ブログ記事53件
「はい、圭介さん」ひとみがピッツァをひと切れ、取り皿に入れてわたしの前に置いてくれた。「ありがとう」わたしはお礼を言ったが、お皿を置いた時にひとみの胸が揺れたのが気になった。服の上からでも、ひとみの胸が大きいのはよくわかる。身体は細いから、EカップかFカップぐらいあるかも知れない。ひとみの胸から視線をそらしたわたしは中川に話しかけた。「そういえば、兵頭さんは帰られたね」「えっ?ああ、オーナーですか?」この店ではみんな兵頭のことをオーナーと呼
「いやあ……今日のルージュバック、強かったですわ」中川は兵頭に話しかけながら背中のリュックを下ろし、カウンターのそばのテーブル席のイスの上にそっと置いた。何が入っているのかわからないが、大きくて重そうなリュックだ。「京都競馬場のゴール前で見てましたけど、鳥肌が立ちましたわ」「あれはモノが違うよ」兵頭がそう答えると、そこへ水を入れたグラスを三つ持った店長がやってきた。「ルージュバックはダービーに出ても勝てるかも知れませんね」店長はグラスをテーブルの上にそっ
店長が厨房からビールの入ったジョッキをひとつ持ってきてわたしの前へ置くと、店のドアが開く音がした。「こんちわー」男性の声に続いて、若い女性たちの話し声が聞こえてくる。「あー、お店の中は暖かいわあ。あかりちゃん、今日はめっちゃ寒かったなあ」「ほんまですねえ、ひとみさん」入り口のほうを振り返ると、青いダウンジャケットを着て黒いリュックを背負った三十代ぐらいの男性が立っていて、その後ろに黒っぽいコートを着たふたりの女性が見えた。背が高い女性と、小柄な女性だ。ふ
「兵頭さん、さっきのお話の続きですけど、必ず勝てる馬券なんかあるんですか?」ピッツァを食べながら、わたしは話を戻した。「ああ。もちろん競馬に絶対はないがね。このレースはこの馬が勝つ確率が非常に高いという堅いレースは確かにある」「堅いレース、ですか?」「そう。例えば今日のきさらぎ賞だ」兵頭はピッツァを口に入れてからビールをぐいっと飲んだ。「出走頭数はたったの八頭。一番人気のルージュバックはこれまで牡馬相手に二戦二勝。しかも二戦とも完勝だった」兵頭はまたピッ
「兵頭さん、こんな立派なお店をお持ちだなんてすごいですね。びっくりしました」生ビールで乾杯した後、わたしは兵頭に自分の驚きを率直に伝えた。「まあ、この店のことは、あの店長に任せきりだけどな。松島くんというんだけど、なかなかできる男でね。イタリアで修業したこともあるから、料理の腕も確かだ」兵頭はジョッキに入ったビールをひと口飲んだ。「店長ががんばってくれてるから、昼間はいつも満席でね。ネットの口コミサイトでも評判がいいんだよ」「いいお店ですもんね。このあたりは会社がた
正面の窓から見ると店のなかは明かりがついていたが、入り口のドアには「準備中」と書かれた札がかかっている。「まだ開店前みたいですね」「いや、かまわんよ」兵頭がドアを開けると鈴が鳴り、店の奥から「いらっしゃいませ」という男の声が聞こえた。どうやら営業しているらしい。兵頭の後ろについて店へ入ると、なかは思ったよりも広かった。建物の外観は古いが、店の内装はきれいで、いかにもカジュアルな雰囲気のイタリアンレストランといった感じの店だ。壁にはたくさんの馬の写真が飾ら
「いやあ、こんなところであんたに会うとはなあ。あんたも競馬やるんかね?」兵頭はにこにこしながらわたしに尋ねた。ハローワークでは見せたことのない満面の笑みだ。いつもより声も大きい。「あっ、いや、今日はたまたま……」失業者が競馬をやるとはけしからんと、また兵頭に説教されたらたまらんなと思った。「ふーん、そうかい。あんたもルージュバックの馬券、買ってたのかね?」「いえいえ。わたしは、アッシュゴールドの複勝です」わたしは兵頭に自分の馬券を見せた。「ふーん、複勝を
「戸崎、頼むぞ!」隣に立っている小柄な老人が画面に向かって大きな声をあげた。老人は大きめのグレーの帽子を目深にかぶっていて表情まではわからないが、戸崎圭太騎手が乗るルージュバックの馬券を買っているに違いない。ゲートが開いた。八頭の馬がいっせいに前へ出た。横一線のなかから、内のネオスターダムと外のエメラルヒマワリの二頭が先頭に並ぶ。ルージュバックは四番手、アッシュゴールドはその後ろだ。さらに後方にはポルトドートウィユが控えている。前の争いは、結局ネオ
