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4月25日から当ブログで連載してきた小説「夢の続きはキャリアビルダー」が、きのう最終回を迎えました。小説「夢の続きはキャリアビルダー」第1話私が生まれて初めて書いた小説をお読みくださった皆様に、改めて御礼申しあげます。正直、小説をブログで公開しはじめた頃は、読む人がいなくなったら途中でやめようと思ってました。この小説は元々、文芸誌の新人賞に応募するために書いた作品です。最初からブログで連載することを前提に書いたわけではなく、書き上げた作品を小分けにしてブログで少しずつ公開しただけなので
どんよりとした冬のくもり空の下、わたしはスーツの上から黒いコートを着て、東大阪の街を自転車で走っていた。向かい風が冷たくてめちゃめちゃ寒い。さすがに二月ともなると、自転車に乗るにはつらい季節だ。わたしはコンビニで熱いほうじ茶とピザまんを二個買って、近くの公園で自転車を止めた。誰もいない公園のベンチに座り、手袋を外してピザまんを食べ、ほうじ茶を飲むと身体が少し温まった。わたしは去年の六月から、東大阪のNPOで働いている。兵頭に紹介してもらった仕事だ。「せっ
「いや、まだわからんよ」兵頭は首をひねっていた。「ここからじゃあ、どっちが勝ったかわからんだろう?」確かに、我々は最後の直線の半ばあたりでレースを観ている。この位置からだとゴール前の様子は見えにくい。「ゴールドシップが勝ってますよ。ねえ師匠」竜馬が振り返ってわたしに言った。やっぱり楽天的な男だ。「いや、どうやろう?外のフェイムゲームのほうが、勢いがありましたわ」中川は半信半疑だ。すぐにターフビジョンに最後の直線のレース映像が流れた。ゴ
巨大なターフビジョンに、天皇賞の最終オッズが表示された。一番人気はキズナで、単勝の倍率は三・三倍。二番人気はゴールドシップで四・六倍。以下、アドマイヤデウス、サウンズオブアース、ラストインパクトなどが人気を集めていた。「ゴールドシップ、やっぱり二番人気かあ」中川が少し悔しそうにつぶやいた。GⅠレースを五勝もしているゴールドシップが一番人気にならないのは、やはり京都競馬場が苦手だと思われているせいだ。「フェイムゲーム、七番人気ですね。おいしい馬券だなあ」
スタンドの席に兵頭と並んで座りながら、わたしは天皇賞の出走馬たちが馬場入りするのを待っていた。スタンドは通路まで人でいっぱいだ。前の席にはひとみとあかりが座っている。「ひとみさん、天皇賞は何の馬券を買いはったんですか?」あかりがひとみに尋ねた。確かにひとみがどの馬の馬券を買ったのかは気になるところだ。もしゴールドシップを買ったのなら竜馬とつき合いたいということになるし、フェイムゲームを買ったのなら木下とつき合いたいということになる。「内緒。あかりちゃんは
「あっ、オーナー、いらしてたんですか?」「オーナー、こんにちは」ひとみとあかりが食事から戻ってきた。「オーナー、圭介さんとおふたりで何のお話されてたんですか?」ひとみが興味津々の様子で尋ねてきた。「ああ。もし今日の天皇賞でゴールドシップが勝ったら、楠木くんは中小企業診断士として独立するそうだよ」「えーっ、圭介さん、ほんまですか?」「うん。なんかそんな話になってね」「すごいじゃないですか」「まだわかんないよ。ゴールドシップが勝つとは限らないし」
日曜日の朝十時、わたしは京都競馬場のスタンドにいた。場所はちょうど最後の直線の半ばあたりで、目の前には巨大な楕円形の芝コースが広がっている。引退式でステイゴールドが走ったあの芝コースだ。あれから十三年。ひさしぶりに見る競馬場はとにかく広い。野球場の数倍の大きさだ。都会の近くでこんなに広い場所は他にないだろう。巨大なターフビジョンが小さく見える。緑の芝は美しく、コースの中央にある大きな池は朝日を浴びてキラキラと輝いている。「あかりちゃん、いいお天気や
