ブログ記事99件
クランタン(Kelantan)州のコタ・バル(KotaBharu)●クランタン州の州都がコタバル●クランタン(Kelantan)はマレーの比率高い●方言はクランタン弁で標準マレー語では通じないことも多い●コタバルへの行き方は2方法●コタバル空港●コタバル空港⇒市内は空港タクシー使うしかなし(追記有)●コタバルに日帰り・・2017-1-12●今回のトラブルは帰りの便の遅延(乗客溜め?)●コタバル空港の遅延対応は面白かった●コタバルの代表的芸能はワウとワヤン・クリッ
今週の仕事も無事に終わって明日からお休み、競馬の時間です笑私、某競馬サイトにお気に入り馬を20頭ほど登録しておりまして、今週はそのうち3頭が出走予定です。日曜新潟2R3歳未勝利:コタバル数少ないカルストンライトオ産駒の3歳牝馬。お父さんに似たでっかい鼻白が特徴のグッドルッキングガール。今回がデビュー3戦目で、過去2走はいずれも中山のダート1200でブービーで敗れており今回も人気にはならなそうですが、初の平坦コースと芝で変わり身の一発を期待したいです。日曜新潟5R3歳未勝利
マスジッド・カンポン・ラウ(MasjidKampungLaut)・モスク●1,730建設のクランタン州最古のモスク●金属釘を一本も使わない希少な建築様式で全て木釘●モスクの基本は礼拝堂は非ムスリムは立ち入り不可(なんだが)●マスジッド・カンポン・ラウの行き方●2021-10にユネスコの世界遺産にノミネート*****************************地図http://bit.ly/2FRaxfjモスク見学時のマナーhttps://amba.to/37S
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでます。全寮制の中等学校で活動しているのですが、クランタン州コタバルは、金曜と土曜が休みです。週末私は、部屋掃除や洗濯したり、壁画書いたり、日本語ノートのチェックしたり、チャリで買い物いったり、など色々忙しいのですが、毎週金曜日の私の楽しみ。それは、この光景を眺めること。そう。『ピクニック』うちの学校は全寮制なので、700人近くの全生徒は家族と離れて寮生活をしています。もちろん、長期休暇は家に帰れますし、希望を出せば週末に外
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでます。マレーシアには果物がたくさんあります。私果物大好きなんで、マンゴーとかスイカ、ランブータンとか食べまくってました。あと、食べ慣れた梨やみかんもフツーに売っててマジでありがたい。美味いよねー。その中で『果物の王様』と言われているアイツ。そう、ドリアン。噂には聞いてました、このドリアン。臭くて食べらんないとゆー人、めちゃ好きとゆー人、色々います。コタバルに赴任当初、カウンターパートのS先生が「ドリアンの時期が来たら食べまし
7月11日だったのですけど、そんな気分にならなかったので、少し遅れての7周年です。例年と同じ趣向ですが、過去7年間でブログに掲載した思い入れのある写真を集めてみました。昨年5月から始めたポートレート写真。毎月1回程度、講座に出席しています。その中のお気に入り。2022年2月22日掲載です。場所はフランス山。モデルは野田和嗣先生主宰のフォトコミュニティ、#UngraphyのKyokoさん。Kyokoさん、いまは本業でバンコク転勤となりバンコク在住です。代官山のエスペラン
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでます。私たち日本語パートナーズは、現地の日本語教師(カウンターパート)のサポートをしています。私たちがメインで授業をすすめることはできないので、あくまでサポートです。これまでカウンターパートのS先生が学校を休んでしまった時、私がその代打をつとめてきました。『今度は』現在日本語パートナーズで、マレーシアのクランタン州コタバルにいます。私4月にコロナに感染しちまったんですけど、『ついに。』現在マレーシア滞在中です。ついに、コ…ameblo
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでます。私たち日本語パートナーズは、現地の日本語教師(カウンターパート)のサポートをしています。私たちはメインで授業を進める事はできませんが、たとえばカウンターパートの先生が休んでしまった時、その代打を務める事ができます。普段はカウンターパートのS先生とのんびり気ままに、お互いアイデアを出しまくって、生徒たちが楽しく日本語を学べるために試行錯誤してます。しかし、こないだS先生がコロナ後遺症の体調不良により不在となってしまい、生徒たちと
