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いま読んでる本。まさかカトリーヌ・ド・メディチが登場するとは!カトリーヌ・ド・メディチ。レッスン生、またはアロマテラピーの歴史を学ばれている方ならあ!と思いだしていただけるのでは。先日も、こんな記事を。『サンタ・マリア・ノヴェッラ』必ず、と言っていいくらいレッスンのなかでご紹介する、サンタ・マリア・ノヴェッラ。レッスン生なら、ご存知かと^^800年以上の歴史をもち、イタ…ameblo.jp
紅茶教室でカトラリーについてのレッスンを受けました。今私たちの生活で当たり前に使われているカトラリーですが、その歴史は意外と新しく、フランスで使われたのはカトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世と結婚する時に調理人や食器と一緒にカトラリーもたくさん持ち込んだのがきっかけと聞いて驚きました。普段あまり意識することのないカトラリーですが、材質やデザインはいろいろあり、食器がいくらよくてもカトラリーがチグハグだと台無しになってしまうということがよくわかりました。
リモージュのテーブルリモージュといえばロワール川古城➡️ロワールといえば➡️カトリーヌドメデシス➡️カトリーヌドメデシスといえば➡️イタリアからの上品な食文化➡️カトラリーをつかった食事法、美味しい食事、デザート➡️カトリーヌはマカロンの伝承者(イタリアのアマレッティがマカロンの始まり)➡️カトリーヌがいなかったらフランスの発展は無かったというテーブルです🍽️🥂セイボリーへ続く。。
吉井勇の「かにかくに」の歌の祇園をシュノンソーに変えたものです。作中にあるシルエットは16世紀絶世の美女といわれたディアーヌ・ド・ポワティエです。彼女はフランス王アンリ2世の妾でシュノンソー城をプレゼントさるなど絶大な寵を受けました。シュノンソー城はロワール渓谷シェール川の上に建てられ「シェールの宝石」と呼ばれるほどの美しさを誇ります。庭園も素晴らしく立派なプラタナス並木が城へ誘います。しかしこの美しい城はアンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスも欲しがっており、王妃は嫉妬と憎悪をディアーヌに向
フランス史上最凶の悪女と言われるがカトリーヌ·ド·メディシスだが、彼女がサン·バルテルミーの大虐殺を指示した証拠はないらしい。メディチ家出身の彼女は子供の頃から苦労人で、アンリ2世と結婚後、10年もの間子宝に恵まれず、かなり厳しい立場にあったようだ。フランス王室は男系で、正妻の産んだ男子のみが王位に就けたというので(サリカ法典の支配を受けないイギリスは正妻の産んだ子なら女子でも即位可能)。しかもカトリーヌは夫を愛していたのに、アンリ2世は19歳年上の愛人に首ったけだったと…(カトリーヌが容
カトリーヌ·ド·メディシスとサン·バルテミーの大虐殺(サン·バルテルミの虐殺)に関心があり、何度も解説動画を視聴しているが、難しい…(歴史解説はどれも難しい)。カトリーヌはフランス史上最凶の悪女と言われているが、カトリックとユグノー(プロテスタント)の宗教対立を何とかしようとしてたというし、元々はカトリックとユグノーの融和を望んでいたというんだよなぁ…それがユグノー許すまじになってしまったとは…サン·バルテミーの大虐殺はユグノー以外の人々も殺されたというからむちゃくちゃだな…と感じた(ユグ
今日は皆既月食の日。天王星も隠れるそうですよ、見えないけど。月が赤くなってます。まさに今!見てください!(現在:19:30)カトリーヌ・ド・メディシス生年月日1519年4月13日(水)日干支戊申同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・源頼信968年12月21日・レンブラント・ファン・レイン1606年7月15日