その日の夜、家に帰るとあかりからメールが届いた。「圭介さん、ひとみさんの件でお話ししたいことがあります。明日の十八時、梅田でお時間をいただけませんか?」失業者はヒマだ。了解ですとすぐに返信すると、あかりは待ち合わせ場所に阪急梅田駅の改札口を指定してきた。さっそく次の日の夕方、わたしは阪急電車に乗って梅田駅へ向かった。改札口の前の人ごみのなかに立っていたら、十八時ちょうどにあかりがやって来た。時間に正確な子だ。「すみません圭介さん。突然お呼び立てして」「い
「いよいよ来週は天皇賞ですわ」日曜日のリストランテ・ネアルコでビールを飲みながら、中川がうれしそうに言った。「圭介さんも一緒に京都競馬場へ行ってくれはるんですよね?」中川が上機嫌で尋ねてきた。「うん。楽しみだね」いよいよ競馬場でゴールドシップに会えると思うと、わたしも自然と笑顔になる。「わたしたちも行きますよ」「ほんま楽しみですね」ひとみとあかりも笑っている。「じゃあ、来週はみんなでゴールドシップを応援しようか」「いいですね、圭介さん。
今年も春が来た。「パパ、めっちゃきれいやなあ」満開の桜を見ながら、娘の華がはしゃいでいる。娘に会うのはひさしぶりだ。休日の大川沿いの桜並木は、たくさんの家族連れやカップルたちでにぎわっている。「花びら集めてくる」駆け出した華は両手を広げ、ひらひらと落ちてくる桜の花びらを手のひらで受け止めた。初めて女の子が生まれた時、華のある子に育って欲しいと願い、華と名付けたのを思い出した。「うわあ、花びらいっぱいやあ」はしゃぎ回る娘を見ながら、わたしは道端
結局、その日は二十一時過ぎに店を出た。竜馬はまた「圭介さん、梅田へ飲みに行きましょうよ」と誘ってきたが、あかりから「お兄ちゃん、明日も早いんでしょ?」と言われてしまい、今日もまっすぐ家へ帰ることになった。ひとみたちと別れてわたしが地下鉄の北浜駅のほうへ行こうとすると、あかりがひとりで近づいてきた。「圭介さん、月曜日にひとみさんの部屋へ行くのを断ったそうですね」「ん?ああ、そうだったね」あかりはひとみのことなら何でも知っているようだ。「ひとみさん、かなりへこん
天神橋の北には、天神橋筋商店街がある。天神橋一丁目から六丁目まで、南北にまっすぐ続くとても長い商店街だ。ひとみとふたりで天神橋を渡ると、前方に商店街の入り口が見えてきた。「南森町はここから歩いて十分ぐらいですから、そんなに遠くないんですよ」「ふーん。そうなんだ」もう少しひとみと一緒にいたいなと思ったが、オカンが風邪気味だと嘘をついてしまったのでしょうがない。「圭介さん、天神橋筋商店街には来られたことあります?」「ああ。何度か通ったことはあるけど、あまり詳
食事を済ませた後、ふたりでカフェを出た。ひとみはわたしを連れて行きたい場所があると言う。「すぐそこなんですけどね」またふたりで川沿いの遊歩道を歩く。今は真冬だが、今日は晴れていて陽ざしが少し暖かく感じられる。「あそこ、何かわかります?」ひとみは右手に見える大きな橋のあたりを指さした。「何って、橋でしょ?」「天神橋やなくて、その手前です。木が生えてるとこ」確かに、天神橋の手前の川のなかに、木が数本生えているのが見える。小さな陸地があるらし
暖房の効いたカフェの店内は、ランチタイムで少し混んでいた。窓際の席にふたりで座り、ひとみはトマトとアボカドのサンドウィッチ、わたしはハンバーグを注文した。カフェの窓からは大川が見える。川の対岸には桜並木が続いていた。今は冬だからただの枯れ木の道だが、桜が咲く季節になればきっと美しいだろう。いつか娘とふたりで歩いてみたいなと思った。外の景色を見ながら、ひとみと一緒にランチを食べる。「そういえば、なんか仕事のことで相談したいとか言ってたけど?」ハンバーグを食
中川とふたりで食事をしながら競馬の話をしていたら、そこへ再び木下がやって来た。「中川さん、ちょっといいですか」「ん?木下くん、どうしたん?」中川はあわててカルパッチョを飲み込んだ。「あのふたり、さっきからいったい何の話をしてるんですかね?」木下はカウンター席の兵頭とひとみを指さした。「さあ?ずっとふたりで話し込んではるなあ」「おれ、あのふたりはあやしいと思うんですよね」「あやしい?」「ええ。あのふたり、たぶんできてますよ」「できてる
