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ルイ7世について『アラゴン王家の亡霊たちの呟き』で書いているのですが、調べていてルイ7世とシャルル7世は共通点が多いということに気が付きました。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.daysneo.comシャルル7世とルイ7世の共通点です。・どちらも名前の後ろに7世がつく。・兄がいたため、最初は後
デュノワ伯ジャンの肖像画です。『ジャンヌ・ド・リュクサンブールの告白』でジャンヌがシャルル王子と面会するために修道院へ行き、ジャンと話をする場面を書きました。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.daysneo.com私の想像では、子供の頃のジャンは勉強が大嫌いで騎士を夢見る明るく活発な子
1427年の今日、2月23日ジャンヌ・ダルク百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスを救うため立ち上がった少女フランスの重要拠点オルレアンを解放したことにより「オルレアンの乙女」と呼ばれ後に「救国の聖女」となった。肖像画はこちら。1412年1月フランス東部の小さな村ドンレミにて農家の娘として生まれたジャンヌ10歳の時、神の声が聴こえるようになり13歳の時ドンレミ村がイギリスの襲撃により多くの者が殺害されたジャンヌは神から告げられます。「シャルル王太子の元へ行き、フ
1427年の今日2月13日ジャンヌ・ダルク百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスを救うため立ち上がった少女フランスの重要拠点オルレアンを解放したことにより「オルレアンの乙女」と呼ばれ後に「救国の聖女」となった。肖像画はこちら。1412年1月フランス東部の小さな村ドンレミにて農家の娘として生まれたジャンヌ10歳の時、神の声が聴こえるようになり13歳の時ドンレミ村がイギリスの襲撃により多くの者が殺害されたジャンヌは神から告げられます。「シャルル王太子の元へ行き、フラ
1/26(金)1830最後の観劇。9列目センターブロック。本当にどまんなか。めっちゃ演者と視線が合ってドギマギ…上を見上げると、今日は3階のサイドも販売していたようですね。尻上がりに動員が上がっていくのは作品のポテンシャルが優れている証拠。回を重ねてきて、黒死病や、早駆けの場面にアドリブや遊びが生まれて、重い芝居が一瞬ほっこりするのも楽しみでした。そして今日最後の観劇を終えましたが、いろんな思いが渦巻いてまとまりそうもありません。悪女ってなんだろう国や時代によっても違うでしょう
『ジャンヌ・ド・リュクサンブールの告白』でオルレアン公の暗殺について書きました。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.daysneo.com暗殺の犯人は王弟オルレアン公ルイと対立していたブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)ですが、無怖公が暗殺という極端な手段を使ったのは、無怖公は若い時に十字軍に参加
おはようございますここ数日、何だか落ち着かない日々を過ごしていましたが。昨日福岡の父の病院から連絡がありまして…。父の容態が落ち着いたそうです。心配していた熱が下がり、酸素濃度なども落ち着いたとのこと。とりあえずほっとしました。23日に、かなりムリをして会いにいって本当に本当によかったです。やっぱり、父が大好きです。さて。日常生活に戻ることに決め、12月24日に劇団四季「ひばり」初日を、観てきました。満員御礼でした初日キャスト。さらにアップ❗うん、凄かったです、この作
NOVELDAYSで書いている『ジャンヌ・ド・リュクサンブールの告白』で、アルマニャック派について書くために調べていたら、偶然アルマニャック伯ジャン3世(ジャン1世の孫)がマヨルカを巡る戦いでアラゴン王フアン1世が率いる軍隊に敗北したという記事を見つけました。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.d
NOVELDAYSにたくさん小説を書いていて、総合PVが5万超えるごとにどの話のPVが増えているか順位と数を書いています。これはもう長く書いている長編の方が断然有利でPVも増えています。100PV増えたというのは100人の読者に読んでもらったというのではなく、1人の人がまとめて過去の話を10話も20話も読んでくれるからです。長編はそのような理由で更新していなくても読んでくださる方がいて自然にPVが増えているのですが、1話完結の短編はそうはいかない、1か月に10か20P
