと正解が見出せないから間違いを経験するように人生はできてる。ピンときたらそれでもう、ほとんど方向転換はできてる。大切なのは気づくこと。がっかりしたらがっかりだよぉぉ!ってなんだよぉぉぉ!って叫ぼう。湧いてくる気持ちを叫