お久しぶりです。雨が続きますね・・今日は甘く(?)残虐なお話です。***********フロランタンってご存知でしょうか?アーモンド・キャラメル味の焼き菓子なんですが私、昔から好きで紅茶のお供に久々食べたいなぁと。。でもアレルギーのためケーキ屋さんで買えなくなってしまいじゃあ自分で作ってみようかとレシピを検索しました。そしたらあるレシピにフロランタンの起源が載ってまして。いくつか説があるそうなんですけど・・一説には16世紀に
アナタは信じますか占いとか予言とかたぢまは占いを信じません中世のフランスに占いや予言に惑わされ寂しい一生を終えたかわいそうな女性が1人その人の名前はカトリーヌドメディチ資料画像運命のダダダダ~ンさま彼女はフランス王家のアンリ2世くんと結婚しますがなんとっ当時14才だった彼にはすでに愛人が…それは彼の教育係ディアヌ未亡人カトリーヌちゃんは王宮のあぶれものに…子供だってできる訳が御座いませんわ窮地にたたされたカトリーヌち
「歴史のなかの女たち名画に秘められたその生涯」高階秀爾箸文春文庫1984年刊(文庫版)1978年刊(単行本)改訂版岩波現代文庫↓歴史のなかの女たち―名画に秘められたその生涯(岩波現代文庫)Amazon(アマゾン)1〜4,800円こんばんは。この本で紹介されている女性の中から、エリザベス1世に近い世代の方をシリーズで書かせていただいています。(①~③もお読みいただけると嬉しいです)アンリ2世の愛妾、
「香水は、キスしてほしい所に付けるもの」これは、自らの名が付く香水を作った、ココ・シャネルが残した有名な言葉だ。フランスの女性は、老いも若きも誰もが皆、愛用の香水を持っている。しかしながら香水は、フランス人の発明品ではない。アルコールベースの香水が作られるようになったのは、イタリア。このイタリアからフランスに香水を伝えたのは、フィレンツェの貴族メディチ家。その娘カトリーヌ・ド・メディチが、当時のフランス王アンリ2世に嫁いだ時だったと、言われている。その時カトリーヌのために調合された
カトリーヌ・ド・メディシス。王冠を持たない王家、と言われたイタリア、メディチ家本家の生まれであり、フランス王妃。(メディシスはメディチの仏語読み)今のフランス文化は彼女が作ったと言っても過言ではないかもしれません。フランス宮廷にカトラリーに食器類、食事のマナーを持ち込みます。(それまでは手づかみ)マカロンにアイスクリーム、フィナンシェにシュークリームなどお菓子文化を根付かせる。芸術への理解も深く、フランス・ルネッサンスをもたらしたのです。彫刻や陶芸の収集
今では一年中食べられるようになったほうれん草だが、旬の季節は冬。冬に収穫されるほうれん草は、夏に比べてビタミンCが3倍も多いという。このほうれん草、パリの市場で見かけた方は、さぞ驚かれる事だろう。日本に比べて驚く程大きく、葉っぱも肉厚。[フランスのほうれん草]あまりに大きいので、束ではなく量り売りされている。しかもほうれん草の茎には苦味があるので、茎を取るのがフランスの主婦にとっては一仕事。街のスーパーでは、葉っぱだけが切り取られてパック売りされている。ところでほうれん草はフラン
2019年12月22日撮影シュノンソー城世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれるChâteaudeChenonceaule22décembre2019回廊(ギャラリー、ダンスホール)スレートと石灰岩タイル代々女性に引き継がれた、愛憎劇が繰り広げられた城“川に架かる城”カトリーヌ・ド・メディシスCatherinedeMédicis(1519〜1589)イタリアの名門メディチ家に生まれる(以下Wikipediaより)
意外に立派なサンジェルマン・ロクセロワ教会ですが、歴史的にも有名。ここの鐘の音で、フランス史上最大の虐殺「聖バルテルミーの虐殺」が。命令を下したのは例の浮気男の妻カトリーヌ・ド・メディシスなんですって。確証は無いそうですけどね。サンジェルマンアンレーから帰って来たばかりでしょ。不思議な縁ですよね~。予約席は無い筈ですが・・・どうやら教会関係者の優先席のようでした彫刻も歴史を感じさせますね中央の男性が指揮者のポール・ケンツさん時間があるからと、チラシを良く見れば。ヴィ