「ちょっと梅田に行ってくる」日曜日に家で昼食を食べた後、わたしはオカンに外出すると告げた。「あら、日曜日に出かけるなんて珍しいやん」オカンは驚いたようだった。「晩飯はいらないから。たまには梅田で食べてくるよ」わたしはコートを着て玄関に向かい、スニーカーを履いた。「ふーん、寒いのに……気いつけてな。行ってらっしゃい」「行ってきます」駅へ向かう途中のコンビニでスポーツ新聞を買い、梅田行きの阪急電車のなかで読んだ。競馬のページを開き、ステイゴールド
その日の夜、わたしは夕食を食べた後、いつも通りリビングのソファーに寝転がってテレビを観ていた。CMの時にふとスマホでツイッターを見たら、ステイゴールドが急死したと書かれたツイートを見つけた。ステイゴールドとは、わたしがむかし競馬にはまるきっかけとなった競走馬の名前だ。あわててネットニュースを確認すると、「三冠馬の父・ステイゴールド急死」という見出しの記事があった。記事を読むと、ステイゴールドは今日の種付け後に体調が急変し、夜七時過ぎに息を引き取ったとのことだった。ス
毎日家にこもって、ああでもないこうでもないと悩んでいたら二月になった。その日は寒い朝だった。七時に目が覚めたが、ふとんから出る気がしない。雨戸も開けずに部屋を暗くしたまま、わたしはベッドの上でごろごろしてスマホをいじっていた。ふと、十一月に辞めた東京のベンチャー企業がその後どうなったのか気になって、会社名のアイズドリームで検索してみた。「アイズドリーム、民事再生申し立て」検索結果のトップに出てきたのは、先週のネットニュースの記事だった。「IT系ベンチャー
「圭介、お前これからどないするつもりなんや?」その日の夜、家でテレビを観ながら夕食を食べていたら、たまりかねたようにオカンが言った。「さあ……まあなんとかなるよ」自分がこれからどうするつもりなのか、わたし自身が自分に聞きたいぐらいだ。「せっかく時間があるんやから、勉強して資格でも取ったらどうや?あんた、勉強は得意やろ?」「資格ねえ……」そういえば若い頃、経営コンサルタントにあこがれていたわたしは、中小企業診断士という経営コンサルタントの国家資格を取ろうとした
あれから一週間経ち、わたしはまた阪急電車に乗って梅田のハローワークへ向かっていた。冷静になって考えてみると、あの紹介状をもらい損ねた求人は、やはり自分には無理筋だったと思う。あの会社が募集していたのは、新規事業の担当者であって責任者ではない。求人票の内容をよく読めば、あの会社がわたしよりもっと若い人を欲しがっていることがわかる。きっとあの兵頭という相談員も、わたしの経歴を見て条件が合わないと判断し、紹介状を発行しなかったのだろう。まあ仮に紹介状をもらって応募したとこ
ハローワークがあるビルを出ると、わたしは気分転換にコーヒーでも飲もうと思い、近くにあるスタバへ寄った。フレンドリーな店員が作ってくれたトールラテのカップを受け取って右手に持ち、空席を探しながら店内をうろうろする。窓に面したカウンター席の後ろを通ったら、イスの上に見覚えのあるブルーの紙袋が置かれているのを見つけた。隣の席にはスーツを着た三十代ぐらいの男が座っていて、カウンターの上でシルバーのノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを叩いている。イスの上の紙袋にはASUKA
その日の梅田のハローワークはいつも以上に混んでいた。年が明けて十日ほど経ち、求職活動を再開した利用者が多いのだろう。わたしも受付で求人検索の順番を待った。しばらくしたら席が空き、受付の担当者からいつものようにA4サイズの座席番号表をもらった。座席番号表には座席番号と座席表が書かれていて、利用者は座席表を見ながら指定された番号の席を探して座り、求人検索専用のコンピューター端末を使って仕事を探す。わたしも自分の番号の席に座った。机の上には求人検索の端末とプリンター
