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今回は朝食付のプランです。一人旅で気ままに外食していると野菜が不足するので、最近は好んで朝食バイキングを活用(^-^)7時からだというので、10分過ぎに行ってみましたが、まだ準備中(^◇^;)さらに10分くらい待って、朝食会場に入れました。と言っても私一人だが。ほかにも泊まり客はたくさんいたから、日本だったら大混雑!と思ったのですが。明日は8時近くになってから食べにこようかな。高級ホテルの朝食バイキングはどこも似たようですが、安い宿は当たり外れがあって楽しいです。中華とマレー
テレビ好きなので、旅先でもよく見ます。ことばがわかってもわからなくても、面白いと思います。テレビショッピングでは日本と同様にキッチンや家電製品をよく見かけますが、イスラム女性がかぶっているアレははじめてみたので、思わずパチリ。お祈りをはさんで、また宣伝。ネットでも注文できるよとか言ってるらしい。
両替してほっと安心。歩き始めたところで、ローカルな店が並ぶフードコート?を発見。NasiAyam(チキンライス)RM5コーヒーRM2合計RM7でした。閉まっている店が多い気がしたけど、大晦日だからかしら。
KLやJB(ジョホールバル)などの大都会では、ショッピングモールにレートのいい両替屋が入っていることがよくあります。ここでもそうかと、古びたモールに入ってインフォメーションで聞いてみたら、ここにはないけど、あっちにあるよ、とわざわざ建物の外にでて案内してくれました(^o^)両替屋のお兄さんたちも感じがよくて親切。その前に、バスターミナルでもちょっとお尋ねしたら、やっぱりすごく親切💕初日から好感度アップのコタバルです。両替は、10000円がRM373、逆数をとるとRM1=約26.81円
コタバルに着きました。空港はこんな感じ。ガラス越しなのであれですが。小さな地方空港です。向かい側にマレーシア航空機が見えました。マレーシアには13州と3つの連邦直轄領(クアラルンプール、ラブアン、プトラジャヤ)があります。私はマレーシアが好きすぎて、気がついたら、けっこうあっちこっちに滞在していました。いっそのこと、全州に足を踏み入れてみようと考えて、乗り鉄を兼ねたりしながら、せっせとマレーシアに通っています。連邦直轄領は全部行ってしまったし、州もあとはクランタン州とトレンガヌ州を残すだ
77年前に日米開戦となった日。真珠湾攻撃(日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争における南方作戦の一環として、開戦劈頭でマレー作戦に次いで実施された。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。
1941年12月2日大本営が「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文により戦艦アリゾナを主標的とした真珠湾攻撃を訓電発令。1941年(昭和16年)11月1日、東條英機内閣は大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領を決定し、要領は11月5日の御前会議で承認された。以降陸海軍は12月8日を開戦予定日として真珠湾攻撃を含む対英米蘭戦争の準備を本格化した。11月13日、岩国航空基地で連合艦隊(南遣艦隊を除く)の最後の打ち合わせが行われた。司令長官の山本五十六
いつもありがとうございます😊サラスヴァティに導かれて。コタバルから世界遺産の街マラッカそしてクアラルンプールに行きました。クアラルンプールはヒンドゥー教徒の人が、沢山いました。イスラム教、そして中華系の人。多民族国家ですね。もともととても古くは、日本はかなりの多民族の集まりなのだと感じています。文化を上手く融合させながら、自然に一つにまとまっていく。そんな民族が日本人なのかな〜と、旅をしていると強く感じます。なかなかブログが更新できていませんが、楽しく旅は続いていま
いつもありがとうございます💖サラスヴァティに導かれてマレーシアに来ています。国境を越えてマレーシアの北の東の街。コタバルに入りました。マレーシアはイスラム文化圏。コタバルはイスラム文化色が色濃い街でした。広ーい広ーい海岸があり、貸切り状態に‼︎もちろんシンギングボウルを鳴らしましたよ😊何処までも広がる海と空。カプセルの中にすっぽりと包まれている感覚になりました。地球さんは、お空に包まれて何かに守られているのだなぁ〜言葉では上手く表現出来ない感覚です。コタバルのロー
「ネタを探しながら旅をするって疲れませんか?」と聞かれました。疲れます。でも、それは肉体的なことかなぁ。歩いていることが多いから。僕の場合、さまざまな能力が不足しているせいか、ネタを探していると何も出てこないんですよね。だからライターの仕事は、僕のところには、ほぼきません。体験を綴るエッセイの依頼のみなんですよね。エッセイであれば、その土地に1週間も滞在していれば何かしらやってくるんですよね。こんな風に。まぁ、それでも出てこないこともあります。その時は、ご縁がなかったなぁと
いつもありがとうございます😊サラスヴァティ巡礼の旅後半が始まっています。タイバンコクから寝台列車に乗りタイの最南端へ行きました。スンガイコロク列車の旅は、景色を見ながら南に南に揺られて進みました。列車が停車する度にいろいろな品物を売りに駅から人が乗ってきます。お土産にする焼き菓子ケーキアイスコーヒーやティージュース屋台で食べるようなご飯もね。なんだか面白かった〜‼︎そして、人生初の寝台列車途中でベッドメイキングをしてくれてそのまま眠りの世界に、、
夏やすみ明け何だか落ち着かない…大自然の中で思いきり深呼吸したい…吸って吐いて吸って吐いてこのリズムは万物共通!