カトリーヌ・ド・メディシス(カトリーヌ・ド・メディチ)と言うと、カトリックとプロテスタントの強硬の真っただ中、彼女の政治の大半はプロテスタントの勢力を抑える為に割かれたと言っても過言ではありません。彼女の意に反して起こってしまった「サン・バルテミーの大虐殺」の首謀者として、後世の人々からは良いイメージを持たれていませんが、果たして彼女は血も涙もない単なる「悪女」と言う面しか持っていなかったのでしょうか?今回は3回に渡って、教科書では絶対に教えて貰えない、カトリーヌの波瀾万丈の人生を覗いて
時はまさにルネサンス。イタリアから豪商の娘がフランスの皇太子の元へ嫁ぐ。最先端の文化を持つイタリアに対して、フランスはプライドだけが高い後進国。彼女がフランスにもたらしたのはフォークやナイフなどの食器。化粧品。香水。女性のランジェリー、スイーツ。現代フランスにもつながる食文化。だが、彼女が嫁いだ時、彼女は国民からも臣下からも店屋の娘と呼ばれ、結婚したばかりの夫には既に愛人がいた……。彼女の名はカトリーヌ・ドュ・メディシス。これは国の物語であり、家庭の物語である。「黒王妃
最近読んだ本、教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう王妃マルゴAmazon(アマゾン)1,866〜7,989円アレクサンドル・デュマ原作これは全部ではなく中から抜粋されて構成され翻訳、編集者の解釈も入っています。実は映画を観てから読みたくなりました。映画とこちらの本は微妙に内容が異なっています。それが知りたかったのです。新刊では見つからず中古で購入しましたが、面白いです。観てから読んでしまいましたが、その逆でもいいでしょう。興味のある方はぜ
16世紀、フランス国王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが伝えたとされるフロランタン大好きなお菓子とともに過ごす至福のひとときです。。カトリーヌ妃の食卓は美しい銀器が並び、星がかがやく夜空のようだったそうなんてロマンティックなのでしょう今田美奈子先生のご著書「お姫さまお菓子物語」を拝読すると、本当に幸せな気持ちになれます。。「花のようにあでやかに小鳥のようにやさしく風のようにかろやかに月の光のように豊かに生きたお姫さま。」という表現が特に印象的で、ノートに書き留
講談社同じ東北出身の佐藤賢一さん。やっと読むことができましたぁひさしぶりに歴史ものを読みましたなにかのめり込んで読めるものがいいな~~なんて思うと、手に取るのが、私の場合歴史もの『黒王妃』とは、16世紀フランス王アンリ2世の王妃、カトリーヌ・ドゥ・メディシス。彼女のことは、イタリアの名門メディチ家から輿入れし、カトラリーやアイスクリーム等々、イタリアの華やかな文化をフランス宮廷に持ち込み、今のフランス文化の礎を築いた女性、、、その程度
ヴィ・ド・フランスで、チョコフロランタンを食べています。チョコフロランタン。「ラムレーズン・ベルギー産チョコ入りケーキ生地とチョコクリームを包み、カラメルナッツをトッピング。」とあります。外はカリカリ。中は、シットリ。で、この「フロランタン」とは、何か?なのですが。調べてみると、フロランタンというのは、フランスの菓子。ドイツでは、フロレンティーナと呼ばれるそうです。どちらにしても、「フィレンツェの」という意味。カトリーヌ・ド・メディシスが、アンリ2世のもとへ嫁ぐ時に、イタリアから
アナタは信じますか占いとか予言とかたぢまは自分にとって都合のよい占いしか信じません中世のフランスに占いや予言に惑わされ寂しい一生を終えたかわいそうな女性が1人その人の名前はカトリーヌドメディチ資料画像運命のダダダダ~ンさま彼女はフランス王家のアンリ2世くんと結婚しますがなんとっ当時14才だった彼にはすでに愛人が…それは彼の教育係ディアヌ未亡人カトリーヌちゃんは王宮のあぶれものに…子供だってできる訳が御座いませんわ窮地にたたさ