土曜日の夕方、わたしはまた阪急電車に乗って北浜へ向かっていた。もちろん、リストランテ・ネアルコでひとみに会うためだ。ひとみに会うのはこれでまだ三回目だが、もっと前から知り合いだったような気がする。今週から平日の昼間は近所の図書館へ通うことにした。大学院の受験準備だ。まずは経営学の基礎知識をおさらいするため、図書館にある経営学の本を片っ端から読んで内容をノートにまとめた。ひさしぶりに勉強するのはなかなか大変だったが、いろんな知識が身につくのは楽しくもあった。
家へ帰るとオカンはもう寝ていた。オカンを起こさないよう、わたしは忍び足で階段を上がり、二階の寝室へと向かった。寝室の明かりをつけると、いつもの通り、シングルベッドの横に段ボール箱の山があった。東京から実家へ引っ越した際、衣類など必要なものはすぐに箱から出したが、本や書類などは箱に入れたまま放置している。今さらながら段ボール箱を数えてみたらまだ十箱もあった。箱の側面にはマジックペンで「本」「書類」などと書いてあるが、なかに何が入っているのかは、箱を開けてみないとわから
「気になること?何ですかそれは?」追加で注文したピッツァをほうばったまま、竜馬が言った。「圭介さん、まさか一次試験に合格したのが平成十二年より後だったとかですか?」「いやいや。竜馬さん、それはないよ」平成十二年といえば西暦二〇〇〇年。わたしが結婚した年だ。診断士試験を受験したのは独身の頃だったから、一次試験に合格したのが二〇〇〇年より前なのは確実だ。「じゃあ、気になることって何ですか?」「うん。実はね、一次試験に合格した時に証明書をもらったはずなんだけ
日曜日のリストランテ・ネアルコには、入り口のドアに「準備中」と書かれた札があった。先週と同じだったので、わたしは気にせずドアを開けた。「あ、圭介さん。こんばんは」わたしの姿を見たあかりが店の奥から声をかけてくれた。約束の時間は十八時で、まだ十分ぐらい前だったが、テーブル席にはすでにあかりとひとみのふたりが座っていた。テーブルの上には、飲みかけのコーヒーカップが置かれている。奥のカウンター席を見ると、オーナーの兵頭と黒いスーツを着た男の後ろ姿があった。彼ら
「おお、うまい!圭介さん、ここのピッツァ、おいしいですね」竜馬は上機嫌でピッツァをほうばっていた。わたしと同様、竜馬もこの店のピッツァが気に入ったようだ。今日は定休日じゃないから、ちゃんと石窯で焼いているのだろう。先日食べた時よりも、さらに風味が増している気がする。「うまいよね。この店のオーナーの話だと、なんかいいチーズを使っているらしいよ」わたしはピッツァを食べながら、さっきの竜馬の提案について考えていた。資格を取って独立するかどうかはさて置き、大学
大のおとなに泣かれてしまうと、わたしにはもう竜馬に言うべき言葉がなくなってしまった。泣き止んだ竜馬はイスに座りこみ、黙ってうつむいたままだ。気分を替えようと、三人で食事をすることにした。料理を注文して待つ間、わたしはあかりに尋ねた。「お兄さんの意志は固いようだけど、どう思う?」「圭介さんのお話をお聴きして、経営コンサルタントとして独立するのは難しいことだっていうのはよくわかりましたけど」あかりは右手で髪をかきあげた。「兄の人生ですから、兄の好きにするしか
「つまり、簡単に言うと、経営コンサルタントとは、経営学と実際のビジネスをつなぐ人なんですね」わたしはコーヒーをひと口飲んでから話を続けた。「診断士試験の勉強をすればわかることですけど、経営学には経営戦略やマーケティングなど、いろんな専門分野がありますよね?」「ああ、はい。そうですね」竜馬はあわててうなずいた。わたしの話についていくのがやっとの様子だ。「経営コンサルタントも、そうした専門分野ごとに分かれているんですが、診断士試験の受験勉強では、経営学全般について幅広く
「それで竜馬さんは、お仕事を辞めて診断士試験の勉強をはじめられたんですか?」コーヒーをひと口飲んでから竜馬に尋ねた。「ええ。最初は受験の参考書を買って、自分で勉強をしようと思ったんですが、仕事をしてるとなかなか勉強がはかどらなくて。それで思い切って会社を辞めて、大阪へ引っ越して資格の学校に通うことにしたんです」上の兄の紹介で入った会社をそんな理由で辞めてしまったら、兄にも迷惑がかかったと思うのだが、竜馬は悪びれずに答えた。「なるほどねえ。で、今は毎日どんな生活をされてるん