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでます。今、全寮制の中等学校の寮に住んでいるのですが、ありがたい事にめちゃ快適です。たまに他の人から、「えーっ、生徒たちと同じ寮に住んでんの⁈大変じゃない?」と聞かれることもあります。確かに、毎日毎日生徒と顔を合わせますし、部屋の外には常に生徒の気配が。でもでも、もちろん部屋には入って来ないですし、むしろそのガヤガヤ感がなんか安心する。あとね、1日5回爆音でアザーン(礼拝への呼びかけ)が聞こえます。早朝、正午、午後、日没後、就寝
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルに住んでいます。コタバルにある全寮制共学の中学校で、現地の日本語教師S先生のサポートをしています。普段は、授業や日本語クラブのサポート、文化紹介、日本人ここにいますよアピールをしています。それに加えて、現在取り組んでいるのが壁画。まずは教室の後ろ。大きな壁があります。S先生は以前から『生徒たちが来たくなるような、まるで日本に来たかと思うような教室にしたい』とずっと思っていたと。でも仕事が忙しくてできなかったと。「ここに日本っぽい絵を描
現在日本語パートナーズで、マレーシアのクランタン州コタバルに住んでいます。私、マレーシアに来てから4月頭にコロナに感染し、そんでもってまさかの入院までしてしまいました。『ついに。』現在マレーシア滞在中です。ついに、コロナに感染しました。はぁ〜。そう、感染しちまいました。そうです、例の、依然世間を賑わせております、あのコロナです。かかって…ameblo.jp『ついに。2』現在、日本語パートナーズでマレーシア滞在中です。『ついに。』現在マレーシア滞在中です。ついに、コロナに感染しました。はぁ
現在日本語パートナーズで、マレーシアのクランタン州コタバルにいます。私4月にコロナに感染しちまったんですけど、『ついに。』現在マレーシア滞在中です。ついに、コロナに感染しました。はぁ〜。そう、感染しちまいました。そうです、例の、依然世間を賑わせております、あのコロナです。かかって…ameblo.jp『ついに。2』現在、日本語パートナーズでマレーシア滞在中です。『ついに。』現在マレーシア滞在中です。ついに、コロナに感染しました。はぁ〜。そう、感染しちまいました。そうです…ameblo.jp
このところ、旅行が続いていたうえに、バーベキューパーティーにゲストを招いたりしていたので、ずっと週末がバタバタしていました。今週ようやくほっと一息、というところ。このまえ、コタバルへ行ってきました。こちらKL(クアラルンプール)とは雰囲気が全く異なります。街中や看板はほとんど、マレー語とアラビア語の表記で、主な文化や宗教がちがうんだなーとつくづく。おなじ国内なのに、地域や地方によって文化や雰囲気がガラッと変わるのが、マレーシアのおもしろいところ。
現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルにいます。私のカウンターパートであるS先生は10年以上のキャリアのあるベテランの日本語教師。前にも投稿しましたが、『良い授業、良い先生とは』現在日本語パートナーズで、マレーシア滞在中です。マレーシアのコタバルという街の、全寮制の中学校で「日本語を教えている現地の先生のサポート」をしています。私のカ…ameblo.jpマジで感心するほど、授業が臨機応変に楽しくすすんでいきます。私たち日本語パートナーズは、あくまで『現地の先生のサポート役』な
現在日本語パートナーズで、マレーシアのクランタン州のコタバルという街にいます。連休に自分の街コタバルを巡り、『自分の街を知ろうの旅』現在日本語パートナーズで、マレーシアのクランタン州のコタバルという街にいます。今マレーシアは、約1ヶ月のラマダン(断食)が明けて(断食とゆーても夜の時間帯には…ameblo.jp『自分の街を知ろうの旅2』現在日本語パートナーズで、マレーシアのコタバルという街にいます。今はハリラヤ〔ラマダン(断食)後のお祝い〕で長期休暇中です。休暇の前半は、コタバルの観光地巡
1990年代中頃のマレーシア旅行記。後半です。マレーシアのディープ・ノース、コタバル。街からちょっと離れたパンタイ・チンタ・べラヒのビーチで泊まったホテル。高級でしたよ。でも街歩きが好きなタイプなので、街に泊まればよかったなと後悔。コタバルの街。伝統芸能保存センターのようなところでのアトラクション。ここでの思い出なのですが、民族衣装をつけたマレー人男性が近づいてきて、話しかけられました。「ここへはいつ来たの?」と。それがなんと完璧な関西弁で!