日本人の装飾感覚の原点絢爛な琳派の世界をフルカラーで眼前に『日本の図像琳派新装版』発売時事通信鶴図下絵和歌巻」重文本阿弥光悦・書俵屋宗達・下絵/「風神雷神図屛風」国宝俵屋宗達/「源氏物語関屋・澪標図屛風」国宝俵屋宗達/「蓮池水禽図」国宝俵屋...刺客となった悲劇の皇后!日本神話のヒロイン・狭穂姫命と兄の禁断の関係【下】エキサイトニュース垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇后・狭穂姫命(さほびめのみこと)は、人妻の身でありながら実の兄である狭穂彦王(さほびこのみこ)と愛
■講座■アカデミー■<フランス文化の影の立役者世紀の愛人たち>5.「カトリーヌ・ド・メディシスの宿敵」ルネサンスのマドンナ、デュアヌ・ド・ポアチエ講師:石澤季里■日時6/7(日)14時~16時■会場経堂教室■受講料5,500円■どなたでも受講いただけます詳しいお申込手順はこちらhttp://www.antiqueeducation.com/tejun.html石澤季里(いしざわきり)プティ・セナクル代表、ジャーナリスト5年にわたるフランス生活でフレンチ・ア
自宅で手作する料理シリーズ、スイーツの第三弾はアーモンドがカリカリの【フロランタン】ですフロランタンはフランス菓子。「フィレンツェの」という意味でカトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世に嫁ぐ際にイタリアから伝えました。また一説には、パリの製菓職人フロランが考案した、イタリアとは何の関わりもない菓子というものもあります。いわゆる、諸説あり作り方は、クッキー生地にキャラメルでコーティングしたナッツ類(アーモンド)をのせてオーブンで焼き上げるというもの。
マカロンカラフルなお菓子でやわらかい印象ですが地方や時代によって様はかわります。フランスのお菓子として有名なマカロンですがその起源はヴァロア朝フランス王、アンリ2世に嫁ぐ際に、カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフランスに持ち込んだとされています。メディシスがノストラダムスをお抱え占い師としていたことも興味深いですね。さてアミアンはパリよりも北側に位置する場所の名前。アミアンのマカロン、つまりマカロンダミアンは16世紀、修道院でも作られていたとされています。生地にはすこしハチ
こんばんは。向日市紅茶教室「tea♡essence」です。しばらくぶりの更新です。先日、フィレンツェの紅茶を飲む機会がありました。フィレンツェといえばイタリアの都市ですからコーヒーの国。その中にあって1961年創業、古都フィレンツェに紅茶専門店「LAVIADELTE」(ラヴィア・デル・テ)があります。イタリア語で「茶の道」。数ある紅茶の中でフィレンツェシリーズから5種と50年の記念紅茶を飲みました。◯「メディチ家の
-本能寺の変とはなんだったのか13/?2021/11/30前回に引き続き、織田信長が中央に乗り込んで大再生後の1571年以降の、織田信長の廷臣たちのあてつけについて、触れていく。前回の箇条を同じく並べるが1.今の公的教義と同じ、何の等族議決性(育成理念)もない低次元な顕蜜体制への否定(踏み潰されっ放しなままの延暦寺)2.織田氏による、荘園特権(廷臣たちの特権)への閉鎖有徳規制の保護監察化3.海外との外交に関する、典礼特権・人事権の巻き上げ4.外交の饗応(きょうおう
テーマは、カトリーヌ.ド.メディチでした。15世紀から16世紀にかけてルネサンス文化が輝いた時代。カトリーヌ.ド.メディシステムなくしてはお菓子の文化と歴史を語れません。プリンセスが重要な役割を果たしてきたお菓子文化。プリンセスの生涯をおいながらお菓子との関わりをおっていきます。14才でアンリ二世にお輿入フランスへ持ち込んだ文化とマナーお菓子をお召し上がり頂きました。まるでタイムスリップしたような