まだ途中ですが、駒が出来上がったので試しの対戦をしょうと思います。状況設定は昭和16年(1941年)12月8日マレーシア北部コタバル、タイ南部シンゴラとパタニ周辺日本軍は第25軍を中心に近衛師団、第5師団、第18師団。英連邦軍は、マレー軍を中心にマレー第3軍英印第9師団、英印第11師団、オーストラリア第8師団、英印第12旅団、英印28旅団。駒の配置は下の地図の様に。シンゴラ、パタニ、コタバル周辺。手順は簡易的に、移動、戦闘で試してみます。第1回目(タ
何度も日程調整して、やっとこ決まりました🎵今年も行くよ。あの島へ野性味あふれる、あの島へ
今日はコタバルに日帰り出張。ファイアーフライという格安航空で飛びます。家から近いスバン空港出発。スバン空港は狭いので、ギリギリに行っても大丈夫。ということで、6時50分の飛行機だけど、6時に家を出ました。スバン空港到着は6時15分。預ける荷物もないのでそのまま手荷物検査へ。チケットを見せると、これはボーティングパスじゃない。カウンターで手続きしてきて!おっ。そちらのパターンでしたか。ちょっと焦る。小走りでカウンターに向かい、搭乗券を発券してもらい、再度荷物検査
クアラトレンガヌからコタバルへかつての日本軍がこのコタバルからマレーシアに上陸し二輪を使ってマレーシアの熱帯雨林を南下しイギリスが統治していたシンガポールを統一したことで知られていますコタバルはタイとの国境も近くタイ語表記の看板も目につきます
マレー半島の東海岸にある小さな街クアラトレンガヌというマイナーでよくしられていない街に去年滞在しましたコタバルはかつて日本軍がマレー半島に上陸地として有名ですコタバルの南に位置するこの街はタイラント湾に面しており中華系の人がおおく住んでるようですそれほど大きくないチャイナタウンもありますあまり観光目当てくる人もいなくマレー半島を旅するバックパッカーがたまあによったりするそうですこの町にある空港から離島に行く便がでておりあくまで中継でよるのが一般的でですが、こ
おひさしぶりです!旦那さんが急にお休みをもらいKLに行ったりバタバタしてて投稿できませんでしたこの間のお話ですが、この前コタバルでできたマレーシア人のお友達に案内してもらいながらずっと行ってみたかった場所に行ってみましたセントラルマーケットネットでもコタバルに来たらここに行くべきと書いてある場所です。3階あり1階:野菜やお肉2階:香辛料等3階:衣類やカバン等がありました:)普段行くスーパーではみられないものもたくさんありました!臭いが少し気になりましたが
7年前のマレーシア旅行(2度目)。コタバル(半島部北東端)にまる2日滞在したので、2日目に半日使い郊外のビーチを訪ねました。イスタナバトゥ近くのミニバスステーションから10番のPantaiCahayaBulan(PCB)行きに乗ります。30分ぐらい待つと発車し、程良い乗車時間(約30分)で着きました。朝10時頃とあって、がらんとしていました。店は開いており、黒猫さんが一番客のよう。まったりと砂浜歩きができました。訪問日2010年10月9日(土)フナ甘露煮
節分ですね昨日の朝から旦那さんはマラッカへ試合をしに行きました!旦那さんはスポーツ選手で今マレーシア🇲🇾のチームと契約をしており、その関係でマレーシアに住んでいます〜!去年はシャーアラムに、今年はコタバルに住んでますコタキナバルじゃないですよコタバルっていうど田舎です!笑2年ほど前にイオンができたみたいで行くところはイオンくらいです!笑カフェ巡りが好きな私ですが、シャーアラムに住んでた時はKLでカフェ巡りしてて、本当に沢山あったんですが、ここでも、もちろん!