昨年の7月から当ブログを書きはじめて、もうすぐ10か月が経ちます。訪問していただいた皆さまに、改めて御礼申しあげます。今日は皆さまへの感謝の意を込めまして、これまでの人気記事をまとめてみることにしました。まず小説執筆に関する記事です。小説を書くために必要な3つの目小説を書いてみて思ったこと小説を書く前に日記を書くカルチャーセンターの小説講座で学んだことエンタメ小説を書く前に読む本小説投稿サイトを比較してみた石田衣良小説スクール文芸誌の新人賞をとる方法?転職に関する記事です
わたしの地元、大阪府茨木市は、大阪市と京都市の中間に位置する。建築家・安藤忠雄氏の代表作のひとつ「光の教会」がある街だ。基本的には大阪のベッドタウンだが、交通の便が良いので会社や工場が多い。大きなスーパーや量販店もあり、生活するには便利な街だと思う。茨木のハローワークは、JR茨木駅と阪急茨木市駅のちょうど真ん中あたりにある。わたしの実家からだと歩いて十五分ぐらいの距離だ。「職業安定所」というむかしの呼び名がそぐわない小ぎれいなビルのなかにある。役所という
あっという間に年が明け、二〇一五年の一月になった。「圭介!もうあんた家で毎日ごろごろしてばっかりやんか。いつまで正月のつもりや。たまにはどっか出かけてきたらええのに」朝からリビングのソファーにパジャマ姿で寝転がってテレビを観ていたわたしに、オカンが掃除機をかけながら文句を言った。ふたりで住むには広すぎる一戸建ての家を、毎朝掃除するのがオカンの日課だ。掃除機の音がうるさくて、テレビに映るアナウンサーの声がよく聴こえない。「どこかに出かけろって言われてもなあ……」
「楠木さん、ぜひ弊社にご入社いただけませんか?」面接がはじまって早々に、メディカルスターズの総務部長がわたしに言った。メディカルスターズは大阪大学の近くにあるバイオベンチャーで、すでに東証マザーズに上場している会社だ。人材紹介会社のシルクエージェントから紹介された会社のひとつで、担当の天野からも「二年前に上場した後も順調に成長している会社ですし、将来性は抜群です」と入社を強く勧められていた。「ありがとうございます……でもまだ求職活動をはじめたばかりで、他にも検討中の会社が
「いやあ、楠木様、すばらしいご経歴でいらっしゃいますね」あいさつもそこそこに、名刺を差し出した男は低音のよく通る声でわたしの経歴をほめた。男の名刺には「株式会社シルクエージェント大阪支社キャリアコンサルタント天野遼」と書かれている。大阪へ帰ってきてすぐに二社の面接を終え、ひとりでの求職活動に限界を感じたわたしは、さっそく人材紹介会社最大手のシルクエージェントに登録したのだ。人材紹介会社とは、いわゆる転職エージェントのことだ。転職エージェントは、わたしのような
面接を終え、その会社のビルを出た。顔を上げると、冬晴れの青い空が広がっている。昼下がりで陽ざしは暖かかったが、もう十二月だから、さすがに風は冷たい。わたしは左腕に抱えていた黒いコートを着て、右肩にカバンをぶらさげた。仕事の書類が入っているわけでもないので、カバンはとても軽い。コートのボタンは外したままだが、そんなに寒さは感じなかった。暑いぐらい暖房の効いた部屋にしばらくいたせいか、ひんやり冷たい外の空気が心地良かった。今日はこのあと何も予定がない。
この会社へ来たのはもちろん初めてだ。長方形の大きなテーブルをはさんで、わたしはスーツ姿の男と差し向かいに座っていた。暗い木目調の壁のせいで古くさい感じがする会議室だ。奥には大きな窓はあるが、白いブラインドがかかっていて外は見えない。長方形のテーブルには、ひじ掛けのついた黒いイスが二十脚ぐらいセットで並んでいるのに、座っているのはわたしとその男のふたりきりだった。正面の壁には銀色の丸い時計がかかっているが、蛍光灯の明かりが反射して文字盤が見づらい。男はこの会社の人事
会社員だった頃、休みの日に好きな作家の小説を読むのが趣味でした。司馬遼太郎、山崎豊子、渡辺淳一、村上春樹、宮本輝、浅田次郎、和田竜。偉大な作家たちのすばらしい作品を、週末や夏休みなどにまとめて読むのが、私の何よりの楽しみでした。様々な作品が、ビジネスパーソンだった私に、生きる喜びを与えてくれました。かつての私のような、大人のビジネスパーソンが、休みの日に身銭を切ってでも読みたくなるような小説を書きたい。それが小説を書こうと思った動機です。私は楽器も弾けませんし、絵も描けません。芸人