『ジャンヌ・ド・リュクサンブールの告白』でヨランド・ダラゴンとジャンヌがシャルル王子の教育について話している中、突然、アルマニャック派についてと話題が変わりました。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.daysneo.com最初私はこのまま小説でシャルル王子と従兄(異母兄?)のジャン君の成長を追う
『ジャンヌ・ド・リュクサンブールの告白』の中で主人公のジャンヌがヨランド・ダラゴンとシャルル王子の幼少期の教育について話しています。(Petronila)|作者ページ|NOVELDAYSNOVELDAYSは、講談社が運営するなんでもできる小説投稿サイトです。小説からチャットノベル、コラボノベルまで、多くの創作シーンに対応しています。novel.daysneo.comヨランド・ダラゴンは新しい時代の王は、ただ強くたくましくなって戦場で勇猛果敢に戦うよりも、教養や知性で
シャルル7世の肖像画です。ルイ6世の肖像画です。カペー朝のフランス王ルイ6世について調べていた時、シャルル7世といくつもの共通点があることに気が付きました。ルイ6世は父フィリップ1世の再婚で継母にいじめられ(殺されかけたこともあった)幼少期から大変な苦労をしています。父の死後フランス王として即位するもランスには危険で近づけず、オルレアンで戴冠式を行いました。継母の一族やその他諸侯との争いに苦しみながらもルイ6世は幼少期からの親友シュジェール(聖職者)
シャルル7世は、『勝利王』とか『よく尽くされた王』などと呼ばれています。それはそうでしょう。仏英百年戦争に勝って、自分が王様になるのに、ジャンヌ・ダルクを利用するだけ利用して、都合が悪くなると見殺しにしたのですから。日本なら、美少女萌えのオタクたちにネットで悪口を拡散されるぐらいで許されますが、当時の熱狂的なジャンヌ・ダルク信者は殺し屋をよこしそうな勢いです。なだめないわけにはいきません。当時、15世紀のヨーロッパではメディアの飛躍的進歩がありました。活版印刷の発明です。神聖ローマ帝国のグーテ
百年戦争と言えば、ジャンヌ・ダルクです。通説では、敗色濃厚のフランスに、救世主が現れた。百年戦争末期、神の声を聞いた少女、ジャンヌ・ダルクは王太子シャルルの陣に参上する。ジャンヌは家臣に紛れていたシャルルを見つけたことから、皆に信じられ、先陣を切って戦場に飛び出し、イングランド軍を次々と撃破する。しかし、戦いのなかで捕虜となり、イングランドで魔女裁判にかけられて火あぶりにされる。まあ、捕虜にされたのでということがありますが、実はこの時代には特殊事情があり、その辺がうやむやになっていることがあり
1429年の7月17日百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスそのフランスのランスの大聖堂にて戴冠式が執り行われました。国王の名はシャルル7世イギリスの侵略により権威を失っていましたがそのシャルルが何故、国王になれたのか?ある1人の少女の活躍があったからです。その少女の名はジャンヌ・ダルク肖像画はこちら。フランス東部の小さな村ドンレミにて農夫の娘で生まれたジャンヌだが10歳の時から不思議な声を聞き始める16歳の時、村がイギリスに襲撃された際声は告げた「ジャンヌよ。
1429年5月23日の今日救国の聖女ジャンヌ・ダルクがイギリス側のブルゴーニュ派の領土コンピェーニュにて捕われてしまいました。(真ん中で馬に乗るのがジャンヌ・ダルク)ジャンヌ・ダルク(FateApocryphaより)実際の肖像画はこちら1412年1月6日にフランスの東部にある小さな村ドンレミで農夫の娘として生まれたジャンヌ両親を手伝い、教会に通い明るい優しき子でした。10歳の時、ジャンヌは不思議な声を聴きます。「毎日、教会に通い良き子であり続けなさい。」ジャンヌは当
“シオノギ”と聞こえたところから、考察メモ調べると、塩野義製薬という会社のロゴこれは、分銅をモチーフにしていて信頼、正確、正直、を表している。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/分銅分銅-Wikipediaja.m.wikipedia.orgそして、分銅の形とはそもそも、蚕の繭を模ったものだった。蚕の繭とはhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/繭繭-Wikipediaja.m.wikipedia.org
私たちは一つの人生しか生きられないし、信じたようにしかそれを生きられないジャンヌ・ダルクジャンヌ・ダルク-Wikipediaja.wikipedia.org理想の人生を信じようそうすれば、理想の人生を生きられる。ジャンヌ・ダルクは、19歳でフランスの国民的ヒロインとなり人生を全うした。
昨日のちづこさんと渾さんとアフタヌーンティーの後、レトロな喫茶店に入った時にしていた話で。フランスの百年戦争を終結させたシャルル7世とジャンヌ・ダルクの関係が、南北朝時代の後醍醐天皇と楠木正成公の関係によく似ている、ということは、山岸凉子さんのレベレーション(啓示)(4)(モーニングコミックス)Amazon(アマゾン)715円${SHOP_LINKS}レベレーション(啓示)(5)(モーニングコミックス)Amazon(アマゾン)715円${SHOP_LINKS}