コタバル→グアムサンへのアクセスーマレーシア編ーコタバル→クアラルンプールへ行く途中にあるグアムサンへ行ってきましたー。コタバル→クアラルンプールへの直通バスもあるのですが、バスで8時間の移動で疲れる+着いても高い宿に泊まるだけになるので、グアムサンで1泊することに。先ずは移動ルートよりご紹介Twitterからのリンクやネット検索でこちらの記事が表示された場合、Googleマップの表示並びにデザインの一部が表示されません。(ネット検索では検索一覧に【
(ペルヘンティアン島)→クアラブス→コタバルへのアクセスーマレーシア編ー前回、ペルヘンティアン島からクアラブスへ帰って来ましたが、その続きですTwitterからのリンクやネット検索でこちらの記事が表示された場合、Googleマップの表示並びにデザインの一部が表示されません。(ネット検索では検索一覧に【amp】やのようなマークがあるものです。この場合、URLの【gamp.】を削ると通常表示されます。)(ペルヘンティアン島)→クアラブス
コタバル→クアラブス→ペルヘンティアン島へのアクセスーマレーシア編ー今回はいよいよ本当に行きたかった目的地《ペルヘンティアン島》に行ってきましたTwitterからのリンクやネット検索でこちらの記事が表示された場合、Googleマップの表示並びにデザインの一部が表示されません。(ネット検索では検索一覧に【amp】やのようなマークがあるものです。この場合、URLの【gamp.】を削ると通常表示されます。)2017年10月5日〜2017年10月7
ランタウパンジャン→コタバルへのアクセスーマレーシア編ータイ国境近くのマレーシアのランタウパンジャンより南へ40kmのコタバルへ行ってきました。マレーシアの島巡りの為の中継地として寄っただけですので、滞在は1日ですTwitterからのリンクやネット検索でこちらの記事が表示された場合、Googleマップの表示並びにデザインの一部が表示されません。(ネット検索では検索一覧に【amp】やのようなマークがあるものです。この場合、URLの【gamp.】を削ると通常
移動ルート(スンガイコロク→中省略→クアラルンプール空港)ーマレーシア編ー今回はマレーシア国内をどのようなルート及び交通手段で移動したのか、簡単に記載しております1リンギット=¥28で計算(2017年10月3日現在)スンガイコロク→ランタウパンジャン→コタバル→クアラブス→ペルヘンティアン島→クアラブス→コタバル→グアムサン→クアラリピス→クアラルンプール→クアラルンプール国際空港スンガイコロク→ランタウパンジャンへのアクセスタイの国
オススメのご飯ーマレーシア編ーマレーシアのご飯は基本的にボリューミーそして、インドや中国からの移民も多い為、カレー店や中華レストランも沢山。マレーシアで食べた美味しいオススメのご飯を紹介していきます1.ナシゴレンUSAナシ(ご飯)、ゴレン(揚げる)の意味。ナシゴレンの上に目玉焼きが乗っており、付け合せにお肉と野菜の炒め物があります。炒め物はオイスターソースっぽいコッテリ味。日本人好みの味つけです2.トムヤムチキンタイで食べたトム
1941年(昭和16年)11月1日、東條英機内閣は大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領を決定し、要領は11月5日の御前会議で承認された。以降陸海軍は12月8日を開戦予定日として真珠湾攻撃を含む対英米蘭戦争の準備を本格化した。11月13日、岩国航空基地で連合艦隊(南遣艦隊を除く)の最後の打ち合わせが行われた。山本長官は「全軍将兵は本職と生死をともにせよ」と訓示するとともに、日米交渉が妥結した場合は出動部隊に直ちに帰投するよう命令した。これに
今日は短めに。と言ってもなんでかっていうと、実は開戦日だから。この何十年前には戦争が起きていた。もう二度とあんなような戦争はしてはならないと思う。真珠湾、コタバルなどに奇襲などしなければ戦争は起きなかったと思う。だから、みんなは今を生きていられることを誇りに思ってほしい。そんな私の願い。おやすみなさい。しゃらだR_Kitakami↓Ifyoudonotmind,pleasefollowme.https://mobile.twitter.com/13b4rota