久しぶりの20世紀写真集から。1990年代中頃のマレーシア。マレー半島東海岸のディープノース、コタバルのセントラルマーケット。以前、yahooブログ時代に一度、この写真1枚だけ載せたことが有りますが、今回はこのときの旅行記の完全版。2回に分けてお送りします。このときの旅の目的地、コタバル。シンガポールからバスで3日かけて行きました。タイ国境に近く、人口のほとんどがイスラム教徒のマレー人。マレーシアでもっとも保守的でマレー色の強い街。女性たちはみな、少なくと
現在日本語パートナーズでマレーシアにいます。週末に赴任先のコタバルという都市に来ました。空港着いて、WhatsAppのやりとりはしてたけど、面識のないカウンターパートのS先生(女性)に少し緊張しながら連絡。「着きました!どこに行けばいいですかー?」「私も着いてます!どこー?」「出口ですー。タクシーが見えますー」「えっ、どこー?」「えーっと…」『(あっ、いた!)』お互いを見つけ、なぜかあははははと笑い合い、「どうも。初めまして!」本当は2週間前に赴任する予定が、コロナ感染&ま
大東亜戦争開戦は真珠湾攻撃だけではない。1941年12月8日のマレー上陸作戦を紹介する。マレー作戦(馬来作戦)は、1941年12月8日に大東亜戦争で日本軍が実施した南方作戦内のイギリス領マレー方面の作戦。南方作戦陸海軍中央協定で定められた作戦名称はE作戦。マレー作戦は大東亜戦争において全ての他の作戦に先行して攻撃を開始した。シンガポール島攻略を最終目標にしており、1942年2月15日にそれを達成した。1941年12月4日、三亜で作戦の全船団の出撃を
カンポン・ラウ・モスクが世界遺産にノミネートコロナ騒ぎでここ1年半KL市内さえも出かけてないこのモスクに行ったのは2017なので4年前だったんだ~懐かしいhttps://www.freemalaysiatoday.com/category/bahasa/tempatan/2021/10/16/masjid-300-tahun-kampung-laut-dicalon-tapak-warisan-kebangsaan-unesco/『●マスジッド・カンポン・ラウ・モスク』マスジッド・カ
KolaeBoatatTaloKapoBeach,Pattani出典:パッターニー|【公式】タイ国政府観光庁(thailandtravel.or.jp)タイ南部の錫銭は今回、最南部のパッターニー県まで来ました。最終回です。パッターニー県、ヤラー県、ナラティワート県は、元々パタニスルタン王国がタイに征服される過程で、分割されて生まれた県です。住民もマレー系が多く、発行されたコインもマレー半島の他のスルタン王国と同じようなスタイルのもので、タイのコインというより
こんにちは。9月も後半に入り今年も残すところ僅かになってしまいましたさて、本日は先日訪れたコタバルについてご紹介したいと思います【行き方】KLTBS→TerminalKotaBharu22:15発のバスに乗り、5:20頃に到着しました。10時間弱かかる予定でしたが、夜行バスはいつも予定よりも早く着きます。お値段は片道RM34=¥860。こちらは最安値だと思います。申し込みはいつもどおりEasyBookから。【散策】コタバルは観光地ではないので、これといってす
マレーシアのコタキナバルで食しました巨大なフードマーケットが有り其処で食したりテイクアウトで安宿で食したりコタキナバルからバスに乗って海岸へ行った真珠湾攻撃よりも少し前に日本軍が上陸した海岸線を見に行ったのだがそれはそれは長くてきれいな海岸線だったな驚いたコッピ飲ませる店が辛うじてあって一息ついたのでした観光客なんぞが行くとこでは無いですな/ガハハコタバルでは日がな一日駒廻している男たちが居ておもろい