1430年の今日2月21日ジャンヌ・ダルク百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスを救うため立ち上がった少女フランスの重要拠点オルレアンを解放したことにより「オルレアンの乙女」と呼ばれ後に「救国の聖女」となった。肖像画はこちら。1412年1月フランス東部の小さな村ドンレミにて農家の娘として生まれたジャンヌ10歳の時、神の声が聴こえるようになり13歳の時ドンレミ村がイギリスの襲撃により多くの者が殺害されたジャンヌは神から告げられます。「シャルル王太子の元へ行き、フラ
2月にジャンヌ・ダルクに関わる出来事が3つありました。ジャンヌ・ダルク百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスを救うため立ち上がった少女フランスの重要拠点オルレアンを解放したことにより「オルレアンの乙女」と呼ばれ後に「救国の聖女」となった。肖像画はこちら。1412年1月フランス東部の小さな村ドンレミにて農家の娘として生まれたジャンヌ10歳の時、神の声が聴こえるようになり13歳の時ドンレミ村がイギリスの襲撃により多くの者が殺害されたジャンヌは神から告げられます。「シ
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。占いはあくまでも占いです。お気軽にお楽しみ下さい信じるか信じないかは、あなた次第です歴史については一応調べて記述しましたが、もしかしたら間違った部分があるかもしれません。鵜吞みにせずに、気になる方はお調べ下さいますようお願いいたします。また、歴史は諸説あります。あくまでも占いであり、歴史の検証ではありませんので、ご了承下さい。前回からの続きです※あくまでカードの解釈です
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。占いは、あくまでも占いです。お気軽にお楽しみ下さい信じるか信じないかは、あなた次第です歴史については一応調べて記述しましたが、もしかしたら間違った部分はあるかもしれません。鵜吞みにせずに、気になる方はお調べ下さいますようお願いいたします。また、歴史は諸説あります。あくまでも占いであり、歴史の検証ではありませんので、ご了承ください。今回も歴史シリーズです。ジャンヌ・ダルクとシャルル7世です
1429年の7月17日百年戦争にてイギリスに滅ぼされかけたフランスそのフランスのランスの大聖堂にて戴冠式が執り行われました。ジャンヌ好きとして更新忘れてた。(^◇^;)国王の名はシャルル7世イギリスの侵略により権威を失っていましたがそのシャルルが何故、国王になれたのか?ある1人の少女の活躍があったからです。その少女の名はジャンヌ・ダルク肖像画はこちら。フランス東部の小さな村ドンレミにて農夫の娘で生まれたジャンヌだが10歳の時から不思議な声を聞き始める16歳の時、村がイ
ジャン・フーケのTheHoursofEtiennneChevalierより。マギの礼拝L'Adorationdesmages.Heuresd'ÉtienneChevalier1452-60この本の左隣のページには解説が書かれている。それによれば,聖母の前に跪いている王カスパールは,フランス国王シャルル七世。緑の上着を着て,金色のfleur-de-lisアイリスの紋様の青い布の上に跪く。緑と白と赤が繰り返し現れる。後ろの武装した兵は王の近衛兵。背景の戦いは,ソド
デユノワ指揮下のフランス軍が平野に集結したイングランド軍の正面に対峙すること約1時間。イングランド軍は、ボージャンシー(Beaugency)、ムング(Meung)、ジャルジョー(Jargeau)などロワール河流域の街の駐屯部隊に合流するため撤退を開始した。フランス軍の何人かの指揮官は士気の落ち込んだイングランド軍を攻撃して撃滅すべきだと提言したが、ただちにジャンヌダルクは今日は日曜日なので戦闘は禁じますと主張して攻撃を止めさせた。イングランド軍は多大な損害を被ったが負けたわけではなかった。
1431年の5月30日百年戦争にてフランスの希望オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルク彼女は火刑に処された。彼女はどんな気持ちで最期を迎えたのか?17歳の時に神の声を聴いてフランスを救うために立ち上がり戦ったそしてフランスの王位継承者シャルル彼を国王にまでしたランスで執り行われた戴冠式は希望の光に満ちただろう実際の肖像画はこちら。真ん中で旗を掲げ右手に剣を持つのがジャンヌだがシャルルは密かに敵イギリスと手を結び和睦しょうとしたそのため、何箇所かの村はイギリスからの侵略にあう