北浜駅から歩いてリストランテ・ネアルコに着いたのは、まだ十八時半を回ったところだった。あかりとの待ち合わせは十九時だったから、どこかで時間をつぶそうかとも考えたが、面倒なので店のなかで待つことにする。リストランテ・ネアルコの入り口のドアを開けると、奥のテーブルにもうあかりがひとりで座っていた。「圭介さん、今日はすみません」わたしの姿を見ると、あかりが立ち上がって頭を下げた。「いやいや。あかりさん、早いね。お兄さんは?」「もうすぐ来ると思います」どうやらあ
ひとみの家から西宮北口駅への帰り道がわからないわたしのために、あかりは途中まで送ると言ってくれた。ひとみは寝室のベッドに置いたままだったが、あの様子ならたぶん朝まで目覚めることはないだろう。またいつかあの部屋へ行くことはあるんだろうか?「どうせ帰り道みたいなもんですから。わたしのマンションは駅の近くなんで」と、あかりは言っていたが、本当かどうかはわからない。夜が更けて灯りがまばらになった住宅地の暗い夜道は、スマホのマップだけを頼りに歩くのには適さない。それにそろそろ
「襲っちゃいます?」青いニットのワンピースを着たままベッドに横たわるひとみの姿を見て、あかりが言った。わたしは鼻で笑って聞き流した。酔ったあかりが童顔の小悪魔に変身するのにはもう慣れたから、いちいち返事はしない。ひとみは相変わらずぐっすり眠っている。いまはたぶん夢を見ていて、自分がどこにいるのかもわかっていないだろう。ベッドに横たわっているのに、ひとみの形の良いバストはつんと上を向いている。さっきわたしはひとみをおぶったまま寝室まで運び、あかりとふたりで
「すみません。今日会ったばっかりの人に、こんなことさせてしまって」わたしは眠ったままのひとみを背負い、あかりと一緒に夜の西宮北口の街を歩いていた。道は静かな住宅街に入り、あかりの靴音だけがこつこつと響いている。こんなことになるのなら、北浜の店を出た時に無理やりにでもひとみをタクシーに乗せれば良かったと思う。そうしなかったわたしは、電車で西宮北口駅までやって来た。眠ったままのひとみを、あかりとふたりで電車から文字通り引きずり降ろし、それでも起きないひとみを、しょうがな
「圭介さん、なんかわたし、おじゃまみたいですね」わたしたち三人は阪急電車の特急に乗って、梅田駅から西宮北口駅へと向かっていた。結局、酔っぱらったひとみをあかりひとりに任せるわけにもいかず、とりあえず西宮北口駅まで送っていくはめになったのだ。梅田発新開地行きの特急は運よく座席が空いていて、三人とも座れた。横長のシートの左端にひとみを座らせ、その隣にわたしが座り、わたしの隣にあかりが座った。三人並んで座ると、ひとみはすぐに眠ってしまった。それから人がどんどん乗って
店長に見送られて兵頭の店を出ると、時刻は二十一時を回っていた。まだ早い時間だが、きょうは夕方から飲んでいたせいで、もう真夜中のような気がする。店長が作ってくれたおいしい料理をたくさん食べて、お酒もだいぶ飲んだから、もうお腹はいっぱいだ。中川は家で奥さんが帰りを待っているそうで、「圭介さん、後のことはよろしくお願いしますわ」と言い残し、先に京阪電車の北浜駅まで歩いて行った。「中川さん、家どこ?」と訊いたら、「淀ですわ」と言っていた。京都競馬場の近くに住むなんて、どんだ
「圭介さん、今日は梅田のウインズに行ってはったんですか?」小首を傾げながら、ひとみがわたしに尋ねた。首が細くて長めだから、タートルネックがよく似合う。トスカーナのワインがだいぶ回ってきたのか、目元がほんのり赤い。「ええ。ひさしぶりに馬券を買ってみようと思って」「ひさしぶりに?」ピンクのくちびるがぷるんと動く。「うん。競馬はずっとやめてたから。ウインズへ行くのも馬券を買うのも、もう十年ぶり以上だね」「へえー、そんなにひさしぶりに?圭介さん、なんでま