やっと世の中が再起動し始めたこの頃ですね。しばらく自粛期間だったので、この間に色々お持ち帰り料理を楽しんでいました。まずは地元の旅館や小料理店など。割と近所の辰巳屋さん、ホタルイカがスーパーのと全然違いました。大和旅館のお弁当。豪華!なかなか手が出ないシックな純和食も、テイクアウトなら敷居は下がりますね。こちらはご主人がうちのお隣さん、焼き鳥前田さんプラス、義妹からの救援物資、蟹。庭で軽く焼き直しました。庭でビール飲みながら焼くのは最高です❤️次に通販。駅弁の淡路屋さん。
アジア経済ニュースNNAASIAは2020年05月20日に、地元各紙が2020年05月19日に、マレーシアの総延長約640kmのECRL(EastCoastRailLink/東海岸鉄道)の事業主体であるMRL(MalaysiaRailLinkマレーシア・レール・リンク)、クランタン州コタバル(KotaBharu,Khrantan)―トレンガヌ州ドゥングン(Dungun,Trengganu)間(210.4km)の建設工事について、陸上公共交通庁(APAD)から最終認可を取得し
タイ編を大変な思いをして書いているのだが、あと1つで終わりなのだが、やんどころない事情により、一旦次のマレーシアの鉄道の話題に写ろうと思う。さて、この記事は鉄道に乗れないとあるが、思い出してほしい。キリラッタニコム駅で列車に間に合わず、スケジュールが大幅に狂ったことに。そもそもキリラッタニコムからスラータニに出て、そのままスンガイコーロクへ、その日はスンガイコーロクで宿泊、翌朝にマレーシアに入ってコタバルへ向かってから、トゥンパッにバスで移動して夜行列車に乗る予定であったが、結局間に合わな
こんにちは!前回からの続きになります!前回はプルフンティアン島への行き方をUPしていきましたホテルはオンバックリゾートをチョイスしました泊まったホテル情報オンバックリゾートホテル2泊で2人で泊まりました。1人7700円程でした!島は割高な気がします!朝食つきでした!オンバックリゾートは島について降りた瞬間にすぐ目の前にあるのでホテルを探すことはほぼしませんでした最強にらくちんですまずついたらレセプションへ行きましょうやることはデポジットを50リンギット、日本円で150
こんにちは前回の記事で準備について書いていきました今回は最近行ってきたマレーシアのプルフンティアン島へのダイビング旅とクアラルンプールへの町歩き旅についてUPしていきますやっぱり海にいきたいでもクアラルンプールも多少はみたいよね!でもでもー安かったら最高!を全部叶えたい方の旅の経路としておススメです!今回私が目指した島は、プルフンティアン島と言う2つの島から成り立つ秘境の島と言われている島で、ダイビングやシュノーケルなどマリンスポーツが行える島です!運が良ければ、サメやカメに
6月1日~8日マレーシアの旅クアラルンプール→コタバル→船でPIR(プルフティン)お天気最高でした。イスラムの国で、島のホテルではビールがないので持参🙋(失礼いたします)ホテルの庭にはジャックフルーツがたわわに実っておりまして、落っこちそうでした。毎度お馴染み、スイカ🍉とバナナ🍌安定の美味しさです。観光客も少なく、ヨーロッパ系の方がチラホラといるくらい。のんびりするには最高のシーズンだなと思いました。バナナシェイク🍌誰もいなーいそうそうこの子も無事にみつけた。可愛いわ
昭和43年に書かれた、旧・元日本軍将軍によって書かれたドキュメンタリーがある。ちょっと読んでみたが、正確に伝える必要があるものがあるようなので、ここで要約してみる。コタバル上陸の時間は太平洋戦争の火ぶたを切った”大切”な問題なので、いろいろな資料(S43以前)から慎重に検討した結果、”一応”、日本時間の午前2時15分と”いうことにして”公刊戦史の方はまとめたと、防衛庁戦史室から筆者に連絡があったという。服部卓四郎氏大東亜戦争全史第二巻第一章の冒頭に「極東国際軍事法廷は、真珠湾攻撃が